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第25話 止まった時間

ノルムは、吹き飛ばされた少年を見つめた。


黒い槍が防壁に触れた瞬間、奇妙な魔力の流れを感じていた。


*なんだ、今のは……。*


魔力そのものは弱い。だが、こちらの術が発動するのに合わせ、正確に防壁を張った。


百年前にも、同じような人間がいた。


第三次魔導大戦で対峙した勇者。どこへ魔力を集め、何を放とうとしているのか、まるで初めから知っているように動いた男だ。


*ゴーレムを倒す剣士。人間とは思えぬ力を持つ魔導士。そして、この少年……。*


想定していなかった何かが、人間たちの間に生まれている。


*あの方に知らせなければ。*


ノルムは残った力を指先へ集めた。


自分によく似た、小さな魔力の分身が現れる。それは床を走り、砕けた窓から空へ飛び出した。


「何をした!」


エドガーが迫る。


ノルムは答えなかった。


剣の光が、目の前に迫った。


◇


そのほんの数秒前。


宙へ投げ出されたレオンの意識は、暗闇の中にあった。


*あれ。俺は、どうなった?*


魔族の攻撃を受けた。


防壁が砕け、身体が吹き飛ばされたところまでは覚えている。その先が、途切れていた。


何も見えない。


痛みも、身体の感覚もなかった。


けれど、考えることだけはできる。


*……死んだのか?*


『いいえ。あなたは攻撃を受け、軽い脳震盪の状態にあります』


世界の声が答えた。


*生きていたのか。てっきり死んだと思った。……でも、どこも痛くない。怪我は?*


『ほぼ無傷です。攻撃の大部分は防壁によって減衰しました。吹き飛ばされた際に後頭部を打っていますが、あと二・四秒で意識が回復すると推測されます』


*二・四秒。ずいぶん細かいな……。*


よく分からないが、無事ならよかった。


レオンは、そのまま待った。


何も見えない時間は、ひどく長く感じられた。


*……待てよ。もう二・四秒は過ぎた気がするぞ。まだ何も見えない。*


『思考加速の効果により、先ほどの会話から実時間では〇・一二秒しか経過していません』


*思考加速? なんだそりゃ?*


『魔力によって思考速度を通常のおよそ千倍に高めるスキルです。周囲の時間が、千倍遅く進むように感じられます』


*そんなスキル、いつの間に?*


『魔族の古い攻撃魔法を受けた際に解放されました。魔力の向上によって習得条件はすでに満たしていましたが、今回の攻撃が解放のきっかけとなりました』


*ああ、そう……。もう、なんでもありやね。*


前世なら、この急な条件変更に詳しい説明を求めていたかもしれない。


今はそれより、身体がどうなっているのか知りたかった。


*思考加速は解除できる?*


『可能です。解除しますか?』


*頼む。*


『承知しました』


長い静寂が終わった。


しばらくして、音が戻る。


「レオン!」


誰かの叫び声。


頬に当たる風。


身体が落ちていく感覚。


レオンは目を開けた。


石床が迫っている。


「うわっ!」


反射的に身体能力強化を使い、足を下へ向けた。


着地の衝撃を膝で受け、片手を床につく。


ほとんど同時に、剣が風を切る音がした。


顔を上げると、エドガーがノルムへ最後の一撃を放っていた。


魔族の身体が崩れ、大広間は静かになった。


◇


「レオン?」


真っ先に駆け寄ったのは、ソフィアだった。


彼女はレオンの顔を見て、次に着地した床へ目を向けた。


「……立てるのね」


「はい。僕も驚いています」


「防壁が壊れたのを見たわ。怪我を見せて」


ソフィアはレオンの胸元へ手をかざした。


遅れて戻ってきた痛みは、後頭部と着地した膝に少しだけだった。


「ほとんど傷がないわね。魔族の魔力も残っていない」


ラグナも驚いた顔をしている。


ヤンデンは大きく息を吐いた。


「お前、俺より頑丈なんじゃないか?」


「さっきまで意識を失っていたみたいですけどね」


「そのわりには、綺麗に着地したな」


エドガーが剣を収め、近づいてきた。


「防壁が攻撃を弱めたのか?」


「世界の声もそう言っています。頭を打って、一瞬だけ意識が飛んだみたいです」


「本当に大丈夫なんだな?」


「はい。大丈夫です」


エドガーはレオンの顔を確かめ、ようやく頷いた。


「なら、よかった」


思考加速については、まだ話さなかった。


発動したばかりで、自分にも何ができるのか分からない。今説明しようとしても、世界の声から聞いたことを繰り返すだけになりそうだった。


エドガーはノルムのもとへ戻った。


その身体は灰となって崩れ始めていた。砕けた窓から吹き込む風が、床の上へ薄く広げていく。


「百年前の大戦か……」


エドガーが呟く。


「魔王が再び力を取り戻そうとしているなら、放ってはおけんな」


◇


渓谷の入口で待機していたハロルド、ゲイル、ベインも、連絡を受けて合流した。


残った魔物がいないことを確かめ、調査隊は城内の探索を始めた。


最初に皆の足を止めたのは、やはりゴーレムだった。


動力部はソフィアの雷で破壊されているが、巨大な身体は壁にもたれたまま残っている。


ゲイルとベインが装甲や関節を調べ、ハロルドが記録をまとめていた。


なぜかソフィアも、その隣で熱心にメモを取っている。


戦っていたときより、楽しそうに見えた。


レオンも記録帳を開いた。


しかし、何を書けばいいのか分からない。


*高さ、十メートル以上。茶色。表面に白い光沢。胸に大きな穴……。*


書きながら、自分の記録が観察日記のようになっていることに気づいた。


「何を記録すればいいんでしょうか」


ハロルドへ尋ねると、彼はゴーレムの腕を指した。


「まず、見えたことをそのまま書け。大きさ、材質、関節の数、傷の位置。分からない仕組みは、無理に説明しなくていい」


「なるほど」


「……『すごく大きい』で終わらせるなよ」


レオンは、書きかけの一行をそっと手で隠した。


◇


エドガーたちは、ノルムが最後に逃がしたものについて話していた。


「窓から飛び出したのは、分身でしょうか」


ラグナが尋ねる。


「おそらくな。残った魔力で作り、どこかへ向かわせたのだろう」


「追えればよかったですね」


「あの場では、レオンの状態も確認する必要があった。全員で追うわけにはいかん」


エドガーは砕けた窓の向こうを見た。


「本体は俺が倒した方だと思う。分身を逃がしたのは何かを報告するためか。報告を届けるためなら、受け取る相手がいる。帰ったらこの地域の古い魔族の記録を探ってみよう。なにかつながりがわかるかもしれん」


一行は見張りを交代しながら、城に二日間滞在した。


書庫では、百年前の戦争に関する記録が多数見つかった。


ノルムたちは第三次魔導大戦を研究していたらしい。中でも、魔導兵器に関する書物が目立った。


その技術は、百年前に生まれたものではなかった。


五百年前の記録にも、似た仕組みの兵器が描かれている。


科学で作った身体を依り代とし、魔法で動かす。生身の人間より頑丈な身体に魔力を通し、命令に従わせる技術だ。


高度なものには、自ら状況を判断する機能まで与えられていた。


依り代は人型である必要もない。


レオンは図面を見ながら、前世のロボットを思い出した。


*映画とかでよくみるやつだな、この世界では魔法まで加わっているから恐ろしいな……。*


書物には、百年前の戦争で、魔導兵器が多くの街を破壊したことも記されていた。


もとは人間が生み出した技術だったが、魔族も長い年月をかけて取り込み、自分たちの強大な魔力で動く兵器へ作り変えたのだという。


地下の工房では、作りかけの依り代が二十体ほど見つかった。


どれも完成していない。


腕だけが組み上がったもの。胸の装甲が開いたままのもの。骨組みしかないもの。


大広間のゴーレムを参考に、複製を作ろうとしていたようだった。


「これを全部動かすつもりだったのか」


ラグナが並んだ巨体を見上げる。


「人間の街を攻めるためでしょうか」


「売るつもりだった可能性もあるな。これだけの兵器なら、高値で取引される」


エドガーは未完成の胸部を覗き込んだ。


「どちらにしても、王都へ報告が必要だ。少なくとも一体は運び出して、詳しく調べさせたい」


「持って帰るだけでも、大仕事ですね」


「そのための回収隊を手配する。失われた技術が残っているなら、調べる価値は大きい」


◇


宝物庫には、人間から奪ったと思われる装備品や財宝が保管されていた。


村の名が刻まれた盾。


持ち主の印が入った短剣。


古い布に包まれた装飾品。


銀貨や金貨を詰めた箱も、いくつも並んでいる。


調査員が一品ずつ記録していった。


「こちらも、回収隊を増やさないといかんな」


ハロルドが棚を見渡す。


「百年分となると、さすがに量が違う」


レオンは箱の中の金貨へ目を留めた。


記録のために一枚を持ち上げると、小さいわりにずっしりと重い。表面はくすんでいるが、削れた縁も同じ色だった。


*純金かな。元の世界なら、一枚いくらになるんだろう。*


重さと相場を、頭の中で掛け始める。


「レオン」


ハロルドに呼ばれ、顔を上げた。


「枚数は後で専門の者が数える。今は箱の数と、中身の種類だけでいい」


「値段を考えていただけです」


「なおさら、帰ってからにしてくれ」


レオンは苦笑し、金貨を箱へ戻した。


◇


調査を終えてから、運び出す品の選別と帰還の準備に、さらに二日を費やした。


荷車へ積めた押収品は、全体の十分の一にも満たなかった。


ゴーレムも、未完成の依り代も、そのまま残すしかない。


ソフィアは城全体へ封印と監視の術を施した。回収隊が来るまで、部外者が入り込めないようにするためだ。


渓谷から振り返ると、城は崖の間に姿をさらしていた。


隠していた結界は、もうない。


「帰るぞ」


エドガーが言った。


レオンは頷き、王都へ続く道へ足を向けた。


◇


帰路は、驚くほど静かだった。


行きには何度も魔物と遭遇したのに、帰りは遠くに気配を感じる程度だった。


レオンが位置を伝えても、近づく前に森の奥へ移動してしまう。


「俺たち、有名人になっちまったかな?」


ヤンデンが言う。


「魔物にも噂話があるんですかね」


レオンが返すと、ラグナが真面目な顔で考え込んだ。


「群れで情報を伝えるものなら、あり得るな」


「冗談のつもりでしたが……なるほど」


「思念を交わす魔物もいる。魔族なら、人の言葉も使えるからな」


「そういえば、魔族と魔物は何が違うんですか?」


「大きくは、知性と、人の言葉を扱えるかどうかだ。魔物の中でも、我々と言葉を交わし、社会を作るような者を魔族と呼んでいる」


「なるほど。あまり区別していませんでした」


「見た目だけでは分からん。魔族は人間の技術を学び、改良する。今回のゴーレムも、その一例だろう」


ヤンデンがエドガーへ顔を向けた。


「それで、今回はボーナスが出るのか?」


「前の任務でもらったばかりだろう」


「それはそれ、これはこれだ。あれだけ財宝があったんだ。一割くらい――」


「盗品だぞ。持ち主へ返す」


「分かってるって。冗談だ」


ヤンデンが笑い、レオンもつられて笑った。


しかし、漠然とした不安がレオンにはあった。


ノルムが語った魔王のことが、頭から離れない。


百年もの間、力を蓄えて待っていた。


いったい、何をしようとしていたのか。


◇


王都へ戻ると、調査隊は報告を終え、その場で解散した。


ハロルドたちは記録を整理するため支部へ残り、エドガーは上層部への報告へ向かった。


ようやく、自分の部屋へ帰れる。


レオンが門へ向かうと、背後から呼び止められた。


「レオン」


振り返ると、ソフィアが立っていた。


「少し、お話できる?」


「はい」


彼女は近づき、じっとレオンの顔を見た。


青みがかった目から視線をそらすのも、失礼な気がする。


レオンはそのまま立っていた。


間が長い。


気まずさと一緒に、胸が少しドキドキする。


「頭は、もう痛まない?」


「大丈夫です。城を出る頃には治っていました」


「なら、よかった」


また、見つめられる。


レオンは思わず頬へ触れた。


「何かついています?」


「いいえ」


ソフィアは首を横に振り、声を少し落とした。


「思考加速は魔力の消費が激しいから、使うときは気をつけてね」


レオンは固まった。


まだ、誰にも話していない。


「……どうして知っているんですか?」


「あなたの魔力の流れからなんとなくね」


ソフィアは続ける。


「それから、あなたが無事だった理由だけど」


彼女はレオンの胸元を指した。


「城で戦いが始まる前に、防護の術をかけておいたの。強い衝撃を受けると、防壁が発動する術よ」


「え……そうだったんですか?」


黒い槍は、自分の防壁を突き破った。


それなのに、ほとんど怪我をしていなかった。


ようやく、つながった。


*世界の声。気づいていた?*


『はい。ソフィアの魔力が付与されていることは確認していました』


*なんで教えてくれなかったんだ?*


『有害な変化ではありませんでした。また、付与された魔法についての質問は受けていません』


*そういうところだぞ……。防壁で助かったって、お前も言ってたじゃないか。*


『防壁によって攻撃が減衰したことは事実です。説明が不足していました』


*今度から、そういう大事なことは先に教えてくれ。*


『承知しました』


レオンはソフィアへ向き直った。


「僕の防壁だけでは、守りきれなかったんですね」


「そう。でも、今のあなたには無理もないわ」


彼女の言葉は率直だった。


「エドガーがあなたを連れていくと言ったとき、反対しようと思ったのだけど、どうせ、俺が守るとか言って聞かないと思ったから、せめて防御魔法をかけておいたの」


「かけておいて、よかったわ」


レオンは深く頭を下げた。


「ありがとうございました。命を救われました」


「あなたが悪いわけではないわ。エドガーが少し過信しすぎなのよね」


*エドガーさんってそういうキャラなのか?*


「思考加速を使えば、敵の動きはよく見えるでしょう。でも、身体まで速くなるわけではないから、気をつけて」


「帰ったら、試してみようと思っていました」


「でしょうね」


言い当てられ、レオンは黙った。


「しばらくは、魔力量を上げることに専念した方がいいわ。使える術が増えても、それを支える魔力が足りなければ、かえって危険になることがあるから」


「……はい」


「それと、ちゃんと休むこと。休息も訓練のうちよ」


そう告げて、ソフィアは去っていった。


レオンは後ろ姿を見送った。


見た目は自分とそう変わらない少女なのに、最後の言い方は、どこかマーヤに似ていた。


*母さんが一人増えたみたいだ。*


声に出したら聞こえそうなので、やめておいた。


◇


渓谷の城から飛び去った分身は、山と海を越えた。


形を保つ魔力を少しずつ失いながら、はるか東の、別の大陸へたどり着く。


そこにも、魔族の城があった。


分身は広間を抜け、玉座の前へ降りた。


もう、ノルムの姿を保てない。


輪郭を崩しながら、かすれた声で報告を始めた。


渓谷の城が落ちたこと。


白いローブの魔導士。


強大な力を隠していた剣士。


そして、百年前の勇者を思わせる少年。


「勇者に似た少年か……」


玉座に座る魔族が呟いた。


「お気をつけください。彼らはいずれ、ここにも……」


その言葉を最後に、分身は黒い霧となって消えた。


魔族は、しばらく何も言わなかった。


黒い髪が肩へ流れ、頭の左右から二本の白い角が伸びている。赤い目だけが、薄暗い広間で鮮やかだった。


やがて、口元に薄い笑みが浮かぶ。


「勇者か。不思議なものだ」


空になった床へ、視線を落とす。


「我々が力をつけると、必ず現れる」


笑みは、すぐに消えた。


「ノルムめ。焦りおって。兵器の存在まで人間に知られるとは……」


魔族は肘掛けへ指を置いた。


「だが、人間どもの動きが少し見えた。確かめる必要があるな」


指を鳴らす。


玉座の背後の影が揺れ、使い魔が姿を現した。


「お呼びでしょうか」


「西の大陸へ行け。人間どもの動きと、戦力を探れ。特に、報告にあった少年だ」


「はっ」


使い魔が消えると、魔族は立ち上がった。


窓の向こうには、星を散らした夜空が広がっている。


「百年前の失敗は、繰り返さん」


その声は、誰もいない広間へ静かに響いた。


◇


それから半年が過ぎた。


レオンは第三支部で通常の任務をこなし、ジェイクとともに各地の村を巡った。


魔物の痕跡を調べ、住民から話を聞き、報告書を書く。


仕事には慣れてきたが、書類は相変わらず直される。


「この数字は、何のために入れた?」


アッカマンに尋ねられ、レオンは紙を見下ろした。


「詳しい方が、正確かと思って」


「必要な数字は残せ。読む側が何を判断すればいいか分からなくなる数字は、別の資料にまとめろ」


前世でも、似たことを言われた気がする。


世界が変わっても、報告書からは逃げられないらしい。


任務の合間には、魔力の鍛錬を続けた。


思考加速も、短時間だけ試す。


考える時間は増えるが、身体の動きは変わらない。しかも、解除したあとの魔力の減り方が大きかった。


便利だからと使い続ければ、戦いの途中で何もできなくなる。


ソフィアの忠告は、試すほどによく分かった。


そんな頃、西の地方への調査任務が決まった。


行き先を聞いたレオンは、地図の端にある小さな村の名前へ目を留めた。


アルネ村。


「任務が終わったら、休みを取って寄ってきたらどうだ」


アッカマンが言った。


「いいんですか?」


「王都へ来てから、一度も帰っていないだろう。ご家族に顔を見せてこい」


レオンは頷いた。


母と祖父には手紙を書いていた。だが、王都での暮らしを直接話すのは初めてになる。


セラやガルドも、元気にしているだろうか。


それに、村の近くには古代遺跡がある。


百年前の勇者。


自分にだけ聞こえる、世界の声。


あの場所なら、まだ知らないことを確かめられるかもしれない。


レオンは記録帳を開き、帰省の予定を書き込んだ。


久しぶりに、故郷へ帰る。


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