第23話 出番のない一週間
王都を出て三日目、レオンはようやく認めた。
自分の出番が、ない。
「右前方、木の陰に魔物が一体――」
「見えた!」
レオンが言い終えるより早く、二メートル近い長身のヤンデンが地面を蹴った。
木の陰から現れたのは、根を足のように動かす魔物だった。幹には顔のような裂け目があり、長い枝を振り回している。
木のお化け、と呼ぶのが一番近い。
ヤンデンは振り下ろされた枝をかいくぐり、幹へ拳を叩き込んだ。
鈍い音が森に響く。
魔物は根ごと地面から浮き上がり、横倒しになった。そのまま動かなくなる。
「……今の、何秒ですか?」
「二十秒くらいかな」
ヤンデンは手についた木くずを払った。
レオンは記録帳を開く。
*木の魔物、一体。討伐まで約二十秒。*
その下に、小さく書き足した。
*探知の報告、最後まで言えず。*
隣からのぞいたハロルドが笑う。
「それも記録するのか?」
「次は、もっと早く報告します」
「気負わなくていい。先に見つけてくれるだけで十分だ」
励ましはありがたい。
それでも、レオンは少し悔しかった。
◇
東へ進むほど、魔物との遭遇は増えた。
巨大な虎に似た魔物が、茂みから飛び出してきたこともあった。馬車ほどもある身体に、刃のような爪。喉の奥から低い唸り声が漏れている。
レオンの視界に、動きの予測が浮かんだ。
【次の動作:前方への跳躍】
【確度:高】
「跳びます!」
叫んだ瞬間、ラグナが前へ出た。
虎の爪を盾で受け流し、その脇へ踏み込む。剣が閃き、魔物の巨体が地面へ崩れ落ちた。
一分もかからなかった。
別の日には、ゴブリンロードが数匹のゴブリンを従えて現れた。
レオンはアルネ村での戦いを思い出し、剣の柄を握る。
だが、ヤンデンが群れの横へ回り、ラグナが正面を塞ぐと、戦いはあっけなく終わった。
オークの群れも同じだった。
かつて村中で備え、地形まで利用して倒した相手が、今は二人の精鋭に次々と倒されていく。
「強い……」
レオンがつぶやくと、エドガーが答えた。
「そのために選ばれた二人だからな。だが、お前も油断するなよ」
その言葉の意味を、レオンはすぐに知ることになった。
◇
森のぬかるんだ道で遭遇したのは、トロールだった。
レオンの倍以上の背丈があり、腕は丸太のように太い。灰色の肌は岩のように硬そうで、手には折れた木を握っている。
【対象:トロール】
【周辺魔力:急上昇】
「魔法を使います!」
レオンが警告すると、トロールが口を大きく開いた。
腹の底を揺さぶる咆哮が響いた。
足がすくむ。
退かなければと思うのに、膝が動かない。安全な方向は見えていた。それでも、身体が言うことを聞かなかった。
「レオン!」
ハロルドが肩をつかみ、後ろへ引いた。
直後、ラグナがトロールの正面へ出る。振り下ろされた木をかわし、注意を引きつけた。
ヤンデンが横から膝を打つ。
巨体が傾いたところへ、ラグナの剣が入った。
魔物が倒れて、ようやくレオンは息を吐いた。
「威嚇の術にやられたか」
ハロルドが尋ねる。
「……はい」
レオンは、動かなかった自分の膝を見下ろした。
攻撃が分かることと、対応できることは違う。
訓練で何度も言われた言葉が、身に染みた。
さらに翌日、小型の魔物が放ったしびれの魔法にも引っかかった。
指先から腕へ、じんとした感覚が走る。剣を抜こうとした手が、途中で止まった。
ソフィアがすぐに術を解き、その間にヤンデンが魔物を倒した。
「ありがとうございます」
「軽い術でよかったわ。まだ指は動かしにくい?」
レオンは手を握り、開いた。
「もう大丈夫です」
ソフィアは頷いた。
レオンは、彼女の魔力量を思い出す。
二万。
その力を発揮するほどの相手には、まだ出会っていないのだろう。彼女も暇そうだった。
ヤンデンが戻ってきた。
「今度は何に引っかかったんだ?」
「しびれです。その前は威嚇でした」
「忙しいな」
「出番はないはずなんですけどね」
ヤンデンは声を上げて笑った。
◇
調査隊は、道中の街や村に立ち寄って聞き込みを続けた。
エドガーとハロルドが住民から話を聞き、ゲイルとベインが場所と時期を地図へ書き込む。
レオンも同行し、話に出た土地の周辺に、魔力の反応が残っていないか確かめた。
「畑の近くまで魔物が来たのは、今月だけで三回だよ」
「前は一匹だったのに、この頃は群れで動く」
「いつも見かけるやつより、ずっと大きな魔物がいたんだ」
魔物が増えた。
以前より強くなった。
そうした証言は、いくつも集まった。
しかし、魔力が集まっている場所を知る者はいなかった。
「魔物は、どの方角から来た?」
エドガーが尋ねる。
「逃げた方角は? 空が光ったり、夜に妙な音がしたりしたことはないか?」
村人たちは顔を見合わせたが、確かな答えは返ってこなかった。
レオンも、発生源をつかめずにいた。
東から漂ってくる気配はある。だが、広い範囲に薄く広がっているようで、どこに集まっているのかまでは分からない。
『周辺の魔力が増えていることは確認できます。ただし、発生源の位置は特定できません』
世界の声も、そこまでしか教えてくれなかった。
一週間が過ぎる頃には、地図に魔物の目撃地点が幾重にも書き込まれていた。
東へ進むほど、印は密になっている。
◇
七日目の午後、調査隊は東の森を抜けた。
木々の向こうに現れたのは、深い渓谷だった。
切り立った岩壁の間を、細い道が続いている。谷底を流れる水の音が、吹き上げる風に混じって聞こえた。
レオンは足を止めた。
【前方上部:魔力反応】
【対象数:一】
「上です!」
全員が岩壁を見上げた。
崖から突き出した岩に、石像があった。
翼をたたみ、獣のような顔を谷へ向けている。風雨にさらされた、古い見張りの彫刻にも見えた。
だが、その目が動いた。
石の翼が開く。
岩を削るような音が、渓谷に響いた。
「ガーゴイルだ!」
ラグナが盾を構える。
ガーゴイルは崖から身を投げた。
落下する石の塊のような速さで、隊列へ迫ってくる。
【次の動作:急降下】
【確度:高】
「散ってください!」
八人が左右へ跳んだ。
ガーゴイルの爪が、つい先ほどまでレオンの立っていた地面をえぐる。砕けた小石が、谷底へぱらぱらと落ちていった。
ラグナとヤンデンがすぐに動いた。
だが、ガーゴイルは翼を打ち、二人の間合いの外へ浮き上がる。
これまでの魔物とは違った。
レオンは剣を抜き、崖の上へ目を凝らした。
ガーゴイルは岩壁に沿って上昇し、頭上で旋回する。石像のような身体でありながら、その動きには獲物を選ぶ意思があった。
数字が浮かぶ。
【対象:ガーゴイル】
【魔力量:1340】
「千三百四十……!」
会議室で見たエドガーの値より高い。
もちろん、数字だけで強さは決まらない。それでも、道中で遭遇した魔物とは明らかに違った。
「魔力量は千三百四十です!」
レオンが知らせると、ラグナが頷いた。
「使い魔として使われる、下級魔族だ。命令を出している者が近くにいるかもしれん」
ガーゴイルが翼をたたんだ。
再び急降下する。
「俺が行く!」
ヤンデンが道脇の岩を蹴った。
巨体が、十メートルほど跳躍する。
レオンは思わず、自分の足を見た。
*身体能力強化を使っても、あんなに跳べる気がしない。*
ヤンデンの拳が、石の翼を捉えた。
破片が飛び散り、ガーゴイルが空中で姿勢を崩す。
「ラグナ!」
「ああ!」
ラグナの剣へ、風の魔力がまとわりついた。
「《風刃剣》!」
振り抜いた剣から、風の斬撃が飛ぶ。
だが、ガーゴイルは傷ついた翼をひねり、岩壁すれすれへ身を寄せてかわした。
風刃が崖を削り、小石が降ってくる。
その動きを、ソフィアが見ていた。
白い袖が持ち上がり、杖の先に光が集まる。
「《光の矢》」
細い光が走った。
ガーゴイルには、向きを変える暇もなかった。
胸を貫かれた石の身体が、渓谷の道へ落ちる。砕ける音が一度響き、その翼は動かなくなった。
レオンは剣を抜いたまま、ソフィアを見た。
一撃。
同じ《光の矢》でも、自分のものとはまるで違う。
ソフィアは、袖についた砂を払った。
着地したヤンデンが、少し不満そうに言う。
「先に撃ってくれてもよかったのに」
「翼を傷つけてくれたので、狙いやすくなりましたよ」
「そうか?」
「はい。助かりました」
「まあ、それならいいか」
ヤンデンは、満足した顔で拳についた砂を払った。
◇
エドガーは砕けたガーゴイルを調べ、隊を渓谷の入口近くまで下がらせた。
「ここを見張らせていたのかもしれんな」
ラグナが頷く。
「主がいるなら、少なくとも中級以上の魔族でしょう。使い魔を失ったことにも、気づいているはずです」
「今まで感じていた魔力も、この奥から来ている気がします」
レオンは渓谷の奥を指した。
まだ反応はぼやけている。
岩肌の向こうに何かが隠れ、その輪郭だけが漏れ出しているようだった。
一行は岩陰へ移り、周囲を警戒しながら作戦を練った。
ハロルド、ゲイル、ベインは入口付近に残る。
退路を確保し、ここまで集めた情報をまとめ、先行する者たちの帰還に備える役目だった。
奥へ進むのは、エドガーと戦闘部隊の三人。
レオンは、その話が終わるのを待って口を開いた。
「僕も、ついていっていいですか?」
エドガーはすぐには答えなかった。
「魔力を探るためか?」
「はい。戦闘には参加しません。危険を感じたら引き返して、ハロルド隊長たちへ知らせます」
エドガーは渓谷へ目を向けた。
道は狭い。敵に塞がれれば、退くにも時間がかかる。
「分かった。だが、私が退けと言ったら、理由を聞かずに退く。それが条件だ」
「はい」
レオンは頷いた。
役に立ちたい。
だが、威嚇で動けなくなったことも、しびれの術にかかったことも忘れていなかった。
無理はしない。
◇
渓谷の奥。
人間の目から隠された城の一室で、黒い角を持つ魔族が顔を上げた。
卓上に置かれた石の駒が、乾いた音を立てて割れる。
「使い魔が殺されたか」
魔族は窓へ歩み寄った。
眼下では、配下たちが城の中庭を行き交っている。その向こうには高い城壁があり、さらに外側を切り立った崖が囲んでいた。
第三次魔導大戦が終わったあと、この渓谷に城を築いた。
人間の街から遠く、道も険しい。
さらに幾重もの結界を張り、城の姿と、蓄えた魔力を隠してきた。
ここで力を増し、時が来るのを待つはずだった。
だが、近頃は集めた魔力が増えすぎている。
結界の継ぎ目から、わずかに漏れ始めていた。
「人間が、その匂いを嗅ぎつけたらしいな」
魔族は卓上の地図へ指を置いた。
ガーゴイルを配置した場所から、城まではそう遠くない。
「門を閉じろ。見張りを増やせ」
控えていた配下が顔を上げる。
「人間が来たので?」
「使い魔が倒された。結界を越えられるとは思わんが、急襲に備えろ」
配下は頭を下げ、部屋を出ていった。
魔族は割れた石の駒を拾い上げた。
主へ知らせる暇もなく、使い魔は倒された。
ただの旅人ではない。
「どれほどの戦力を連れてきた?」
部屋に、答える者はいなかった。
◇
エドガーを先頭に、五人は渓谷の奥へ進んだ。
ラグナとヤンデンが前方を警戒し、ソフィアは岩壁の様子を確かめている。
レオンは最後尾から、周囲の気配を探った。
奥へ進むほど、魔力の方向が定まっていく。
【前方:広範囲に魔力反応】
【位置:岩壁の向こう】
【詳細:判別困難】
「この先です」
レオンは声を落とした。
曲がり角を抜けると、道が途切れていた。
灰色の崖がそびえているだけで、先へ進めそうな場所はない。
「道を間違えたか?」
ヤンデンが首をかしげた。
「いいえ」
ソフィアが崖へ近づき、手のひらをかざす。
空気に、水面のような薄い揺らぎが生じた。
レオンにも、ようやく見えた。
岩壁の輪郭に重なる、細い魔力の線。
その向こうに、大きな建物の気配がある。
「姿と魔力を隠す結界ですね」
ソフィアは線のつながりを目で追った。
「少し待ってください。解除できるかやってみます」
指先から光が伸び、見えない線の間を縫っていく。
レオンは息をひそめた。
これほど大きな結界の、どこをどう触っているのか。魔力の動きは見えても、その意味までは分からなかった。
やがて、何かがほどけるような小さな音がした。
灰色の岩壁が、景色ごと透き通っていく。
現れたのは、渓谷の奥を塞ぐように建つ城だった。
高い城壁。
閉ざされた門。
崖と一体になった塔。
レオンの視界が、無数の魔力反応で埋まった。
【複数の魔力反応を確認】
【一部の反応は測定困難】
思わず息をのむ。
隠されていたものは、想像していたよりはるかに大きかった。
ソフィアが振り返る。
「結界は解除しました」
エドガーは剣に手をかけ、全員の顔を確かめた。
「レオンは後方から気配を探れ。敵の接近があれば知らせ、退くよう指示したらすぐ戻ること。三人は私についてこい」
「はい」
レオンは頷き、城門の向こうへ意識を向けた。
複数の魔力が動き始めている。
こちらへ近づいてくるものもあった。
エドガーが剣を抜いた。
「突入する」




