第15話 百万人の王都
王都までの旅は、レオンが心配していたほど難しくなかった。
街道は整備され、宿場には水と食事があった。旅人を襲う魔物も現れず、馬車は畑や牧草地の間を順調に進んだ。
三日目の朝、丘を越えたところで、同じ馬車に乗っていた商人が前を指さした。
「見えたぞ。アリティア王国の王都だ」
レオンは荷台から身を乗り出した。
朝日に照らされた城壁が、地平線に沿って長く続いている。その内側には赤茶色や灰色の屋根が幾重にも重なり、奥には高い塔と王城がそびえていた。
塔の先で旗が風を受け、街のあちこちから細い煙が上がっている。朝食を作る竈の煙だろうか。
「……大きいな」
アルネ村なら、端から端まで歩いてもさほど時間はかからない。目の前の都は、城壁の端さえ一目では見渡せなかった。
「人口は百万人を超えるからな」
商人が誇らしげに言った。
「俺が住んでるわけじゃないが」
「それでも、説明したくなるのは分かりますよ」
レオンはもう一度、都を見た。
百万人。アルネ村とは、比べものにならない。
前世の都市の記憶を持つレオンでも、これほど広大な石造りの街を見るのは初めてだった。
◇
城門の前では、荷車が長い列を作っていた。
麦を詰めた袋、蓋つきの大きな樽、布をかけた籠。御者たちが順番を待つ間にも、歩きの旅人は別の列から門へ進んでいく。
衛兵が通行証と荷物を確認する。
レオンは村長から預かった紹介状と、兵士の選抜試験の案内を見せた。
「試験を受けに来たのか」
「はい」
衛兵は年齢を確かめ、紹介状に目を通した。
「試験会場は東訓練場だ。明日の朝、遅れずに行け」
門を抜けた途端、レオンは目を見張った。
幅の広い石畳の通りに、買い物客と荷運びの人々が行き交っている。両側の店には色鮮やかな日除けが張られ、その下に果物や布、陶器が所狭しと並んでいた。
市場からは香辛料と焼いた肉の匂いが漂う。鉄板の上で肉の脂が弾け、パン屋の店先では、焼きたての丸いパンが籠へ移されていた。
売り手の声、車輪の音、誰かを呼ぶ声。
レオンが立ち止まりかけると、商人に肩を叩かれた。
「悪いが道を空けてくれるかな?」
慌てて道を空けた、その横を小さな荷車が通り過ぎた。
レオンは荷車の下を見た。
車輪がない。
「……浮いてる」
荷台の底に青い紋様が光り、石畳から手のひら一つ分ほど浮いている。御者が細い棒を動かすと、荷車は人の歩く速さで角を曲がった。
「今のは?」
「魔導荷車だよ。見たことないのか」
商人が笑った。
「うちの村には、浮く桶もなかったので」
「水桶が浮けば便利だな」
セラに聞かせたいと思った。
たぶん彼女は、「便利だけど、桶を洗う人は必要」と言うだろう。
通りには、淡く光る石を収めた街灯が立っていた。大きな建物の壁には時計が取り付けられ、針が静かに時を刻んでいる。こちらも魔力で動いているらしい。
村で身近だった魔法は、水を汲み、火をつけるためのものだった。
この都では、魔法が人や荷物を運び、大勢の暮らしを支えていた。
◇
商人と別れ、王都の中央へ進むにつれて、王城はさらに大きく見えた。
高い城門には、四つの方角を示す紋様が刻まれている。
この大陸には四人の王がいる。それぞれが広い地域を治め、アルネ村を含む西方を統治しているのが、アリティア王国のアルベリック王だった。
四王は魔族への対抗では協力しているが、国境や交易を巡って意見がぶつかることもあるという。
前世なら、その関係が相場へどう影響するか、気になっただろう。
今も少し気になったが、まずは宿を探さなければならない。
レオンは紹介状に添えられた案内を開き、東へ続く通りに向かった。
◇
宿は、東訓練場から歩いて十五分ほどの場所にあった。
入口には木の看板が下がり、開けた窓から美味しそうな料理の匂いが流れてくる。
部屋は狭いが清潔だった。白い布をかけたベッドと小さな机があり、窓からは街の屋根が見える。遠くには鐘のついた塔が見えた。
受付の主人は、レオンが試験を受けると聞いて言った。
「今週は同じ目的のお客が多いよ。廊下で素振りはしないでくれ」
「そんな人がいたんですか?」
「昔、それで扉を一枚替えたんだ」
主人は笑った。
レオンは木剣を荷物の奥へしまった。
◇
夕食の席には、試験を受けるらしい若者が何人もいた。
立派な剣を持つ者、魔法の教本を読む者、鎧の留め金を確かめる者。食堂の隅に並んだ武器だけでも、村の見張り小屋より種類が多かった。
レオンは村から持ってきた記録帳を開いた。
身体能力強化を使える時間。魔力強化のあとに必要な休息。《発火》と《衝撃》の消費。
自分にできることと、できないことを、もう一度確認する。
隣の席の青年が帳面をのぞいた。
「ずいぶん細かく書いてるな」
「使いすぎると倒れるので」
「それは書かなくても覚えておけよ」
「何度も倒れているからね」
青年は笑い、向かいの椅子へ移ってきた。
「しかし、今回は人が多いな。五年ぶりの募集だからか」
「そんなに開かれていなかったの?」
「必要がなければ開かれないからな。一般の兵士も受けるらしいぞ」
「一般兵も?」
「推薦を待つより、試験を受けた方が早いんだろ。普段から任務に出てるやつらと競うのは、ちょっと不利だよな」
青年はそこで、レオンを見た。
「一応聞くけど、お前、兵士じゃないよな?」
「まだ違うよ」
「よかった。今の話、忘れてくれ」
レオンは笑った。
確かに、実戦経験には差がありそうだ。この食堂にも、自分と同じ村出身の若者だけでなく、地方から来た現役の兵士がいるかもしれない。
そのとき、料理が運ばれてきた。
深い皿に盛られた、肉と野菜の煮込みだった。赤褐色の汁から湯気が立ち、胡椒と香草の香りが鼻をくすぐる。大きく切られた肉の脇には、柔らかく煮えた芋と人参が沈んでいた。
添えられたパンは、表面がこんがり焼けている。割ると中は白く、まだ温かかった。
レオンは肉を一口食べた。
匙でほぐれるほど柔らかい。濃い旨味のあとから、穏やかな辛さが広がる。
「……うまい」
「だろ? この宿、飯で選んだんだ」
青年は得意そうにパンを汁へ浸した。
レオンもまねをした。
宿選びの基準としては、かなり正しい気がした。
◇
青年の名は、ジェイクだった。
レオンより少し年上に見える。日に焼けた顔に人懐こい笑みを浮かべ、短い髪は少し跳ねていた。袖をまくった腕は太く、手の甲には稽古でついたらしい古い傷がある。
魔法は苦手だが、格闘技には自信があるという。
「俺はトルコ村の出身なんだ。東の方。一応、村では魔法使いも含めて一番強いんだぜ。レオンは?」
「アルネ村。西の方だよ」
「アルネ村? 聞いたことあるな。百年前の戦争で、勇者がいたところだろ?」
レオンは匙を止めた。
「よく知ってるね」
「有名な話じゃないか。エルフとの共同拠点があったって聞いたぞ」
古代遺跡のことだろうか。
ザルクも、あの場所をエルフたちの拠点だと言っていた。しかし、村の外ではそんなに知られている話なのか。
「村では、あまり詳しく聞かなかったけど」
「そういうもんかもな。俺の村にも古い見張り塔があるけど、誰が建てたのか知らないし」
そこから二人は、故郷の話で盛り上がった。
畑仕事を抜け出して叱られた話や、村の祭りの料理。ジェイクの村では、祝いの日に丸焼きの肉を出すらしい。
「食べきれるの?」
「食べきるまで祭りだ」
楽しそうな村だった。
◇
夕食を終えると、レオンは部屋へ戻った。
翌朝の受付時刻と、会場までの道を確認する。紹介状を荷物の取り出しやすい場所へ入れ、早めに寝ることにした。
窓の外では、街灯が通りを照らしていた。店を閉める音が聞こえ、遠くから笑い声が流れてくる。
ジェイクも、食堂にいたほかの受験者も、みな強そうだった。
レオンは頭を振り、考えすぎるのをやめた。
村一番の実力が、どこまで通用するのか。
明日から、それが分かる。
◇
翌朝、東訓練場へ向かう道は、すでに人で埋まっていた。
城壁に沿って広がる試験会場には、候補者が長い列を作っている。革鎧の背中、杖の先、槍の穂先が、朝の光の中で延々と続いていた。
百人ではきかない。
各地から戦士を集めるとは聞いていた。だが、これほど多くの人が、ドーン・ホークへの入隊を目指しているとは思わなかった。
列の先で、受付係が声を張り上げた。
「紹介状を用意してください! 受付の済んだ方は、中央の広場へ進んでください!」
レオンは自分の紹介状を確かめた。
順番が来ると、受付係は書類と名簿を照合し、小さな番号札を渡してきた。
千四十二番。
レオンは数字を見直した。
*千人以上いるのか……。*
振り返ると、まだ門の外まで列が続いていた。
レオンは番号札を握り、訓練場の中央へ歩き出した。




