蒼穹の嵐が吹く
ディーケが、異能を発揮する。
「“起点”」
指定先を定める声は響き、周囲一帯の空気が重さを増す。
普段ならば、無法なる異能に他を巻き込むまいと指定対象に接触して展開範囲を映さねばならない。
だが、幸い此処は【ルド】、第一区『イーグル』。セレド=ディーケが慣れ親しんだ場所。
視界に映さずとも『塔』周辺の最下層部は想像可能。
「“荷重”」
故に、思い通りに異能が発揮する。
対象範囲の上部たる巨大な氷壁が、重圧に耐えかねた大気ごと斜めへと傾き始めるのだ。
「“荷重”、“荷重”、“荷重”」
繰り返す。重力を荷重させる事を延々と繰り返す。
窬は巨大な重力だ。時空間すら歪める質量の檻。
ディーケが健全ならば詠唱は不要。簡略化も可能ではあったが、この段階過程を踏めばより明瞭に、顕在に。
「“荷重”」
大いなる虚空が世へ現れるだろう。
「“荷重”、“起爆”」
そして十分な荷重をかけられた。
いざ黒き楔を打ち込まんと、ディーケの片手が挙がり、下ろされる。
「――“崩壊”」
光や虹をも逃さない。太陽をも黄昏へ沈ませる宙の特異点が、開かれるだろう。
一帯の重圧が増し、全てが重圧により地響きが起きたようにも揺れ動く。
一拍後に『塔』の最下層部には、虚空の門たる窬が現界した。
周辺地盤を巻き込んで、元凶らの氷棺を深淵へ沈めるために。
――◆◆◆ ◆◆◆◆◆…
『遺児』に集られ、氷により抑えられた虹の巨人の猛風が巻き起こる。
「!」
それは、鋭き風だ。近くで受けたオルドヌングの髪や服を始めに、身が刻まれてしまうほどに。
しかしやがて、どれだけ足掻いても出られないと巨人は悟ったのか別行動に移る。
「ぅぐっ!!」
氷を展開したオルドヌングへと巨大な手が伸ばされて、全身を包むようにも掴まれた。
――◆◆◆ …◆◆…
(――……何を、言ってるかは、全くわからんが…今更俺を潰しても無駄だ。ディーケの異能は止まらないぞ。このまま、虚空に消えろ…!)
片目を瞑りつつ、内心にて悪態を吐いて返す。
だがしかし手は一向に力は籠もらず、オルドヌングという小鳥を握り潰そうとしない。
――◆ ◆◆ ◆ ?
全て軽く啄まれる程度の可愛い抵抗だと、せせら笑うかのように。虹の輪郭が小刻みに揺れて霞んだ。
極彩色の根が六本。
蛇が顔を出すかの勢いで地面から現出する。
「!?」
それらはディーケの周囲を取り囲む形で現れており、驚愕を与える間も無く、鋒めいた尖端で穿たんと差し迫る。
無防備な隙を取られたも同然。正に不意打ち――だったが。
ディーケは素早く対応した。
振り向きざまに一本を掴み捕え、二本は回した剛腕で殴りつける。掴んだ根を引きちぎる勢いで鞭のようにしならせ、残りの根を薙ぎ払う。
――しかし、膂力を振るわれた程度で極彩色の根は砕けない。
「!――ッガ、ぁ゛!」
掴まれていた根が細かな糸と変形を果たし、ディーケの喉元へと巻き付いた。
鉄製のワイヤーで締め上げられたも同然の苦痛にディーケは呻く。指で引き千切ろうと試みるも、皮膚に深く食い込んだ根を引っ掛けることすら叶わない。
やがて、地面に伸された五本の根が這い上がる。
「………っ、ぐ、ぅ゛…ッ!」
気道を抑えられたディーケは呻く。己に害をなす根を全て見据え、重圧負荷の異能を発揮する。
だが、地に伏せようが砕けぬ根は迫り来る。絡まれぬように跳び退き、交戦へと強制的に移らされるのだ。
(ま、ずい!)
オルドヌングは危機を感じた。始祖の手中から抜け出そうと身じろぐ。
しかし即座に力が込められてしまい、身じろぎすら許されない。
――実によくない盤面だった。
何せ、セレド=ディーケは、現在進行形で境地を用いてる。
ただ、使用してるだけではない。虚空の範囲を下手に広げまいと制御してる最中なのだ。
もしも危険な炉を管理する操縦者を潰されて了えば、目も当てられない最悪の事態に陥ってしまうだろう。
(漆黒の重力点が閉じる事もなく、『イーグル』そのものが虚空へ沈む可能性も捨てきれない……!)
――◆ ◆◆◆ ◆◆ ◆◆
全て理解の上で、虹の巨人は敢えて悪戯にディーケを突いてる。
そう思わせるように、『遺児』の粒子が大きく窪んで嗜虐の愉悦に満ちた笑みを模っていた。
(…なんて、奴だ!)
頬に青筋を浮かべ、苛立ちを露わにしたオルドヌングは抵抗に瞳を煌めかせた。
始祖の行動を抑えんと『遺児』の操作を、活性化を図る。
――◆◆◆ ◆ ◆ ◆
だが、始祖ビルダは既に寛容を捨てていた。
例え自身に何の影響がなくとも、羽虫に飛び交われ続けた鬱陶しさを覚えたように。
「―!何、を、――ぁぐッ!?」
声を上げるオルドヌングを掴む手の力を込めて、気道を圧迫する。『遺児』の粒子に集られた状態だろうが平然かつ当然に。
背から別の腕を形成しては己を閉じ込める氷壁を強く殴りつける。
大きな振動と衝撃が一帯に響き、揺るがす。
ただ、一発。それだけでも集る『遺児』の粒子を霧散させるだけでなく、堅牢たる氷に亀裂を走らせた。
――◆◆◆
それだけでは止まらない。始祖ビルダは己を閉じ込める棺を破壊する。己が矜持、拝受した願いを果たすために。
拳が何度も氷壁に向かって振り下された。
(しまっ、た。俺を…始めに掴んだのは、下手な物理的抵抗手段に、出られないように、か……!)
決して意味もない悪戯ではなく、逃れられない拘束を強いられたのだと気付いて奥歯を噛み締める。
(ディーケ、は……ッ無理だ!)
翡翠瞳が瞠り、顔は苦々しいものに顰められた。
今もなお、解決から遠く危機的状況。
ただでさえ始祖を虚空に飛ばすという重き役目を担うディーケには平行対応は厳しい。根による猛攻をもこなす以上、対処不可だろう。
――そもそも、現状は『頭数が足りない』という次元の話ではないのだから。
(こいつの、生命力救出作用は阻害する形で一時的緩和したものだ……依然止まってはない……!アストリネも、人も、誰も……動けない……っ)
誰もが限界を迎えていた。カテゴリーに該当したならば、規格外だけが動ける状況。
『この身は“人”でもなければ“アストリネ”でもない』
例外こそはあれど、その該当者はこの場にいない。
唇を噛んだまま、オルドヌングが戦慄く。その焦燥に反して始祖の脱出は進行する。
やがて、猛烈に振る舞われた拳が氷壁へ深く減り込み、限界と崩壊の兆しに破断の主亀裂が走った。
(――破られる!!)
オルドヌングと同様に悟ったディーケが、根を一度一掃させた上で徐に右腿部に手を伸ばす。
「……ッならばいっそ、共に沈め…!」
低く唸り、皮膚や肉を抉り破ろうと爪を立てて、最悪な最終手段へ運ぼうとする。
そして、それら全ての事態を完結させまいと薙ぎ払う猛き白風が躍り出た。
疾風怒濤が如くの白き獣と共に現れた者は、身に纏う黒骨の手甲を駆使し、ディーケの周囲に湧き立つ極彩色の根を一掃する。
「――白雪!カミュール達を頼む!」
粉光をも振り払った後、疾き白獣から跳び降りては氷壁の前に着地した。
珊瑚と翡翠。各々の双眸が溢れんばかり瞠る。
「透羽、吏史………!?」
ディーケに名前を呼ばれた後、吏史は息を吐く。
顎にまで伝う血を拭うことはせず氷壁の向こうでビルダによって囚われたオルドヌングへ注視した。
「オルド」
姿が大きく変わりはしても恩者を見誤ることない。茫然と名を呼ぶ。
オルドヌングは眉間に皺を寄せて顔を歪める。唇を開閉させ、目を瞑る。
「――…そう、か。君なら、間に合うんだな」
喉を抑えられたまま微かに紡ぐ声は掠れ、過去を連ねた羨望を紡ぐのだ。
合間にディーケが己の喉元に絡んだ細き糸を引き千切る。喉を軽く撫でて、短く咳き込む程度で済ます。
険しい表情で地面を蹴り、氷棺への真上へと素早く跳び移っていた。
すかさず、双眸を煌めかせる。氷へ荷重を加えて強制的に窬へ落とさんと図るものの、内部の始祖の抵抗が起きたのか妙に引っ掛かり落ちることはない。
「…っく…!透羽吏史!お前も動けるのならば手伝え!この氷が破れる前に、窬へ落とす!」
「――え……」
一瞬。呼ばれた理由に吏史は動揺を覚えた。
身を揺らして立ち止まってしまう。
「何を、言ってるんだよ。それだと、オルドが…!」
「いいから早くしろ!」
動揺を飲み込ませるように、ディーケは大きく吠えて強引な説得にかかる。
「英雄としてのおまえに呼び掛けてるわけじゃない。透羽吏史へ頼んでる!…此処で終わらせてやってくれ…!」
ディーケとて望む行為ではないが故に、苦悶の表情を浮かべて懇願した。
「それが、オルドヌングの願いなんだ……!」
虚を突かれたように、吏史の身が、揺れる。
咄嗟に振り返り氷壁の向こうを見遣れば、オルドヌングは吏史に向ける翡翠瞳を据えていく。
先の行動を促すようにも一つ。小さく、首肯された。
「――――」
吏史は動く。
無言で氷を蹴り上げては左右交互へと素早く跳び、ディーケの隣に着地する。
「…いいか。元より氷は脆性材料だ。既に内部応力に負けて亀裂がある。だから、オレはこれからお前の両腕に潰れない程度の荷重を行う」
珊瑚色の瞳を煌めかせたディーケが吏史へ掌を向けた。腕全体の重みが増して、僅かに体が傾く。
「今のを可能な限り、繰り返す。オレにタイミングを合わせて、ありったけ渾身の力で殴りつけろ。――氷を砕き、地下へ叩き落とすつもりでだ」
体制を立て直しながら受けた説明に頷き、吏史は膝をついて『ゴエディア』を纏う両腕を上へと構えた。
黒き杭を打ちつける気概で、氷ごと始祖ビルダを――オルドヌングごと。
質量の虚空、虚無の彼方へ落とすつもりで。
――風に吹かれて髪を流された吏史は、予感を覚える。
(ここで、オレが落とせば)
ここで始祖ビルダごとオルドヌングを落とせば、間違いなく永劫の別れとなるだろう。
様々な葛藤が思い出と共に脳裏に掠めていく。例え難い感情の波が押し寄せ、瞼を、唇を震えさせる。
オルドヌングに生きててほしいのが紛れもない吏史の本心だ。
(…なのに、オレは此処で、顔も知らない人を救う為に壊すのか?)
突き進んだ結果に動揺しカミュールを傷つけたことに罪悪感を覚えはしたが、未だ嫌悪と拒絶の棘が心に刺さって仕方ない。
揺れる心を置いて、両腕の重さが増す。ディーケの荷重は着実に加算されていく。
執行の時間が差し迫る中で。――ふと、氷壁越しでオルドヌングと視線が重なった。
「オルド」
名を紡けば、オルドヌングの目元が緩まり口元は綻ぶ。
「あとは、頑張れ」
きっと、やるせない気持ちや積もる想いもあっただろうに。肩の荷を下ろすような晴れやかな顔で、確かな激励を贈られた。
「―――今だ、やれぇ!!」
張り裂けるような合図を、吏史はディーケから受ける。
「ッ、ぅぁああああぁぁああああ!!!」
咆哮を上げて荷重された勢いのまま、『ゴエディア』を氷へと振り下ろす。
重力により威力が増した一撃は氷壁を破砕し、細かな氷片が宙に四散する。
その衝撃をまともに受ければ突き飛ばされたも同然。
虹の巨人が虚空へと落ちていく。
――◆◆◆◆◆!
踠くようにも虹風が幾度も重なる。吹き荒れる猛風が悲鳴を奏でていた。
ディーケに抱えられて回収された吏史へ報復せんと決めたのだろうか。始祖は、自身から極彩色の根を編み出してその身を貫こうと迫る。
(――…まだ、抵抗するのか)
意図に気づいたオルドヌングが顔を顰めた。直ぐに目を煌めかせ、『遺児』に指示を送る。
更なる増殖を繰り返させたが、今度の対象は始祖ビルダではない。――オルドヌング自身へと『遺児』が集う。
――◆◆◆!
オルドヌングを手放せられなかったビルダの腕が、真下へ傾き体勢もが大きく崩れゆく。
これは、集られたところでビルダには無意味と理解してるための策だった。
――下手な妨害が効かぬのならば掴むもの自体を重くして、落下速度を上げてしまえばいいだろう。
(いい加減、消えてくれ。もう叶えるのを諦めろ)
無邪気に命を踏み躙り、大事なものを奪わせないため。オルドヌングは更に『遺児』の加重を図る。
重さに視界が潰れて己の羽が折れることも厭わずに。
(あなたの存在そのものが、この【ルド】には、この世界には、不要なんだよ!)
己が潰れてしまう覚悟を持って、ビルダを虚空へ引き摺り込んだ。
――◆◆…!
危機をようやく覚えたのだろう。始祖が抵抗せんと猛風を巻き上げる。
根先を周囲の壁に突き立ててしがみつこうとしたが、同時に、爽やかな蒼き暴風が舞い上がった。
――それは、ビルダの虹光を乗せていた風を打ち消すだけでは止まらない。
やがて折りのようにも風が重ねり、『塔』ごと囲う激しき風壁へと変化を果たす。
新たな檻として形成され、ビルダを閉じ込めては虚空へと落としていくのだ。
ディーケと吏史が瞠目し、蒼穹の風を起こした主を辿るように振り返る。
背後には、手で銃を象り、銃口という指先を指して蒼瞳を煌めかせるネルカルが瓦礫を支えに立っていた。
「どう?これぞナイスタイミング、ってやつでしょ?」
苦悶の汗を流しつつ調子良くもウインクを送り、得意げに笑うのだ。
――◆◆◆ ◆◆!!
遂に虚空がビルダを捕らえる。光も逃さぬ黒き質量は、接したものを容赦なく飲み込む。
虹光も、黄金の粒子も。――オルドヌングをも。
問答無用かつ平等に、特異点へと連れ込んでいく。
(よかっ、た。――安心、した)
長い抵抗劇もこれにて終幕。
漸くオルドヌングは、長年続けたアストリネとしての役目をも捨て切れる。
後は、遺した者たちが歴を紡ぐ。シェルアレンが愛した人々の未来は続くだろう。
しかし、その安堵も直ぐに消えた。
何せ虚空に質量の極みには酸素もない。宇宙では生物が存在できない。
所詮アストリネでしかないものもまた――意識が落ちてしまう。
( ああ、 で も、そう か )
燦然と煌めく翡翠が闇へと堕ちるように、重い瞼が降りていく。
( 置い てく、方も、 寂しい、 な )
最期に記憶の檻として掠めるのは、眩き過去。
いつまでも心に灼きつく一等星は、困ったように眉根を下げて、淡く微笑んだ。
――やがて、虹光が霧散した。
その残滓一つすら世に残すこともなく世界から完全なる消失を、果たす。
「“減力”……」
頃合いだと見計らい、ディーケが詠唱を紡ぐ。口を開閉させて解除を図る。
「“解 放”」
同時に――瞼をも下ろし切った。
掛かる重圧が解かれていき、ディーケを中心に一陣の風が吹く。
開いた虚空が完全に閉ざされたのだ。それは断絶したも同然である。
堕ちた光の行方は知る由もないのだろう。
決して、誰にも。
「ッはーーー……ま、とりあえずこれにてひと段落、一件落着!」
力が抜けた拍子で体勢が崩れぬよう瓦礫に肘をつくネルカルが、詰まった息を吐き切り笑顔で手を振る。
「どうしたどうした!葬式じゃないんだから顔上げなぁ!?被害は……甚大だろうけど……流石に全滅までは避けれたでしょ?其処は喜ばないと!でしょ?」
固く唇を噤み沈黙し、陰鬱を抱えるディーケと吏史を見兼ねてか、敢えて明るく振る舞っていた。
「あー………ほら、えっーと。先ずはオルドヌングも探さない?この事件の落とし前をさ、彼奴にもつけさせないとだし?瓦礫に埋もれてる人を探さないと……あ。やば。吏史……ぃよし!先ずは甘いものの刑に処そう!そうしよう!」
どれだけネルカルが賑やかに騒ごうが何の意味はない。
ディーケは項垂れたまま、顔を横へと逸らす。
吏史は拳を固く握り締めて狼狽するように歯噛みする。
やがて、激情に耐えかねて己の顔を手で覆ってしまうのだ。
「……えぇ。こうも黙られると空気悪いんだけど。吏史も…ほんと、マジでどうしたの?」
彼等の反応で漸くネルカルも違和感に気づき、笑顔を抜け落ちさせては眉間に皺を寄せてしまう。
「え?」
惚けた声を敢えなく掻き消す蒼き風は吹き続ける。
如何なる事象が起ころうとも、時は進むと暗示するように。
無音で影が、二つ差し込む。
三つに編まれた白銀髪は蒼き風に靡いていた。




