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アストリネの一族  作者: 廻羽真架
第二章. 落陽の果て、蒼穹に嵐吹く【ルド】
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暁過ぎ去りし時

けたたましい轟音という強烈な波が鼓膜を揺るがし、脳を殴った。

意識を落とした吏史は息を呑んで目を瞠り、急な覚醒を果たしてしまう。

「――――っ!?………ぅ…」

全身に残る苦痛に呻きつつ、片腕を地面につけながら何とか体を起こし立ち上がる。

額の傷から流れた血が顎にまで伝ったのを、手の甲で乱暴に拭う。


「何、が………」

不思議な思いが胸内に満ちる。

心臓を想起させるものを引き抜けば、何処からかビルダの声が聞こえた。後に、誰かに突き飛ばされた――気がする。

しかし、それ以降の記憶はない。

「何が、起きたんだ?」

整理できない状況に戸惑いながら、目の前で泳ぐ奇妙な光の線を目で追うように吏史が空を見上げていく。


「っ、ぅわ!」

拍子に虹を乗せた突風が起きて、吏史の髪を乱しつつも天へと昇る。

其を基に極彩色が織りなせば、『塔』を呑む無貌の巨人と形容すべきものが顕現を果たしていた。

――其れは、自らの光で『塔』を占有し、自らが立てる虹光で築かれた文明を崩落へと進めていく。


まさしく超常現象。始祖と例えるに相応しき異常。無慈悲なる破壊を以て、有象無象を塵芥が如く一掃する。

異質にして畏怖を抱かせるに相応しい、天災。神秘が君臨した光景。

そして到底、全てを理解してはいけぬであろう理から遥かに外れた存在の――降臨だ。


「…………………なん、で、」

そんな終末、終焉とも呼称すべき光景を最下層の舞台にて愕然と立ち尽くす。

吏史の異色の瞳が、声と同様に震えた。


「なん、で!?おかしいだろ!オレが、オルドを助ける力を、借りれるはずじゃなかったのか!?」


言い訳のように独白を紡ぎ、顔を横に振って戸惑う。吏史としては自分で成し遂げる気概だった。

これまでの覚醒剤を服用して異能を用いた経験もあり、『自己解決』に及べる力をビルダから借り得る形になるだろうと勝手な想像をしていた。


「いや、こんなはずが、ない!だって、そうだ。ビルダだってアスストリネで、人を…ナターシャさんを、犠牲にするわけがない!」

被害が出ようが、関係ない。そもそもビルダとてアストリネならば、人を害することなく勝手に守るだろうとたかを括って思い込んだ。

それに――もしも、カミュールが懸念した通り。

中枢を引き抜く事で建物崩壊が起きたとしても、この地にはディーケやネルカルがいる。

以前の【暁煌】と同じだ。人為被害へ発展することもない。的確に鎮静されて解決へと向かうのだろう。

「だから、その過程で、誰かの傷ができようとも治るのだから構わない…」

兎に角オルド(自分が大事な存在)さえ生きてれば、それでいいと吏史は考えた。


(いつか癒える)”と“喪失(無くせば消える)”を天秤に置くのならば、どちらを重きに傾くべきかが明瞭ではないか?


「犠牲があるわけがない……」

だけど剥落化が進む『塔』が如実に現し、瞠目したまま戦慄く吏史へ真を問いかける。


――お前の考えは正しかったかい?

其が招いたも同然の巨人は、無慈悲かつ無情に全てへあまねく崩壊を招き己の光に飲み込んでるだろう。


『塔』を構築する鉄骨が落ちて、地面へ突き刺さる。

拍子で砂塵が巻き上がり、白が走る吏史の黒髪を灰色に薄汚させた。


「―――……違う、んですよ。ビルダが嘘をついてないのなら……ならばこそ、察せられるものが沢山、あったんです」

崩落と風音でも掻き消えない、声帯から搾り出したような掠れた声が鼓膜を震わせる。

「でも、シエルは!エファムなら!」

「いいえ、違います。履き違えない、ように」

弱りながらも動乱を制するように、芯のある凛とした声が紡がれる。


「同じ始祖でも、ビルダにとっては、人は、守るべき対象ではない。その使命自体は始祖エファムに連なる我々……アストリネの一族だけが背負った誓約、なんです。……始祖ビルダには、無関係なのでしょう……」


ビルダがエファムに同列ならばこそ、認識や常識も異なるのだ。共通認識である誓約は意味を成さないと、苦しげな吐息混じりに推測が告げられた。


「そして、ビルダにとって、人という存在は……とても軽い。我々も歩く時に落ち葉や蟻や蝸牛を気にして歩かないでしょう……?」

「でも、でも……!生きてるじゃないか。先までオレたちと話してた。個としても認識していただろ?なんでなんだよ!?」

髪をかきあげ、吏史は堪えきれずに気を取り乱す。

「ここまでする必要があったのかよ!?こうなることをわかった上で、やったってことなのか!?なぁ、カミュ、―――」

噛み付くような勢いでカミュールへと振り返る。

だが、吏史は言葉を失い、息を詰まらせて絶句した。

「…………は…………?」

彼女は鉄骨によりその身を押しつぶされていたのだ。

白を基調とした服も胸元に咲く白百合の花弁も、鮮やかな紅に塗れている。

悲惨で凄惨に散ろうとする姿が、そこにあった。

「ぁ……………ぁ、あ……」

大事なものの一つが、壊れ掛けてる様を、目の当たりにして。

「ぁああぁああっ!!」

吏史は動乱に取り乱して吠えた。

躓きながらも駆け出し、カミュールの身を抑えていた鉄骨を掴み、乱暴に投げ飛ばす。

彼女を蝕む圧迫感から解放して、倒れ伏せた小さな体を両腕で抱き上げる。

「カミュ、カミュール………なんで…!」

下手に揺さぶれない中で、声だけを頻りに掛けた。もう一つの異変にも気づいてしまい、開いた瞳孔が揺らぐ。

「なんで………!?怪我が、治らないんだよ…!?」

治らないのだ。アストリネならば再生力は備わっているはずだ。傷は癒えるはずなのに、癒える兆候すらない。

周囲には虹光が沸き立ち、天へ昇り続けるばかりだった。


「………同じ、なんですよ。吏史君……」

降りる瞼の重さに堪えかねるように、カミュールの空色瞳は震えていた。

「きっと、同じなんです………」

必死に意識を繋ぎ止めながら、懸命に声を紡ぐ。


「ビルダにとっては…人も、アストリネも………等しく有象無象、なんです」


実際、エファムの血縁であっても容赦はない。ビルダに於いては全て平等なのだろう。

其の認識の答え自体は、吏史の視界にも映ってる。


――離れてない距離で証明のように、リオが横たわっており。

頭部を石片にでも打たれたのか、周辺の地面には暗色の血の染みを広げていたのだ。


「だから、よかったですね。君の願いは叶いますよ。……二代目イプシロンだけは命が繋がれる。……たとえ、何に変えたとしても…それが、ビルダの矜持ならば、君の願いは叶う」

「違う!!オレはこんなことを望んでない!!」


即座に拒絶して頭を抱え込む。激しく気を振り乱し、片手で髪を掻き毟る。

「違う違う違う…!違うんだよ!オレは望んでない!カミュールが傷つくのは望んでなかったんだ!オルドだって……助かったとしても、こんなことになったんじゃあ……!」


激情に呼応して顕現された黒骨の『ゴエディア』は、髪をぐしゃぐしゃに掻き乱すだけに留まらず、鋭利な指先を頭皮に食い込ませて血を滲ませた。


「吏史、君」

混乱と破滅が渦巻いている。虹の風が吹くたびに胸元の百合の花弁はハラリと落ちる。

まるで血が抜かれるような冷たき苦痛から、カミュールはビルダの力と思わしい何かが仕掛けてると悟った。

「吏史君」

――だが、苛まれてもなおカミュールは冷静を保つ。荒れる吏史の名前を呼ぶ。


「ど、ぅ、すればよかったんだよ…!同じように他人なんて考えずに大事なのを守ろうとしただけなのに、何で、オレばかり失って、っオレが居るだけで、何もかも全部………!」


何度も掻くように自分を傷つけて、感情の矛先を自分にしか向けれない哀れな子供を空色瞳が見上げていた。


努力をしても報われず、夢を追いかけても叶わない。

どれもが所詮は個の想い。

全てが甘き幻想でしかないと笑うように風音が重なる中で、見上げるのだ。


「なんで、生きて、………生まれてきたんだ……?」


劈く悲鳴にも似た慟哭を漏らしても簡単に泣けやしない姿を眺めたカミュールが、静かに想う。


―――鉄味に満ちる唇を噤んだまま、想い続ける。


結局は、不特定多数に立つ他人の痛みを考えきれないから。利己を貫く破壊だけでは不幸の泥濘を振り撒いて自らも沈むだけ。

その上で根本的に自分ごと幸せになろうと考えなかったから、幸福の道に踏み込めずに背を向けてる。


そもそも『古烬』の兵器で『ゴエディア』であることを自認してるならば、凡人と同列に並べるべきではなかった。その思考が原因となって今回の愚行を招いたのやもしれない。


――しかし、それら全て思うだけだ。カミュールは決して口にしない。

自己啓発を交えた指摘や事実説明なぞ、ただただ息の無駄で冗長だろう。

そもそも、吏史に責任を問い詰めたところで、だ。

起きた災厄は静まるわけもないし、根本的な解決にもなりやしない。


大体、カミュールには原因が吏史にあるとは言えないのだ。

――故に、今は。

精一杯の力を振り絞り首に腕を回し、優しく抱きしめてやることでしか吏史の心を庇ってやれそうにもない。


「――――」

吏史は、言葉を失い、抱きしめられ続けてる。

硬直したまま何も返すこともなかったが、カミュールを突き放すことはなかった。


やがて、その身に凭れたカミュールが指先を動かす。

意を込めて片目を瞑り、通信機器――HMTを起動させる。

「!」

後に、吏史が所有するHMTが反応した。

眼前で構築された青板のホログラムは、受信されたばかりのメッセージを流していく。


〈ごめんなさい。僕の半端な同情で君を間違った道に連れ出してしまった。僕のせいです。君は悪くない。全て僕のせいなんですよ〉

瞠る異色の瞳に、カミュールからの謝罪の意が映る。

咄嗟に「それは、」と否定をしかけた小さな声が漏れ出たが、文は延々と続く。


〈ただ、もしも君が僕を悪くないと擁護してくださるのならば、この先は一緒に地獄へ堕ちてくれませんか?〉

異色の瞳に、彼女の意が映されていく。

先々でも迷うことない(約束)を深く刻むように。


〈大事な方だけでない。この先は正しいことを繰り返す。知らぬ誰かも無償で助けられる選択をし続けて、終わりが見えぬ贖罪を歩むのです〉

視認した異色の双眸は、冷酷を携えて平らに据えていく。


「助けたとしても、何もないのに?どうせ人間はオレを…『古烬』の兵器だからって……非難してくるに決まってるだろ」


しかし、文面は絶えることはなく続く。


〈それでも守ってください。今度はあなたが大事に思う方々が守ろうとした者達を、守り始めてください〉

「ッカミュール、でも……オレは…!」

だが、やはりこんな事態に陥らせてしまっても。吏史には意味も意義も感じられない。

断りを紡ごうと僅かに口が開いた。


〈どうか、誰かと生きて幸せになることを諦めないで〉


その祈りめいた願いが流れた途端、吏史は言葉を失う。

「…………ぁ――――」

苦悶じみた葛藤を、漏らして。震えた目を強く瞑る。

ほんの少しの躊躇いから顔を横に振り、やがてカミュールの小さき身体を抱きしめ返すのだ。


「――けど。どう、すればいいのか……碌な解決策が思いつかないよ」

肺胞から絞り出すような、吐露が紡がれる。

「オレは、頭が良いわけじゃないし、大事なものがあればいい。きっとこの先でも変わらない。…笑顔で知らない人達を救えやしない。散々蔑んできた奴らを好きになれないんだよ…」

そう、何も変わらない。

己を貶し害する者たちを愛せるほど、吏史は博愛主義(後世の英雄)になれないのだと訴えて、小さな白百合を抱きしめた。


「それだけ自分勝手で、身内贔屓な奴だ。――それでも、頑張れっていうのか?」

そんな不器用な迷子めいた問いかけに。

僅かな吐息を漏らすカミュールから、文面が綴られる。


〈懸命に生きるって、そんなもんだと思いませんか?〉


――――◆◆◆ ◆◆◆◆!


直後、世界が爆ぜた。


「っぅ、わ!?」

堰を切ったような激しい猛風と地ならしが起きる。拍子で体勢が崩れかけてしまう。

吏史はカミュールの身を打ちつけまいと咄嗟に膝をつける形で姿勢を保つ。

後に、勢いよく顔を上げ、その周囲――『塔』に君臨する虹の巨人を見上げて目を瞠った。


(――なん、だ?今度は、何が起きて………!)


巨人の周囲に変化が起きていた。透徹なる壁と黄金の粒子が昇っており、虹の侵食を塞いでる。

ただ、それに注視し続けることは叶わない。直ぐに吏史は己を覆う影という異常に気付く。

元へ視線を送れば、ソレは左右に揺れていた。


――極彩色の木の根だ。

異界で見かけた始祖ビルダの一部と思わしい物体が、複数。地面から突き出る形で生えていた。


やがて、それは未だ息づく対象(栄養)を認識したのか。

根は鞭をしならせるようにも地面を深く抉り、手負の吏史たちを打ち付けんと空気を裂いて迫る。

「―――!」

咄嗟に一本を殴り弾き、手甲で爪を立てては渾身の力を込めて引き裂く。

極彩色の粉光が周囲に舞い散った。

「硬、っぁ…!?」

砕きはしたが、ダイヤモンド同然の硬度が伝わり仰天する。しかし驚愕に浸ることはせず、片足を伸ばして身を屈め、地面へ横転する。

追加で現れた四本の根先を避け切り、何も無い地面に突き刺さるのを横目で視認した。


(まさかこいつら、カミュールを狙って…!)

「ッうぐ!?」

根の矛先を察したと同時に、吏史はドンッと背を打ちつけて、全身に衝撃を受けてしまう。

目を眇めて後方へと視線を送れば、その正体を視認できた。

「…は!?」

それは、鉄骨。先でカミュールを解放せんと吏史が無造作に投げ捨てたものだ。


「嘘だろっ!?」

何気ない己の行動がこの窮地を生んだことに動する中でも容赦無く、根先は眼前まで迫りゆく。


(――ダメだ!これは、避けれない!)

本能的判断。刹那にて許されるのは一動作だけ。

ならばせめてカミュールだけでも身を挺して庇うべきだと吏史は『ゴエディア』の腕でカミュールを覆うような姿勢を取り、来る衝撃に身構えた。


「――――ッ、白雪!!」

咳と血を吐いたカミュールが、声を張り上げて叫ぶ。

喉を裂くような決死の呼び声に応え、積み重なる流砂からは白き巨獣が飛び出す。


狐は体毛を揺らして、四肢を駆使した。

カミュールを抱えた吏史を頭に乗せるよう颯爽と拾い上げただけではない。

離れた位置で横たわっていたリオを咥えて回収し、跳躍を交えた疾走で動き回り、襲いくる根の数々をいなして縦横無尽に駆け巡る。


「ッ………白雪……!」

激しい動きに振り落とされないよう、白き体毛にしがみつく。腿を引き締めて騎乗する。

一息吐いてからリオの首根っこを掴み、やや強引に引きずり白雪の背へ乗せた。


「白雪、よくやった!ありがとう!あとは安全な場所にカミュールたちを、―――」

行き先を見定める為に、場を見渡す。

極彩色の根が隆起して階を貫き破砕しているだけでなく、瓦解した石灰石の流砂に飲まれつつある。


その光景で、吏史は悟る。

最早下に安全な場所などない。寧ろ、此処に長く居ればこそ虹が招く崩落へ誘われるだけだろう。


――ただ、其処には極彩色の根に満ちるばかりで。

砂粒に飲まれた人らしき影形なぞ、まるで見えやしないのだ。


「………ッ白雪…上だ!今すぐに上に向かってくれ!」

軽く頭を叩き、懇願するようにも指示を送る。

その意に白雪は応え、青瞳が燦然と煌めく。


巨人を覆う透徹の壁――氷を足場にして上へと登る。

瞬きの内にて数十メートル。神速たる異能を存分に発揮しては、頂上へと駆け出す。


「っ!」

一度、空気を含めた全域が()()()()心地を覚えつつも片目を瞑り耐えてから、唯一の逃げ場所へ向かうのだ。



アルデは顔を歪めて、蹌踉めきながらも立ち上がる。

「ぅ、…クッ!?」

しかし、虹光の風が吹くたびに骨にまで響く激痛が走り、地面へ転倒した。

冷たい心臓が頻りなく強い鼓動を打ち、冷や汗は溢れて顎から伝い落ちている。

まともに動くべきではないと体が警鐘を鳴らし訴えるように。

(――でも、此処で、寝てられないのよ。せめて、やれることを成さねばならない!)

そんな苦悶に見舞われてもアルデは桜色の瞳を眇めて歯を食いしばり、奮起した。


「ベガオス…!」

そうして一歩ずつ着実に歩み、この場において最も危険な状態であろう手負のベガオスへと近づく。


「ベガオス、しっかりなさい!」

声を掛けて鴇色の触手を伸ばし、触診を開始する。


――返事はない。昏睡は確定。触手の先で感じれるのは弱脈。呼吸も浅く衰弱しきっている。

左眼球破損による大量出血をも加味すれば、危険域だと診断を下すべきだろう。


「早急な処置が、必要…」

診察を終えてから緊急処置へと取り掛かる。

(…調合なんて、悠長なことなぞしてられない)

薄い唇を開き深呼吸を一つ。済ませては意を決するように固く噤み、歯を食いしばる。


自身の鴇色の触手を掴み容赦なく、引き千切った。


「――ぁ゛……ッ゛…!!」

悶絶した悲鳴が、出かけた。異形とはいえ、再生すると手体の一部。激痛は当然走る。

あまりの苦痛に噛んだ唇にも歯が突き刺さり血が滲んで流れてしまう。

乱れた息を何度も吐こうが痛みの波浪はなかなか引いてくれなかった。

「ッ、…必要経費、とはいえ…何度やっても慣れません、ね…!」

自嘲の笑みを溢しつつ、愚痴を漏らす。――なお、これはただの自傷行為ではない。


全てを癒す万能薬たる恵の雫。

そう語られたアルデの“境地”たる『雨雫』は、薬毒を作り出す己の触手(一部)を擦り潰し液状化する前提で発揮できる仕様だ。

尚、アストリネだと効能が高すぎる点と、“投与”という条件を守らねば劇薬となる注意が存在する。

今回のベガオスのように意識障害を負った者であってもその条件は変わらない。

救いたければ、相手に必ず液状にして与える必要があるのだ。


(…用意していた特効薬は、叩き落とされた。もうない)

だから、アルデは己の触手を口に含む。

丁寧に咀嚼して噛み潰す。液状化するまで噛んだ後、失神したベガオスを横に抱えた。


(――貴方に死になさいとは言い渡しましたが、目の前で死ねとは、命じておりません)


触手で顎を抑えて黒曜の兜を外し、固定する。

わずかに空いた唇へ薬を注ぐために、己の頭をベガオスへ傾けていく。



「―――――ゲホッ!!」

濃厚という度を超えた脳を痺れさせる暴力的な甘さがベガオスの舌から脳に襲う。

味覚で殴られたような心地に一気に意識覚醒させた後、激しく咳き込んでしまった。

「なん…!?ゲホ、ゲホゲホッ!…これは…っ」

喉を抑えて咽せ返るものの、器官に粘度が高い蜜が張り付く不快感は唾液程度では拭えそうにない。

「目が覚めましたか?」

「……アルデ様!?」

のちに冷淡な声に反応し涙目で己を抱える相手を見上げては、さぁ、と顔を青ざめさせた。

「あ…アルデ様!?メカリナン様は……奴は、どうしたのですか!」

慌てふためく質問を受けたアルデは、かぶりを振る。


「メカリナンは…かろうじて無事です。しかしアレはイプシロンとディーケの連携により深傷こそは負いましたが……逃走されてしまいました」

「なん……っ」

結果に、絶句する。

手合わせたからこそベガオスにもわかることだ。アレは取り逃してはならない相手。破壊を振り撒く狂気と災厄そのものだ。

だというのに逃げられた。頭を抱えて絶望する結果でしか無い。

「ディーケ様でも、仕留め損ねてしまうなんて……!」

「……。ディーケは万全ではなかった。あの状態のイプシロン相手でも逃げられるのならば、誰にも捕まえられないのでしょうね…」


そのように語られるが、ベガオスが気絶しなければ結果が変わった可能性もある。悔恨の念に沈む前、ふと、気づきを得たように目を瞬かせた。

「……イプシロン………様が、なんと?確か、既に身動きが取れない状態だったはずでは……」

ベガオスからしても今際の際、危機的状況だったはずだ。

何故、ここで貢献者として名が上がったのかと全く不思議でならなくて尋ねていた。

そうすれば、アルデは徐に天を仰ぐ。

釣られるようにベガオスも空を見上げれば、息を飲んだ。


――言葉を、失わざるを得ない。

象徴建造物であった『塔』が、黄金の柱へ変化していたのだから。


「黄金……いや、なんだ…アレは、透明な――壁か……?」

そして目を凝らし見れば、更にわかる。其の柱ざ透徹の壁に覆われていることに。

また黄金の正体は蛍火じみた煌めく金色の粒子であり、それは少しずつ、仄かな輝きを示してから沈むようにも地下へ奔流されていく。


「――あ、アルデ様。これは、いったい……」

「……私にもわかりません。ですが今は、忸怩たる思いに溢れております」

アルデは真顔で戦慄くベガオスに応え、桜色の双眸に光柱を映し続けながら語らう。


「吏史の言い分は……正しかったのです。イプシロンの異能を恐れず意を汲み取り、寄り添うべきだった」

「……は、い?では、イプシロン様がこれらを行なってるというわけですか?しかし、彼は心理操作の異能者だった筈では……」

だからこそあり得ない。アストリネは異能を一つしか持てないであろうと暗喩に伝えれば、アルデの桜色の瞳が細まった。


「あなたの疑問はご尤もです。ですが、私からは上手く成ったとしか言いようがない。『遺児』の利便性とイプシロンの異能が見事に噛み合い……不穏分子こそ取り逃しこそはしましたが、『イーグル』に起きた事変は解決へ向かうのでしょう」


――解決。

その二文字に希望を見出したのか、ベガオスの目に正気が灯る。

「対処されたらしいグラフィス様も最早、再起不能です。今後、彼女も何かしら計画を目論めることはない」


素晴らしい展開だ。懸念点を取り逃しはしたが、少なくとも殲滅を起こすという脅威自体は止まってる。

兵士殲滅という大海の願いも、潰えたも同然だろう。

――だけど、どうにも。

ベガオスは素直に喜べない。

己を抱えるアルデの桜色髪が吹き荒れる風で舞い上がる際に、死人のようなひどく悪い顔色で浮かべられる表情が、はっきりと見えてしまったからだ。


「――アルデ様。不躾ながらひとつ、申し上げたいのですが…」

「ええ。どうぞ。構いません」

許可を得た上で、複雑な思いに駆られつつもベガオスは紡ぐ。


「何故、そう…今にも泣き崩れそうな、迷い子めいた顔をされているのですか?」


隠し通せなかった心を。指摘されてしまったアルデは、僅かに口を開閉させ、瞼を伏せる。

「そう、ですね」

やがて眉尻を下げ、より物悲しさを帯びた表情で顔を横に振り、力無くも微笑んだ。


「ごめんなさいね、ベガオス。私はまだ、あなたが望むような冷徹に至れないようです」

理想になれないことを謝罪して、視線を黄金の柱へと戻す。


「…人類の守護者とは。始祖エファムから始まった我々アストリネとは、いったい何なのでしょうか。私たちは何故、人から生まれて心を備え[核]を宿すのか……」


風は絶えず吹き荒ぶ。アルデの疑問を掻き消す激しさで、桜色の髪を乱す。


「この先、この身が無事で済むのなら、きっと知らねばならないのでしょう」

そう悲しみに暮れて俯くアルデの下がる触手が――突如、何者かによって強引に掴まれた。


「ッてかさぁ。何、黄昏てるわけ?蛸姐さん、らしくもない」


驚愕して振り返れば、息絶え絶えで身を引き摺る形で現れた姿に、驚嘆を抱いて息を呑む。


「まだまだ何も終わってないじゃん。気が早すぎぃ。まあ、でも、インドア極めてまともに動けないんなら、此処は是非私に投資してよ」


恥も外聞も無関係に、敢えて得意げにも笑い提案してみせる彼女にアルデの唇が僅かに開いた。



ディーケはサージュの悪意で動いた『遺児』により、全身の細胞を啄まれてしまった。

それは、細かな穴を開けられたような状態に晒されたも同然だ。

いくら優れた回復力を有してようが無数の緻密な穴を全て塞ぐためには時間を要する。

また、顕現した始祖ビルダは吏史の願いを叶えんと補足した生物から生命力を平等に奪う状況も最悪だ。

並のアストリネならば、絶えてしまう。到底耐えられやしない。

しかし、四十六代目ディーケはそう(凡俗)ではない。


「―――ッ!ぁ、あぁあ!!」

オルドヌングが『遺児』に命を下してから約数分。

虹光が薄れていくと同時に、生命吸収作用も弱まっていた。十分、ではないが自立歩行可能域まで回復を済ませたディーケは、珊瑚色の目を煌めかせて起き上がる。

すぐに己を対象とした重力の増減操作を行い、飛翔同然の速度にて瞬時に『塔』を覆う氷壁へと駆け寄り、掌をつけた。


「オルド、…オルドヌング!!」

必死に名を叫ぶ。向こう側には、己ごと虹の巨人を閉じ込めるように巨大な氷壁を築き上げたオルドヌングの背姿があった。


「待ってろ…!そこを動くな。今すぐに出して――」

「セレド。やめろ」

巨人を対象に(ブラックホール)を展開しようとしたが、名を呼ばれて制されてしまう。


「壊すな。それでは、()()を閉じ込めた意味がなくなってしまう」

「オレが倒せばいい!お前のおかげでこの通り、今は、動けるんだ!……万全ではないから段階を踏む必要は……あるが、窬は発揮できる。それを使えば…!」

「“元凶”だと、言っただろう。この始祖と俺が扱う『遺児』…そして、俺自身。どいつも総じて今の『イーグル』を混乱に陥れている元凶どもだ。だからこの檻を悪戯に開くな。君もアストリネであるならば、分かるだろ」


オルドヌングは顔を歪めて手振り交えて訴えるディーケに背を向けたままだ。振り返ることもない。

咎人を閉じ込める収監場でしかないのだと、事実のみを淡々と語る。


「……お前は、違う!元凶なはずがない…!そんなことを言うな……!」

ディーケは拳を握り、青筋が走るほど力が籠ってしまう。

壁を殴りつけたい衝動には駆られるものの、身を戦慄かせて堪えていた。


「その巨人を消せばお前は、戻れるんだろう?……戻ってこい。オレはお前がグラフィスを止めようと決死で戦っていたのも、見れてたんだ。だから裏切り行為も、演技だったとオレがネルカルに証言してやれる…」

だから、セレドは顔を横に振る。必死に縋るようにも呼びかけた。

「お前は何も、悪くないんだ…」

自責の念に駆られ、自罰を求めて。心中じみた自決を取らなくてもいいだろう。

庇い立てるようにも説得を図り続けて目を伏せた。


「頼むから、頼ってくれ。ひとりで抱えて解決しようとするな。何かを守り続けたまま、居なくなろうとしないでくれ。……お前は、これまでずっと頑張ってきたんだ、いい加減、救われてもいいだろ…!」

感情が荒れ狂うまま、真摯にも訴えられたオルドヌングは、緩慢な所作で振り返る。


「――なら、最初で最後の願いを聞いてくれ」

何の機微も感じさせない真顔を携えて、燦然と煌めく翡翠瞳が無機質な鏡のようにディーケを映す。


「この氷の真下に、君の窬を展開しろ。制御不能になりつつある兵器と、この無法の怪物を…()()()()()()()()ごと。何処かへ飛ばしてくれないか」


その申し出にディーケは口を薄く開いて閉じきれず、後に掛かる翡翠の視線の先から逃れるようにも固く目を瞑り俯いてしまった。


「…………諦め、たのか?」

「いいや?単に“確実”がほしいだけさ」

「……ネルカルには誤解されたままでも、構わないのか」

「ああ。此方が居るのが日常になっていただけで然程依存してるわけじゃない。ルナリナならきっと、直ぐに立ち直れるよ」


会話を交わす中、ディーケは俯いたままだった。終えた後は十数秒間は押し黙っていた。


「…納得、し難い。できそうに…ない…」

しかしどうしても嘘も付けない心が、ディーケに沈黙を破らせて、吐露を紡がせる。


「オレは寂しい」


あらゆる感情が募り籠ったその一雫を、オルドヌングは掬うことない。

眉ひとつ動かすこともなく、冷淡に返した。


「そうか」

たった一言だけで済まして後先は何も語らない。

――元より三光鳥としての関係に於いても、互いに多くの言葉は不要だった。


故に、後に訪れるは、沈黙と静寂だ。

『遺児』の粒子が揺らめき、徐々に巨人を形成させる虹光が覗き始めていく頃に。

セレド=ディーケが緩やかに顔を上げる。


「…………………………始めよう」


震える手を握り締め、揺れる心を飲み込んだ。


「お前の願いは必ず、叶えてみせる」

煌めく珊瑚色の双眸が据わる。背から翼を顕現させ、天へ高々と広げていた。

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