始祖は微笑む
形の良い唇が薄く開かれる。
しかし声が紡がれるよりも先に、傍に控えていた漆黒が躍り出た。
「!!」
漆黒は俯いたディーケへ狙い定めて向かうが、ディーケは迫る殺気に反応し腕を上げては対処する。
来る刃を腕で受けるが、鋭利な刃は容赦無い。中指から首元にかけて一閃の傷が走り鮮血が散った。
しかし、ディーケは苦痛に眉一つ歪めることもなく怯まない。
傷ついた腕に構わず、更に三撃迫る剣戟を素手で弾く。
その度に血が上がるが、首を狙う軌跡を見切り流すことに集中した。
やがて相手の嵐めいた撃が止む。
(――休憩。いや、これは息継ぎか?)
漸く晒された隙を突かんと身を回し、胴へ向けて遠心力を乗せた蹴撃を与えていく。
同時に、己の足へと荷重を行った重き一撃を容赦無く与える。
襲撃者は踏ん張れない。
弾丸が放たれた勢いで飛ばされて壁へ激突し、白鼠色の土煙を広範囲に巻き上げた。
煙を睨み据えたまま、ディーケは無言で手を払う。既に癒えた皮膚に付着した己の血を、地面へ飛ばすのだ。
「今の、何?ってか、不意打ちとはいえ、ディーケに傷を負わせるのは……なかなかだよ?」
丸くした目を瞬かせるネルカルを置いて、白鼠色に染まる砂煙からは溜め息が聞こえてくる。
「ラグダール。今後は何をするにも先ずは挨拶から済ませると約束しなさい」
上がる声に、吏史と離れていたベガオスが息を呑む。
開けた天井から月光が差し込み、充満していた土煙が一掃された際に介入者らの姿を明瞭に照らすのだ。
「慌て過ぎは、よくないよ?」
編み束ねた発光する白銀髪が動作に揺れて波打つ。燦然と煌めく夜空瞳が瞬く。
風光明媚たるその存在の隣へ連れ添うように、漆黒改め玉虫色の怪物が這い寄っていた。
全身の肌は艶がある構造色の玉虫色だ。張り等を鑑みれば視覚的質感はラバー状に近しいことも伺える。
頭部前部には巨大な角が一本。後部は機械を構築する管めいたものが複数伸びており、それは束ねた髪代わりとして背に流れていた。
しかし、それらは意で動くのだろう。時折波打つように揺らめく。
更に両眼鼻腔も確認できない無貌だが、発声器官は備えてるのだろう。
やがて、獰猛な鰐口が開かれた。
『これは先行投資。シェルアレン様が行う栄光なる道の邪魔たる石を払おうとしたのですよ。勝手な真似をしたのは否定しませんが…』
錆びつく機械が軋む音を交えた声だ。
実に名状し難き、悍ましき異形の怪物と呼称するに足り得てしまう。
――但し、怪物と断定するには軽率だった。
ビルダ語を用いて、変形の胎動を繰り返しつつも四肢の輪郭自体は人の形を成している。
法則的な会話はせず意を示す言動から『個』を抱く生命体だと保証たり得るだろう。
「ら……ラグ、ダール、さん…?」
其の上、呼ばれた名前と聞き慣れた声調なものだから。
怪物が恩人であることをベガオスは明実に思い知らされてばかりだ。
「ふーん?そう。そこまで想ってくれてるのは嬉しいかも。…反省してるのなら許してあげる」
『やはりシェルアレン様はお優しい。…尚のこと、今、四十六代目ディーケを仕留められなかったのが残念でなりません』
「大丈夫だよ、心配しすぎ。……セレドも私の対象だから」
満ちる動揺や困惑を置いて会話は弾む。
吏史を始めに意識があるものたちは総じて、疑問が浮かんで仕方ない。
何故、シェルアレン=エファムがここへ現れたのか。
隣並ぶ不気味な怪物に対し、親しげに微笑んで応じてるのか。
「それじゃあ、改めまして。……こんばんわ」
様々な推測が心内で交錯する中で、シェルアレンは瞬き一つにて真っ直ぐに前を据える。
発光する白銀髪を揺らし、合間に見える目元を緩ませた。
(………雰囲気が、全然違う。初めに会った夜や前に再会した時と今。なんだか外観だけ同じな“別物”……みたいだ)
吏史は本能的から積もる疑念を払えることはない。顔を顰め、睨み据えてしまう。
「あれ?どうしたの?吏史、喜んでくれないのかな?」
目の前に立つシェルアレンをシェルアレンと呼ぶべきなのか?
――そうした疑念がどうにも拭えずに鋭く睨んでしまう。
「………あんた、誰だ」
己の違和感を信じた。
本質を疑うように毅然とした態度を以て、吏史は尋ねる。
問われたシェルアレンの夜空瞳がはた、と瞬いたが、後にクスクスと噴き出すように笑っていた。
「フフッ。なぁに?そういうふうに見えるの?」
おかしそうに一頻り笑った後に、肩の揺らしを止めて柔らかな微笑みへ戻す。
「そう見えるのも、仕方ないかな。何せ今の私は容量を得て最適化を果たしてるから」
「…“最適化”?」
「うん。容量について…説明を入れないといけない問題なんだけどね」
それは実に少し複雑で難解な話。
前置きを経て語らんと、シェルアレンは微笑み、人差し指を立てて頬に添えていく。
「狭い土地では多くの人は住まえない。ひとり分の食料では二人を賄えない。この法則とほぼ同じこと。私達の世界には見えない制限……規定が決まってる。それの重さ換算はね。アストリネだけじゃなくて、兵器もそれに該当してた」
「は?……何の、話だ」
吏史に聞き返されたシェルアレンは一切の表情を変えず、唇を動かし続ける。
「容量を過ぎる力を用いた場合、代償が発生する。それが――黒波。生命力を奪う強奪の波だ」
「……それって、つまり……私たちは無制限にこの異能を使えるわけではなくて……使い過ぎたら黒波……『黒陽』が堕ちたタナトみたいな現象が、何処かで起きるってこと?」
「そういうことだね」
横から食い付く勢いでネルカルが尋ねれば、シェルアレンは瞼を伏せては頷く。
「かつて『平定の狩者』が結成し、兵器を破壊する活動はある意味でも間違ってなかった。安寧を望むならばこそ、シルファールが無駄に増やした容量を整理する必要があった」
発言の後、ディーケが眉間に皺を寄せる。
「……では、シルファールは貴方が語る法則に気づいた上で兵器を作ってたのか?」
「……どうだろう?多分、最期まで気づいてなかったかも。気付かされる前に私たちの兵器処理が進んでたから、罪の自覚もできなかったのかもね。もう居ないから真意も何もわからない、かな」
所詮今更。過ぎた過去だとシェルアレンは鷹揚に肩をすくめて溜め息を吐く。
「…言い方的には容量が解決した?みたいに聞こえたし…何なら、シエルがそれを使った感じ、だったけど」
吏史の疑問に、シェルアレンは白磁の喉を晒す勢いで顔を上げては首を傾ける。
浮かべた微笑みが、歪んでるようにも見えた。
「ねぇ吏史。今の世の中って、はっきり言ってよくないよね?」
「え…?」
断言じみた疑問を投げては、傾けた首を戻す。今は慈愛が籠る甘い微笑みは浮かべられていない。
「私たちは代々劣化している。優劣を重視するならばこそ君たちを始めにラグダールのような向上心あるものに、管理を任せるべきだと思わない?」
「…っ何言って…『アダマスの悲劇』から長年、黙って離れておいて…今更、何かとあれこれ言われる筋合いないんだけど?」
割り込まれるよう投げられたネルカルの返しに、シェルアレンは目を細める。
「君には聞いてない。それと、アダマスの悲劇は悲劇なんかじゃない。アレは私を追放するために張られた大掛かりな罠だった」
「………は?」
惚けるネルカルや息を呑むアルデには構わず、シェルアレンは小さく頷いた。
「色々とあってね。私が持つ異能“承認”は最適化できるようになったの。容量が増えるたびに私はより自由に、“承認”の進化が開拓されていく。デメリットは私そのものが重くなること…くらいかな?」
「………えっと。その容量って、独自の概念を圧迫するような大食漢……って解釈はオレにもできるけど。それが、なにか関係するのか?」
吏史には変わらず毅然と睨まれていたが、シェルアレンは気にしない。軽く小首を傾げては、頬に人差し指を宛てがう。
何て事ないように、平然とした態度で真実が語られた。
「うん。それが、私が消えた要因。アダマスの悲劇で十八代目アルデに貶められた私は、“転移”の悪用で時空間の狭間へ飛ばされて帰れなくなったんだ」
曰く。シェルアレンは、何も無い空間に堕とされた。
世界を想う自制心を以てひとり彷徨い、何もない虚空を渡り歩んだ。
「もしも私が強引に帰って了えば……間違いなく黒波が起こる。それは決して許されない。だから、“去った”んじゃなくて、“居なくならざるを得なかった”の」
誰に会うこともなく、先々の夢を見ることすら出来ぬ空間で、十数年以上孤独に満ちた長い時間を過ごしたのだ。
「――だから、吏史。幼い君と出会えたのは夢だと思ってた。疲れ切っちゃって、消えてしまうことも正解じゃないかなって考えてた時だったから」
あの時の出会いは希望だったと柔和に微笑まれながら語られた吏史は、複雑な感情が心で錯綜し、顔を歪める。
それでも何も言わず無言を貫く様に、シェルアレンの夜空瞳は僅かな憂いを込めて細められていた。
「お陰様でずっとひとりで彷徨う覚悟は……できてたよ。私が居なくても皆の安寧が続くなら受け入れられた。そこに私が居なくても、先に幸せと喜びに満ちるならばそれでいい」
あくまで、本心はこれに尽きるのだろう。声は歌うようにも穏やかだ。
「―――」
其の願いには共感性を覚えて、吏史が息を呑んだ。
「――けど、そうはならなかった」
しかしシェルアレンはかつての吏史とは違い、大きな失望を果たしてしまった。
嫌悪を込めた一言を吐き捨てて、燦然と煌めく夜空瞳を平らに据える。
やがてシェルアレンは周囲の壊れた景色を突きつけるように、両腕を広げた。
「沢山の命が消えてしまったよ。これは、いったい誰のせいかな?」
「……それは、オレが……」
「違うよ。碌に協力もできずに同胞同士で争うアストリネの愚行で招いた結果、だよね?」
吏史が制されてしまえば、誰も彼も、皆が口を噤む。
隣に立つラグダール以外、返す言葉を見失っているのだ。
だが、ラグダール自身も特段何も語ることない。頭を傾け、己の手に伸びた三本の鋭き爪を研ぎ始めていく。
「どうして異能があるのに止めきれなかった?私達は無辜なるものを守ると誓いを立てたはず。――なのに、我欲を優先した?」
指摘に合わせてジャ、と擦れ合う金属音が立つ。爪研ぎは続く。音そのものを場に刻み込むように。
「歪みを咎める自浄の機会はいくらでもあったはずだ。保身に走る必要はあったのか?」
シェルアレンの口調と醸し出す雰囲気が一変する。
「さて、無用な争いを見過ごすのも加害だと自覚のない汝らに問おう。今、この世界で悲劇を招いてるのは、何者か?いったい何が、原因か?」
ジャッ、と重い鈍音が立った。それを皮切りにして重き金属音もが止んでいく。
僅かな静寂が、場に訪れる。
「……。……シエル……」
吏史は眉間に皺を寄せた。皆、総じて複雑かつ緊張を帯びた面持ちだったが、吏史だけが歩み寄るようにも沈黙を破る。
しかし、シェルアレンに何をかけるべきか正解がわからない。ただ、名前だけを呼べば、応じるようにもシェルアレンは微笑むのだ。
「…吏史。私の中でね。既にその“結論”は出てるんだよ」
「………“結論”?」
「こうして私が降り立ててしまえたのだから。速やかに“最善”を“実行”する」
しかし穏やかには事済まされない。感情削ぎ切った機械のように、粛々と遂行する。
手を差し出していく。
「アストリネの時代は、もうおしまい。後世は未来を望む子……新たな種にして原型たるラグダールが人々を安寧に導かせる。――私の理想の変革が成されるまでは、異能の主にして異の始祖たる私が責任を持って、汝らを徹底管理するとしよう」
『リプラント』『遺児』、残る兵器が消失したことにより容量が空いて更なる高みへと最適化した以上、シェルアレンには成すべきことが出来てるのだから。
「ルナリナ=ネルカルを始めにセレド=ディーケ、グラフィス、アルデ、カミュール…この宣言を以て、汝らに人類管理の資格無しと“承認”する」
そして始祖は柔らかな慈愛の笑みを携えて、通告した。
「我が異に平伏し、我が意に従え」
宣告を以てシェルアレンの背から白珠の枝が羽根のように広がり、節目には虹色の結晶が下がり、鈴音に似た涼やかな響きが鳴る。
――音波は渡り、アストリネ達全てに向けて行き届く。
「……っうるさ……!ってか誰が!そんな理不尽が罷り通ってたまるか!狭間に飛ばされたも同時に、常識まで置いてきたの!?」
「待て!ネルカル!」
青筋を立ててシェルアレンを睨みつけ憤慨を現すネルカルを、ディーケは手を伸ばし制止する。
だが、止まることない。最早決別したとばかりに掌を掲げて異能を発揮にかかる。
「止めないで!始祖エファムの系譜のくせに、和の姿勢を忘れてるってこちらが咎めて…………」
――しかし、碧眼は煌めかない。
掲げた動作ごと全て無駄だと諭すように無風が続く。
「………は!?」
「ネルカル!シェルアレン様は私たちアストリネの元締めも同然!かの方の承認がなければ、異能発揮もできないのです!」
「はぁ!?なんだそれ!じゃあ…何!?先の光で私たち全員、無能力にされたってこと!?」
アルデの指摘に虚をつかれて唖然とする合間、シェルアレンの隣に佇んだラグダールが再び飛び出した。
『はっはぁ!』
鰐口を開き、高揚のままに歪ませ、研いだ鋭爪を振り上げる。
異能を封された者たちを穿ち、咎めるために。
『どっちが悪者か、明白だよなぁ!おい!このまま大人しくシェルアレン様に従ってくださいよぉ!』
接近されたネルカルを庇うべく、吏史が身を屈めて構える。
それよりも先にベガオスが地面を蹴り上げては前へと躍り出た。
「――ッぉおおおおぉおお!!」
咆哮と共に全身の力を入れて、渾身の膂力を込めて振り上げる。
黒き刀と爪がぶつかりあい衝撃波が広がった。
『あぁ゛!?邪魔すんなベガオスぅ!始祖様の命に逆らうってんなら、てめえは執行妨害で半殺しの刑だぁ!』
ラグダールは拮抗したベガオスに、唾液と罵倒を散らし浴びせる。
「こらこら。相手は人間だよ?過剰防衛は厳禁です」
『っすいません!即決即断で仕留めた方がシェルアレン様の楽に繋がると思いましたぁ!』
「仕留め、ね。……本心なら許してあげる」
『真心にして!本心です!!』
「うん。いいでしょう」
対話を経たシェルアレンが白枝の羽根を揺らす。下がる虹の結晶からリィンと、涼やかな鈴音を場に響かせた。
「後は私が。ラグダールはその子を抑えてて」
『合点、承知の介ぇ!』
元気の良い返事の後、爪と刀の拮抗が続く。
押されてるのはベガオスだけだ。徐々に地面に身が傾き膝が折れ曲がる。
姿勢が崩れしまえば、あとは形無し。人体とは程遠き剛力により潰されるだろう。
「ラグ、ダールさん!…何故ですか!何故、シェルアレン様につくのです!?」
『お前馬鹿かぁ!?耳垢が詰まってんのか!今のスンバラしい話からしてどっちが正しいのか明白だろうがぁ!不要側につくわけねーだろぉ!』
「シェルアレン様の理想は、至五百年…全ての否定ですよ!?貴方も………人の姿を捨てさるなんて……!」
苦渋に満ちた沈痛な面持ちを浮かべるベガオスに、ラグダールは口を開けては高笑う。
『ガハハハ!最、最、最、最、最っっっ高の気分だねぇ!!否定は大歓迎!人を捨てるのも上等だぁ!特別って最高ぉぉ!』
「っ何故!?何故なんですか!!」
『ああ゛!?何故何故うるせぇなぁ!俺が!お前を!嫌いだからに決まってんだろうが!!』
やがて爪が刀に食い込み、亀裂を走らせる。刀は長く耐えきれずに砕け折れた。
崩壊の音を置き、白銀髪は波打ち揺れていく。
音も立てることなく静かに歩み、陽炎めいた所作でネルカルとディーケへ近づく。
「シエル…!」
だが、『ゴエディア』を顕現して道阻む吏史を前にしてその歩みを止めていた。
「吏史。其処を退いて」
「…嫌だ」
首を横に振る。僅かに震える拳を握り締めて構え、対峙の意を現した。
「退いて。君には乱暴なことをしたくない」
「嫌だ!…こうしないと、シエルは…止まらないだろ!」
「止まらないんじゃない、止まれないの。多くの願いだから。あのね、今は……少しでも早期解決をと平穏を望む意思に満ちてるの」
子供に言い聞かせるような優しい声色で、シェルアレンは吏史に語りかけていく。
「……私は数多の願いに応え、乱れを平定する。これは義務。アストリネたちが間違い続けた結果でもあるのだから、その始祖として責任を果たさないといけなきゃならない」
そのように正しさを説いても吏史は歯噛みするばかりで一歩も動かない。
構えを解かずに、空気をも張り詰める臨戦状態を保っていた。
「…ごめんね」
小さな溜息と謝罪を吐いたシェルアレンが掌を掲げれば、白珠の骨めいた手甲が顕現される。
「―――な…っ!?」
息を呑む。それは、あまりにも『ゴエディア』に似通ったものだったからだ。
「加減するのはぶっつけ本番なんだ。もし四肢が吹き飛んでも恨まないでね」
そんな吏史の動揺ごと置くように、シェルアレンの姿が消える。
「っ何処に…い゛!?」
引き攣った声を漏らす。
次に吏史が視認するは、距離を詰め切り、懐へと入り込んで拳を叩き込まんとする姿だった。
(嘘だろ…何も見えなかった!これはまずい!)
逃げることは叶わない。確実に直撃するだろう。
吏史は覚悟を決めて、少しでも軽減すべく腹部に力を込めた。
そうしていざ、拳が叩き込まれてしまう直前、群青髪が吏史たちの間でなびく。
「――ッフ!」
短い息を吐き、腕を横に振るい薙ぎ払う。シェルアレンの拳に黒き刀身を宛てては弾いていた。
(……アレは、ベガオスの折れた刀?)
庇われつつも、ディーケが強く握り締める折れた刀の正体を理解する。
但し剥き出しの刃を掴んだ代償だと現すように、その掌の隙間からは腕にまで赤き血が伝っていた。
弾かれた拍子でのけぞりはしたが、シェルアレンは無音で身を回し体勢を立て直す。
即座に追撃へと躍り出る。
ディーケも表情ひとつ変えず身を屈めて応じる。
刹那。強打による嵐が幾度も巻き上がった。
シェルアレンとディーケの行動速度や膂力は拮抗。
複数同時に走る鏗鏗たる襞殺音は狂った打楽器の乱舞。互いの獲物で火花を散らす様は閃光爆弾めいており、場に居る者達に情報という暴力で眩暈を与えてくる。
「っ、くそ!こんなの、いったいどうやって……!」
実に目まぐるしい光景だった。
吏史でも追いつかない。視認できるのは、かろうじて白銀髪と群青髪がなびく様だけだ。
故に、“次元が違う”と悟れてしまう。
下手に介入したところで、間違いなく邪魔になるだけだろう。
何もできずに歯痒い気持ちに駆られて俯きかけた時、鐘のような爆音が渡る。
それは、強い膂力を込めてディーケがシェルアレンを一度遠くへ離した音だ。直ぐには詰められない中で少し乱れた息を吐き、大口を開く。
「透羽吏史!ネルカルを連れて此処から逃げろ!」
「っはぁ!?」
「今すぐこの場から離れろという意味だ!」
再び拮抗の連撃を行われる前、逃走の機会を作らんと目論んだディーケが地面に足をつけ、踵で抉るようにも地面で円を描き回す。
砂埃と石飛礫が巻き上がり、懐まで忍び込んでいたシェルアレンの顔へとかかるのだ。
「っわぷ…!?」
シェルアレンはまともに、受けてしまった。
思わぬ刺激に目を瞑って怯み、立ち止まってしまう。砂を雑に払い退けたものの、顔の周辺が――薄汚れる。
『……!シェルアレン様!き、っき…貴様ぁあ……!』
汚れ自体シェルアレン自身は気にせずとも、変異を果たした狂信者は許さない。わかりやすく身を戦慄かせて吠えている。
ある意味で当然ではあるだろう。
たかが砂であっても汚れは汚れ。己が仰ぐ神殿が、汚されたのだから。
『――よくもぉ!シェルアレン様を!不敬 不敬 不敬ぃい!許されるべきではなぁい!!』
完全に憤慨を抱いたラグダールは、ベガオスからディーケへと矛先を変える。
『不敬罪で粛清する…!お前達も来い!吼えろぉ!!』
招く激昂に呼応するように、玉虫色が湧き立った。
『……シェルアレン様が汚された』
『汚されただと!?』
『我々の輝く星が……』
地面から、崩壊した建物の隙間から、辛うじて形状を保てていた出口から、次々と。
ヒューマテッドが現れ蝌蚪の文字めいた蠢動が起こる。
『よくも』
『よくも』
『許されるべきではない』
『許さない!』
『許すな!』
『許してはならない!』
怪物たちは、各々鰐口を晒して鋭利な爪を構え始めていく。
実に錚々たる光景と言えよう。
吏史を始めにアストリネたちは瞠目する。緊張するものや気圧されるものなど、反応は様々だった。
「……んー……」
それに、シェルアレンは眼を細めては気怠そうに呟く。
「まあ、散らかさないで、ね?」
『わかりました!』
『初めから承知しております!』
『あなた様の意のままに……』
『粛清します!』
『鎮圧する』
『制圧制圧制圧!』
全員揃って口々と高揚に吠えた。
忠誠とやる気に満ち溢れた姿勢を見渡すシェルアレンは、吏史に向けて鷹揚に肩をすくめる。
「それじゃあ、そういうことみたいだから」
玉虫色が群れなし、荒々しき波のように迫る直前。
本能的判断から“敵わない”と見做したディーケが逃走を図り、身を翻す。
但し、それよりも先に異能は起こる。
『ぬぉ?!!なん……だぁ!?』
突如として現れたるは巨腕を模る紅き水。
鮮血で編まれた水がラグダールを捕らえ拘束し――更に、横から割り込むように。
白雪が何かを咥え込んで、横から割り込むようにも現れた。
「ッ!?……なん……!」
其の何かであるベガオスが、白雪の口内にかけるよう添えられたものに双眸を開く。
咄嗟にアルデの方へ視線を送れば、彼女は神妙な面持ちで頷くのだ。
「白雪!行きなさい!」
カミュールの頼みを受けた白雪が駆け出す。
頭を下げつつ、ディーケを始めに吏史とネルカルを長鼻で掬い己の背へと飛び乗らせて、虚空により開かれたばかりの大穴へと向かうのだ。
(――ヴァイオラ……―――カミュール!!)
心で悲鳴を上げるように名前を呼ぶ。異色瞳がアルデやカミュールへと注視する。
ヒューマテッドにより四肢を捕らえられ拘束されていく姿を見ながら、目が、不意に合わさって。
カミュールは僅かに身じろぎ踠く。
どうしようにもならない状況下でも諦めることはせず足掻きながら、吏史に向けて力強く叫ぶ。
「いいですか!約束!忘れないでくださいね!絶対ですよ!」
掛けられた言葉に思わず、吏史は未練に塗れた手を伸ばす。
当然、彼女に届くこともない。
――寧ろ、無防備を晒したことは見落とされず、咎められてしまう。
『っ、ぬぉおぉおおぉおお!!』
好機にして賭けに躍り出るべくラグダールが吠えた。
腕力を誇る獣が如く両腕を膨張させては剛腕を型取り、己を抑える赤き水を振り払い銃を取り出す。
『くたばりやがれぇぇえ゛!』
狙いは――吏史。その頭部に迷いなく銃口を向けて、命を撃ち抜かんと数発を放つのだ。
「―――ッがッ゛!?」
一発の凶弾が、吏史の耳部へと着弾した。
運良くも脳天直撃こそは避けれたがその衝撃は全身に響いてしまう。
意識を刈り取られた吏史は、反動で横に倒れて、鮮血に塗れた青石のイヤーカフは宙へと飛散した。
「――ッ!バカ!!」
そうして昏倒してしまった吏史をネルカルが即座に掴む。
「嗚呼もう、ほんと…っほんとに信じられない…!バカ……バカなんだから……!」
強く目を瞑って唸り苦悶めいた顔を浮かべては、白雪から振り落とされないよう必死に吏史を支え続けていた。
『逃すなぁ!』
『いいや無駄だ!』
『そうだ!穴に落ちるだけだぞ!』
ヒューマテッドたちは追いながら口々に愚行だと罵り嘲笑う。
しかし――これは自暴自棄な行動ではない。
その証拠として白雪がカミュールに仕掛けられた機械が作動する。
青光の電磁波は産まれ、空いた穴を埋める膜として『門』が構築された。
『…なんだぁ!?』
『あれは『門』だ!!』
『まずい!“転移”で逃げられる…!』
途端に慌てふためくヒューマテッドたちが――最早追いつくことはない。
白雪は躊躇せずにできた『門』へと飛び込んで――連れ出した者たちと共に消失した。
『チクショぉおおおおおお!!』
『くそ!俺も撃てばよかった!!』
『人間さえいなければいいところ見せれたのに…』
嘆き、悔やみ、苛立ち。感情交錯するヒューマテッドらの咆哮が合唱か共鳴のように渡る。
自ら仰ぐ主に褒められる機会を失ったのを大袈裟なまでに悲しんでいた。
そんな彼らに対して、シェルアレンは叱咤を送らない。先ずは自身についた砂を完全に払い除ける。
当然、非難も送ることもない。
今は伏臥位に制圧されているアルデとカミュールへと一瞥を送った。
「何もできなかったね。小型式の『門』を強引に塞いでもベガオスと吏史を危険に晒すだけだ」
「貴方の場合はビルダではなくエファムでしたから」
「ああ。なるほどなー。相手が人なら殺せないだろうと前提で賭けた、ってわけか。勝負師さんだね」
シェルアレンは笑みは崩さずに悠々と語る。
そんな余裕綽々な姿勢なものだから、カミュールはどうにも出し抜いた気分にはなれない。
「……僕たちを舐めてかかって、ネルカルとディーケの異能以外は封じなかったくせに」
「必要な分だけ実行しなかった。これこそ省エネってやつだよ」
片目を瞑り様も、ただただ不快で顔を歪めるばかりだ。
「…けれど、この場で彼女たちを無能力にしたのは、悪手だった。シェルアレン様、貴方も……多くの命を奪うことになる……」
苦し紛れな敗後糾弾がアルデから投げられたシェルアレンは目を瞬かせた。
しかしすぐになんてことない様子で「ああ」と短く呟いては、徐に指を鳴らす。
「――大丈夫。ネルカルがなくてもね、これ以上はこの『イーグル』を崩させないから」
堂々と保証を示す理由は、即座に明かされた。
一秒後には、世界が虹色に染まる。
其の正体は石英を想起させる鉱石。無数の結晶柱の群生だ。
直径約二センチメートル程度の虹色の結晶柱が、一瞬にて突き抜ける形で現出した。
生命体だけを明確に避けて、『イーグル』内における倒壊した建造物の残骸や鍾乳洞を始めに地盤崩壊間際だったエリアに密集している。
圧倒的質量が故に、新たな支柱となるだけではない。流砂諸ごと堰き止める細かな壁としても成立した。
「どう?見てた?」
――これは離れ業。
間陀邏の悪法を以てしても叶うか、怪しい技法だろう。
それだけの技をたった一息の程度にて異能披露したシェルアレンは首を傾けては、甘く微笑む。
「これが正しい力の使い方だよ」
さも当然のように語る姿勢に、アルデは絶句して言葉を失う。
「……真似できるわけがないでしょうが」
そんなアルデに代わり眉間に皺を寄せたカミュールが毒突き、鋭い舌打ちを溢すのだった。
――意識が途切れつつある。周囲の喧騒は、既に遠い。
視野狭窄にも見舞われていた。
視認できるのは虹の結晶の輝き。それと、ヒューマテッドたちにより丁重に身柄を運ばれゆく黒髪の少年の姿。
仰向けに倒れるグラフィスが、安堵を秘めた長い溜め息を吐く。
「…リオ。大丈夫。これでいいんだ。人のままで、生きれるよ。――全てはお前の母君、ユナの願い通りに」
か細く微かな声で穏やかに紡ぐ。
彼女には予め二つの目的があった。一つは潰えたが、もう一つは描いた通りに進み始めたのだ。
グラフィスが願い編み出そうとした波は、静まるのだろうけども。後の世界でリオは始祖とカフラの血の宿命に振り回されずに済むだろう。
少なからずミカエラ=グラフィスだけは、今や波風立たぬ心内で確信を抱いてる。
「だから全部。お前に、できることはここまで……」
砂塵に還らんと形無くす、心から愛した冷き骸に誓った約束も、ここまでだ。
十六年前。最も愛する存在が穢された時に灯った烈火もここで、ようやく、燃え尽きる。
「…お父様…」
届かぬ天へと手を伸ばす。
感情を殺し続けてきた己は誇れる娘だっただろうかと、亡き父に縋り、問いかけるように。
「ユナ…」
手を伸ばし続ける。
自身では得られない豊かな発想で多くの希望を見せてくれた愛しき者の幻覚に、触れようと。
「弱きも、他者を、愛し、慈しめる。穏やかな、時…争いの芽が、消えた…恒久なる平穏……」
しかし強き虹の結晶の光が潰して、何も見せてくれやしない。
黒き煙霧に覆われ欠損した顔上部からは、一筋の涙が伝い落ちていた。
「私は間違っていたのか?」
オルドヌングへ尋ねた時と同様だ。決してその答えが得られることはない。
静かに、鯨は沈むようにも息を絶やす。細き手は空をも掴めず地面へもたれゆく。
やがて彼女自身から生まれ出た砂塵が風に舞い上がる。あてもない何処かへと泳ぐ姿を見送るようにも――シェルアレンは僅かに瞼を伏せていた。
『シェルアレン様!申し上げます!グラフィスが…!』
「わかってる。[核]は卿が保管してるだろうけど、ひとまず誰にも継がせない形で進めよう」
報告したヒューマテッドとはまた別に。躊躇いがちにも畏まったヒューマテッドが申し立てる。
『あの、四十代目が亡くなったことは【ジャバフォスタ】を始めに通達すべきですか?』
「勿論。『塔』消失事変で亡くなったと放送しよう。彼らには早急な庇護が必要だ。アストリネではなく、君たちの必要性をより強く感じてほしい」
迷うことなく目を細めたシェルアレンはそう語り、身を翻して背を向けた。
後処理を任せ、行くべき場所へと進む為に。
「体制を変えて時代を終わらせるからこそ、一気に執り行う。――素早く手堅く、始めようか」
虹の結晶は自発的に開き、道を現す。
己が信じる正道へ躊躇いなくも踏み入る始祖を取り込んでは、再び連なる。
そうして戻り道を閉ざしていった。
◆
至532年
【ルド】第一区『イーグル』『塔』消失事変発生。
四十代目グラフィスを始めに多くのアストリネが喪失。犠牲者も大多数。重傷者も数百名とされている。
「これは我々アストリネの管理不足によるエラーだ」
二十五代目エファムは放送にて、供述した。
「防げた事故とも言える。しかし事前に対処されなかった。本来の役目を忘れた責任として罰すべきだろう」
後に、自らの異能を以て、全アストリネの異能を封印。資産没収を始めに管理対象へと降格処分を下す。
「管理の席が空白となる心配はない。人を想うならばこそ、優秀なる人材に座を明け渡すべきだと私は考えた…そう、彼等に。この新たな種となるヒューマテッド達に譲る」
新たな人類。人体を素体とした進化の種。
――“ヒューマテッド”を中心とした社会体制変革の宣言が行われた。
「そしてアストリネという『旧き』を排除する。――たとえこの先、私と存在ごと歴史の遺物となろうとも……始祖として責務を果たすと誓おう」
「全ては皆の、先を望む者の平和のため」と締めくくる言葉に偽りなく。
二十五代目は時代を激動に進ませた。
後日、『門』の改造に着手。
“転移”の異能を必要としない代替品を【ジャバフォスタ】の研究者達とともに開発。
更に四十二日間を掛けて、ヒューマテッド代表と軍事設備系統の処理についての協議を取り行う。
至533年
【ルド】の解体が正式に決定する。
後に二十五代目エファムは、業務自動化開発に携わる。
農業者を不要とする施設を建設し、不毛な土地による農作物の不足を改善。
更に電子通貨の価値を見直すなどの金融改善を始めに流通。製薬。重工業。エネルギー。通信。建築。医療と様々な分野に関わり、アストリネの異能に依存しない自動化体制へと辣腕を振るまった。
至533年後期
ヒューマテッド代表開催の会議を経て【暁煌】【ジャバフォスタ】の国境定義を白紙化し、再統合。
ヒューマテッドを管理者とする新国――【エリュシオ】が成立。
至534年
アストリネ管理下に置かれた兵器解体完遂宣言が執り行われた。
しかし最後の兵器と記録されている『ゴエディア』の保有者。
透羽吏史と月鹿の行方は――杳として知れない。
◆
――【エリュシオ】が成立してから二度目の冬を迎えていた。
新雪は積もり白銀に包まれている。
太陽光を反射する眩き白景色を、濃紺のレンズ越しにシェルアレンが眺めた。
文明自動化は完全に進んだ。もしも人員不足が起ころうがインフラは絶えることなく続くだろう。
それ故に役目を終えたも当然だ。シェルアレンには何をすることもなければ、何を持つ必要もない。
何せ、今のアストリネは通信機器を始めに食事や趣味趣向をも制限されている。持つことすら、贅沢の極み。
罪人が収監場には何も持てないのと同様の扱いで管理処理されてるのだから同族ならばこそ同等であって然るべきだろうと、シェルアレンが判断して自ら軟禁されているのだ。
「…とはいえ、何もない狭間で彷徨ってた時よりも退屈ではないけども」
なんて。シェルアレンはマイナス方面での慣れから前向きに済ます。
着用した武骨な黒き首輪から下がる鎖を指先に絡めて弄びつつ、窓外にある自然――雪原を走る兎や粉雪が降る空を飛び交う白き小鳥達を眺めていた。
穏やかで長閑な、冬の朝だ。噛み締めて愛しむべき平和と呼べる。
「―――…………」
なのに、シェルアレンは何一つとして喜べない。
不思議なもので小鳥を見る度に、無性な悲しさと虚しさを感じてしまい、喉は妙に熱さを帯びて仕方ないのだ。
抑えるようにも喉を撫でて、自然と目を伏せてしまう。
『シェルアレン様ぁ!!』
だが、静寂はそう長くは続かなかった。
扉越しでも伝わる姦しい地響きと大声で掻き消されていく。
其の声主は扉を乱暴に開き、現れた。
『今日という今日こそは食事をしていただきます!』
ヒューマテッド代表にして管理者であるラグダールだ。玉虫色の肌では一際目立つであろう白き正装を身に纏い、銀のクローシュを被せた料理皿を片手に運んでる。
「挨拶」
『はい!おはようございます!失礼します!』
咎められた挨拶を済ませた上で、大股でテーブルへと近づく。
横長な木製の机上に皿を置き、クローシュを外す。
表面の黒き焼き目が格子状に刻まれた血が滴る分厚いレアステーキが晒された。
「…んー?何これ?」
『レアステーキです。趣味で酪農家を続けた者から牛の一頭、潰してもらいました。シャトーブリアンという牛の良さを感じられる最高級部位を贅沢に…』
「いや料理名と材料品質じゃなくて、私はアストリネですよ?なんでステーキ?これって贔屓?良くないんじゃないかな」
食事そのものに無関心そうなシェルアレンにラグダールは無言になる。
代わりに、数度。何かを呼び招くようにも手を叩いた。
『失礼しまぁす!』
『シェルアレン様、本日は大変お日柄もよく…』
『バカ!長ったらしい挨拶するなよ!あ、おはようございます〜!失礼しますね!』
そして通路で控えていたヒューマテッド達が、次々と雪崩れ込むように入室する。
彼らは身に纏う黒調の正装を正しつつ、各々の手にあるクローシュに覆われた料理皿を卓上へ怒涛の勢いで並べていく。
『これはですね。そう!シェルアレン様は別、別格ですので!』
『そうです!我々はあなたに救われた恩があるのです!少しでも食べてください!恩を返させてください!!』
『この通り僕の財産を注ぎ込んだ趣味で農家を続けたものが天塩にかけた最高級の果物も用意しています!何卒!』
深海の旨みが詰まったであろう赤い殻が鮮やかな大きな生海老や、水気あふれた新鮮な野菜。色艶サイズともに理想的な果物の山。
贅沢品ばかりを並べられたシェルアレンは目を細め、綺麗に微笑む。
「ラグダール?これは食べないと退いてくれない系かな」
『“シェルアレン様が他のアストリネ同様に拘束封印を受ける”……これに反対する連中はごまんと居ますよ。というか、我が国にはそれ系しか居ませんって』
「十六年間姿を消してた罰も兼ねた収監なのに。簡単に恩赦を下し許そうとするのは良くない傾向だね」
ラグダールの指摘に小さく息を吐き、肩をすくめる。
億劫そうな調子で置かれた銀のフォークを手にし、赤く完熟した苺へ突き刺して、先ずは一粒だけ頬張った。
「……あのね。歴史の遺物になりつつあるアストリネに依存しても良くないよ?君たちで回るように基盤は整えた。あとは、君たちで未来を作らないと」
『まああと、“シェルアレン様に拘束なんて意味がない”って真っ当な意見も飛んでますんで』
「………あー、それは確かに。間違いないか」
シェルアレンは小さく頷いた。
――現在アストリネは、特殊な眼鏡と首輪を着用する義務がある。
姓に連なる異能を封じるだけでなく、再生力も常人並みに落とし込む機能が搭載されているのだ。
但し同じ電極では反発し合うように。シェルアレンの異能はシェルアレンを抑え込めてない。
「そもそもこのディステールに私の異能がかけられてるから、無意味なのかもね」
飾りでしかないのだと示すように、皮膚へ張り付くはずの眼鏡のフレームを摘み、難なく位置を調整する。
後に甘い果汁の香りを立たせる緑色のメロンを突き刺し、口に頬張った。
『だからこそです。我々には特別な……シェルアレン様が必要なんですよ。残り一割の反対派の連中が海底に集落を築いて跋扈してますし……奴等に何をされるかわからぬ不安もある』
「………ふぅん?」
戻ってきて欲しいと切に訴えてくるラグダールの意見に、咀嚼を終え飲み込んだシェルアレンは首を傾ける。束ねた白銀髪が肩に流れていた。
「でも、変化を受け入れられない子が出るのは当然だよ。仕方ない。万人が納得する正解はどこにも無いものね」
『しかし反対意見さえ潰せれば……あなた様の変革は完成する。奴等は目の上のたんこぶに他ならない』
「こらこら。潰すのはダメ。悔恨を残すだけじゃない。隠蔽をすれば君の栄光を曇らせるだけだよ?膨大な数を巨大な力という畏怖で抑える時代は……私で最後」
象徴にしてはならない。それでは歴という教材と自己経験がありながら繰り返すも同然だと、自分の胸に手をあてがい道理を訴える。
だが、どこか納得いかないように口籠るラグダールの仕草にシェルアレンは目を細めた。
「……上に立つならばこそ互いに譲歩し合い、納得できるまで説得し続けないと。それが新しい種と進化した君の使命だ」
改めて明確な啓示を示してもラグダールは沈黙したままだ、何も答えない。
そんな何処か子供らしい態度にシェルアレンは肩をすくめて息を吐き、徐に窓外の空へと視線を送った。
雲一つなき快晴だ。蒼穹に昇る太陽は、中天へと向かい始めている。
「――ねぇ、ラグダール。やっぱり君には立場も違って異なる考えを持つ子が必要なんだよ」
結論から述べて、視線をラグダールへと向け直す。
レンズ越しにも煌めきが消えぬ夜空瞳を何度も瞬かせていた。まだ見えぬ再会の瞬間を、待ち望む意の輝きを放つかのように。
「あれから吏史は見つからないの?」
シェルアレンがその名を紡いだ瞬間、ラグダールは更に硬く口を噤む。
幾許かの沈黙を経てから躊躇いがちに開かれた。
『………。まぁ、はい。ははっ。そうっすね。ほんと面倒ですが』
軽く笑い平然を保ち、軽快に返す。
『ただ何も収穫無いってわけじゃないんです。奴は“反ヒューマテッド派”の海底集落に潜んでるでしょう。三日後には奴の同僚だったヒューマテッド候補者に集落へ潜入させる予定でして…』
「そう。それって内部調査だけ、だよね?」
『っはい!もちろん!集落自体は潰すつもりはありません!』
釘を刺すようなシェルアレンの言い返しに、元気よく応対する。
「いやー、んなバカなことできませんって!自然的な事故じゃない限りは奴らに害は何ひとつ起きませんよ!ガハハっ!」
早口かつ流暢に。怒りを買う真似をしないとアピールをしたが、シェルアレンは眉一つ動かさない。
「そう」
微笑んだまま、紫色の葡萄一粒にフォークを突き立てた。
「なら教えた通りに吏史を見つけたら私に教えてほしい。あの子とは話すべきことが沢山ある。機会が……ほしいんだ」
ゆったりとした所作で葡萄の皮ごと口に含み、奥歯で噛み潰す。
但し、滴る果汁を堪能することはない。溢さないように口元を手で抑えて嚥下した。
「……それまで、私は此処にいる。消えるべき歴史の一部として大人しく収監されておきます」
これは不動の答え。宣言通り、シェルアレンは決して動かないのだろう。
「――ああ、後、食事ありがとう。美味しかったよ」
後に音を立てて、銀色のフォークは置かれた。
これ以上の施しは受けない。帰還の命も何も、受け入れないと示すかのように。
ラグダールをかぶりを振って、僅かに俯く。
『はい。……わかり、ました』
口上では大人しく引き下がる。
だが、変質した玉虫色の皮膚には漣のように細かな隆起が浮き出ていた。
◆
『シェルアレン様…結局、果物にしか手をつけなかったなぁ』
『元々食が細い方なのかも』
『でもでも!収穫自体はありました!果物がお好きなら次は果物メインにした食事を用意しましょう!』
三様の賑やかな会話の輪には混じることなく、ラグダールは先行して足早に進む。
『お前達、この後は地学に特化した研究員を招集してくれ』
『…え?』
話題とは百八十度異なる唐突な申し出だ。
戸惑いの声が上がるも、ラグダールはお構いなしに話を進める。
『反対派の海底集落を見つけた奴も呼べ。周辺部の海底プレートについて確実な情報がほしいからな』
『ぃ、いったい、どうされたのですか?急に……』
不安に狼狽始める様に、チッと鋭い舌打ちを漏らす。
『必要なんだよ。大掛かりな掃除には理由があるべきだ。透羽吏史の所在は関係ない。地盤変化による噴火にでも巻き込まれりゃあ…シェルアレン様も仕方ないと全滅を飲み込むだろうよ』
『そ、そんな………流石に、それは……』
『は?そのくらいしなきゃシェルアレン様は動かねえよ。今のまま、籠の中の鳥だ。星は遙高みにあって輝くべきだってのに…時代の変化に追いつかねえ奴らが喧しく騒いで邪魔してる』
奪うことに繋がるだろうとかぶりを振って苦言を溢す部下に、ラグダールは捲し立てて意を突きつける。
『なら、その騒音を潰すべきま。シェルアレン=エファムを国の象徴に置くには多少乱暴な真似をしてでも行動しなけれならない。来てほしくないのかよ?こんな場所で落ちぶれさせてもいいってのかよ、ええ?』
三様共に沈黙する。同一の反応だ。それだけは拒絶したい、飲み込めないという意思表示でもある。
やがて、決定を下すようにラグダールは手を叩き、鰐口を開き歪に笑む。
『決まりだな。あの方の威光を妨げる旧き思想は消す。そうと決まれば速戦即決――素早く手堅く、確実に取り行うぞ』
それが“特別”に選ばれた己が真に成すべき使命だと信じてやまぬ狂信者は、我欲のままに突き進む。
その足音は重く場に響く。
巨大な天災を予期させる、余震のように。
【重要】九月末までお休みします。
詳しくは活動報告をご覧ください。
またの休載となりまして誠に申し訳ありません。
三章でお会いしましょう。




