宣誓
慌てふためく動乱の声が、流れる。
「アルデ様!」
怒涛の争いを見守っていたイアンが、顔を歪めて大きく吠えた。
未だ薬を調合し続けるアルデの傍へ近づき、身振りで先を急かす。
「アルデ様!もうのんびりと調合してる場合じゃないっすよ!堅物少年も限界だ!…メカリナン様が…っディーケ様はいつ解放できるんですか!?」
「先から薬を試しております!…あらゆる種類で、試しているのです!」
「いや、境地での薬を使えば……」
「あれはアストリネには劇薬です!今のディーケには使うには……危険すぎる!」
アルデは荒々しく反論した。
何も延々と一を作り続けて遅延してるわけがない。彼女は既に十三回も試薬品を完成させて投薬を行い、事態の解決を図っていたのだ。
そう話してるうちにまた一つ、薬が完成する。
「神経作用系、血液凝固系…解毒は効果がなかった……こうなれば強心剤に賭けるしか…!」
蟹鳥染色の薬液を試験管にも似た容器に詰めて、空気式のインジェクターに装填し倒れ伏せるディーケへと遠隔で打ち込む。
だが――この薬も効果がない。
『遺児』を振り払える状態まで、快気が見受けられなかった。
最早、手遅れ。それが骸同然の肉塊でしかないのだと微動だにしないのだ。
「そんな!これも駄目なら、いったい何なら………」
アルデの桜瞳が慟哭に大きく揺れる。
「アルデ様!」
後にイアンの呼び声に意識を取り戻し、意を結するようにも口を噤む。
インジェクターをしまい込み、機関銃を取り出し直してサージュへ構えていく。
メカリナンが敗北した相手だとしても己が挑むと決意を示唆させる勇しさ、だが――。
現状アルデからはメカリナンやサージュとの物理的な距離は遠い。威嚇射撃が間に合うかは、最早危ういものだろう。
だからメカリナンの破壊を狼煙に、サージュ=ヴァイスハイトの計画は進む。
タナトで垣間見た『目的』を完成させるためだけに、飽きた玩具を壊すようにも多くが悪戯に破壊され尽くされるのだ――。
(――止める、手立ては、ない)
それをオルドヌングはかろうじて状況把握できるだけだ。突き刺さった破片は己を縫い付ける杭として有り続ける。
項垂れたまま、動けそうにもない。
血を、失いすぎた。弱々しい脈を打つだけの心臓も間も無く停止し、やがて息絶えるのだろう。
現に指先一つすら碌に動かせやしないのだ。おそらく、此処がオルドヌングの終幕にして終着点。
[核]の破損を免れたとしても致命傷を負った。
『愛し愛されることも、許されないのさ』
瞼が重く下ろされていく。――心身ともに、限界だ。
(……ミカエラを止めれただけ……俺にしては、よく出来た方、かな……)
あとはこのまま。意識を暗転させるだけ。忘我へ沈み揺蕩う―――。
『どうきっちり生きて終わらせてみせるか』
しかし、己を引き止めるように淡き回想が不意に脳裏に流れて息を呑む。
『いつか一緒に、遠い旅に出よう』
後に魂に刻まれた夢まで導のようにも流れて、混濁しかけた翡翠瞳は煌めき大きく瞠るのだ。
(――終われ、ない)
オルドヌングは弛緩しきった身体を動かす。片足が、地面を削る。
甘ったれた根性で放棄しかけた己に憤怒を抱きつつ、奥歯を強く噛み締めた。
(これで、終われるかよ。十三年間、利己を貫き嘘をつき続けた末路をこれで許容するつもりか?笑わせるなよ…!)
容認し難い現状にも苛立つよう、唇は無理に笑う。痙攣する指をぎこちなく動かす。
(シェルアレンは前に進む人を愛したんだ。彼等の未来を守りたいと願った。居ないのなら、せめてその信念は俺が守る…!)
懸命に指を動かす。
まともに掴めず血で滑り、掴むことすら儘ならなくても構わず、何度も必死に手を動かした。
(だから吏史、俺は君を助ける。先に進むことを望む普通の人間でしかない君を守る)
努力は空回る。
依然、手は滑り、呼吸も望めず、迫り上がる血で気道が詰まった。呼吸は儘ならずに喉を引き攣らせて、血泡を噴き出す。
(未来を、脅威から、守り、繋ぐ……!)
未練がましくもまだ生きてるのならば、巻き返せるのだと踠く。
決して諦めない。瓦礫に爪を立てて必死に足掻いた。
(物語は終わり方が全て。そう教え止めてくれた君を、……守らない、と……!)
――しかし所詮、どれも身じろぎ程度。
標本にされた羽虫が羽ばたこうとも、杭が抜ける奇跡なぞ起こりえない。
やがて、瓦礫に立てられた指の爪が割れて血が滲んだ。
形振り構わず食いしばって指先が真っ赤な線を描く。
全て無駄な抵抗だとせせら笑うように、瓦礫はオルドヌングを留める不動の枷と、あり続けているばかりだ。
『――閉幕が近い己が何も成せず、先に何も残せないと悟り切った。そこで奇跡ではなく礎となる結果を切望するか。……未熟な思考だな』
不意に。渇いた風を想起させる嗄れた声が脳裏に渡る。
『しかし、その理想は砂塵に還る風情の種族らしくもあり、“愛”に生きた“心を受けし”異能者の有り様とも言えるだろう』
薄れる視界の端で、極彩色の光が星のように煌めく。
『だから、全てを捨てなさい』
心の叫びを拾い上げる柔らかな声が、脳裏に渡る。
後に、虹の軌跡を描くようにも宙を這いずりながら極彩色の根先が近付き、オルドヌングの眼前に突きつけられた、気がした。
『全てを捨てなさい。――全て、だ』
動揺を制するようにも、復唱にて促される。
それでも抗うならばこの啓示を受け入れ全て捧げるべきだと、かつて己に視覚変化の祝福を与えた異郷の主が囀った。
『その姓を祖に返還すると誓え。祈りを届かせる代償として捧げるのだ』
なぜ、この窮地で現れたのか。
持ちかけてきたその啓示に、いったいなんの意味があるのか。
祝福について勝手な考察が行き交い、始祖の祝福だと尾鰭がついたわけだが考察通りで、ビルダもまた、エファムに並ぶ始祖だったのか――。
『ほれ。少しは喋れるようにしてやってるぞ。意があるならば、己が口で、言うてみろ』
しかし、あれこれ思考を回し浮上する疑念解消へ運ぶ余念は――今のオルドヌングにはない。
促されるままに項垂れた顔を上げて、根先を突き付けるビルダを睨み据える。
「わかった。“誓う”」
最早、躊躇いはなかった。
元より己の終幕を見据えてグラフィスに反旗を翻したのだ。この現状打破に繋がる手段を得られるのならば、捧げる行為に抵抗はなくても当然だろう。
『ならば紡げ。全て捨てる覚悟で、祈れ。さすれば極地に到達したお主の異能は真価を発揮する。しかし、天を目指し燃え尽きた夜鷹が輝きを遺したように、お主もまた――』
「喧しい!“誓う”と言っている!御託は無用だ!」
長ったらしく語る声を振り払うよう、オルドヌングは血濡れた唇を大きく開き叫ぶ。
そこでようやく、自身を突き立てる瓦礫が僅かに抜け始めてた。
塞がらない傷口から多量の血が流れ、纏う衣が紅へと染めていく。
『…では、後に以下を復唱しろ――』
「〈始より授かりし我が“イプシロン”の姓を、」
連なるように従う。激痛が走る中で紡ぐ低声が、音が、世を震わせるようにも周囲に反響する。
まるで我が身という新たな旗印を立てて地へ刻むように。
「――意を司る祖へ還さん〉…!」
そのような奇妙な現象もオルドヌングにとって瑣末なものだ。
(全て擲つ程度、今更微塵も恐れる訳がない…!)
恐怖に竦むことなく突き進むと現すように。手には渾身の力が篭り、煩わしき瓦礫を破壊した。
『いいだろう』
激情の宣誓は確かに受理された。
示しのようにオルドヌングの金糸が煌めく。
交じる紅色の髪も焔のように灯り、金糸と共に風になびかれ、揺蕩い始める。
枯れた血潮は湧き立ち、途絶える寸前まで弱りきった鼓動を高めて快気へと向かわせていた。
『――ならばやはり、お主になるのだろうな』
後に落ちるビルダの霞めいた薄暗き確信は、誰に拾われることもない。
光粉を舞い上がらせて飛び立つ金色の隼にとっても、水面を僅かに揺らす雫でしかなかったのだ。
◆
紅を交えた金色が粒子と共に舞う。
凛鉄とした厳冬を切り開くように、メカリナンを穿ちかけた透徹の鋒を遮る一筋の陽光が差し込まれた。
「っ!?」
白銀から黄金に変化した脚甲が、氷の細剣へ接触し、力は拮抗することなく氷を打ち砕く。
周囲には氷の礫が霧散して、舞う氷粉は光を乱反射させつつ空気の熱に溶ける。
しかし、剣の持主であったサージュは、武器を破壊されただけでは済まされない。
「ぅ゛、っわ?!」
その場に踏み留まれないほどの膂力に打ち負けて、数十メートル以上先にまで吹き飛ばされてしまうのだ。
「―――…………イプシロン………なのかい?」
仰向けで、窮地を救い出した背を視認したメカリナンは、震えた声で名を紡ぎながら藤色瞳を動揺で揺らす。
全快した要素よりも驚愕すべき点は、以前と印象が大きく変わる身姿だ。
今は金色髪が膝裏を覆うほど伸び、陽光めいた光を放つ。顕現時には両腕を翼に変化を果たしていたが、今や背に二対の翼を携える形へ至っていた。
ただ、最も目を惹くのは、これまで彼の顕現でも見られなかったものだ。
「……花?」
呆然と、紡ぐ。
――紅き羽毛が咲き誇るダリアの花を模っている。
かのカミュールのように直接、身体の内に。腰部から頸部にかけて負った傷を塞ぐように。
羽毛が重なることで模された紅蓮の花々が、白き肌を彩り映えていた。
―――もし、シェルアレンが銀河を駆ける流星ならば、オルドヌングは……昇る太陽から羽ばたき降りた神獣と呼称されるのだろう。
やがてメカリナンから「嗚呼…」と嗄れた声に交じり、重いため息が溢れていく。
「まったく、どれだけ。…どれだけ、あんたは、何処にまで先に進むつもりだい……新しい止まり木も……見つけれずに……」
灰になるまで足掻くことを覚悟したのが妙実な姿に、無性な物悲しさを抱きながらも瞼を閉じた。
そうして、気を失ったメカリナンをオルドヌングは無言で一瞥する。蹴り飛ばしたばかりのサージュの下へ早足で近づいていく。
敢えて、足音を立てた。まるで武器を研ぐようにも、黄金に輝く脚甲を踏み鳴らす。
砂埃が沸き立つ中で埋もれたサージュは、ケホケホと軽く咳き込んだ。
「………ッあー……今のは、だいぶ効いたなぁ。蹴る前にさぁ、一言頂戴よ。物事において何かと確認って凄く大事よ?」
「あなたには必要とは思えないな。そういうのも『観測』で見えるものじゃないのか?」
投げられた返答に対し、サージュは肩をすくめて片目を瞑る。
「なーに言ってんのさ。僕だって常に見てるものでもない。君が常に相手の心を見ないよう努めたように、僕も同じだ。必要等に応じて上手く選別してたわけ」
「………。見たくないものも、見てしまうからか」
「そ。無差別範囲ってもんはねぇ。危険で脳に負荷がかかりすぎてしまう。脳強度に優劣は起こり得ないしさ」
そんな持論を紡ぎつつ、サージュは身を起こす。
立ち上がってから腕を回し軽めの伸び工程を挟んでは、両手を合わせ叩く。
「――だから、僕はお前が嫌いなんだよオルドヌング。お前は大して苦労もせず異能を切り替えられていたし。あれだけ言わせておいて心折れてないのも生意気だよ」
「……………そうか」
貼り付けたような笑顔。その裏にある嫌悪に呼応するよう、オルドヌングの翡翠瞳が烈日めいた煌めきを放つ。
宙はと片腕を伸ばせば、その意に応じて金色の粒子が手の先に収集し、やがて一つの剣と形を成していく。
「存外、あなたでも人間らしい感情があったんだな。全然全く、知らなかったよ」
柄を強く握り締め、オルドヌングは己の顔前に添えるような構えを取っていた。
「――ただ、俺は別にあなたのことは特段好きでもなければ嫌いでもなかったが」
「ッハハ!ウケる。あれだけ世話になったくせに、ほんと僕に無関心じゃん」
「好きになる要素もなかった」
「それもそう。これで好きとか言われたら感動しすぎで鳥肌を立てて盛大に嘔吐するところだったよ」
軽口を紡ぎながらも肩を揺らして笑い、口元の笑みを崩さずにゆっくりと首を傾けていく。
「でも、成程ねぇ。納得したよ。どうでも良かったのなら仕方ない。憎悪や恨みのような強烈な感情なら……何十年経とうが……忘れさせてくれやしないだろうから」
呼吸を整え終えたサージュが、姿勢を正す。
手を天に伸ばす。
招来に応じた雷が轟き、それは細剣を型取り柄が握られていた。
肩慣らしも兼ねるように横へ薙げば、空気は裂かれて突風が舞い上がる。
「――それで?至五百年経て漸く“悪法”じゃなくて『正攻法』へ初めて到達したお前は、これからどうするつもりなんだい?」
翠瞳を眇めながら投げられた問いに対し、オルドヌングは煌めく翡翠瞳を睨み据えた。
「俺が成し遂げることは変わらない。脅威を打ち砕く。…後世の安寧のために」
全身に力を込めれば高揚を覚え、呼応するように紅が走る金糸は真下から風に浮かぶようにも揺らめく。
「サージュ=ヴァイスハイト。あなたの旅は、ここで終わりだ」
鷹揚に告げられる宣言と同時に、金色の両翼が羽ばたく。
巻き上がる輝きの突風を正面から受けたサージュは、片目を眇めていた。
「…………どこまでも変わらないねぇ」
その吐露に、オルドヌングは鼻で笑う。
「変わらないのはあなただけだろう」
何処かつまらなさそうな調子で淡々と事実だけを述べていく。
「いい加減現実を見たらどうだ。全てあなたの思い通りになるような可愛い子供ばかりではなかっただろう?」
煌めく翡翠瞳を一心に向ける形で、浅はかな思考だと指摘をも行うのだ。
「――――」
最大級ともいえる侮辱を、受けたサージュは、虚をつかれた。
だけど、惚けた表情を浮かべて逡巡を覚えるのは、ほんの僅かの間のみ。
すぐに速やかな思考が終えたと示すよう、満面の笑みが貼り付けられていく。
「本当、どこまでも生意気な奴」
そうして戦いの火蓋が切られる。
忿懣を抱いたサージュから、飛び込む形で。
栗色髪をなびかせて掛かる風を切り裂く。
刹那。白の軌跡を描きながらオルドヌングとの距離を詰め切る。
――それは、踵を雷の放出先とした特殊式移動法。ハーヴァが愛用していた神速具現化の異能だ。
彼女の技法を難なくと再現したサージュは、オルドヌングへ細剣を突き出す。
琴線に触れる発言を零した喉元を、白雷の鋒で穿つために。
しかし、オルドヌングは既に見切っている。
鋒を防がんと黄金の剣を適切な角度へ傾ければ、交差音が鳴り響く。
「煩わしいんだよ!僕の目の前から消えてくれ!」
「あなたこそ!過去の遺物として消え失せろ!」
幾度も眩き閃光が瞬き、雷は轟き破裂する。降り立った黄金の陽光を白亜へ帰さんとするために。
◆
「何してんのさ」
自己紹介を経てから空を仰ぐようにも沈黙するビルダに、リオは怪訝そうな表情で見上げる。
「ん?……いいや。何でもないとも。この出会いを運命と語るべきか、偶然と定義つけるべきか……其の天秤に揺れて思い悩んだだけさ」
間を開けてから返した後、ビルダは根を伸ばす。
吏史を囲う円型の檻を作るようにも根が地面を這いずり回っていた。
「さて。『ゴエディア』よ。わしからお主にはいろいろと話したいことがあるが……お主自身はそうする余裕もなさそうだな」
問われた吏史は表情を険しく変えて、ビルダの一部である根を睨む。
「オレはあんたが何者かは知らない。此処がどこかも。だけど、見てわかるのなら……オレが言いたいこともわかるだろ」
ビルダの根を、足で軽く押し上げる形で突き放し、訴えていく。
「ここから出してくれ。急いでるんだよ」
「性急なことだ。何処の誰に似たのやら」
ククッと愉快そうにも喉を鳴らし、ビルダがせせら笑う。
「元より招かざる客ではある。また追い出しても構わんが……狭間に耐えうるのか?」
「………それは………」
上手く言葉にできずに言い吃り、目を逸らす。
ビルダが言う狭間が先の白き空間を指すのであれば、耐えられる訳がないし、何かしら手段で抗えるとも言い切れない。
先のリオの発言を鑑みれば、何かしらの干渉を行ったからこそ難を逃れたと思わしいのだ。
「お主が薄々感じる予感は的中してるぞ?リオがお主たちを此処に招くことで難を逃れた。…“エファムの血”を引き継ぐこの子の気まぐれがなければ、な」
「え?」
「ッ、」
吏史が惚けた声を上げ、リオは罰悪そうにも舌打ちを鳴らす。
「お前!…余計なことを…!」
自身の素性を明かしたビルダの所業を咎めるように鋭く睨み付け、顔を何度か横に振って額を抑えた。
「っはー……いらん事を話すなよ。第一ぼくはエファムじゃない、カフラだ。その姓を背負い生きるってミカエラと約束してる」
「だが、血は嘘をつけない。肉体の刻印的な証明だ」
「それは否定しようがない、けど……この情報は大抵面倒ごとが起こりがちだから、ほんと嫌で……」
「――――嘘だろ。シェルアレンには子供がいたってことか……?!」
上擦った声で顔も引き攣らせて驚愕した吏史に、リオは苦々しい顔で舌打ちを漏らす。
後に親指で驚く吏史を指し示した。
「ほらな!これ!これがほんと面倒なんだよ!あの性別年齢不詳な奴に子供なんて居たんかって大抵驚かれる上に『似てない』『気品がない』とか鼻で笑われるんだ!おい『ゴエディア』!先に言うけどな!ぼくは絶対シェルアレン=エファムの息子とかじゃない!母上はユナ=カフラ!父方は不明以上!!」
「あ、そう……そう、か……?」
子犬が威嚇し吠えるような勢いで目を吊り上げたリオが捲し立てれば、依然、困惑が抜けない吏史は周囲へ視線を泳がす。
「なんの騒ぎですか」
その隣へ回復を済ませたであろうカミュールが並ぶ。
吏史の気を宥めるようにも肩に触れて目を合わせ、リオの顔を交互に確認してから把握したように小さく頷いた。
「ふむ。悲劇で廃された筈のエファムの血縁者が、シェルアレン様以外にまだ存命しているとは……噂では聞いておりましたが、可能性の域からでないのかと思っておりましたよ」
リオを見遣りながら語れば、リオは徐に腕を組み、不満げに唇を尖らせる。
「まあ、噂になってたのはミカエラがぼくの出生を必死に隠してくれてたからだ。……けど、“理由”はわからない。父上も『エファムではあるがシェルアレンではない』って、遺伝子分析の証明までされてるからな?」
「……ふむ。【ジャバフォスタ】の最新技術での分析なら隠し子……というわけでもなさそうですね。それに君の容姿もどちらかと言えばユナ=カフラ様の面影が強い気がします」
「………は?何。ちび、お前。ぼくの母上知ってんの?それとも知ったかぶりしてんのか?」
憮然な態度を咎めるよう、カミュールは態度の問題等を気にせずにリオへ指を突きつけた。
「口を慎みなさい、小僧。僕は見た目こそは幼いですが二十歳手前ですよ」
「……………は?!アストリネにしたって見た目詐欺すぎるだろ!どうなってんだお前!」
「何を言いますかシングドラという例もいるでしょうが。……まあ、しかし、幼稚な口論に興じてる場合ではないかと」
怪訝そうな表情を浮かべるリオに、カミュールは突きつけた指先を己の口元に寄せて宛てがう。
「そもそも、この問答の本質は『何故、エファムの血であるものであれば狭間を突破したり無関係な他者を助けることも可能とするのか』でしょう?」
「……ま、確かに……そうか」
指摘された後に動揺を飲み込むよう口を閉ざし、こほんと誤魔化すような咳でリオは改める。
「話を戻してやるよ」
片手を振る動作を起こしつつ、議題を戻すのだ。
「と言っても、ぼくからは『エファムの血があるから』としか言いようがないし、よくわかんない。ある種の呪いみたいなものなんだよ」
「………ふむ。では、彼の出生を明かすように論点をずらしたのならば、ちゃんとお話いただける責任くらいは取っていただけますよね?」
即座に視線の矛先をも変えたカミュールの詰問に、ビルダは根先を軽く左右に揺らした。
「……構わんが……リオが語った通りだよ。――『エファムの系譜だから』それ以上も以下もないのだよ。施錠された鍵は簡単には変えられんのと同じこと」
「……はぁ。つまり、歴代のエファムたちは……自由にこの空間を出入りしていたということですか?僕は色んな知識を得るべく何でもかき集めて調べてましたが、…初耳ですね」
ビルダの説明では妙に納得がいかない様子で小難しい表情を浮かべていたが、あることに気付いて人差し指を立てる。
「ですが、開くことができるのであれば閉じることも可能なのでは?」
そのように解釈を紡げば、払う様にも極彩色の根先が揺れていた。
「否。外壁が閉じる手段をわかっていても、此処での移動権はリオひとりで成せることではない。昔のシェルアレンでも不可能だった」
「……そうですか。なら、本題へ戻すことにします。僕らはどうすればここから出られるのです?それを教えてくださいな」
『始祖の再来』と評されたものですら不可能ならば、どのようにして己の目的を果たせばいいのかわからない。問い詰めに掛かるカミュールの空瞳は威圧を込めて据えていた。
「それは、このビルダならば可能。なぜならわしは意の始祖である故、望みと願いを汲み取り与えることが得意としてる。望む場所へ帰してもいいぞ」
「は、い?………は……?――始祖ですって?」
カミュールは仰天し目が丸くして、吏史も溢れんばかりに瞠目し戸惑いで瞳が揺れてた。
ただ一人冷淡にリオが目を細める中で、ビルダは根先を伸ばす。
「そうだ。だが、そんなわしでも解決できぬことがあるからこそ……頼みたいことがある。もしもお主たちの目的地が【ルド】であれば……非常に都合がいい」
吏史の金色の左目を穿つ直前で静止して、鋭尖を突きつけたビルダが告げた。
「――第一区『イーグル』には送ってやろう。代わりに塔の内部に組み込まれたわしの一部を引き抜いてくれんかな?」
◆
嘗て。圧倒的な『強さ』という威光に魅せられ、憧れを抱いた。
望み通り兵士になった当時は万能性を得て、この先は全ての理想が叶うのではないかと夢を抱いた。
だから怪我を受けて兵士を引退せざるを得なくなった時に、『夢を終わらないといけないのか』と絶望を抱き、咽び泣いたものだ。
――それから長い月日が経過した。
強烈に焼きついたはずの鮮やかな色は、真っさらに抜け落ちてしまってる。今や、相手の顔や声を始めに名前すら思い出せない。
眠りにつこうと横になる度に酷い耳鳴りを覚え、無性な悲しさが後から沸き立ってしまう。
まるで暗き泥濘に沈むような、ひどく惨めな気持ちに浸るばかりだった。
――アストリネたちの争いが勃発した場所。
今や渦中から離れてしまった天井開けて瓦解した建物の床にて。
ラグダールは仰向けに倒れていた。
「……からだ、めちゃくちゃいてぇ」
全身に走る苦痛に目をすがめて僅かに呻き、夜空を見上げていく。
それから後に、己に起きた事を思考する。
あの自制が効かぬ行動を強制された後に、現場はどうなったのかと。
顔を動かして状況を確認した。
――ネルカルに選ばれた兵士は、皆、総じて伏せていた。一見して大きな怪我は見受けられないが、起きる気配はない。
そして己が望まぬ中で刺してしまったネルカルを始めにディーケの姿もなく、争いを起こしたグラフィスやイプシロンの姿も見当たらなかった。
ひとまず、体を起こそうとする。
「…っ、ぐぉ…!?」
しかし腰を中心に痛みが全身に走り、ラグダールの身動きを留めてしまう。
(………駄目だ。こりゃあ動けん)
観念するよう口元を引き攣らせ、瞼を閉じては深呼吸を繰り返す。
少し冷たい夜の空気を肺胞で満たしながら、ラグダールは顔を己の手で覆う。
「………やっちまったなぁ」
刺して、しまった。ネルカルの背後を取り不意を打つよう穿ってしまった。
獲物越しでも伝わった生々しい感覚と、好き勝手に操られてしまう心弱き己の未熟さに、嫌悪感を覚えて仕方ない。
「……結局、オレは……なにかの役に立つことすら、出来ないってわけね」
ひどく惨めな気分だ。
これでは憧れたものには到底届かないだろう。
憧憬の念。夢にして理想。兵士として並ぶ為に人生を擲ち生きる覚悟を得るに値する圧倒的強者は遥か遠い。
それに近づけないと恐れ慄くべきだ。
「どうしようもなく、どっかが壊れてんのかねぇ……」
なのに、消えるような忘却が空虚と鬱屈とした思いを募らせてどうにも気落ちさせてくる。
此処でラグダールが落ち込もうが最悪の状況は何も変わらないのに、沈んでばかりだった。
「なんで、こんなことに……」
――空の心で見上げる空は、雲ひとつもない。満天の星々と満ちた満月。幾つも流れ星が渡り、白き軌跡を描いていた。
「せめて“特別”になれれば……」
それに暗い願いをかけるように、小さく呟く。
もしもを、無意味に願う。
アストリネの一族に生まれるか。はたまた新たな異能に目覚めるか。それとも初めから兵士になれる事を約束された並外れた身体能力さえ備えていれば、――こうも惨めな虚しさを抱え込まずに済んだのではないか。
決してあり得なかった事を思う度、ラグダールは己の現実に失望する。
齢四十年と生きてきても何もなし得なかったのが己の人生。この人生は変えようがない、やり直せない。転生なんて逃避してもその場に停滞するだけで、今は進む。
「……オレが特別、だったらなぁ」
しかし愚かにも俯き願わずにいられない。星を見上げるように、前に見れずにいた。
「こんばんわ」
フワリと夜空から流れ星が降り立つように、三つ編みに束ねられた白銀髪が波打ち揺れていく。
「今夜は星が綺麗だね。ラグダール」
星々煌めく夜空を切り映したような双眸に映される形で名を紡がれたラグダールが、表情を強張らせる。
「っシェルアレン様……!?」
驚愕した。
かの者に、己が名を覚えられていたことに。
確かに体裁気にせずみっともなく泣いて詫びたことはあれど、長年記憶されるまでには至らない筈だ。
「うん?名前を覚えるのは簡単だよ。元よりこの世界は同じ名前が使われないように記録されてるのもあるけれど、何よりも君は私の憂いとして印象深かった」
「………っその節では大変、失礼を……」
「ううん、謝らなくてもいい。変なことじゃないよ。夢を捨ててしまうのはとても悲しくて、叶わないと諦めるのがすごく悔しいことだもの」
髪や服に土砂が付着するのに構わずシェルアレンがひび割れた床に膝をつく。
柔和な微笑みを浮かべては、ラグダールに手を伸ばす。
頬に添えるようにも優しく触れていた。
「だからね。――何かの役に立とうと体の半分を『遺児』で埋めて、後に機械に変えてでも、兵士という立場にしがみついた君を、私は責めないよ?」
ドッと滝のような汗がラグダールから溢れて血の気が引いた。後に、汗腺が壊れてしまったように多量の汗を垂れ流してしまう。
「………ぁ………」
身が、次第に冷えていく。
バレていた。星は全て見ていたのだと狼狽し、下手な言い訳もできず口籠る。
取り繕えられぬままに押し黙ったラグダールへ、シェルアレンは目を瞬かせ小首を傾げていた。
「グラフィスは、ね。意地悪いから君の純を利用した。ベガオスの身請人を利用して、ディーケを観察する立場に置いたんだ。でも、敢えて君は『遺児』の小ささを利用して電子データを介入し壊したりするなんて工作をした。すごいよ。とっても器用なことをしたよね」
「いや、その………」
「――でも。途中でシングドラに『遺児』が覚醒するよう血の引き金を引かせたのは、君の罪悪感?それとも変化を求めたから?」
シェルアレンの和やかな詰問に、ラグダールは開けたままの唇ごと身を震わせる。
侮蔑も憤怒もない終始穏やかな雰囲気を前にして、無性に込み上げる何かに耐えかねて口を大きく開けた。
「ッすいません!!すいません!!」
「どうして謝るの?」
「すいません……!」
ラグダールは誤魔化せず謝ることしかできない。シェルアレンの手首を掴み、ひたすらに繰り返す。
所詮、柔らかな夜空の星にすらかき消えてしまう程度の影だからだ。
「わかってました、わかってたんです。オレは許されないことだと。だけど、それでも、何かしらの役に立って特別になりたかった。他人とは違う自分でありたかったんです……!」
それが咎められる手段だったと理解しても自制は聞くことはできなかった。
「特別じゃ、なかったから。ないからおれは!兵士も一線を引くことになったんだ!憧れた存在から離れてしまった………惚れた女にも振られて、後にその子供を預かることになっちまった!自分が不幸だって自覚して、消耗されるだけの惨めな人生だったなんて、認めたくなかったんです……!」
身勝手かつ利己的だ。信念なんてない、感情の暴走。
「知りたく、なかったんですよ……!みんな一緒より、特別な個になれるのなら、そうなりたいじゃあないですか……!」
咎められるべき罪でしかない告白を、涙目ながらに捲し立てられたシェルアレンは柔らかに微笑む。
「そうだね。どのような形であれ。特別を願う心自体は何もおかしくないよ」
否定せず、あくまで意を肯定する。縋るように掴む手へ指を動かし絡めて繋いでいく。
「だからね、もういいんだよ、ラグダール。その為に思い悩んで苦しまなくてもいいの。一人で頑張るにしても限界はあるんだから」
これまで苦労を汲むように、慈悲を与えて包んでいた。
「苦しいのは此処でおしまいにしよう。ね?」
それは、無償の優しさだ。裏も嘘も何もない。綺麗な微笑みの下で注がれるもの。
「…………っ、」
長年誰に与えられることもなかったラグダールには耐性は、ない。堪えきれることなく目を強く瞑る。
「…………っ、…………っシェルアレン様……!」
決壊したように何度も涙を流し、枯れることなく咽び泣き続ける。
「シェルアレン様っ、おれは、…ずっと誰かが妬ましくて、羨ましかったんです………!どんなに努力しようが報われない。特別になりたくても、もっとできる才能ばかり溢れてるじゃないですか!」
体裁も繕わず顔をくしゃくしゃにて泣き続けた。
年だけ食って何も変われなかった、未来も何もないであろう自分に絶望するかのように。
「その中で、おれは、汚ねえ真似でしか、兵士である自分も碌に守れなかったんすよ。グラフィス様の思想のヤバさもわかってながら、それでもって……かはは……。は、はは……ほんと、笑うしかないくらい自分が、情けなくって惨めで……寂しい……」
『遺児』に縋る形でしか、己の矜持を守れなかった。乾いた自嘲と共に吐露する様は、憐れである。
そんな人間をシェルアレンが目を凝らすようにも、高々と見下ろす。
「―――大丈夫。泣かないで」
後に繋いだ指で優しく抱きしめるように、甘く絡めていた。
「私が君を『特別』にしてあげる」
夜空を想起させる瞳は燦然と煌めいている。




