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風を求めて(5)

 アンデルは、目の前に現れた巨大な魔狼を仰ぎ見る。その圧に震える足を、そっと押さえた。



「我が子らを屠ったのは貴様か。」



 その声は腹の底に響くような迫力である。



「魔獣が喋った・・・?」



  人語を介する魔獣にアンデルは戦慄する。辺りに立ち込める冷気に吐く息が白くなる。



「人間如きがァ!!」



 魔狼が吠える。アンデルは反射的に体がすくんでしまう。



「離れろアンデル!」



 ハウの悲鳴にも似た叫びで、アンデルははっと我に帰る。目の前に魔狼の前足が迫っている。アンデルは遮二無二体を投げ出す。横に飛んだアンデルの体すれすれを魔狼の爪が撫でていった。風圧で雪が舞う。



「はっ・・・はっ・・・」



 全身の血の気が引くのがわかる。心臓の鼓動がうるさい。アンデルは今、死を間近に体感した。一撃でももらったらアンデルの体はばらばらになるであろう。アンデルは慌てて身体能力を強化する。



「空だアンデル!」



 ハウが魔狼の届かない空へ逃げるよう指示するが、アンデルの今の心理状態では、飛翔魔法を使えるほど集中できない。



「ブリザード!」



 破れかぶれに風と水の複合魔法を放つが、魔狼の毛皮に阻まれ、表面に霜が降りるに留まってしまう。魔狼が体を揺するだけでその霜も振り払われてしまった。



「逃げ切れるか・・・?いや逃げてどうなるというんだ・・・」



 アンデルの心の中で葛藤が始まっていた。目の前の魔狼を倒す手立てがない。ならば一か八か逃げるのが得策である。しかし逃げ切る事も至難であるし、万が一逃げ切れたとしても残された集落はどうなるのか。アンデルの思考は止まってしまう。



「来るぞよけろ!」



 ハウが宝石から現れ、アンデルを突き飛ばした。風に運ばれたアンデルは、突っ込んで来る魔狼の死角に回り込む。再びアンデルと魔狼の追いかけっこが始まった。身体能力を強化したアンデルでも、魔狼の全てが致命傷となる一撃を躱すのに全神経を集中させなくてはならない。嫌が応にも疲労が溜まっていく。ハウが上空から指示を出すが、魔狼の跳躍はハウの高度まで到達してしまうため迂闊に近付けずにいる。



「生き残れたら体力もつけなきゃいけないよなあ・・・」



 そんな事を考える余裕ができるほどに、アンデルは次第にこの命のやり取りに慣れ始めていた。肩で息をするくらいには体は悲鳴をあげている。しかし、アンデルには魔狼の動きが見え始めていた。極限に置かれる事で、アンデルは風の魔法をめきめきと上達させていたのである。



「右、とみせかけて噛み付く!」



 魔狼のフェイントを見抜き、大きく後ろに跳躍するアンデル。しかし、慣れが大きな油断を生んでしまった。



「あ、れ・・・?」



 天地が逆さになる。アンデルは着地点にあった大きな穴に足を取られ、仰向けに倒れてしまった。



「切り株を抜いた穴・・・っ!」



 集落の樵が木の根を抜いた後埋め忘れたのであろう。暗闇の中で、しかもアンデルが自ら放った冷気によって発生した雪がその穴を隠し、天然の落とし穴となっていた。



「なっ!?」



 アンデルは急いで立ち上がろうとするが、魔狼はその隙を見逃さず迫って来る。



 アンデルは死を覚悟する。



 魔狼は死を確信する。



 そこに一つの隙が生まれた。アンデルに死を与える事を確信した魔狼は、単調な動きでアンデルに近付いた。そこにヒカゲが躍り出る。影から飛び出したヒカゲは、既に抜いていた直刀を逆手に持ち、魔狼の鼻先を切り飛ばした。



「ぐあおおおおっ!!」



 魔狼に限らず、鼻が利く種族は鼻に神経が集中している。当然痛覚もその分鋭敏である。魔狼は前足でヒカゲを弾き飛ばすが、余りの痛みに唸ることしかできない。



「よくやったヒカゲ!」



 大口をあげて悶えている魔狼に、体勢を立て直したアンデルが両手を向ける。



「ブリザード!」



 その大きく広げられた口から、体内めがけて冷気を叩き込む。いくら毛皮に覆われていようと、肺を直接凍らされてしまっては、いくら巨大な魔狼と言えひとたまりもない。魔狼の体が大きくよろめく。



「かっ・・・はっ!」



 しかし、魔狼は踏みとどまる。そしてアンデルを睨みつけると、踵を返す。



「逃さな・・・あ?」



 後を追おうとしたアンデルがその場に崩れ落ちる。



「アンデル!」



 ハウが急降下して駆け寄る。ヒカゲも心配そうに寄り添う。



「魔力切れか。丸一日魔力を使ってやっと切れるとは、恐ろしい保有量じゃの。」



 ソユが宝石から出て分析する。



「追って・・・くれ。とどめ・・・」



 アンデルは虚ろな目で小さくなった魔狼の背中を指差す。満身創痍の魔狼の足取りは重く、よろめいているのが離れたここからでも見える。ハウとヒカゲは互いを見合い、頷いた。



「ソユ姉!アンデルを頼む!オイラ達が絶対とどめを刺してくるからな!」



 ハウとヒカゲはソユにその場を任せ、魔狼の後を追った。



「もう聞こえておらんぞ。」



 ソユは寝入ったアンデルの髪を撫でながら呟いた。







 ーー遠い意識の中で、アンデルは後頭部に暖かいものを感じた。



「あれ、俺、確か魔狼と戦って・・・なんかでかい魔狼が出てきて・・・死にかけたところをヒカゲが助けてくれて・・・そうだ!」



 次第に頭が冴えて来る。



「とどめを!」



 アンデルは跳ね起きる。



「起きたか。回復も早いのう。」



 体を起こしたアンデルのすぐ側に、ソユが座っている。しかも初めて出会った頃の大人の女性の姿である。



「ソユ?その姿は?」



「これか?膝枕をするのにいつもの姿では不便だったのでのう。」



 そう言うとソユの姿がいつもの幼児体型に戻っていく。



「うむ。こっちのが魔力を使わずに済むから楽じゃ。」



 魔力切れを起こした自分をソユが膝枕で介抱してくれていたのかとアンデルは察する。



「ありがとう。それで、魔狼は?俺はどのくらい寝ていたんだ?」



「ハウとヒカゲが追っていったわ。まだそれほど時間は経っておらぬぞ。」



 それを聞いたアンデルは、後を追おうと立ち上がったところでよろめく。



「まだ完全に回復したわけではない故、そう急ぐでない。」



「ああ。ゆっくり行く。」



 気持ちは逸るが、アンデルはゆっくりと魔狼の消えた方へと進みだす。



「ハウの魔力が残っておる。追跡しやすいようわざと残したな。あれで気が回る奴じゃからの。」



 ソユの案内で夜の森を進む。やがて、山肌にぽかりと開いた洞穴の前に佇むハウとヒカゲが見えた。



「アンデル!もう動けるのか?」



「ああ。ここが奴らの巣か?」



「そうみたいだ。」



 アンデルはふらつきながらも合流する。



「奴は?」



「アンデルの一撃が致命傷になって、ここに戻ってきたところで息絶えたよ。」



 ちゃんととどめを刺せたことにアンデルはほっと胸を撫で下ろす。



「ただちょっと困ったことになって。」



 ハウが深刻そうに漏らす。



「どうした?まだ仲間がいたか!?」



 これ以上魔狼が出てきては、どうすることもできない。アンデルの身が強張る。



「いたにはいたんだけどさ・・・」



 ハウがヒカゲの足元に視線を送る。アンデルが釣られてそこを見ると、ヒカゲの足元で尻尾を振っている子犬がいた。



「魔狼・・・なのか?」



「産まれたばっかりみたいで、まだ肉の味も知らない稚児だよ。殺すにはちょっと忍びないなあって・・・」



 アンデルも思わずその意見に同調しそうになる。しかし、いずれは魔狼として成長し、人を襲うかもしれない。摘むなら今である。



「魔狼は魔狼だしなぁ・・・ん?なんかヒカゲにやけに懐いてないか?」



 魔狼はヒカゲの足にじゃれついている。ヒカゲは振り払うこともできず、微動だにしない。



「闇の住人同士、同じ匂いがするんじゃないかな。」



 それを見てアンデルは思いつく。



「いっそヒカゲが育ててみたらどうだろう。人を襲わないよう育てれば問題ないんじゃないか?」



「あ、それいいかも。」



「人の手に育てられた魔獣が、家畜になったという前例もあるの。」



 アンデルの提案にハウとソユが同調する。



「なあお前、俺たちと来るか?親の仇である俺と来るのは嫌か?」



 アンデルは子犬を抱き上げて尋ねる。



「わん!」



 親のように人語を理解しているかはわからないが、子犬は尻尾を振りながら答える。



「よし決まりだな。今日からお前の親はヒカゲだ!」



「断る!」



 ヒカゲが拒否する態度を見せてアンデルの影へ飛び込んだ。それを見た子犬はアンデルの手を抜け、同じく影に飛び込んだ。



「おお、さすが魔狼。小さくても影に潜る術は本能的に知っているのか。」



 アンデルが感心する。



「問題は解決だな。じゃあアンデルにいいもの見せてやるよ!」



 ハウが洞穴の中へ入って行く。アンデルはなけなしの魔力で光球をだし、足下を伺いながらその後をついて行く。



「・・・死んでいるのか?」



 開けた場所にでると、先程死闘を繰り広げた魔狼が横たわっていた。



「こっちこっち!」



 魔狼の亡骸を横目に、ハウの声の方へと歩を進める。



「見ろよこれ!」



 アンデルを待っていたのは、黒い塊がうず高く積まれた山であった。正体こそわからないが、異臭が立ち込めている。



「ハウ、いいものってこれか?」



「そうだ!すごいだろ!」



 胸を張って答えるハウに、アンデルは眉をしかめる。



「いや、すごいというか臭い。これ魔狼の排泄物だよな?」



「バカヤロウ!魔狼は体内で黒雲石って鉱物を精製するんだぞ!こんだけ排泄物があれば間違いなく黒雲石もあるはず!」



 アンデルは鼻をつまみながら尋ねる。



「黒雲石?初めて聞いた。」



「黒雲石はかなり希少な鉱物だぞ!」



 ハウのその剣幕に、アンデルはしぶしぶ納得する。



「えーと、じゃあソユ頼む。」



「なんじゃと!なぜ妾が不浄を漁らなくてはならないのじゃ!」



「水で洗えばその鉱物を取り出せると思うけど、ほら、俺魔力切れてるし。」



「〜〜〜!!この貸しは高くつくぞ!」



 アンデルはソユが水流を起こして排泄物を洗い流して行くのを離れた所から見守る。ソユの背中は明らかに怒りに満ちている。



「あっ光った!あれだ!」



 ソユの出す怒気にも怯まず、ハウが声をあげる。



「ん?ソユ、止めてくれ。」



 ふてくされながらソユが水流をとめる。水が引くと、人一人分はあろうかという大きさの鉱物が鎮座していた。



「これが黒雲石か?」



 アンデルはそれに近付いてみる。表面は磨かれたようにつるつるしており、光を反射している。しかし、特筆すべきはその色であった。まるで光を飲み込む闇のような漆黒がもつその存在感は、異彩を放っている。光を飲み込みそうな漆黒が、光を反射している。その倒錯感がアンデルを飲み込む。



「こいつはでけえ!初めて見た!」



 黒雲石を知っている口ぶりのハウが興奮している。



「すごいのか?」



「すげえよこれ!普通黒雲石は手のひらに乗るくらいの大きさだよ!それを鏃や小刀なんかに加工するんだ!」



「これだけあればもっとでかい武器が作れそうだな。運がいい。」



 アンデルは早速黒雲石を持ち上げようとする。



「重い!びくともしないぞ!」



 黒雲石を抱きながらうんうん唸るアンデルに、ハウが声をかける。



「黒雲石は魔狼と同じ性質を持つんだよ。」



「そうなのか。ヒカゲ。」



 アンデルの影からヒカゲが現れる。しかしその頭の上には子犬が乗っかっている。



「ぷふっ!仲良くなれたのか?」



 思わず噴き出したアンデルに対し、ヒカゲは拗ねたように何も言わず黒雲石に触れる。影に溶けるようにヒカゲとともに黒雲石がアンデルの影に吸い込まれていった。



「さあ、帰ろうか。疲れたな。」



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