帰る場所
アンデルは今、空を翔んでいた。
「そうそう魔力を安定させろー!もっと速く飛べるぞー!」
ハウの叱咤が容赦なく降り注いで来る。集落で十分な休息を取ったアンデルは、修行がてらトリスまでフライで帰ることを決め、朝から高高度を飛翔していた。
「これ以上速度を出すと、身体がもたないんだよ!!」
風との摩擦で、アンデルの声はかき消される。
「そっかー。オイラは風の障壁があるから気にしたことなかったなー。」
轟々と音を立てる風の中でも、ハウの声は不思議と聞こえる。そして、アンデルの声もハウに届く。伊達に風の精霊をやっていないようだ。
「お主には水の防壁があるじゃろうに。」
ソユが宝石の中から助言を送る。
「そうだった!」
アンデルは思い出したようにアクアスクリーンを展開する。
「これなら身体に負担がないぞ!」
アンデルは風の抵抗が弱まったのをいいことに、速度をあげる。
「いいぞいいぞ!正面の山に当たらないように高度を上げるか!」
ハウが高度を上げる。アンデルもそれについ中しようとしたところで、水の防壁に異変が起こる。
「待ってくれ!水の幕が凍り始めている!」
水の幕は端から凍りつき始め、次第に視界が濁っていく。アンデルは慌ててアクアスクリーンを解除した。その途端アンデルは猛烈な息苦しさと極寒の二重苦を知る。
「一旦高度を下げる!」
すぐさまアクアスクリーンを張り直したアンデルは、視界不明瞭のままゆっくりと降下する。
「どうしたんだよー!」
ハウもアンデルに合わせて降下してくる。
「山より高く飛ぶのは無理だ!人間が生きられる環境じゃない!」
アンデルが物凄い剣幕でハウに詰め寄る。
「なんだよー。高く飛ぶのが気持ちいいのになー。」
ハウはつまらなそうにこぼすと、アンデルから離れ上昇していく。その姿は雲の中へと消えていった。
「上空がこんなに厳しい環境だとは知らなかったな。危なかった。」
空を翔ぶ術を手に入れ浮かれていたアンデルは、肝が冷えたのか速度を落とし、山を大きく迂回する。
「トリスまであとどのくらいだろう。」
アンデルが呟いたのが聞こえたらしく、ハウが急降下してくる。
「あの山を越えたらすぐだぞー!」
ーーアンデルはトリスの城下町が目に入ったところで、地面に降り立つ。そのまま城まで飛んでいってもいいのだが、それでは城壁を守っている兵士に申し訳が立たないという義理から、城門をきちんと潜ることにしたのである。
「片道で何日もかかった道程を、わずかな時間で戻ってこれてしまった。」
アンデルは自分の手に入れた力がいかに有用であることを再確認しながら、人一人通るのがやっとな城門を通る。セレンが壊してしまった城門だが、この数日でより強固な物へと生まれ変わっていた。
「うわーすげー賑わいだなー!」
トリスの城下町を初めて見たハウは驚嘆の声を上げる。わざわざ人目に晒される必要もないので、宝石の中に入っていてくれというアンデルの提案を飲み込んだハウは、見るだけではしゃいでいる。いくら小国の城下町とはいえ、集落の人口密度とは比べるまでもない
。しかし、アンデルの目に奇妙な光景が飛び込んできた。大通りの一角に、やけに人々が集まっているのだ。
「ん?なんだろうあれは。」
「なんか祭りかー?」
「ちょっと見に行ってみようか。」
その人集りが気になったアンデルは、登城を後回しにし、人混みをかき分ける。
「あー素敵だわー。」
「マクスウェル劇団最高だな。」
「私こんなに感動したの生まれてきて初めてかも知れない!」
アンデルが人混みをかき分けて進むと、そんな声が聞こえてくる。
「うちの噂・・・?」
どうもマクスウェル劇団の公演を観に詰めかけた客が外まで溢れているらしい。中央に進むにつれ、人集りが整然と並び、列を作り始めている。
「おいちゃんと並べよ!」
人の隙間をすり抜けようとしたアンデルに注意の声が飛ぶ。
「おっと・・・」
人々が列をなして、劇場の入り口に並んでいることを察したアンデルは、一旦長蛇の列から離れる。そして劇場をぐるっと回り、関係者入り口を発見する。
「こらこらここは関係者しか・・・ん?団長じゃねえか。」
関係者入り口を警備しているマクスウェル劇団の元冒険者がアンデルに気付いた。
「ご苦労さん。公演中なのか?」
「おう。タニヤの旦那が団長が帰ってくるまでの間、公演しようって言い始めてな。」
「すごい盛況のようだな。」
アンデルは劇場に入りきれずにいる観客の列を示唆する。
「なんでも真新しい劇を考え付いたらしくてよ。俺は警備担当だからよく知らねえけど、
なんかすげえ人気になったみてえだな。」
入り口の誘導係にならずに済んだことに、胸をなでおろしている元冒険者を見て、アンデルは小首を傾げる。
「真新しい劇?」
「まあ詳しくはタニヤの旦那から聞いてくれや。」
元冒険者に道を通され、アンデルは控え室へと歩を進める。道中で顔を合わせた劇団員達が、おかえりなさいと声をかけてくれる。
「入るぞ。」
控え室と貼り紙された扉をコンコンコンとノックし、アンデルは扉をあける。
「あ、アル。」
「よう、首尾はどうだ?」
「おかえりアンデル!」
「おかえりなさいっす!」
いつもの皆が迎えてくれる。アンデルは皆の顔を見た瞬間、ほっとしたのを感じた。
「ただいま。無事に戻れたよ。」
「てことは?」
「ああ。この通り。」
アンデルは腰の宝石をとんとんと叩く。ハウが実体化する。
「よう!オイラ風の妖精のハウだ!よろしくな!」
「あー、それと・・・」
アンデルは自身の影に視線を落とす。するとヒカゲが手だけを表に出す。その手には魔狼が抱かれていた。アンデルはハウと出会った経緯、そして子犬を連れてくることになった経緯をかいつまんで話した。
「へー。名前はなんて言うの?」
子犬達は女性陣に代わる代わる抱きかかえられている。あのエバすらも積極的に抱きたがっていたのはアンデルにも意外であった。
「名前か。考えてないな。どうしようかヒカゲ。」
アンデルは影に意見を求めてみるが、反応はない。ヒカゲは我関せずを貫く。
「この子真っ黒な毛並みなのに、鼻先と耳だけはまだらに白い毛が生えてるのね。ブチちゃんなのね。」
イムカのその発言に、アンデルは手を叩いて賛同する。
「ブチか。いいなそれ。ブチにしよう。」
ブチと名付けられた子犬は、イムカの手から抜け出し、アンデルの影へと飛び込む。
「ところでアンデル、シリカ王にはもう謁見したのか?」
ウェイクが訊ねてくる。
「いや、登城しようとしたところでここを取り巻く人の群れに遭遇してな。気になったから近付いてみたら、どうもマクスウェル劇団目当てって言うじゃないか。」
「ああ、それは無駄足にならなくて済んだかもな。シリカ王はスージー姫と一緒に、今のの劇場にいるぜ。」
ウェイクのその言に、アンデルは眉をしかめる。政変が起こったばかりの王が、政務を放り出して観劇に勤しむと言うのはいかがなものであろうか。
「いや、わかる。お前の考えてる事はわかるぜ。でもな、違うんだよ。」
「スージー王妹殿下のためなのよ。」
ウェイクの言葉を、イムカが引き継ぐ。
「スージー姫の?」
「今回のクーデター、スージー姫は何も聞かされてなかったみたいなの。ゼファー王が何も言わずに姫様を避難させてたみたい。事が終わって城に戻ってみたら、父親が死んでいて、しかも手を下したのは兄だっていうじゃない。父親の悪事を止めるためだったとは言え、身内同士で争ったっていうのが相当ショックだったみたいよ。」
「そんな折に、タニヤの旦那が劇場での公演許可をもってったんだよな。気分転換にってスージー姫の好きな観劇に連れて来たってわけだな。」
ウェイクが再び話を引き継いだ。
「そうか。じゃあクーデターに手を貸した俺達にも責任はあるわけか。」
アンデルは顎に手を当て、考える。
「ところが問題はそこじゃねえんだ。」
「ん?」
アンデルは顔を上げる。
「タニヤの旦那が考えた新しい劇ってのが姫様に大受けでよ。シリカ王は連日せがまれて連れ回されてるんだわ。」
「そういえばそんな話だったな。タニヤがこの盛況を作り出したんだって?」
アンデルはタニヤを見やる。
「いやー、自分は思いついただけで、実際はパムちゃんのおかげなんすけどね!」
そう言ってタニヤは照れる。
「パム?」
アンデルはそう言われて初めて、演者の控え室にパムがいることに気が付いた。
「ソファラとの戦争が終わってからこっち、パムちゃんと行動を共にしてて思ったんすけど、パムちゃんの抜群の歌唱力を劇に活かせないかなって。」
人魚であるパムの歌声が、幻覚を見せるほどに魂を震わせる事はアンデルも身に染みて知っている。
「ほら、吟遊詩人とか歌に乗せて物語を伝えるじゃないっすか。それと同じ様に歌で心情を表せたりできないかなって思ったっす!」
歌と劇を混ぜるというのは盲点だったなとアンデルは感心する。
「エバちゃんに提案したら、見事に歌劇に昇華してくれたっす!あ、歌劇って名前はスージー姫がつけてくれたっす!」
「彼女の幻惑魔法は、アルの代わりに特殊効果を担ってくれる。」
エバが捕捉する。確かに幻覚であれば舞台上に特殊効果を散りばめる事ができる。
「パム。劇団のために協力してくれてありがとう。」
アンデルはパムに頭を下げる。ソユの世話係として無理矢理連れて来てしまった手前、彼女の自由を奪ってしまってることをアンデルは心苦しく思っている。
「とんでもないですぅ!あわわわ!私は大好きな歌を歌える場を頂けてそれで満足なんですぅ!」
パムは慌ててかぶりを振る。アンデルはパムと仲間になれた気がして、口元が緩んだ。
ーーアンデルは王族や貴族のみが使用を認められる、特別展望席に足を踏み入れる。シリカ王とスージー姫の周りを物々しい護衛が警戒している。
「何奴!?」
護衛がアンデルに気付く。
「大丈夫だよ。下がって。」
シリカに諌められ、護衛は目礼してひく。
「おかえりなさい。」
「ただいま戻りました。」
アンデルは片膝をつき、臣下の礼を取る。
「アンデルさんにそうされると、少し寂しいですね。友人同士でいたいものです。」
シリカは寂しげな表情を見せる。しかし護衛の目もあるのに、アンデルと気楽に話すわけにはいかないことも理解している。
「それで、いかがでしたか?」
「はい。無事に。」
アンデルは再び宝石を叩く。ハウが再び姿を現わす。
「おっ!一緒に人形に命を吹き込んだ奴じゃん!出来はどうだい?」
ハウはシリカの顔を見るなり、馴れ馴れしく話しかける。護衛達がすわとなる。
「やはりあの時の精霊様でしたか。お陰様で立派な仲間となってくれました。神器の生み出した風をも無効化できるほどに風の加護を受けた者となりました。」
神器にも勝ったと聞き、ハウは満悦の表情である。
「陛下。お耳に入れたい話が。」
アンデルが畏まってシリカに近付く。
「風の精霊を探す道中で、国から追われた流れ者で構成された集落で世話になりました。どうかトリスでの住民権をお与えいただきたく。」
「トリスは人の力によって豊かになる国に変わります。広く住民を受け入れましょう。すぐに使者を送ります。」
シリカの即断に、アンデルはいささか拍子抜けしてしまう。
「あ、ありがとうございます。それと腕のいい鍛治師を紹介していただきたく。」
アンデルはついでとばかりに腕のいい鍛治師の仲介も頼み込んで見る。黒雲石をどうにかできないかと、集落の元鍛治師に見せてみたところ、見たこともない鉱石だと言われてしまったのである。
「そちらも手配しておきましょう。」
「よろしくお願いします。」
アンデルは再び頭を下げ、辞去しようとしたところで、声がかけられた。
「あの、団長さんですよね?」
隣で話を伺っていたスージーである。
「はい。私がマクスウェル劇団の団長を務めております。」
アンデルは丁寧に自己紹介をする。
「私は観劇が大好きですが、こんなに素晴らしい劇は初めてです!特に歌劇はもう最高です!歌を織り交ぜることで中弛みすることなくお話を構成できますし、観客の心を揺さぶることができます!」
演劇を語るスージーには熱が入っており、姫ではなくもはや一人の少女であった。その剣幕にアンデルはちらりとシリカに視線を送るが、シリカは苦笑いをこぼすだけである。その後もスージーによる演劇論は延々と続いた。
後にこのスージーの頑張りで、トリスは歌劇発祥の地として、末長く芸術の国として語り継がれることになることを、ここにいる誰もが知る由はなかった。




