魔の森(2)
水の中でアンデルがもがく。しかし水の球は、どれだけアンデルが暴れようが波一つ立たない。いよいよ息が持たず、苦しくなってくる。肺の中に溜めていた空気を全て吐き出したアンデルは、意識が遠のく。
(呆気ない最期だったな・・・)
ヴァンパイアの襲撃から這々の体で逃げ出し、あまつさえ謎の女によって窒息死させられる。劇団の皆、オルフェン、マーシュ王子、学院長、道中の村の住人。走馬灯の様に知り合いの顔が浮かぶ。
(せめて、魔王と相討ちがよかった・・・)
使命を志半ばで終えてしまうことを、アンデルは悔やむ。
「マクスウェル神・・・」
「ん?お主御名を呼んだか?」
謎の女の声がはっきりと耳に届く。アンデルは薄れゆく意識の中で、違和感を覚える。水の外からの声がこんなにはっきり聞こえるのはおかしい。それ以前に無意識に呟いてしまった自分の声も、はっきりと聞こえた気がした。
(もう限界だ・・・!)
アンデルは息を止めることを諦め、水を飲み込んでしまう。が、アンデルの肺に入ってきたのは、水ではなく酸素であった。
「はぁ、はぁ・・・息ができる!?」
「なあお主マクスウェル神を知っているのか?」
アンデルの驚愕をよそに、半透明の女は興味深げに話し掛けてくる。
「俺を殺さないのか?」
「話を聞かないやつだのう!」
アンデルが疑問を口にしたところで、謎の女は腕を組み、ぷりぷりと怒り出す。
「え?なんか言ってたのか?」
アンデルは自分の置かれた現状がわからなくなり、謎の女と接触をはかる。
「だからお主、マクスウェル様の名を呼んだじゃろう!マクスウェル様の存在を知っている人間は珍しいと思って聞いたのじゃ!」
「あ、ああ。マクスウェル神の使命を受けて俺は・・・」
そこまで喋って、アンデルは自分の口を押さえる。魔族の前で魔王討伐などと口にしたら、それこそ殺されるかもしれない。脳に酸素が足りず、浅慮であった。
「マクスウェル様に使命を授かったのか?と言うことは魔王討伐じゃな!?なるほど魔王の奴めまた現れおったな!」
しかし謎の女は話の内容を察し、一人盛り上がっている。しかもどうやら魔王をよろしく思ってはいないらしい。
「あの、あなたは・・・?」
「ソユ様ぁ。追い返せませんでしたぁ!」
アンデルが謎の女の素性を聞こうとしたところで、森の中から現れたもう一人の謎の女が割って入る。
「全くパムはおっちょこちょいじゃのう!ちゃんと番人をする気がないなら他の者と代わるか!?」
「ふええぇ!ごめんなさぁい!」
ソユと呼ばれた半透明の女と、パムと呼ばれた少女が言い争う。しかしどこか気の抜けたそのやり取りに、アンデルは脱力する。
「お、流石は人間。清潔にしておるの。」
ソユと呼ばれる女が指を鳴らすと、アンデルの周りを覆う水球が弾けた。地面に降り立ったアンデルは、自分の体を見回す。一切濡れていない上に、体が軽くなった気がする。
「何をしたんだ?」
「汚れていたから消毒をな。それとついでにヒーリングもかけてやったぞ。」
言われて確認してみると、追っ手につけられた腕の傷も、森を走り回った際についた細かい傷もさっぱり消えていた。
「お前は何者なんだ?」
「妾は水の精霊じゃが?」
なんでもないことの様に告げる水の精霊にアンデルは絶句した。
「水の精霊ソユじゃ!ソユでよいぞ!」
胸を張るソユの仕草は、見かけよりも子供っぽく、不似合いであった。
「し、失礼した。俺はマクスウェル神より神託を受け、魔王討伐の旅をしている魔術師アンデルだ。」
「魔術師?なんじゃそれは。」
アンデルの自己紹介を受け、ソユは首を傾げる。やはり見た目と言動が不釣り合いだとアンデルは感じた。
「魔力を媒介に、魔術を発動して・・・」
「魔術?魔法とは違うのかの?」
「魔法?」
今度はアンデルが聞きなれない言葉に首を傾げる。
「魔力を対価に、精霊の力を呼び出して、火や水を操るのが魔法じゃ。人間にも魔法使いはおるじゃろ?」
「いや、魔法なんて聞いたことがないぞ!魔力を自然の力に作用させるのが魔術だ。精霊の力なんて借りられない。」
「んー?」
噛み合わない会話に二人は顔を見合う。
「ほら、これが魔術だ。」
アンデルは掌に火球を浮かべる。
「おおっ!火の精霊の力を借りずに火を起こせるのか!」
ソユは手を叩いて感心する。
「俺の場合は見た目だけで、熱は持っていないけどな。」
「ふむふむ。五百年も経つと魔力の使い方も変わるものじゃのう。」
ソユはけらけらと笑う。
「五百年も生きているのか。」
アンデルは感心する。
「んにゃ。もう千年以上は生きておるぞ。人間と関わらなくなってから五百年というだけじゃ。」
「千年!?」
アンデルは感心を通り越し、驚愕する。
「うむ。勇者と共に魔王を倒して・・・」
「魔王を倒して!?勇者と共に!?あの英雄戦争の勇者か!?」
まくしたてるアンデルに、ソユは耳を押さえる。
「うるさいのう。英雄戦争というのか知らんが、五百年前に勇者に力を貸して、魔王を倒したのは確かじゃ。」
アンデルは歴史の生き証人に会えたことに感動する。
「魔王を倒したのはよいのじゃが、周りが騒がしくての。静かだったこの湖に棲み着いたのが五百年前じゃの。」
「五百年もここにいたのか?」
「うむ、この森は神気に満ち溢れていて居心地がよいのじゃ。」
確かにこの湖を初めて見たとき、アンデルの琴線にふれるほど美しい心地だった。と、ふとアンデルは思い出す。
「そうだ!さっき魔族がいたぞ!そこの君も見ただろう?」
急に話を振られて、少女が跳ね上がる。
「ふえええっ!?ごめんなさぁい!」
「ほう、お主魔族に嫌な思い出があるようじゃのう。」
ソユは再びけらけらと笑いだす。
「それはパムの幻惑魔法じゃ。その者がもっとも恐れるものを映し出す魔法じゃな。」
アンデルはパムと呼ばれる少女に視線を送る。少女はソユの背中に隠れようと縮こまっている。
「なぜ、そんなことを・・・?」
「この森は神気に満ち溢れておるからの。貴重な薬草が群生しておる。人間に見つかると乱獲されるし、病気を持ち込む。じゃから森に入った者は追い返すし、お主も消毒させてもらった。」
アンデルははっと気付く。
「じゃあヒカゲも囚われているわけじゃなかったんだな?」
「何?そこの闇の精霊はお主の隷属下にあったのか?随分と汚れておったぞ。」
ソユが指を鳴らすと、ヒカゲとアンデルの乗ってきた馬が水球より解放される。ヒカゲは何も言わずにアンデルの影へ潜り込み、馬は嘶くと湖の水を飲み始めた。
「お主闇の精霊と契約していながら、魔法のことを知らんかったのか。」
「某は生まれて三年しか経っていない。婆のように埃かぶった古の情報など知らぬ。」
影から頭だけだしたヒカゲが呟く。
「なんじゃあこの餓鬼が!」
ソユが怒声を飛ばすも、ヒカゲは影の中へ隠れてしまう。感情を出さないヒカゲが珍しいな、とアンデルが苦笑いをする。
「契約主に魔法を使わせられない精霊が減らず口を叩くでない!」
その言葉にアンデルはひっかかる。
「その少女も精霊と契約しているのか?幻惑魔法?というのは聞いたことがないが。」
「パムか?此奴のは種族ごとの固有魔法じゃ
のう。」
「種族?種族は人間じゃないのか?」
アンデルが不思議そうな顔をすると、ソユは小さな水球を生み出し、パムの頭上へと浮かべる。その水球が弾け、パムはずぶ濡れになる。
「ちょっとソユ様ぁ!」
「に、人魚!?」
水に濡れたパムの姿は、見る見るうちに変容した。少女であった姿は、大人の女性となり、しかし下半身だけは魚のそれとなったのである。
「人魚の血は霊薬として名高いからの。人間に捕まらないよう自衛を兼ねて森の番人をさせているのじゃ。」
「なんでばらすんですかぁ!」
パムは半べそをかきながら湖に飛び込む。その水音に、湖畔でうたた寝をしていたアンデルの馬が飛び起きる。
「なに、此奴はお主を捕らえようなどと考える業突く張りな人間とは違うわ。」
アンデルは取り敢えず頷いて見せる。
「さて、アンデルと言ったか。」
ソユは真面目な顔をして、アンデルに向き直る。
「契約と行こうか。」




