魔の森(1)
「ちくしょう!森に逃げ込みやがった!」
漆黒の鎧を身にまとったソファラ兵が、森の際で馬を止め、忌々しそうに吐き捨てる。
「どうしますか隊長。追います?」
馬を並べたソファラ兵が、隊長と呼ばれる男に問う。
「よし、各員馬を降りて追うぞ。長物は置いていけ。」
隊長が号令をかける。
「隊長。よろしいでしょうか。」
「お前はポートクォーツに潜伏させていた間諜か。なんだ。」
「私達の調査によると、ここは魔の森と呼ばれる禁足地のようです。」
「魔の森?なんだそれは。」
隊長は訝しげに答える。
「足を踏み入れたら、二度と生きては出られないと語り継がれ、南の大陸では恐れられている場所だそうです。」
間諜からの報告を聞き、隊長はにやりと口元を歪める。
「ほう。ならば我々が手を下すまでもないではないか。よし!戻るぞ!」
追っ手のソファラ兵達は、馬首を返しポートクォーツへと去っていった。
--空が白み始め、闇の世界を薄明かりが照らし始めた森を、アンデルが馬を駆って疾走する。
「うっ・・・!」
不意に馬がつんのめり、アンデルは中空へと放り出される。地面に叩きつけられたアンデルは、よろよろと立ち上がり倒れた馬へと近づく。
「ヒヒィン・・・ブルル・・・」
弱々しく嘶いた馬は、ぜえぜえと呼吸を荒げている。
「木の根に足を取られたか。無理をさせすぎたな。すまない。」
アンデルは馬を労うように撫でる。
「追っ手は来ないな。諦めてくれたか?」
耳を澄ませて周囲を確認する。未だ闇の支配が強い森は、静まり返っている。
「よし。ここからは歩いて行くか。」
立ち上がったアンデルは、倒れた馬を見やる。
「潰せば非常食になるな。」
アンデルは馬へと手を伸ばし、轡と鞍を外してやる。
「ふふっ。こんなに頑張ってくれたお前を食べられるわけないよな。じゃあな。」
最後に鬣を撫でると、アンデルは森の奥へと歩き出す。立ち上がった拍子に、左腕が痛んだ。追っ手の追撃を食らってしまっていたようだ。
「オルフェン・・・無事でいてくれ。」
呟きながら、アンデルは枝を払い、草を掻き分け進む。しばらく進むと、立派な古木のうろを見つけた。
「少し休むか・・・ヒカゲ。」
アンデルの呼びかけに影はすぐに応える。
「ここに。」
「周りに危険は迫っていないか?」
「某が番をする。主は休まれるがいい。」
ヒカゲの言葉に甘え、アンデルは安堵してうろへ潜り込む。
「ポーションも水も準備せずに飛び出してしまったからな・・・疲れたな・・・。」
目を閉じた瞬間、一気に睡魔が襲い来る。アンデルはすぐに意識を手放した。
--小鳥の囀りを耳にして、アンデルは目を覚ます。
「眠ってしまっていたか。」
アンデルはうろから這い出て、固まってしまった体を伸ばす。空は既に日が高く、随分な時間寝てしまったようだ。
「美しい森だな。」
陽光が葉の隙間から差し込み、風がさらさらと木々を撫でる。ふと、ヒカゲの姿がない事に気付いた。
「ヒカゲ?」
影にもどったのかと声をかけて見るが、反応はない。途端にアンデルの警戒心がくすぐられる。
「魔力の残滓・・・?」
微かに残る魔力の痕跡を感じたアンデルはそれを辿り、追う。静かな森に、アンデルの足音と息遣いだけが木霊する。
「くそっ・・・魔力の痕跡が消えた。」
肩で息をしながら、アンデルは痕跡の消えた場所で立ち止まる。
「どこだっ・・・ヒカゲっ・・・」
今こうしてる間にも、ソファラ兵がグラシエル王国を侵略しようとしている。その焦りは、アンデルの足を突き動かす。闇雲に探し回るアンデルの体に、枝や草による小さな傷がつく。
「うおっ!」
木の根につまづき、アンデルは地面を転がった。
「くそっ・・・くそっ・・・」
大地に仰向けに寝転ぶアンデルの視界が滲んだ。服の裾で目をこすったアンデルは、再び立ち上がる。その時、微かに歌声のようなものが聞こえた。
「なんだ・・・?」
アンデルは身を屈め、様子を伺う。歌声はだんだんと近づいて来る。女性の声だった。聞いたこともない歌だが、その歌声はとても澄み渡り、アンデルの心を震わせる。
「なんてきれいな声だ・・・」
思わずアンデルがこぼすと、歌声はぴたりと止んだ。慌てて立ち上がり、辺りを見回すが、人影はない。
「どこから聞こえて・・・っ!」
アンデルは自分の影に誰かの影が重なったのを視界の隅にとらえた。慌てて振り返り影の主を視認した時点で、アンデルはすぐさま跳び退った。
「な、なんでここに・・・」
アンデルは身体中の毛が逆立つのがわかった。堰を切ったように汗が噴き出す。心音が激しく脈打ち、うるささを覚える。からからになった喉を振り絞り、アンデルは叫ぶ。
「ヴァンパイア!」
三年前、アンデルとウェイクが倒すのに命を賭した魔族、ヴァンパイアがそこに佇んでいた。ヴァンパイアはアンデルに対峙したまま、にやりと笑う。
「こんなときにっ・・・」
アンデルの倒したヴァンパイアが特別強力な個体であったわけでなければ、一人で、なおかつ攻撃手段を持たない今の状況は、絶体絶命である。杖を握りしめるが、その手は震えている。
「逃げる!逃げるぞ!」
アンデルは震える足を拳で叩き、自分に喝を入れる。ヴァンパイアはにやにやと笑みを浮かべながら、足を一歩踏み出した。
「フレイムウォール!」
相手がヴァンパイアなら、火を恐れることは前回の戦いで把握済みである。初見でならば、アンデルの魔術もはったりが効く。ヴァンパイアがひるんだ隙に、アンデルは逃げ出そうとした。しかし、アンデルの思惑は正面から打ち破られた。
「な、なぜだ・・・」
ヴァンパイアは悠々と炎の壁を踏破してきたのである。それも笑みを浮かべたままで。
「俺の情報を知っている?いや、何かおかしい・・・」
窮地に至って、アンデルの思考が冷静になっていく。そもそも、日の光を嫌うヴァンパイアが、日の高いうちに屋外にいること自体が既に異常なのだ。アンデルはなりふり構わず逃げようと腹をくくる。
「うおおおお!」
捨て鉢になって突進する。
ヴァンパイアは笑みを深めて迎え撃つ。
「シャイニング!」
「きゃっ!」
アンデルは目の前で光球を破裂させる。目眩しの間に脇を駆け抜ける。木陰の方から女性の声が聞こえたが、気にかける余裕もなく一目散に走る。
「はぁ・・・はぁ・・・撒いたか。」
木に体を預け、息を整える。走ってきた方を振り向くが、動きはない。あの時聞こえた女性の声が気になった。もしかしたら隠れていたのに、自分のせいでヴァンパイアに見つかってしまったかもしれない。
「戻らなきゃ・・・」
その時、アンデルの耳はちゃぷ、と水音を捉えた。
「ありがたい、水を飲める。」
一晩飲まず食わずであったアンデルは、喉を潤してから戻ろうと算段をたてる。音がした方に進むと、開けた場所に出た。
「これは・・・」
アンデルの目の前には、筆舌に尽くしがたい美しい湖が広がっていた。この世の全ての色が集まっているのではないかと錯覚する程に色とりどりの花が咲き乱れ、澄んだ水面が光を反射し、まるで星空に連れていかれたかのように煌めいている。アンデルは心奪われ、呆然と立ち尽くしてしまった。
「まずいなあ。まさかこっちに逃げるなんてぇ。」
立ち尽くすアンデルの後方から、少女が姿を現した。
「あっ!」
「君はさっきの・・・?」
アンデルと少女が目が合う。アンデルが声をかけようとすると、湖から声がした。
「今日は客人が多いな。」
アンデルが振り向くと、湖上に女性が立っていた。異様なのはその姿で、向こうの景色が透けて見えている。そしてその傍らに浮かぶ水球の中に、ヒカゲと、放してきた馬が囚われていた。
「ヒカゲ!」
「ふむ、お主も汚いな。」
半透明の女性が指を鳴らすと、ヒカゲ達を捕えているものと同じ水球が生まれた。
「うわぁっ!!」
その水球が生き物のように飛び掛かり、アンデルを飲み込んだ。




