エチュード(7)
「すごい瘴気だ・・・」
暗闇の広がる空間に飛び込んだ二人は、それぞれに散開する。アンデルは松明に火をつけて回りながら、魔力を知覚できるものだけが認識できる瘴気のあまりの濃さに、思わず口を覆う。
「・・・おい、なんだよこれ。」
荷物を壁際に置き、油断なく大剣を構えるウェイクが呟いた。一応の視界を確保したアンデルは、ウェイクの元に合流するや否や、己の目を疑った。
「なんて禍々しい・・・」
そこには、採掘が進んだ岩肌にはとても似つかわしくない、異様な扉が聳えていた。しかも、可視化できるほどに濃密な瘴気が漏れ出している。
「これが原因なのか・・・?」
明らかに異質なそれを調べようと、ウェイクが手を伸ばしたその時、
「・・・っ!」
場の空気が変わる。冷たく突き刺さるような殺気を感じとったウェイクは大剣を構え振り向く。
「アンデル、下がっていろ!」
アンデルは言われるままに壁際に下がり、役に立たないとわかっていながらも杖を握りしめる。
「どこだ!姿を見せろ!」
ウェイクが吠える。アンデルも油断なく警戒する。その時アンデルの視界が僅かに動く影を捉えた。
「上だ!」
アンデルが声を発すると同時に、その影はウェイクへと飛び掛った。アンデルの声に反応したのか、それとも本能であったか、ウェイクは大剣を頭上に掲げる。金属と金属のぶつかり合う合う音と共に、火花が散る。
「ぐっ・・・ふんっ!」
ウェイクは大剣を薙ぎ払うが、影は素早く飛び去ると、姿をくらます。
「おいアンデル。俺の荷物の中から、緑色の液体の入った瓶を探せ。」
アンデルは袋を漁る。そして言われた通りの瓶を見つける。
「見つけたぞ!」
アンデルは瓶を掲げ、ウェイクへ向き直った。しかしウェイクは、アンデルの方を見ることなく、右手で大剣を構えたまま微動だにしない。ウェイクの身長ほどもある大剣は両手で断ち切るように振るわなくては真価を発揮しないというのに、妙だとアンデルは首をかしげる。
「はあ・・・はあっ・・・」
ウェイクが息遣い荒く闇を見つめる。その足元に水溜りが広がっていることにアンデルは気が付いた。
「ウェイク・・・!」
それは暗くて見えないが、ウェイクの足を伝って地面に落ちる、ウェイク自身の血が生み出した溜まりであった。
「くそっ・・・防いだだろうが・・・」
ウェイクはアンデルの声にも気付かず、左手をだらりと垂らしたまま、ただ虚空を睨みつけている。アンデルは慌ててウェイクへと駆け寄る。
「ウェイク!」
ウェイクは左肩から袈裟斬りにざっくりと切り裂かれ、血が止めどなく流れ出している状態で辛うじて立っていた。
「傷口に・・・かけてくれ。」
言葉少ないウェイクの指示に、アンデルは自身が見つけたものがポーションの類だと察し、迷うことなく振りかけた。
「ぐっ・・・くう!」
液体がかかった傷口は、みるみるうちに塞がっていく。自然の摂理に反したそれは、ウェイクの口から苦悶の声をあげさせる。間違いなく魔力の篭った回復ポーションだとアンデルに確信させる。
「すまないウェイク。俺が回復の呪文を扱えれば・・・」
アンデルは申し訳なく思う。アンデルが扱えるのは自然の元素を操る魔術だけであり、神への信仰が癒しの力を生む回復魔術とは相性が悪いのである。アンデルにとって教会とは神の座す場所ではなく、孤児たちの家であり、自分に才能を与えてくれなかった神を崇めることなどできなかった。万が一扱えたとしても、アンデルの特異性では回復効果を見込めないという前提がついてくるのではあるが。
「今、俺は確かに攻撃を弾いたんだ。それなのに斬られていた。恐ろしく速い太刀筋を持つ相手だ。」
ようやく痛みより解放されたウェイクが、再び両手で大剣を構える。
「武器を持つ相手なのか?」
太刀筋という言葉にひっかかり、アンデルは訊ねる。
「見えなかったか?剣を持った人型のやつだった。」
アンデルの動体視力では見えなかった。その影を追うことがやっとであった。
「・・・っ!」
突然ウェイクがアンデルを突き飛ばす。そして自身も後方へ身を投げ出した。アンデルは、今しがた自分達の立っていた場所に影が飛び込んできたのを、辛うじて視認する。そしてウェイクの体に細かい切り傷がついたことも。
「見極めろ・・・見極めるんだ。」
アンデルは襲撃者とウェイクの攻防を注意深く観察し始める。火花が散ってウェイクの体に傷がつく度、襲撃者は再び影に溶け込み息を潜める。防御に徹したウェイクは、大きな傷を負うことはなくなったものの、手傷は次第に増えていき、どこから襲われるかわからない恐怖に神経を擦り減らしている。
「せめて、出どころさえわかれば・・・」
ウェイクは反撃の機会を得ることが出来ずにいる。このままでは蓄積した損傷で倒れるのは明白である。アンデルは何も出来ずにいる悔しさに、杖を握りしめる。その時ふとウェイクと目が合う。満身創痍なはずのウェイクの目は、光を失っていなかった。一度のみならず、何度も何度もアンデルに視線を送ってくる。
「そうか!影に潜むというなら!」
アンデルは杖を掲げ、叫ぶ。
「シャイニング!」
光球が弾け飛び、闇を切り裂く。隠れる場所を失った影の動きが止まる。その間隙を逃さず、ウェイクが飛びかかる。
「捕まえたぞ!」
ウェイクが雄叫びをあげる。動きの止まった襲撃者に掴みかかると、そのまま引き倒して大剣を突きつけた。
「な、なんだこいつは・・・!」
ウェイクは襲撃者の正体を見て、驚愕の声を上げる。それは、正に影そのものであるかのように存在感のない、しかし確かにそこに居るものであった。目を凝らしていないと闇に溶けてしまいそうな黒い装束を身に纏い、その隙間から見える顔のあるはずの場所はには、漆黒の闇と目のような光が二つあるのみである。
「アンデッドじゃないのか・・・?」
ウェイクは戸惑いの声を漏らす。ウェイクの知るアンデッドのいずれにも属さないからである。外見しかなく、中身がないアンデッドにはリビングアーマーがいるが、今ウェイクの目の前に居るのはどう見ても鎧ではないし、ウェイクの体を散々斬りつけてきた獲物は、東の大陸で主に見られる刀であった。
「アンデッドではない闇の住人・・・まさか闇の、精霊・・・?」
アンデルが推測を思わず口にした。
「如何にも。」
影はさも当然と言わんばかりに答える。
「闇の精霊だと?」
「闇の精霊がなぜ人間に手を出す?精霊は人間とは無関係を望むものが多いと聞く。」
アンデルは闇の精霊に問い掛ける。闇の精霊は気取ることなく答える。
「次元の扉を開けようとしたからだ。」
「次元の扉?その扉か?」
ウェイクは相変わらず禍々しい気配を放つ扉を見やる。
「これはなんだ?アンデッドを呼び出して居るのか?」
アンデルは前のめりに問いかける。
「アンデッドは漏れ出す瘴気より産み出された副産物。災いは扉の向こうにあり。」
闇の精霊は、アンデッドは前哨に過ぎないと言った。これ以上の災いがあるのかとアンデルは衝撃を受ける。その災いがなんであるかを聞き出そうとしたその刹那、アンデルは背筋が凍るほどの魔力を感じた。
「来てしまったか。」
闇の精霊が呟いた。
「扉が、開く・・・?」
ぎぎぎ、と建て付けが悪いかのような音を立て、扉が開け放たれ、瘴気が辺りに充満する。
「ほう、活きのいい餌がいるな。」




