第八話 夢見る子供たち 後編
『オールドアルケディア中央区』
オールドアルケディアにおいてそこは最も繁栄した場所だった。立ち並ぶ劇場、当時流行の中心だったサイレント映画が上映され、アールデコの高層建築の立ち並ぶ金融と文化の中枢部、中央図書館、美しい公園、何よりも 誇らしいアルケディアの心臓。繁華街、デパート、人間の欲も希望もそこに集積され 大勢の人たちが通りを行き交っていた。
およそ100年前の大恐慌時代、行き場をなくしたホームレスたち や貧しい人々が最初に住み着いたのもまたそこだった。
戦時中に文明から切り離されそこで生きていかざるを得なくなった人たちは、そこからさらに数十年、親から子へ、子から孫へ世代をつないでいった。
屋上に公園に畑を作り、食べ物がない中で自給自足。足りないものは自分たちで作り出しやがてそれは新しい文化を生み出していった。複数の民族、ルーツを持つ人たちがともに暮らし、言葉すら入り混じっていった。2つ以上の言語が重なり合い独自の言語が生まれアルケディアという都市の中に全く異なる 言語と文化を持つ人々の文化圏が生まれたのだった。
中央区に住むアルケディア=オールディーズと呼ばれる団体が存在する。
工夫しながら、法律も食料の調達手段も、インフラも何もかもなくした人々が100年の間に自分たちのルールを決め、畑を作り、自分たちで生き続けた。そんな人たちだ。
外部から見ればこれほど厄介で得体の知れない団体はないのだろう。法律もルールもわからない、言語すら通じない、何をしているのかわからない団体。
それはオールドアルケーディアという存在そのものが生み出した新しい民族だった。
警察はおろかマフィアすら、彼らにだけは近寄ろうとは考えなかった。言葉すら通じない連中というのは何よりも得体が知れない。
マフィアがオールドアルケディアを避ける最大の理由は彼らの存在だったのだ。
だが、子供たちというのは別だ。
言葉が多少わからなくても平気で話しかける。アレクやダリアたちにとっては、幼い時からいる近所の人々でしかないのだ。
だから怖がらずに中央区にだって平気で遊びに行く。
アイリスも止めたりはしない。
本当は言葉がほんの少し通じないだけで彼らもまた同じスラムに住む住人なのだから。
挨拶をすれば笑顔で答えてくれるし、子供同士でたまに遊ぶことだってある。
アイリスが作った手芸用品を持っていけば野菜を分けてくれたりもする。
決して怖い人達ではない。
「見て見て!あれが劇場跡だよね」
ピィが指さして興奮したように話す。
「おー、結構でけえな」
わくわくした表情のジャック。
「向こうに見える建物、屋上がジャングルみたいだね」
アルはキョロキョロと周りを見渡す。
「一度下に降りてから入った方が良さそうだな。劇場に繋がっている橋はなさそうだ」
とエース。
建物の中の階段をランプで照らしながらゆっくりと降りて行く。下の階に住んでいる人たちに出会う。
「ハロー!ニーハゥオラ!」
「ハロー!ニーハゥオラ!」
子供達は元気に挨拶をして階段を降りて行った。
中央区のオールディーズが日常的によく使う挨拶だった。
かつては大通りだっただろう道は、すっかりと草が生えていてちょっとした森みたいだ。
手入れのされた果樹園と畑がある。働いている人たちに手を振る。
子供達はその横を元気よく歩いて行った。
劇場の入り口は錆びた百年も前の映画の看板がまだかけてある。それは大昔の喜劇役者と美しい女優で、あの当時の 洒落たワンピースと帽子の淑女、ダンディーな喜劇役者はスタイリッシュなスーツがビシッと決まっていた。
ガラスの扉を手で開けて中に入ってゆく。
ギギギッ……と扉のきしむ音がする。
ワインレッドのカーペットと、豪華な客席が並ぶ劇場内は当時の華やかさを伝えていた。
「すごい!キラキラしてる!」
ピィがびっくりしたみたいな表情で天井を見上げる。
「綺麗だね……」
「ああ、すごいな」
アレクやアルたちも天井を見上げてため息をついた
蜘蛛の巣のついたシャンデリアはエントランスから差し込む太陽の光で輝いていた。ホールにキラキラとした光が反射する。
かつて大勢の人が歩いたであろう、フェルト製の絨毯は足音を消してしまう。
ランプの光を頼りに子供たちは進んで行く。
劇場の中はさすがに暗い。
「うーん、えーい!開け」
子供たちは力を合わせ、錆びついた真鍮の手すりを持って、その大きな扉を開いた。
「わぁ!」
舞台が姿を現す。
天幕はところどころ破れていたが未だにその光沢のある美しい ベルベットは当時の絢爛豪華な雰囲気を伝えていた。
豪華な客席が並んでいる。階段状に並ぶ、大きくて柔らかそうな椅子。
舞台はホコリが積もっていたが、磨き抜かれたマホガニーの床板は未だにかすかに光っているように感じた。
「すっげー俺こんなの見たことない!」
ジャックが興奮したようにそう言った。
「すごいだろ!」
なぜか得意顔のアレク。
彼はリュックを下ろすと、ダリアからランプを受け取り舞台へと登った。
ランプが一つしかないために、それを舞台に置いてしまうと劇場内はとても暗い。
ダリアとクリス、ピィとアルは劇場の舞台の真ん前の席に座った。100年が経っていたにも関わらず椅子は柔らかく体が沈む。
「あー……また始まった」
コールが呆れたように言う。
舞台から見渡す劇場内、隅々まである客席とピィやアルたちのわくわくした表情。
きっと昔の喜劇役者はこの舞台から大勢に見られ、自分の演技をしてダンスや歌を歌い拍手喝采を浴びたのだろう。
舞台の上で軽く足踏みを始める。
音楽があったら最高なのに、彼は耳を澄ませた。
ホールの中は子供達の声やざわめきが聞こえるぐらいで外の音は何も聞こえない。
だが舞台は不思議な力を持っているのだろう。
アレクは映画で見た華やかな世界を思い出す。
コミカルに踊る紳士たち、スイングジャズの音楽、映像でしか見たことがないラインダンスに、目をつぶれば見えてくる大勢の観客。
そうだ、ここに立つ者はスターだ。自分の演技をして大勢の人々に喜んでもらう喜劇役者なんだ。
リズムを刻み、彼は踊りだした。
チャップリンの映画を見て覚えたステップダンス、それは見よう見まねで本来のタップダンスとは違ったものになっていたが 彼は構わなかった。
目の前に自分のダンスを見てくれているピィやアルたち、百年前にいたであろう 大勢の観客たち。
自分の心音をリズムに、心の中に流れ出る音楽を拾い集め、彼はダンスをする。
それはほんの短い時間だった。
タップをターンをして客席に向かってお辞儀をする。
ほんの1分ほどのダンスだったが、彼の心の中にある思いを産んだ。
いつか大勢の、満杯の客席でこんな風にダンスを踊りたい。
憧れのチャールズ・チャップリンやバスター・キートンのように舞台に立って人々を笑顔にしたい。
この大きな舞台は夢見る力を彼に与えてくれた。
「すごーい!」
「やっぱりアレクはすごいねぇ」
興奮して目を輝かせるピィと、ニコニコと笑ってうっとりとした表情のアル。
「さすが、うまいなアレクは」
とエース。
「なあ、それってビデオ見ただけで覚えたんだろ?すげぇよな」
ワクワクした様子のジャック。
「おい、あんまりおだてると止まらなくなるぞ。こいつ」
コールがため息をしながらそう言った。
「なあ、舞台袖の方に行ってみないか!」
アレクは天幕の向こうを指さす。
「行きたい!行きたい!」
ピィは1番に席を立って舞台へと駆け上がる。
他の子供達も次々と舞台へと上がっていった。
まだ小さいクリスは、コールが舞台の上まで抱えてあげる。
子供達は舞台袖へと入ってゆく、扉3段ほどの段差があってさらに奥へと入って扉を開けて進んでゆく。
ギィィー
扉のきしむ音。
「わぁ!」
ピィは歓声を上げた
そこにあったのは かつて役者たちが使っていたであろう控え室――ドレッシングルームだった。
電球のいっぱいついた大きな鏡が並んでいる。
その前にあるのは香水瓶だろうか。
美しい色とりどりの複雑な形の瓶が並んでいた。奥には大きなクローゼット。当時上映されていたであろう芝居や映画のポスターが所狭しと並んでいる。壁の横に本棚、おそらく並んでいるのは舞台の台本や当時の流行の雑誌だろう。埃まみれだが質の良いクッション、部屋の隅に大きなソファー。
小物をしまってると思われる大きな箱、ほどけたリボン。しゃれた紳士がかぶる帽子、ハンガーにかけっぱなしの衣装もある。
蜘蛛の巣を取り払い、子供達は中へと進んで行った。
クローゼットの中には当時の 舞台衣装がそのまま残っていた。
絢爛豪華なビクトリア時代 を彷彿とさせるドレスの数々。深紅にフェイクの宝石をあしらった派手なドレス、淡い水色にたっぷりのレースとビーズのついた水の精霊が身にまとうようなドレス、黄色い色にひまわりの造花がたくさんついた花の妖精のようなドレス。そうして模造の天使の羽、黒い堕天使の羽、虹色の孔雀のような羽飾り。これもまた真鍮で作ったフェイクの宝石がたっぷりついた王冠、妖精の羽、魔法使いの帽子。
リボンタイにモーニングスーツ、アンダーのドレスシャツは何種類もある。たっぷりとレースをあしらったもの ボタンの横にフリルがついているもの、シンプルなスッキリしたもの。
「すごい!すごい!お姫様のドレスだぁ」
ピィはドレスを抱きしめて、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。
見てこの引き出しの中!帽子がいっぱい!
引き出しを開けたアルがご機嫌で中の帽子を引っ張り出す。
「見て見て!ピエロの帽子だよ」
アルはそう言ってアルルカンがかぶるような先の2つに分かれたジャグリング帽子をかぶった。
片方だけ鈴がついた帽子はシャランと音がした。
他の子供達もやってきて引き出しの中を覗き込む。
「見ろよこれ、魔法使いの杖だ!」
ジャックはそう言って引き出しの中にあった杖を取り出す。
「えーい、お前に魔法をかけてやる!覚悟ー!」
そう言ってエースに向かって杖を向ける。
「そんなもの、この盾で防いでやる。お前の魔法など俺にはきかない!」
エースはドレッサーのそばに立てかけてあった騎士の盾を手に取った
2人は大声で笑い合う。
「それじゃあ私は海賊ね!」
ダリアが引き出しの奥の方に入っていた海賊の帽子をかぶる。
「おお!いいじゃんそれ!」
ジャックはそう言った。
「僕も何かの役やりたい!」
クリスがそう言い出した。
まだまだ、いっぱい入ってるからクリスも好きなの。使いなよ
引き出しの中にはまだまだ作り物の剣や帽子などがいっぱい入っている。
「これ、ネコちゃんの耳かな」
そう言って耳のついたカチューシャを取り出す。
「もしかしたら狼かもしれないよ!」
とピィが言った。
「がおー!!」
クリスは狼の鳴き真似をした。
「それじゃあピィ、赤ずきんちゃんやるー」
その様子を見ながら、コールはやれやれと言った顔をした。
「じゃあ俺が猟師の役をやってやるよ。ダリアがおばあちゃん役 な」
「ちょっと勝手に決めないでよ!もうちょっといい役がいい!」
アレクは引き出しの中にあったステッキを取り出す。
まるでチャップリンが使っていたような、しなやかなステッキ。
それをくるんと回した。引き出しの一番奥に入っていた黒い中折れ帽を取り出す。
頭の中でスイングジャズが流れる。
百年前に時間を止めてしまった劇場の楽屋で子供たちは大騒ぎで舞台衣装や小物を出して喜んでいた。
「見ろよこれ!一輪車があるぞ。それにこっちは何だろう?ピエロが放り投げている瓶みたいなやつ」
それはジャグリングのピンだった。
サーカスごっこができるね!
とアルが嬉しそうに言った。
「空中ブランコとか綱渡りとかするやつだな!」
「ピィ、アニメで見たことある!ここって何でもあるんだね
見てよお面もあるよ」
そう言ってクリスが下の引き出しを開ける。
可愛らしいものからちょっと怖いものまで、色々なタイプの仮面が中に入っていた。
アレクは本棚の方に近づいて行った。
古い台本、百年以上前の雑誌。
シェイクスピアのお芝居だ……
アレクは一冊の本を手に取った。
アレクはこの日初めて『台本』を手にした。
旧図書館で借りた本はあくまで台本ではなく『小説』だったのだ。
パラパラとページをめくる。小説とは違い、セリフに箇条書き、舞台で演じる上のメモ書きなども中に書き込んである。
借りて行こう。
アレクは本を三冊そっとリュックの中にしまった。
家に帰ってじっくりと台本を読もう。
宝物をしまうように大切に。
ここに立っていたスターたちもこの本を読んで、実際に演じて、大勢の人たちを楽しませたんだ。その本の中には百年前の輝かしい舞台の記憶が眠っているような気がした。
「ねえ、みんなそろそろ帰らないとお昼までに家に着かないわよ!」
とダリアが言った。
「マジ!もうそんな時間か?」
アレクが焦ったように言う。
昼からコールと一緒に、スーパーでの仕事があるのだ。
「ねえ、ピィこのドレス持って帰っていい?」
明らかに大人用のぶかぶかの青いドレスを彼女は差し出す。
「一枚だけならな」
アレクはドレスをリュックに詰めた。
「じゃあ僕はこの帽子持って帰ろうかな」
アルが嬉しそうにそう言う。
「よーし、俺はこの一輪車持って帰るぞ」
とジャック。
「まじかよお前!それかなり重いぞ」
とエースが呆れたように言った。
「言っとくけど俺は途中で持つのを換わってやらないからな!」
「分かってるって!」
そうは言ったところで、実際には重くて途中で一緒に運ぶことになるだろうなとエースは思った。
「ねえ、この可愛い瓶も持って帰っていい?」
「いいんじゃない?」
とダリアが言う。
「これにお花入れたら可愛いだろうな」
ピィは目を輝かせていた。
子供達は急いで 元来た道を戻って行く。
外に出て、畑仕事をしている中年の男性にアレクは声をかけた。
「何、話してるんだろう」
とコール。
「一応劇場から色々持ってきたから、一言話してるみたいだよ
とダリアが言った。」
「……アレクもダリアも、よく中央区の人たちの言葉わかるな」
エースが不思議そうな顔をしてそう言った。
「まぁ、ずっと住んでるからね。赤ちゃんの時から。慣れよ慣れ!」
「俺はとても覚えられそうにないな……」
コールがそう言った。
手を振ってアレクが戻ってくる。
「おじさん、また好きに劇場で遊んでいいって!それから劇場にあるものも持って行っていいって!」
得意そうな表情である。
「やったー!」
「また来ようね!」
クリスとピィが嬉しそうにそう言った。
なんとか東ブロックの我が家に戻ってきた時には 少しお昼を回ったぐらいの時間になっていた。
「みんな、おかえり!」
アイリスが迎えてくれる。
食卓はいい匂いがして、コンソメスープとパスタとパンが並んでいた。
「トマトがある美味しそう!」
「屋上の菜園からもらってきたの。パンに挟んで食べてね」
とデイジーが言う。
「いただきまーす」
元気な子供たちの声がして昼食の時間は楽しげに過ぎていく。




