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第二話 オールドアルケディア

『オールドアルケディア』

 それはかつて都市の中心部であり最も栄えた美しい場所だった。川の中洲に発展し周りを川で取り囲まれたその場所は、アールデコ時代の摩天楼が立ち並び、繁栄と絢爛さの象徴でもあった。

 だが時代は流れてゆく。

大恐慌の時代、所有者を失ったビル。

世界大戦で次々と壊されていった街と外をつなぐ橋。

いつのまにかここは見捨てられ、置いて行かれた。

戦後の復興の中で所有者不明のこの場所は、都市の繁栄から置き去りにされたのだ。

それでもそこに残った人たちはたくましく生き続けた。

 ビルの上に畑を作り、街の中を流れる何本もの川を利用した。

ビルからビルへと住民たちの手でロープや木で作った橋をかけ、トタンや木材で勝手に増築されていく違法建造物たち。

 人々が生き続けるという限り、ここは変化し複雑に絡み合い、そのたくましさと創意工夫の上に成長してきたのだ。

蜘蛛の巣のように張り巡らされた橋に覆われた街、それが オールド アルケディアである。

 百年の間にここはそうやって変質していったのだ。

このアルケディアという都市の問題を全て飲み込んで。

ここには行政も法律も適用されない。医療も安全もない。

学校もなく、まるで存在しない空白地帯のように広がっている。

だが、確かに人々はここに生きているのだ。


――二十六年前

 一人の少女が橋を歩いていた。

重そうに荷物を背負い、足を引きずりながら歩いている。

骨が曲がってしまっているのだ。

それは彼女が子供の頃、骨折して十分な治療を受けられなかったことによる。

骨は曲がったまま、それでも治っていった。

ここにはそういった子供は彼女以外にもたくさんいる。


 日差しはまぶしく、うだるような暑さ。

住民たちが勝手に作った木製の橋は不安定な足場だった。

所々木が傷んで穴が開いていたり、木材がまっすぐなっていなかったり、あるいは修理しようとして上から木を打ち付けてボコボコになっていたり。

かつて戦争で失われた橋は大きな主要なものは行政が立て直したものも何本かはあるが、そのほとんどが放置されていた。

 だがオールドアルケディアの住人たちは、それを自らの手で新しく作り直し何度も修復していったのだ。

今では オールド アルケーディアとそれ以外の地区をつなぐ橋は大量にかけられ、それこそ数百メートルごとに誰かが作った乱雑な橋がかかっている。


 彼女は橋の中当たりまで来てあることに気がついた。

黒いベビーカーだ。

橋の欄干におそらく、ベビーカーが滑り落ちたりしないようにロープで括りつけられている。

確か旧市街の方に行くために午前中に橋を渡った時はこんなベビーカーはなかった。


 彼女はかけより、そっと中を覗き込んだ。

――赤ちゃんだ。

中で小さな赤ん坊が笑っているのが目に飛び込んできた。

 彼女と目があって笑っている。

まだ小さな女の子の赤ちゃんだ。

生後8ヶ月くらいだろうか。

 赤ん坊はキラキラとした笑顔で彼女を見上げて笑う。

その小さな手を伸ばし、とても嬉しそうに笑っているのだ。

……どうしよう。

こんなところにおいていけない。

彼女は欄干にかけてあったロープをほどき始めた。


 彼女はベビーカーを慎重に押して前へ前へと進み始めた。

「大丈夫よ、怖くないから」

赤ん坊の笑い声が聞こえる。

不自由な足に重たい荷物、さらには木製の橋。いつも通っている道とはいえ、赤ん坊がいれば少しばかり緊張感が走る。


 込み入った廃ビルの隙間をベビーカーを押しながら進んで行く。

ある一つのビルの前で彼女は止まって上を見上げた。

ベビーカーから赤ん坊を降ろす。

ベビーカーの下のところに赤ん坊の荷物を入れるスペースが空いている。

そこに入っている荷物に気がついた。

中の袋を開ける。

入っていたのはその子のものだろうか。

小さな青いベビー服が数枚と哺乳瓶、折りたたんだ1つの紙。

彼女はそれらを 袋の中にもう一度しまうと、赤ん坊を抱え階段を登り始めた。ビルの外側についている螺旋階段はすっかりさびついてかなり足場が不安定だ。

所々、木材で補強されている。

赤ん坊を抱え一度 背中の荷物を下ろすと、1段ずつ気をつけて彼女は上がって行った。


 3階まで上がると扉を開きビルの中へと入って行く。

薄暗い廊下に、ポツンとアルコールランプが吊るしてあった。

彼女はある 部屋の前で足を止めた。

「先生!ただいま先生!」

そう言って扉をノックして開ける。

「ママー」

そう言って二歳ぐらいの赤毛の女の子が走ってやってきた。

その後ろに続くようにやはり二歳ぐらいの女の子と男の子が走ってやってくる。

「ダリア、みんないい子にしてた?」

「ダリアいいこ」

「アレクもいいこ、してた」

「デイジーもデイジーも!」

「みんなちゃんといい子で待っててくれてありがとう」

そう言って彼女は幼い子供たちの頭を撫でた。

「ママ、あかちゃん」

「あかちゃん!」

幼い子供たちは彼女が連れてきた赤ん坊を見て目を輝かせていた。

その時だった、ガチャリと扉が開く音がした。


「おかえりみんな良い子にしていたよ」

初老ぐらいの男性がやってきてそういった。

「あ、オスカー先生ただいま!子供達のことありがとう」

そう言って彼女は笑顔で答えた。

「アイリス。お前、その赤ん坊は?」

初老の男性が驚いたような顔をしてこっちを見る。

「赤ちゃん、橋のところにベビーカーと荷物と一緒にいたの。この手紙が荷物の中にあった」

アイリスはオスカーに手紙を渡した。


手紙には一言、

『この子をお願いします』

とだけ書いてあった。


「捨て子か……」

オスカーは独りごちた。

「最近また多いね」

「多いねじゃない。お前は自分の娘のダリアもいるのに、また連れてきたのか……」

呆れたように男性は言った。

「仕方ないでしょ、あんなところに置いておけるはずがないもの」

「そうは言っても、アレク、デイジーと続いて三人目だぞ。ここは託児所じゃない」

そう言ってため息をついたオスカーは赤ん坊の方を見た。

 赤ん坊はキャッキャと笑っている。

「それでこの子の名前が書かれたようなものはあったのか?」

「ううん、手紙にはこれだけしか書いてなかったし、荷物にも名前は書いてなかった」

「そうか、服に名前が書いてあるといいんだが」

「待って!ちょっとこの子をお着替えさせるから」

アイリスはそっとボロボロのソファーの上に赤ん坊を寝かせると、服を脱がして着替えさせ名前がないか確認する。

「ダメ!どこにも名前書いてないわ」

オスカーはため息をついた。


 スラムのオールドアルケディアと、それ以外のヴァストン工業地帯や古くからある旧市街あるいは金持ちたちが住んでいるルミナス地区と呼ばれる高層ビル群は橋で繋がっている。

 そしてその橋にはたまにこうやって子供が捨てられていることがある。原因は様々だ。一つは移民政策の失敗がある。

安い労働力として、不法移民をこの都市は受け入れてきたのだ。

だがとても労働環境が良いとは言えず給料もまたひどいものだった。国民保険が存在しないこの国で、医療というものはそんな貧乏人には無縁のものだった。

 こうやって生まれた子供が捨てられるのはよくあることなのだ。

この子の親もまた、そんな環境でこの子を捨てたのだろう。

 もしちゃんと、捨てられた子供に対するケアや受け入れるための法整備や施設整備がされていればそちらに親も連れて行ったのだろうが、ここアルケディアにはそんなものは存在しなかった。いや全く存在しないわけではないのだが、あまりにも脆弱でいつも保護施設の定員は満杯だったのだ。

 スラムの手前の橋に捨てれば、スラムの住人が面倒を見て育ててくれる。それは貧乏人たちの間ですでに広まっていたものだった。

 この子の親が名乗り出てくることはないだろう。

だとすれば残る道はただ一つ……


「仕方がないな……名前をつけなくては」

「そうね、とっても可愛い子。この子の瞳、キラキラしててとっても綺麗よ。虹の色みたい」

 太陽の光に透けた瞳は、ブルーとグリーンを主体にしたグラデーションを描いていた。

アイリスはそう言って赤ん坊を抱え上げ、そっとオスカーの方に渡した。

「瞳の採光、アースカラーだな。ブルーとピーコックグリーン、金色が混じっている。ピーコックオパールみたいな色合いだ」

「先生、ピーコックオパールって何?」

「ああ、分からないか。ちょっと待ってろ」

オスカーは一冊のボロボロの図鑑を持ってきた。

ページをめくれば宝石の写真がたくさん掲載されている。

「これがピーコックオパールだ。孔雀の羽みたいな色のオパールのことだ」

「すごく綺麗。この子の目の色と、とってもよく似ているわね」

「そうだな」

「そうだ!この子の名前、オパール=ピーコックなんてどうかな?」

「……オパールか、いいんじゃないか。よく似合いそうだ」

「よし!じゃあ決まりね!あなたの名前はオパール!オパール=ピーコックよ!」

アイリスは嬉しそうにそう言って子供たちの方を見た。

「みんなこの子はオパール、オパール=ピーコック!」

幼い子供たちは赤ん坊を取り囲んでいる。

「おー……ぴ?」

「はは、お前たちにはちょっとまだ発音が難しいだろうな」

そう言ってオスカーは子供達の頭を撫でた。

「ぴぃ?」

幼子の、赤毛の男の子がそう言った。

「そうだなピィだ。妹だと思って仲良くするんだぞアレク」

「うん!」

アレクは元気にそう言った。

赤ん坊はみんなの輪の中でそのキラキラとした透き通った瞳で笑っていた。

 こうしてまた、スラムの子供たちの集団の中に小さな赤ん坊が加わったのである。幼い子供達にまだ少女の母親。

母親であるアイリスもまだたった16歳の少女だった。


 ここでは子供が子供を育てて、成長すればスラムの外の世界へと巣立ってゆく。彼女のように足が悪くなければ……


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