刺さる言葉 - 2/4
その日の午前中は、週末のミサのための掃除をしていた。掃除機をかけている間もずっと眉間の疼きから意識を逸らせない。もちろん棘はすでに抜いたが、小さな跡が残っている。虫刺されに見えなくもない。
幸いなことに今日は訪問者もいなかった。正直に言えば冷静を装っていても頭の中がぐるぐるしていて、まともに応対できる気がしなかったのでありがたい。
ただ、夕方頃にいつもの客が来てしまった。「ちわーっす」と俗な挨拶を放り投げながら無遠慮に入り込んで来たのは、地元の高校に通う “ソラ” という少女である。字までは知らない。その程度の知り合いだ。
彼女は学校へもバイト先へもこの教会の前を通るため、なんとなしに顔見知りになった。そして何度か話をするうちに、この教会は便利な休憩ポイントとして認定されるに至った。
「あれ、神父さんおデコどうしたのソレ。聖痕ってやつ? メッチャ面白いとこに穴空いてるじゃん。」
面白い──そうだ、彼女はなんでも面白がる。何にでも興味を示し、何にでも首を突っ込む。初めて私に話しかけてきたのも、ずかずかと教会に乗り込んできたのも、すべて「なんか面白そうだったから」と言っていた。
そんな彼女にだったら...どうだろう。喋るサボテンの話など人に話したところで正気を疑われるのがオチだが、ソラさんなら面白がりつつも信じてくれるかもしれない。
出張の土産に買ってきた高級冷凍肉まんを分け合いながら打ち明けてみた。
「──で...喋ったんですよ、そのサボテンが。」
「へぇ、ウケる。」
ソラさんは笑いもしなかった。正確には愛想笑いの気配だけを見せて、それ以上はやめたようだ。
「信じてませんね。」
「当たり前でしょ。最近働きすぎなんじゃないの神父さん。ちょっと休んだら、本気で。」
心配してくれている。それはわかる。私自身、あれは幻覚だったと思う方が精神衛生上は遥かに良い。
しかしこの棘の跡は.....鏡で自分の顔を見るたびに、あの時の声が耳の奥で再生される。
眉間の疼きを抱えたまま、日が傾く前にもう一度 “あの場所” へ行ってみた。ガードレールの汚れも、伸び放題の雑草も、茂みの中の送電塔もそのままだ。だが、サボテンだけは跡形もなく消えていた。
2時間近くも付近の雑木林を一通りぐるりと歩き回ったが、結局見つけることは出来なかった。引き抜かれた跡もない。最初からそこになかったように、平らな地面だけがある。
或いはほんとうに夢だったのかもしれない──自分の中でそう片づけて、数週間が経過した頃だ。妙な噂にぶつかった。
「町の裏山に、喋るサボテンが生えてるらしい」
常々不本意に思うことは、我々のような宗教人がテクノロジーの恩恵を受けていると驚かれ、時には非難さえされることだ。電気や水道や電話は使うのに、同じインフラであるSNSを使わない理由はない。私だってアカウントを持ち、町の信者たちとの連絡にも使用している。
その日も休憩のついでにSNSを確認していた。バチカン公式アカウントと教皇公式アカウントを筆頭に、各教区の広報アカウントをはじめ栄光に満ちたカトリック関連フィードに彩られた自慢のタイムラインをスクロールしていく。
そこには時折知らないアカウントの投稿も流れてくるが、それはそういうシステムだから仕方がない。無視するのも慣れたものだ。
だがその日は思わずスクロールを戻し、読み飛ばしたゴミ投稿をしっかり再確認してしまった。
──裏山にサボテン生えてて草──
写真付きだ。というか、この風景には見覚えがある。間違いなくこの町の裏山のどこかだ。
その投稿は既に数百リポストされていて、ぶら下がったリプライ欄では「コラだ」「AIだ」「自分で植えたんだろ」「侵略的外来種の恐怖!!」など、信じてもいないが面白いから乗っかりますよ、という不穏な活気が始まっていた。
翌日には「喋った」の報告が出た。こちらは別のアカウントだった。投稿されている内容は、私の体験とほぼ同じだ。
「裏山を散歩中に独り言を言ったら知らない声に怒られた。見回したらサボテンしかなかった。」──リプライ欄は前日の五倍に膨れ上がっていた。
一週間後にはミーム化していた。
「#喋るサボテン」のハッシュタグが地域のトレンドに入り、写真が何枚も投稿され(明らかな別サボテンの画像も多かった)、二次創作のイラストが出回り始めて、サボテンの "名言集" まで捏造されている。
いわく「文句あるか」「ゴミを捨てるな」「知るかそんなの」「もっとマシな人生送れ」──誰もが勝手に台詞を作って、そこに勝手な人格を見出していく。
それが実話かどうかだなんて、もう誰も気にしていない。いや、最初から気にする者がいたのかどうか。
しかし私は知っている。あれは本物だし、少なくとも一回は喋ったし、棘だって飛ばしてきた。そして、ここから先の展開なんて嫌な予想しか思いつかなかった。
このまま話題が成長していけば──あのサボテンが実在するとすればだが──起こり得るのはだいたいこんなストーリーだ。
まずは裏山が心霊スポットかのように祀り上げられて不審者が集まる。そして町役場か地主が捜索し、「わけがわからないから」と言って刈り取る。
またはYouTuberが特攻して "検証動画" を上げる。それが500万回再生されて、翌週には別のYouTuberが引っこ抜いて持ち帰る動画を上げる。
そんなところだろう。要するに、このままだとあのサボテンはいずれ誰かに──殺される。
そう思った瞬間に、自分でも意外な程の危機感が胸の底から湧いてきた。
なぜだ。会話にもなっていない一方的なやりとりだったし、こっちは一方的に棘を撃たれただけなのに。
まぁ...サボテンが喋ったという事実は、少なくともインパクトのある出来事だった。それに何よりも、あの「文句あるか」を聞いた時から、何かが引っかかっている。こちらの独り言にわざわざ「よそでやれ」と返してきた、針を飛ばしてくるほどのあの苛立ちはなんだったのか。
あれは "喋るサボテン" としてのキャラ作りなんかじゃない。あいつはあいつの事情があったんじゃないのか。それを確かめてみたいと思っていた。
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