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Poly Scape, Poly Time.  作者: 煙亭しっぽ
- The Person Inside -

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4/10

中の人 _ 4/4

 さらに次の月の末。今夜がこの美術館での最後の勤務となる。

 夜が明けたら町を出て、それからしばらくは思いつきで各地をフラフラと放浪する予定だ。そのための準備はすでに、今日に備えて終えてある。


 新しい仕事はなにも決めていない。エージェントとは何度も話をして、そして働くこと自体を一旦止めることにした。ウチダさんにこの話をした時は結構真剣に叱られた。

 だけど、自分で考えて決めたことだった。こんなことは初めてだった。


 この日に備えて本当に必要なものだけを厳選し、不用なものを売り捌いて予算を用意した。たかが50万円程度の小金だけど、野宿でも住み込みバイトでも、何でもやって節約の限り “外” を巡ってみるつもりだ。


 たいして深く考えた末の選択でもないし、ロクな考えでもないのだろうが、決めてしまえば不思議と晴れやかで気分が良い。こんなに憂いなく先のことを考えるのは一体いつぶりのことだろう。


 今夜は階段の中の彼女とは一度も言葉を交わしていない。これが最後なのかと思うと、どうも楽しく話せるかどうか、それが不安で言葉が出てこなかった。

 彼女の方でもそうなのだろうか? 自分が螺旋階段を何度登っても、彼女が声をかけて来ることはなかった。


 それでも、話すべきことはもう決めてある。最後の巡回を終え、詰所で着替えて制服を返納した後、持ち込んでおいた荷物を持って螺旋階段の裏へと戻った。彼女と初めて出会った、あのネジが緩んでいたパネルの前に。


「ウチダさん。ここを開けても良いですか?」


「.....どうぞ。」


 少しだけ間を置いた返事を受けて、パネルのネジを一つ一つ、心を込めて外していった。パネルをずらして開いた穴の中で、いつものカーディガンを着た彼女が座ってこちらを見ている。


「トノサキさん、今日までお疲れ様でした。もしかして何も言わずに行ってしまうのかと、ちょっと不安でしたよ。明日からは旅人ですか。」


「すみません、何だか緊張しちゃって。旅というか何というか──全力で引き篭れるものを、しばらく外で探してみます。」


 それを聞いて笑った彼女の顔は、少し寂しそうに見えた。


「ウチダさん、一緒に出てみませんか。」


「.....私は、外には出られません。」


「ふと中に戻ってしまうんだと、そう言ってましたね。“自分にその気がないから” って。

 それは、今もそうなんですか。」


「..........。」


 彼女の沈黙は少し長かった。それでもやがて、ゆっくりとした動きで身を起こし穴の外へと乗り出してきた。


 吹き抜けの天井からは非常灯の赤い光がほのかに注ぐ。薄暗がりの外周壁には新しい企画展の案内が並んでいる。頭上には今月から展示されている現代アートの新作——毛糸で編まれた巨大な顔が吊り下げられていた。


 そして正面ゲートの脇に伸びるガラス壁の向こうに、空が白み始めた外の景色が広がっている。彼女ははしばらくそれを見ていた。


「...やっぱりいいです。」


 それだけ言って、彼女は穴の中に戻った。


「どうしてですか?」


「内側から見てる方が、世の中が綺麗に見えるんで。」

 

「外の方にも綺麗なものはあるかもしれないですよ?」


「かもしれないです。でも──」


 彼女は少し間を置いた。


「──今のところは、外の世界に用事がないので。」


「.....。」


 この返答を、訊ねる前から予想はしていた。自分と彼女はやはり人種が違うのだと。彼女は美術館になっている。それで完成・・しているんだ。

 少し寂しいが、これが自分たちの最後だ──持ってきた包装箱を手に取って、穴の中へと差し入れた。


「お茶っ葉です。近所の茶房のだけど、ちょっと良いやつ。」


「───そんなもの貰ったら.....外に出て、お礼の一つも言いたくなっちゃうじゃないですか。」


 持ってきたものは他にもある。すっかり使い慣れたドライバーと、表からも裏からも回せる特殊な組みネジ。そしてホームセンターで見繕ってきたハンドルと、何種類かの金具。

 それらを組み合わせてパネルのネジ穴に組み付けて行った。小さな開閉ハンドルがパネルの内側に位置するように。いつでも自分で開けられるように。


「ウチダさんのおかげで、この仕事をしている間はずっと楽しかったです。しかもまさか旅人デビューしてしまうなんて、以前は想像もできませんでしたよ。ここで働いていたのだって、何となくでそうなっていただけなのに。

 ...でも、自分で決めたんです。あなたに会ったことで決められました。

 だから自分からも、あなたが自分で選べるようにだけしておきます。その時まではハンガーでも引っ掛けるのに使ってください。」


 手を加えたパネルをそっと穴に重ねると、かちり──かちりと、彼女が内側から閉じていく。うまく機能しているようだ。


「ありがとうございます。」


「こちらこそ。」


「それじゃあ。」


「えぇ、また。」


 荷物をまとめて立ち上がり、螺旋階段に背を向けて歩き始めた。何度となく潜った通用門から外へ出ると、薄暗い早朝の外が妙に広く感じられた。目の前の景色だけしか見えていないのに、この世界の本当の大きさが何故だかはっきり解る気がする。


 正直に言えば、それが怖い。それでも旅を始めないわけにはいかない。外も捨てたもんじゃなかったと、彼女へ伝える土産話を探すために。



* * * ぽりぽり * * *

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