煙突 - 2/4
「4年2組」と書かれた教室札──前の学校のそれとは、色も大きさも微妙に違った。それに気づいた時、ここはアウェイなんだという事実が急に現実味を持って襲ってきた。大袈裟かな? でも転校初日の緊張感なんて、こんなもんじゃないかと思う。
「新海透真です。お父さんの仕事でこの街に引っ越してきました。今日からよろしくお願いします。この町には.....あの、あの煙突ってなんですか?」
転校して最初の挨拶でそう言ったのが、ちょっとしたつまづきだったらしい。引っ越してきたこの町で最初に覚えたのがあの煙突だ。これでもかってぐらいに目立ってる。聞きたくなるに決まってるじゃないか。だけど、みんなからの返答はパッとしない感じだった。
「何って、煙突だよな。」
「昔っからあるやつだよね。」
「何が気になるの?」
こんな感じ。あのバカでかい煙突を誰も不思議に思ってないみたいだ。産まれた時からそこにあると、そういうふうに感じるものなんだろうか。気にしているのは自分だけで、なんだか場違いなことを言ってしまったらしいことはわかった。
そのせいだろうか、クラスにはまだ馴染めていない。自分は不要に「異物」という第一印象を与えてしまったらしく、少し浮いた感じになっている。
学校だけじゃなく町そのものからも疎外感を感じている。これはただ知らない町に来たからというだけじゃなさそうだ。あの煙突のことが、いつだって気になってしょうがない。
町のどこからでも見える煙突。町のどこでも見渡せそうな煙突。あの煙突が、町に入り込んだ余所者の僕をじっと見張っているんじゃないか──そんな気がしてしまう。
引っ越しの初日、お父さんの車の後部座席から窓の外を眺めていた。初めて来た町の知らない景色が流れていく。知らない家、知らない道、知らない標識。全部知らない。そんな知らない尽くしの中に、真っ黒な棒みたいなものが空に突き刺さっているのを見た。
最初はそれを、心強いと思ったんだ。それというのも僕はたぶん、この世で一番の方向音痴だから。家から100メートル離れたコンビニへ行こうとして、なぜか一周回って家の前に戻ってしまったことがある。前の学校では帰りに寄り道しようとして、気づいたら隣町の学校にたどり着いていたこともあった。
そんなわけでお母さんからの注意事項が三つある。必要もなく知らない道を歩かない、林や山には絶対入らない、迷ったらその場から動かないで電話する──最後のルールのせいでスマホを持つのは許されている(道案内以外の用途にはほとんど使えない制限付きだけど)。
だから知らない場所・初めて来た場所というのは本当に怖い。これは僕にとって冗談じゃなく切実な問題だ。生きていくには家から出かけることも必要だ。なのに迷うとわかってて出かけなきゃいけないなんて、僕の人生は随分と厳しい。
そんな事情で、最初にあの煙突が目に入った時には良い目印になると思ったんだ。この町でなら今までよりも道に迷いにくいんじゃないかと、そんな期待を持っていた。なのにその煙突は、実際には拒絶のシンボルみたいに生活の中に君臨してる。
自分で地図を作ってみようかな──と、そう考えたのは引っ越してから2週間目のことだった。
きっかけはクラスメイトの一人が先生に「自分でノートを取らないと、ただ聞いてるだけじゃすぐに忘れちゃうぞ」と言われていたことだった。なら道だって──と思いついた。自分の足で歩いた道を、自分の目で見た目印を、自分の手で書き起こせば、他人の手で用意された地図よりも強く頭の中にイメージが残るんじゃないかと、そう思った。
手始めに100円の白無地ノートを買ってみた。そこに、自分が歩いた道だけを一本ずつ書いていく。
最初に書いたのは家と学校までを結ぶ道だった。その道自体はもう覚えているけど、道の両脇にあるものを全部書いてみた。「赤い屋根の家」「でかい犬がいる家(近づかない)」「自販機(変なサボテンキャラが描かれている)」「カーブミラーが2つ並んでる交差点(危険地帯)」──地図というより日記に近いかもしれない。
次は家からスーパーへの線を引いた。その次は家から公園へ。そして公園から図書館へ。学校からコンビニへ。スーパーから消防署へ。そうやって少しずつ線を増やしていく。線に沿って町の情報を書き込んでいく。
線が増えるたびに白かったノートの中に町が育っていった。怖かった場所に名前がついて、知らなかった町が徐々に僕の生活と結びついていく。
それはなかなか楽しい遊びだった。初めて自分の迷子の才能に使い道を見つけられた気がする。一ヶ月もするとノートの地図は半分以上のページにまで広がっていた。行動範囲は最初の3倍──家から半径1キロ以上はカバーできてる。前の町では半径500メートルがせいぜいだったのに。
ノートの地図には、まだまだ白い部分がある。それを見ていると、もっと埋めたいという衝動が自然と湧き上がってきた。あの道を歩けばあそこに辿り着くはずだ...この路地を曲がった先にはあの公園が見えるはず...そんなふうに頭の中で、町の姿が少しずつ出来上がっていく。無自覚だけど、たぶんそれは科学とかと似たようなプロセスだったのかもしれない。
そうして全てのページが地図で埋まる日も近づいてきた頃に一つの問題にぶつかった。
あの煙突にたどり着く道が見つからない。
高台の公園から見れば、煙突はいつだってそこにあった。根元の方は建物に囲まれててよく見えないけど、町の中心のやや北東方向に外れたあたりだ。
煙突は雲を刺すほど真っすぐに立っている。信じられないほど太い。そして近そうに見える。距離にして5キロもないはずだ。なのに煙突に向かって歩き始めると、いつの間にか知らない場所に出てしまう。
しかもそれは僕の方向音痴のせいじゃなさそうだった。スマホの地図アプリで煙突のあたりを指定して歩いたことがある。最初は真っ直ぐ煙突に向かって進んで案内される。だけど少しずつ道がズレていく。
近づくほどに道の曲がり方は大きくなって、やがては煙突を横に見て歩くことになる。そしてそのままぐるぐると回り続けて、いつの間にか煙突を背にして歩き始める。
“方向音痴だから迷う” ──それなら今までの経験で慣れている。だけどこれは違う。ちゃんと正しい方向を目指しているのにたどり着けない。
アプリの地図を見返してみた。煙突の方角に伸びていくはずの道が全部どこかで曲がっている。曲がって、別の道に繋がって、気づくと出発点の近くに戻っている。ノートに書き込んだルートも全部、まるで煙突を避けるようにぐにゃりとカーブしている。市販の地図にも煙突にまっすぐ向かう道がない。
ねぇ、さすがにおかしくない?
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