煙突 - 1/4
サボテンの棘が指に刺さった。今日だけで三回目だ。
のどぼとけ──いや、記録出入区画第1管理ゲートは以前の一件以来、すっかりサボテンの巣窟と化している。ありとあらゆる隙間から、手のひらサイズの連中が掃こうが刈ろうが生えてくる。もう諦めた。共存の道を選んだというか、選ばざるを得ない。敗北──全面降伏というやつだ。
おかげで小屋の中は日がな微かに青臭い。端末のキーボードにまで根を張ろうとする奴がいるのには参ったが、最近はそいつを鉢に入れてモニターの横に置いている。名前? あるわけがない。つけてたまるか。
ともかく、環境がどうあれ仕事はやってくる。今朝も端末にログインして通行予定を確認する。
「住区緑化推進・第3フェーズ(植栽追加30本)」 入区
「ポイ捨て禁止条例・罰則改訂案」 入区
「学習塾の全面広告(バス車体ラッピング)」 保留
「古紙リサイクル促進標語・令和19年版」 出区
いつも通りの通常業務だ。チェックボックスを一つずつ埋めながら缶コーヒーを開ける。サボテンの合間に缶を置くスペースを確保するのも、もはや朝のルーティンである。
午前中の人の出入りは少ない。今日もそうだろうと思っていた。しかし朝の8時を回った頃、橋の向こう側──霧の中から人影が現れた。入区者だ。
やって来たのは中年の男で大きなスーツケースを引いている。歩き方が少し固いところを見ると、この町に来るのは初めてなのかもしれない。
端末に表示された入区者情報に目を走らせる。
区分:入区──確認。
氏名:シンカイ──確認。
職業:電気技術者──確認。
付記:転入・家族帯同──確認。
家族帯同は珍しくはないが、家族の姿は見えない。先に本人だけが来たのだろう。
「おはようございます。入区にあたり、転入届は提出済みですか。」
「はい、先週オンラインで。子供の転校手続きがまだ少し残ってるんですが──」
「お子さんがいらっしゃる?」
「息子が一人。小学4年です。妻と一緒に来週こちらへ来る予定です。」
家族は後着、よくあるパターンだ。端末で転入データを照合し、問題がないことを確認して通行を許可する。町の案内冊子を一冊渡して終了...それで終わるのが従来は常だった。
「...あの、なぜこんなにサボテンが?」
「.....そういう職場なんです。」
最近はいちいちこの手の質問への応答が加わっているのが手間だ。まぁ、仕事を続けていれば瑣末な手間が増えてくるのはよくある話。気にしないほうがいい。
男は怪訝な顔をしつつも冊子を手に取り、橋を渡ろうとして──ふと足を止めた。町の方を見上げている。視線の先を追わずとも、何を見ているかはわかる。
「あの──あれも、何ですか?」
こちらの質問も最近は増えている気がする。一体何が気になるというんだ。
「煙突ですよ。」
「それは見ればわかるんですが.....あの大きさは一体......。」
霧の向こう、町の輪郭の上にそびえる黒い塔。太さはビルほどもあり、高さはよく知らない。知ってどうするんだそんなことを。
「昔からあるものです。何の煙突かは私も知りません。」
「ご存知ないんですか?」
「ええ。別に困ったこともないので、そういうものとして扱っています。」
男は少し驚いた顔──いや、呆れた顔だろうか──をしたが、やがて頷いて歩き去った。端末の項目を閉じて、今度こそ終了だ。
以前も似たようなやり取りがあったが、あれは町を出て行った若い旅人の時だったか。あの時も煙突について聞かれ、私は同じことを答えた。煙突は煙突だ。昔からある。何の煙突かは知らない。それで誰も困っていない。
──本当に困ったことがないのかと問われたら、正直に言えば自信がない。しかしそれは、この仕事をしていると大抵のことに対して思うことでもある。世の中はあまり考えすぎない方が上手くいくし、この職場では特にそうだ。
サボテンに囲まれた端末を前にして、缶コーヒーの残りを飲み干した。川の向こうには深い霧。橋の手前にはサボテン。そして頭上のどこかに煙突。
今日もこうして世界は続いていく。
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