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記憶を失くしたハデス様 〜愛を知る必要はないと、ハデスは言う〜  作者: HARUHANA


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9.行方

「今、なんと言った! なぜベルも宴に連れて行かねばならないのだ」

「その矢を取って欲しければ、ベル様も連れてこいと……アテナ様からの手紙に……」


 

 そんな……そんなつもりで書いた手紙ではない。満月の夜が差し迫り、宴の折り私の背に刺さるエロスの矢を抜いてほしいと願いを書いただけだ。ベルの話しは一言も書いていない。それに、プロメテウスはベルと神が会うことを危惧していた。そんな場所に気安く連れて行く程、私は愚かではない。

 しかもよりによって宴の当日に手紙を寄越してくるとは卑怯な。

 

「ベルは連れて行かぬ。そう返事をしろ」

「し……しかしハデス様、大変申し上げにくいのですが……連れて来なければ矢は抜かないと、そう書かれています。連れてくる事が矢を抜く条件だと……それにベル様にも手紙を出したからと――」

「なっ!」

 

 なぜだ……そこまで頑なに連れて行かなければいけない理由が思い浮かばない。ベルに手紙など、どうやって届けるというのだ。まさか神が直接、彼女に届けるとでも言うのか?

 プロメテウスだって止めるはずだ。……最悪、私の元へ怒りを持ち込んでもおかしく無い。

 

 しかし、どうする……時間がない。

 私が行かず別の者が彼女を迎えに行くのもまた厄介だ。ならば頭を下げてでもプロメテウスを説得するのが筋か? ベルは……自分が行かねばならぬ理由を言わずとも一緒に天界へ来てくれるだろうか。


 

 悩んだ挙句、ひとまずプロメテウスに許しを乞うべきだと、差し迫る時間を気にしながら馬車を出した。

 この期に及んでプロメテウスが留守という想定外の出来事と、ベルに近付くため花屋に赴いたが、すでに届けられた手紙にはやはり「迎え」と書かれていた。誰か他の者にベルを任せるくらいなら私が連れて行く、そう決めて頭を下げた。この行為が半ば強制的な願いになってしまったのは言うまでもない。

 留守にするプロメテウスに書き置きを残し出発した。



 


 宴に出向いた我々に向けられる視線。

 通された席に二人で腰を下ろし乾杯用の盃に口をつけた私は、ベルに変化がないか注意深く観察に徹したのだ。だから他の女神たちが挨拶にきても、素っ気ない挨拶になったのは申し訳ないと思う。

 しかし今宵、私の中で最重要事項は矢を取る事とベルの安全だけなのだ。他に目が行くはずもない。

 それに、人間が来ただけで騒めく天界に女神にも引けを取らない美しい娘が来たとなれば神々の目つきが一層変わるのが手に取るようにわかった。

 私の焦りは……的中したと言う事なんだろう。


 そんな私を見兼ねてか、主催者であるアテナがワイングラス片手にベルの隣へやってきた。

 

「いらっしゃい、突然誘ってごめんね」

「いっいえ……お招き頂き、ありがとうございます」

「お口に合う? ここのは全部食べれるからねっ。ねぇハデスとは知り合って長いの?」

「最近で――」

「もういいだろ、それよりアテナ……例の件はどうすればいい」

「ん〜……こんな大勢いる場じゃさすがに無理よ。宴が終わってみんな解散したらにしましょ? それに、ハデスは気付くべきだわ」

「……気付く、とは何だ」

「もし宴が終わるまでに自覚してなかったら教えてあげても良いけどね。まぁ良いわ、とにかく宴が終わるまで待って頂戴」


 アテナが去って、また溜息が漏れた。

 ベルを早く帰してやりたいと言うのに――

 

「ベル?」

「…………」

「大丈夫か? ボーっとして、どこか具合が――」

「良いな」

「ん?」

「もっとハデス様とお話ししたい。だけど私じゃ不釣り合いだから、女神様良いなって」


 潤んだ瞳に見つめられながらは反則だ。不釣り合い……? とんでもない。私だってもっと話しをしたり、そもそもこんな宴の場でない別の場所でベルと…………だが、この本音が本音という自信が持てないのは単純に矢の効力だと思わざるを得ないから。

 それにしたって様子が変だ。

 

「ベル、その手に持つ飲み物を見せてみろ」

「これですか? なんか不思議な味です」

「ん……分かった、それなら別の飲み物に変えよう」

 

 ……最初に渡したのはお酒ではなかったはずなのに、どこですり替わった? いつもと違う様子が酒であれば合点がいく。トロンとした潤んだ瞳に赤らむ頬、少し熱いのか手をパタパタと仰ぐ仕草……全てが私の心をに握りしめる。遠目ではあるが、他の者達が獲物を狙うかの様な視線をベルに向けるのも腹が立つ。


 宴が終わるまではここを離れる事ができない。それなら空いた天蓋の一つを借りても文句は言われないだろう。

 

「ベル、少し我慢してくれるか?」

「ふぁい……わっ」

 

 抱え上げたベルの軽く細い腰に手を回し、ニンフの案内で場所を移動した。クッションのベッドにそっと降ろそうと屈んだが……。

 

「ハデス様、離しちゃやだ」

「ベッ、ベル……手を離してくれ」

「嫌です」

 

 首に回された手に力の入るベルが、私を見上げながらその潤んだ瞳で「嫌」と言う。ただでさえ密着した逃げ場のない状況と、体勢を崩した私は共にベッドへ倒れ込んでしまった。今まで神として存在してから今日までこんなに誰かと吐息がかかるほど距離を縮めた事がかつてあっただろうか。


「ハデス様……私――」

「ベル、すまない。水を取ってくるから待っててくれ」


 言葉を遮り、手を離したベルを残して天蓋から出た私は徐にアテナを探しに出た。

 あの言葉の続きが何であったかなど最早関係ない。私の高まる熱と一時の感情でベルを傷付けてしまう事が急に怖くなった。

 なぜ私に矢なんか刺したんだ……愛は神をもダメにするとあれだけ憎悪し、いつか自分も同じにはなるまいと冥界へ降りたはずで、愛など存在するから大切な物を見失うんだと知っているはずなのに……なぜ私に大切なものなど作ろうとするんだ。


「ハデス……?」

「デメテル! アテナを見なかったか?」

「さっき庭園にいたけど……貴方が本当に宴に来ると思わなかったわ。人間の娘と来たんでしょう?」

「……知ってるのか。今は酒に酔い横になって――」

「……っ、どうして一人にしたの! すぐ戻って!」


 突然態度の変わったデメテルの怒りに、呆気に取られた私であったが次の言葉を聞いて青ざめた。

 

「美しい人間の娘がいると聞いてゼウスが探してたわ。しばらく様子を見てたけど見失ってしまったのよ! お願い、早くベルのところに戻ってっ」

「ゼ…………ウス」


 跳ねた心臓で勢いよく走り出した私の後を、デメテルが追ってくるのが気配でわかる。

 なぜデメテルがそんなに必死になるのかなど、この時の私には考える隙間もない程、必死にベルのいる天蓋に向かって走った。


「ベルっ、一人にしてすまなかっ――」


 

 ……そこにいたはずのベルの姿はなく、へこんだクッションが物語った。

 後から来たデメテルの小さな溜息が、余計に私の鼓動を早くした。

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