8.宴への道
「今日も綺麗に咲いてくれて、ありがとう」
日課の水やりは、花への掛け声と一緒に。
いつも綺麗に咲く花たちは、ここ最近特にたくさんのお客さんが買いに来てくれるの。
大切に育てたお花がたくさんの人に大切にしてもらえると思ったら、心の中がとっても温かくなるからもっと頑張ろうって思えるの。何より、早めに売り切れた日はお家に帰ってプロメテウスに食事を作れるから最近はそれも楽しみだったりする。
「お花屋さん」
「はぁ〜い、いらっしゃいま――」
一瞬ハデス様かと思った……!
だって、深く被った帽子でお顔が見えないお客様なんて、あの時のハデス様が初めてだったから。
「貴方様にお届け物ですよ、どうぞこちらを」
「手紙? 私に?」
ベル様
以前、天界でハデス様と一緒にいた貴方も
今宵の宴にご招待します
逢魔が時 迎えが来ますから
それでは天界でお待ちしております
「天界の宴……? なんで私が」
って、もういない。
天界からの手紙なんて……今のは神様? だけど……私みたいな普通の人間が天界なんて、この間はたまたま行けただけなのに。
それに、美しい神様の中に入ってまた場違いだって思ったら……あの時はハデス様が助けてくれたけど、きっと今日は違う。
「私じゃハデス様の隣に相応しくないって……また思い知らなきゃいけないのかな」
「――ベル」
胸を打つ、低く囁く声にパッと振り向いた。
「ハッ、ハデス様!? なんでここに?」
「ベルの花を買いに来た。一つ花束を頼んでも?」
「花束! はい、少しお待ちくださいっ」
さっきの独り言聞かれてないよね?
それにしても花束……を作るだけなのに、どうしていつもみたいなワクワクした気持ちにならないんだろう。頭の中に雑念が溢れるみたい。
この花束は誰への贈り物?
出来上がった花束を見てビックリした。
だって、出来上がった花束があまりに青くて……。
「だいぶ落ち着いた色合いの美しい花束だな」
「えっ、あの作り直します! ちょっと待って――」
「いや、その花束を貰おう。なんとも儚げな色合いで良い」
儚げな花束って表現してくれる辺り、ハデス様は優しいな。誰にあげるのか気になるだけでこんな風になるなんて、花屋失格だよね……。
受け取ったハデス様はとても気に入ってくれたみたいだけど、もっと綺麗な花束作ってあげたかった。それが例えハデス様の大切な人へ渡す花束だとしても。
「ベル、もし良ければ私と共に出掛けないか?」
「ハデス様と……お出掛け?」
「嫌か? 場所が天界の宴で申し訳ないんだが」
「天界の宴……さっき貰った手紙と一緒ですか?」
ふと手に持ってた手紙をハデス様に渡したけど、一瞬……ほんの一瞬だけ顔が曇ったような? 気のせいかもしれないけど。
「この宴だ。決してベルのそばを離れないから、どうか今宵ベルの時間を私にくれないか?」
「ハデス様が頭を下げるなんてダメですっ」
隣に女神様が並んだらまた無駄に悲しくなるかもしれないし、不釣り合いだって俯いてしまうかもしれないけど……こんな私を誘ってくれるハデス様の笑う顔が見たい。贅沢な願いだなんて分かってる。
だから私は慌てて準備した。
残り少ないお花をバケツにまとめて、自宅に向かった。準備なんて言っても大した服も持ってないし、髪の毛だっていつも通りしか出来ない。それに化粧だの装飾品だの、そんなものは今まで必要としてこなかったから何もない。
ハデス様の隣に並ぶのになんとも見窄らしい格好だけど、そこは……もう諦めよう。どうせ、比べられてしまうんだから。
ハデス様の馬車に乗り込んで、天界に行った時のように馬と共に空へと駆け上がっていく。こないだは晴れ空の下だったけど、今日は夕暮れの月が薄っすら滲む残照の空を見て、何とも言えない美しさ。
「大丈夫か? 怖いなら以前の様にこちらにおいで」
「綺麗な空だなって……見惚れてました」
伸ばされた手を握るなんて、あの時だけだと思ってたのに……また触れてもらえる事がとても嬉しくて、この高揚感は一体どこから感じてるのものなのか分からない。空を駆け上がってるから? それとも……。
こないだとは違う煌びやかな衣装に、纏う宝飾品がより一層ハデス様の畏怖を醸し出す様に揺れ動くのを見て、改めて凄い神様と手を繋いでるんだと実感する。意識し出した気持ちに、最早歯止めの掛け方が分からない私は、ハデス様にバレないように顔を背けた。
***
顔を背けられたのは、やはり無理に連れてきてしまったからだろうか……。それでも私は隣にベルを乗せていかねばならない。今宵で最後になるのだ、この繋がった手の温もりも今だけは誰にも譲らない。
「ベル、宴の前に準備しよう」
手を繋いだままそっと引き寄せた。
「ハデス様ここは?」
「ここは天界にある私の神殿だ、少し用があって立ち寄っただけだ。おいで」
今日の今日で大した物は用意してやれない。好きな色も好きな形も分からぬが、神々の宴に参加するなら何か贈ってやりたい……。
不覚にも、手紙と共にアテナから送られた衣装を持参したのは、私の周りに女性ものの準備が全くないことを見越されての事。ただ……身に付ける物くらい出来れば私の持つ物から用意してやりたかった。
「ベル、ここに今日の宴で着て欲しい服と小物を置いておくから、着替えたら出てきてくれ。私は外で待つ」
「……分かりました」
俯く理由はなんだろうか?
着替えているだけというのに、この距離でさえ切ない感傷的になる気持ちも今日で終わる。これでいい……矢が抜ければ、また愛を拒む自分に戻るだけなのだから。
「着替え終わりました……あの――」
そう言って神殿の扉を開いたベルは、美しく何層にも織られたシルクが、まるで女神のようだ。この手を伸ばせば簡単に抱きしめられると言うのに、それが出来ない息苦しさを味わいながら必死に作る顔なんて、さぞ滑稽だろう。階段を降りながら靡く髪に思わず手を伸ばしてしまう程に強く惹かれる。誰にも見せたくない……。
「これの付け方が分からなくて……」
手のひらに乗せた首飾りとブレスレットは、私が冥府から持ってきた物だ。
「……私が付けるから後ろを向いて」
少し持ち上げた髪から覗く頸に金具を付けるために掠める肌に、これ以上ないほど身体に熱を帯びた。
冷めない熱を隠せていない事は百も承知で、首飾りとブレスレットを嵌めて再び馬車に乗り込んだ私たちは、アテナの島へと向かう道中、視線を感じるベルと目が合ったが逸らされてしまった。それもそうだ、勝手に熱を帯びた私と、迷惑だと思うであろうベルとでは気の持ちようが違うのだから。少しだけ辛抱してもらおう。
「もうすぐ着くが、幾つか約束してほしい」
「……はい」
「まず、私のそばから決して離れない事。ベルには人間用の食事を用意させるから、不用意に口にしない事。それと、気分が優れなくなったり体調が崩れたらすぐ言って欲しい。この三つを守ってくれ」
「分かりました。決してハデス様のそばから離れません、何かあればちゃんと伝えます」
「そうしてくれ。では……行こうか」
降り立ったアテナの島に広がる無数の灯火、陽気な音楽、香りたつ料理。そして、賑わう天界の住人達が数百年ぶりに現れた私と人間の娘に釘付けになるのは当たり前だったのだ。
……決してそばを離れてはいけなかったのに。
なぜ、あの時ベルを残してほんの一瞬でもそばを離れてしまったんだろう……。
歯車が狂い始めるのにそう時間はかからなかった。




