16.運命の実
有限が無限になった悦びを、隠しきれない。
限られた時間を生きると思った最愛の人が、同じ時間を永遠に紡いでいけるなど、神もなかなか捨てたもんじゃない。
「ハデス様、私……今日こそ冥府に行きます」
冥界に降りれば、ベルの愛する花も光もない。自分は此処で生きていくと決めたのに、誰かに……ベルに背負わせる勇気は、まだなかったのだ。
手を差し伸べ「おいで」と告げた。
扉を使えば行き来も出来る。なにも、此処にベルを縛るつもりも閉じ込めるつもりもない。地上が良いなら地上で過ごせば良い。
暗く見通せない世界に聳える山々、底の見えない河、どこからともなく吹く風……。それらを、ベルに受け入れてもらえるだろうか。
「ここが冥府……ハデス様、なんだか神秘的ですね」
「神秘的?」
「……あの、遠くに見える灯は何ですか?」
「あれは、人間で言う天国の扉だ。誰か少し開けたんだろう」
「天国、私も見れますか?」
「見たいのか?」
「見たいです!」
繋いだ手の温もりに、自然と顔が綻んでしまう。
誰が開けたのか、閉まりきっていない扉を潜り抜け、天国に足を踏み入れた。
「わぁ〜……不思議。太陽もないのに明るいなんて……それに、なんだか穏やかな気持ちになれるんですね」
「ここにいる魂は、ある程度の時間を過ごせば、また地上に帰る。新たな命となって生を得るのだ」
「それじゃ、始まりの国でもあるんですね」
「……そう表現するのは、ベルが初めてだ。ここは、いつだって死者の国だから」
「終わりがあるから、始まりがある。それは花も一緒です……綺麗に咲いても、いつかは枯れて。でも種を残して、また時がくれば芽を出すんです。だから、私がハデス様に惹かれたのは、きっと偶然ではないのかもしれません」
死者を花で表現するベルは、アスポデロスを美しく歩いた。私の女神は、芯が強く綺麗な心の持ち主だと改めて実感する。
「ハデス様! ここに植物がありますよ? 何が育つんでしょう」
「――触れてみるか?」
「良いんですか? では、少しだけ……」
″大きくなぁれ″
ベルの微かな声を聞いたのだろう。アスポデロスの気が一瞬揺らいだ。
瞬く間に枝葉を伸ばし、私の背を優に超えた立派な木になった。赤い実が徐々に膨らみ、幾つものザクロが垂れたのだ。
「ザクロだったのか……」
「とっても美味しそうですね。食べても良いですか?」
「ベル、いけない! 良いか? その実を口にすれば冥府の住人となってしまう。地上で暮らし続けたいと願った時、それが叶わなくない……」
ザクロは、契約・結びつき・不可逆性の象徴とされている。
いつの日か、私のそばから離れたいとベルが願った時、その手を離してやれなくなってしまう。心のどこかで、まだ『何かを得たときではなく手にした時こそ、その価値を見失ってしまう』この言葉が燻る。私が見失わずとも、ベルがそうなれば私は――
「ハデス様、ごめんね……」
そうして、ベルが私の目の前でザクロを頬張った。
「甘酸っぱくて、美味しいっ」
「ベル!? なんてことを――」
「ハデス様、私が冥府に来たいって言ったの、そんな甘い覚悟じゃないです。隣にいるって決めたのは、私。それじゃダメですか?」
「……心と言葉が伴わないのは、初めてだ。口では『食べるな』と言い、頭では逆を願った。ザクロの制約は、閉じ込めることじゃない。ベルがここに居たいと言った証明のようなもの、私はそう思っている」
「はい、私もそう思います」
ベルが地上に出てる間は、寂しいと感じるんだろう。
行かないでと、口にしてしまう日もあるかもしれない。
だけど……どんな時も信じて待つと約束する。
どうか、面倒だなんて思わないで欲しい。
「……愛しいベルが笑っていてくれるなら、私も笑っていられる。どんな涙も私の手が拭うと誓おう。ベル……私が間違ったなら伝えて欲しい。貴女のためならどんな事も直してみせる」




