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記憶を失くしたハデス様 〜愛を知る必要はないと、ハデスは言う〜  作者: HARUHANA


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17/17

17.至福の時

『……愛しいベルが笑っていてくれるなら、私も笑っていられる。どんな涙も私の手が拭うと誓おう。ベル……私が間違ったなら伝えて欲しい。貴女のためなら、どんな事も直してみせる』



 この言葉を一体どれほど待ち望んのだのだろう。

 今日の慶事が歴史に刻まれる。


 愛を拒んだ神が愛を乞い、手に入れようと踠く姿こそ、私の見たかったハデスであったのだ。かつての彼は――


『何かを得たときではなく手にした時こそ、その価値を見失ってしまう。それは愛というものも同義だろう? 一時の魅力に欲望が生まれ、手にする前に抱いた価値は最も簡単に捨てられる。だから、私はいらない』


 そう解いたハデスが、今まさに欲望の蓋を開き、尊いものを離さんとばかりに彼女を抱き締めている。それが矢のせいではないと、ハデスは当に気付いているのだから、もう私の役目もここまでだろう。


 抱き合う二人のそばに降り立ち、首を垂れた。


「ハデスに許しを乞いにきた」

「……許し?」

「記憶を戻す術を知っている」

「……何故、今まで――」

「ハデスに、幸せになって欲しかった。ハデスの閉ざされた心を解きたかった。冥界という死の世界で、光を見つけて欲しかった。だから、使者を送り、記憶の暗示を掛けさせてもらった」

「……記憶を戻したら、私の中にちゃんとベルは残るんだろうか――」


 顔を見合わせるハデスが、心配そうに娘を見つめた。

 記憶を失くすのと同様、以前の記憶に戻るという感覚は未知だ。

 もしも、彼女と出会う前のハデスに戻ってしまったら――


「ハデス様……大丈夫です。私、きっとハデス様が私を忘れてしまっても、何度だってどんな時だって側にいますから」

「ベル……不甲斐ない私で、すまない」

「きっと、何もかも元通りになりますっ」


 明るい太陽のような笑顔がハデスを安心させ、その顔もまた娘の不安を払拭させたように見えた。どれだけ信頼し合っているか、期待以上の成果に胸が躍らないわけがない。

 唯一無二の愛があるとするならば、その価値を見失う事なく貫き、愛し抜いて欲しい。


「――大地に溢れし星屑よ、この手に集まり光を――」


 掌に引き寄せられた光が弾けると、辺り一面を眩しく照らした。稲光のような一瞬の光に、思わず目を覆った娘と、瞼を閉じたハデスの姿をじっと見つめ見守った。

 頭の中を整理しているんだろうか、暫く止まっていたハデスが、ゆっくり不安そうに瞼を開き始めた。


「ハデス様っ」

「……ベル……」

「記憶、戻りましたか?」

「……あぁ。全て……全て、思い出した。冥界に降りた時のことも、使者を見つけて光を受けた事も……それに、ベルを守れたことも」

「良かった……」

「手を、ずっと握っててくれて、ありがとう」

「ハデス様のお力になれて嬉しいです」


 自分の過去を思い出し、今を慈しむハデスにもう心配はなにもない。あとで咎を受けたとしても、甘んじて受け入れよう。それ程までに私自身が満足しているのだから。


「誰よりも、幸せになるべきだと思ったのだ。冥府という場所だからこそ。だが……すまなかった」


 ペルセポネに向けても、謝罪の言葉を投げた。すると、彼女は意外にも――


「あの……ありがとうございました。ハデス様と離れる時間があったからこそ、その時間がどれほど尊いものだったかを知ったのです。私にとって、なくちゃいけない時間でしたから」


 ハデスと目を合わせ、微笑み合うのだ。

 予言を司る私でも、視るのを憚られる。いや、視ずとも行く末が安らかなものであると、確信できるとは。


「ハデス。イオは、私が預かった。私の島で管理し、護ろう」

「背負わせて、悪いな」

「荷を分けると思えば良い」


 一連の幕が降りようとしている。

 二人に背を向け、天界に帰ろうと、ふと空を見上げた。

 かつての私も、また――


 『愛こそが己を強くし、愛こそが己を弱くする……それが完成された個であり、そうして初めて、手にするものの価値を見い出せる』


 そう説いた。



 ハデスは、己の仕事だと裁判に戻った。

 三神のミノス、アイアコス、ラダマンティスは、ハデスの助けをしたいと冥府を選んだ。人間の死は、絶えることはない。四人でなら、今後の冥府も安泰だろう。

 ベルこと、ペルセポネは……花屋を続けた。


「ベルのやりたい事を、やれば良い」という、ハデスの一言に背中を押されたベルは、場所を変えながら花を売り続けた。

 

 互いを尊重し、支え、愛し合う二人をいつまでも見ていたい。

 

 ――愛は、与えられるものではない。

 想い、守り、選び続けるものなのだから。

 今日も明日も――ただ、それだけの至福の時だった。

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