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記憶を失くしたハデス様 〜愛を知る必要はないと、ハデスは言う〜  作者: HARUHANA


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13.大蛇

「これにて閉廷する」


 今日予定された数の裁判も終わり、神殿へと戻る準備を進める。アイアコス、ミノス、ラダマンテュスの三神に頼み始めてから、どのくらい経ったであろうか。ややこしい死者もそうでない死者も分け隔てなく公平に裁く彼らの手腕は、記憶が戻ったあともぜひにと願いたいところである。


「……ふぅ」

「ハデス様、大丈夫ですか? ここのところ顔色が……」

「いや……すまん、溜息などつける立場でないのに。無意識だった」

「我々で宜しければお話を伺いますよ?」

「私なら大丈夫だ。それより、其方らの方で困ったことなどないのか?」


 顔を見合わせた後ラダマンテュスが「実は……」と重たげな口を開いた。

 

「アスポデロスに植えた苗で唯一根付いたものがあったのですが、ここ最近元気がなく成長も止まってしまったようで……」

「そうか……やはりアスポデロスでもダメか」

「しかし一つ希望があるのです」

「希望?」

「以前お話しした、新たに誕生した花の女神様です。その女神様なら成長を助けてくださるかもしれません! ハデス様ならここまで連れて来れるのではありませんか?」

「いや、私も会った事などない。ヘルメスに頼めれば探せるかもしれんが」

「そうではありません。ハデス様と女神様は――」


「ハデスさまぁ〜! いたいたっ、探しましたよぉ」


 一際大きな声量でアスポデロスに響いた声に、歩き回っていた死者達も一斉に振り向いた。わざとなのか、これが日常茶飯事なのか、手を振りながら近付くヘルメスに良いタイミングだと褒めてやるべきか。

 

「ヘルメスか、丁度良い所に来た」

「それはそれはお褒めに預かり恐縮です。何なりとお申し付けください……って、あら! ハデス様ついに矢を抜かれたのですね。あの宴の席ですかぁ?」

「……今、なんと言った」

「えっ、どの部分です? お褒めに預かり――」

「矢がどうしたと言ったのだ!」

「そこっ! な〜んだ、矢が抜けたって話しですか。良かったじゃないですか、それがハデス様の願いでしたよね」


 ……矢がない? そんなはずは……ない……

 

 いつからだ? 宴の席……? 仮にそうだとしたら、終わってからしばらく経つのに、こんなにも思い悩み苦しむのは何故……だ。矢が抜ければこの憂いからも解放されるはず……じゃないか。解放されるどころか囚われ続けているなど可笑しな話し。

 あの宴の時確かにアテナに抜いてもらうつもりではいた。しかし、ベルがいなくなった事でデメテルと探し回り……最後は放られたベルを掴んで冥府に返されたはず。アテナに抜いてもらう場面など、どこにも――


 

「ハデス!!」

「デメテルまで何事だ」

「助けて……あの娘を助けて、お願い」

「あの娘とは誰だ、一体何があったのだ」

「ベルを助けて、ゼウスが天界から降りてベルを連れて行ってしまったの! 私がもっと早く気付けたら……」

「ゼウスがベルを……!?」


 

 はっ! とした。

 神々の中でもっとも自由に愛を楽しみ軽んじる、それがゼウスだ。気に入ったのなら相手が誰であろうと追ってくる。女神だろうが夫がいようが人間であろうが。しかも宴で連れ出したがヘラに見つかったのなら殊更、天界では手出し出来なくとも人間界に降りれば……。


「どっ、どこに行ったと言うのだ!」

「分からない……プロメテウスも必死に探してるの! お願いよハデス、一緒に探して。あの娘を助けて」

「とにかくプロメテウスの所へ急げ。ヘルメス!」

 

「急ぎましょう!」


 私と関わらなければ、ベルの日常は平和だと……いや……相手がゼウスであると分かっていたはずなのに、会わなくなれば最初からやり直せるなど、なぜ浅はかにも考えたのだ。知ってしまった以上、知らなかった時になど戻れるはずもないのに。それはゼウスも……私も……。

 

 背中の矢などどうでも良かったのだ。

 心を占めるベルをどうして見放せよう。初めて会ったあの瞬間がたとえ矢のせいであったとしても、偽りなく惹かれていたのを今更になって気付くなど、笑われても良い。愛を拒むことなど、今の私にはもう出来ない事を自覚する時が来たようだ。

 自覚した今、再会したら最後……自分を止められる気は全くしない……それ以上に引き返すつもりもない。


 元には戻れない、だがそれで良い。


 

「いたっ! ゼウス様も一緒よ……だけど――」


 

 広がる光景に驚いた。

 ベルに巻き付く大蛇が睨みながらプロメテウスに威嚇し、涙に濡れるベルが抜け出そうと必死にもがく姿。


「ゼウス!! ベルを離せっ!!」


 私の声に気付いたベルが余計に涙を流し始めた。来ては……いけなかったんだろうか……。


「ハ……デス様………………助けて……」


 掻き消されそうな、でも確かに届いたベルの声。

 勢いよく手を挙げた私の合図に、地面の底から湧き上がる轟音と共に出て来た三頭獅子ケルベロスは、勢いよく蛇の胴体に噛みついた。その勢いに振り出されたベルを受け止め「行けっ」と指示すれば、蛇を咥えたケルベロスは地面の底へと姿を消していった。


「ベル……来るのが遅くなってすまなかった……すまない……」

「ハデス……様、助けて下さって……本当、ありがとうございました……あの蛇はゼウス様だったのですか……?」

「そうだ。デメテルが私を呼んでくれなければ、今以上に後悔することになってたと思うと……本当にすまなかった」


 デメテル、プロメテウス、ヘルメスがベルのそばへ来て膝を付いた。


「えっ、あの……」

「ベル、本当に申し訳なかった。神が恐怖を与えた。ゼウスに代わり謝罪する」

「そんなっ……確かに怖かったですけど、ハデス様が助けて下さいましたから」


 深いため息で私を見たデメテルが、ベルの手を握った。


 

「ベル……貴女には、今きちんと伝えなきゃいけないと思ったから今ここで言わせて頂戴。貴女の本当の名は、ベルじゃない」

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