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トレーシング・ユア・ワールド  作者: あやめ康太朗
第7章 家族

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    対面②

 翠と会った日の夕方。いつも通り会社でのバイトを終えた柚は、他の参加者たちとともに、『家』の食堂に来ていた。


 終業後に食堂に向かったのは、ルリが流しそうめんセットの試運転をするからぜひ来てほしい、という天瀬からのメッセージが、昨夜グループチャットに送られてきたからだった。元々今日は、珍しく十人全員が集まる予定となっていたこともあり、柚たちは揃ってそれを見に行くことにした。



 食堂には、組み立てられて以降ずっと同じ形で部屋の中央を陣取っている流しそうめんのレーンと、その周りを慌ただしく走り回るルリの姿があった。まだ準備が終わっていないから待っていてほしい、とのことだったため、準備が整うまでの間、柚たちは部屋の隅に追いやられてしばらく経つ机の方で待つことに決めた。



 イスに座ると、柚はゆっくりとため息を吐いた。頭の中は、数時間前に見た翠の表情と言葉で占められていた。


「……」


 中梛のことを、翠は覚えていなかった。


 予想外の展開に殴られたような痛みが、今も尾を引いている。納得できない感覚が続いているのに、実際に起こったところを自分の目で見てしまったから、もう覆しようがなかった。違うのに、間違っていない、という落ち着かない感覚が、喉の奥でくすぶっている。居心地が悪かった。



「浮かない顔だな」

 勝元が、柚を見て言った。柚は「うん……」と小さく答えた。


「何かあったのですか?」

 一華が心配そうな目で柚を見た。その肩に乗った味玉と、一華の隣に座る穂乃もまた、同じような目をこちらに向けている。


 そんなに顔に出ていただろうか。柚は慌てて笑顔を作ると首を横に振った。


「何でもないよ」

「何でもないはずありません。また何か悩んでいらっしゃるのですよね」

「いやー、まあ……」


 柚を真っ直ぐ刺して貫くような、真剣な一華の視線。柚は、ゆっくりと目を逸らす。



 翠があの森に迷い込んで白葉家に来たこと。

 彼女が()()()()()()を抱えているだろうということ。

 事件を起こしている魔法使いの計画には、その()()を抱えた翠が関係しているかもしれないということ。

 そんな翠と昔出会っているはずの中梛のことを、彼女は覚えていなかったということ。



 翠に関するそれらの情報は、まだ誰にも話していない。それは、翠が普通の人として芸能活動をしている以上、それの邪魔になるようなことは言わない方が良いと思ったからだった。ほんの些細なきっかけや油断から生活が壊れてしまうことがあると、柚は他の人よりもよく知っている。


 けれど柚は、中梛が翠との再会を望んでいると知ってしまっている。彼の口から直接聞いてしまっている。そんな状況で翠についての一切を隠すことはさすがに不義理だった。


 それに、爆破事件の際、魔法使いが口にした『計画』には、おそらく柚たちも関係している。巻き込まれる危険がある中、同じく関係がありそうな翠のことを伏せておくのは、皆にとって不利益になる気もした。



「もし話せることがあれば、おひとりで抱えずに話してください。私にできることがあれば力になります」


 さらに熱心に柚を見つめる一華。視線から伝わるその力強さが百バーセント善意であることが、逃げ道を探る柚の気持ちを削いでいく。


「えっと……」


 この場合、どこまで話していいのだろうか。

 どこまでなら大丈夫だろうか。



「何? ユズ悩み事?」

 今度は天瀬がそう尋ねた。イスに座る柚の隣にしゃがみ、彼は心配そうに顔を覗き込んでくる。


「また何かあったの?」

「あ、いや……」


 天瀬の甘い視線からも、ゆっくりと視線を逸らす。ただため息をついていただけで、こんなに心配されてしまうとは思わなかった。


 そして、一華の発言にもあったけれど、また、って何だ。

 もしかして、柚は普段から悩み事がありそうな深刻な顔をしているのだろうか。自覚はなかったけれど、そんな周りの士気を下げるような迷惑なことをしているのなら厄介な存在すぎる。身の振り方を考えなければ。



 そんなことを考えているうちに、気づけば九人全員の注目が、圧力を感じるほどに柚一点に集まっていた。そろそろ後に引けなくなってくる。


「そんなに私の悩みに関心を持たなくても……」

「そうは言っても、四月からのここでの出来事はほとんど白葉さんから始まってるようなもんだし、何かあるのかなって思うじゃん」

「確かに……」


 櫟依の言葉に納得する。そう聞くと、柚は疑いようもなく厄介な存在だった。


「それで、今度は誰のことで悩んでるわけ?」


 櫟依がからかうような調子で尋ねた。皆の圧に負けて、柚は渋々口を開いた。


「……中梛くん」

「俺?」


 自分の名前が出されるとは思いもしなかったのだろう。珍しく驚いた様子で、中梛は鋭い目を少し見開いた。


「ムラサキ、何したの?」

「いや別に――」


 と、中梛は何かに思い当たったような素振りを見せた。そして、彼は苦い表情で柚を真っ直ぐに見つめた。普段目の合わない中梛と目が合って、思わずドキリとする。


「学校で何か言われたのか」

「え?」


 何だ、藪から棒に。


「ほら、T市に行ったとき、俺がちゃんと屋根から下ろしてやらなかったから――」

「ち、違う。違うから何も言わないで」


 頼むから蒸し返さないでほしい。せっかく忘れていたというのに。


 その件については大丈夫なはずだ。学校のクラスメイトたちは、いつも通り、柚のことなんて視界に入っていない様子だった。咲も何も言っていなかった。きっと大丈夫だ。



「私、中梛くんに伝えたいことがあって」


 中梛の発言について他の人に言及される前に、柚はそう言った。


「何だよ」

「で、できれば二人きりで……」

「何? 告白でもするの? やるじゃん」


 櫟依がからかってくる。勘弁してほしい。


「告白、ですか」


 神妙な顔でそう言う一華。その隣では、驚いた顔の穂乃が口元を手で覆っている。ほら、真に受けちゃったじゃないか。


「ここじゃ言いにくいことか」

 櫟依のふざけた言葉を無視して、冷静に中梛が尋ねた。


「あー、いや……」


 そうだと言えば、告白の意味になってしまいそうな雰囲気だった。なんてことをしてくれるんだ。


 逃げ道を潰され、話すしかない状況に引きずり込まれてしまった。柚は覚悟を決めると、慎重に言葉を選びながら口を開いた。


「ごめん、みんなには言ってなかったんだけど、私、実は翠ちゃんと会って話したことがあって」

「え?」


 唐突に出された名前に、皆の驚いた声が揃う。


「翠ちゃん、って、あの光咲翠と?」

「会って話したって、遠くから見かけただけとかじゃなくってこと?」

「うん。あの翠ちゃんと、一対一で」


 天瀬と櫟依の言葉に、柚は頷いた。口にしてみて、改めて信じられないな、と思う。


「いつ?」

「T市での撮影が始まったばっかりの頃と――」

「え?」

「今日」

「今日?」


 皆の表情と声が、面白いくらいに綺麗に揃う。


「ってことは、俺がT市に行ったときにはもう光咲翠と会ったことがあったってことか」

「ごめんね、黙ってて……」


 柚は、素直に中梛に謝った。


「映画撮影のエキストラとは別で会ったってことだろ。何をどうしたら二回も会うんだよ」

「どこでどうやって会ったの? 偶然?」


 勝元と創が言った。そこについては、さすがに説明しない方がいいだろう。


「色々あって。その色々は、今は省くんだけど」


 そう答えると、柚はちらりと中梛を見た。怒られても、悲しませても、どんな反応も受け止めないと、と気を引き締める。


「それで、翠ちゃんと会って話したときのことなんだけど――本当に勝手なことしちゃって、中梛くんには普通に迷惑というか、本当に怒られても仕方がないって思うんだけど」


「いいから早く話せ」


 少し食い気味に、中梛は言った。彼のまとう雰囲気が鋭く強いものに変わる。その覇気で、全身から冷や汗が湧き出てくる。


 高揚感と緊張感で高まった空気の中、柚はカラカラに乾いた口を開いた。



「話の流れで、中梛くんのこと覚えてるか聞いてみたんだけど、翠ちゃん、心当たりがないって言ってて……」


「……」



 空気の熱が、ストローで吸い取られるように、緩やかに下がっていく。皆の驚いた表情が、違う意味を持った驚きの表情に差し替えられていく。


「……マジか」


 櫟依が代表してつぶやいた。完全に冷えた空気は、皆の心情を表していた。


「それは、その……」


 遠慮がちな視線が中梛に集まる。辛い報告を受けた中梛は、いつも強気な彼らしく平然としており、ショックを受けているような様子は見受けられなかった。無理をしているのだろうか、と思うけれど、次第にそうでもないということに気づき始める。


「いやまあ、そうだろうな」


 けろっとした態度で、中梛は何でもないことのように言った。



「光咲翠とは、前のT市の事件で初めて会った、というか、お互い認識した、って感じだし」


「…………え?」



 中梛の言葉に、耳を疑う。


 T市の事件で、初めて会った?

 初めて?


 文章の処理が、意味を持たない単語のままで止まっている。言っている意味が分からなかった。


 どういうことだ。

 今、何が起こったのだろうか。聞き間違いだろうか。


 頭の上に、大きなクエスチョンマークが浮かぶ。何かがおかしい、ということだけは分かった。


 予想外の発言に言葉を失っている中、勝元が驚いた顔で尋ねた。


「今、初めて会ったって言ったか?」

「ああ」

「え、ちょっと待って、どういうこと?」


 櫟依が困惑して尋ねた。


「中梛、昔、光咲翠と会ってるんじゃないの?」

「会ってねえよ」

「…………ん?」


 頭の上に、大量のクエスチョンマークが追加される。


「でも、あの写真……」

「写真?」


 ああ、とつぶやいて、中梛はカバンから写真を取り出した。


 皆で写真を覗き込む。少年と少女の古びたツーショット写真。そこに写っている少女は、やはりどう見ても翠だった。


「だってこれ」

「そうだよ、この子って」


 櫟依とともに、柚は少女を指さして言った。クエスチョンマークで圧迫された脳は、まだあまり上手く働いてくれていない。今どのような会話がされているのか、理解ができていなかった。


「これか?」


 震える柚たちの指の傍に伸びてきた、中梛の色白で細い指が、迷いなくその白いワンピースの少女を指さす。


「これ俺」


「…………え????」



 でも、これは。

 だってこれは、どう見ても。



 おずおずと、中梛の顔を見る。


 大きな白いテープで覆われた、温度を感じさせない白い肌。前髪に隠れた、紫紺の瞳が光る鋭い目つき。中性的で端正な顔立ち。


 血色のいい綺麗な唇で、彼はあっさりと告げた。



「俺、女」


「…………」



 一瞬、時が止まる。


 次の瞬間、部屋中に絶叫が響き渡った。



「ええええええええええええええっ」

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