26.母
笑のお母さんと一の会話がメインの回となっております.
ちょっと暗い上に長めのお話になっています.
一が初めて知る、笑の過去.
行っちゃった.
本当に、今夜は俺ん家に泊まるつもりなのかな….
「ごめんなさいね.」
「え?」
落ち着いた声で、それでも悲しそうに、笑ちゃんのお母さんは言った.
どうして謝るんだろう.
「あの子のワガママに付きあわせてしまって. 本当はそんな予定ないんでしょう?」
「はは、何でもお見通しなんですね. でも、大丈夫です. ワガママだなんて思ってないんで.」
「ありがとう. あの子、私が旦那の所に行くといつもああなのよ.」
「旦那さんですか?」
自分の母親が、旦那に会うということは普通のことなんじゃないのかな?
「あ、旦那って言っても、“元”旦那なんだけどね.」
「あ…、そう、でしたか.」
それでも、俺にはどうして笑ちゃんが怒ったのか分からない.
例え分かれていたとしても仲が良いというのは良いことだと思うから.
「あの子が貴方…男の人とといて幸せそうなのを見て、少し驚いたわ.」
「笑ちゃんが男嫌いだからですか?」
「あら. あの子そこまで話してたの.」
「はい. 理由までは聞きませんでしたけど….」
理由を言おうとした時の笑ちゃんはとても辛そうだったから、それは聞けなかった.
頑張って話してくれようとする彼女を、止めてしまった.
「…一くん. この間家に来た時、笑の料理が美味しいって言ってくれたわね.」
「あ、はい. 凄く美味しかったです.」
「あの子、小さい時から頑張って料理の練習してたのよ.」
跳ねた油で火傷して、慣れない包丁で怪我をして.
それでも毎日、練習してた.
「どうして、そこまで? お母さんだっているのに.」
「…….」
「お母さん?」
「私の旦那…あの子の父親が毎日私を殴っていたから.」
「….」
理由は、“料理が不味い”. それだけのことで.
そんなことはないと思うんだけど….
きっと理由なんて何でもよかったんだろう.
「それを、笑は泣きながら見てた.」
“パパ、もうやめてよぉ!!”
“ママが死んじゃう!!”
「でも、あの子は徐々に泣かなくなった.」
口数も減り、笑うことさえも少なくなった.
“ママがご飯作らなくてもいいようにするから.”
“ご飯が不味くても、それは私のせいだから大丈夫.”
“だから、もう泣かないで.”
泣き崩れる私の顔も見ずに、ただそれだけを呟いて.
「あの時の私には、それが異常なことだと思わなかった.」
まだ小学生の娘に、庇ってもらうことが、どれだけおかしいことか.
守らなければいけないのは、私のほうだったのに.
涙ぐみながらも、お母さんは話し続ける.
「あの子がちょうど中学2年生になる頃かしらね. 私たちは離婚したの.」
「….」
とても口を挟めるような雰囲気じゃなかった.
こんなに重い過去を、誰にも言えずに笑ちゃんは1人で背負ってたのか.
そう思うと、無性に悲しくなった.
「あの、今はその、旦那さんとは…?」
「上手くいっているわ. 距離を置いたら、お互い上手に付き合えるようになったから.」
結婚したら上手くいかない関係.
距離を置くことで、お互いを思いやれる関係.
俺が経験したことのない、関係.
「あの人も根は悪い人じゃないのよ. 笑にも会いたがってるし.」
私に暴力を振るっていた時も、変わらず笑のことは愛していたから.
私としても会ってほしいんだけど….
「お母さん、それは….」
あまりにも身勝手だ.
言おうとして、やめた.
これは俺の考えだから. 部外者が何かを言えるような問題じゃない.
「…どうして、今でも旦那さんに会いに行かれるんですか? 怖くなったりとかは…?」
思い出したくない出来事、それは大きな傷となって残るものだ.
それなのに、恐怖の元凶に会いに行くなんて.
それは、俺には考えつかないことで.
「それはね、一くん.」
今でもあの人のことを愛しているから.
しょうもない人でも、暴力を振るうような人でも.
私が愛した、たった一人の人だから.
そう言って、笑ちゃんのお母さんはとても綺麗に笑った.
俺たちが会話を終えて5分くらいした頃、猫乃家の玄関が開いた.
お待たせ、なんて言って笑ちゃんが顔を覗かせている.
何か段ボールからこっち見てる猫みたい.
「あれ、荷物多くない?」
「女には用意しなくちゃいけないものが沢山あるんだよ.」
そういうもんなんだ….
駆け寄ってきた笑ちゃんの背負った荷物をまじまじと見てしまう.
うーん. やっぱり大きいよな.
「じゃあ、お母さん. 私行くから.」
「はーい. あんまりご迷惑にならないようにしなさいよ?」
「分かってる. そんなに子どもじゃない.」
「一くん. 笑のこと、よろしくね.」
「はい.」
行こう、笑ちゃん.
一声かけて、荷物を持ってあげる.
「…めちゃくちゃ重いんだけど. 何が入ってんのこれ.」
「女の子の実用品兼、男の子の夢と希望.」
「何かいかがわしそう.」
俺の倍くらいのスピードで足を動かす笑ちゃんに合わせ、ゆっくり歩く.
それでも、体格差のせいか笑ちゃんの3歩が俺の1歩分にしかならないんだけど.
「あ.」
お母さんに言い忘れたことがあったんだ.
「ごめんね、ちょっと待ってて.」
不思議そうな顔をする笑ちゃんを残して、歩いてきた道を走って戻る.
いた.
ちょうど、家に入ろうとしているところだった.
「あの、お母さん!」
「あら、一くん. 何か忘れ物??」
「はい、言い忘れたことが.」
「何かしら?」
「あの、」
(もしかしたら、俺が口を挟んでいいようなことじゃないのかもしれないけど.)
「笑ちゃんを、お父さんに会わせたいって仰ってましたよね.」
(笑ちゃんだけは守ってあげたいから.)
「それは笑ちゃんが会ってもいいと心から思えた時にしてあげてください.」
(辛いことなんて思い出さなくていい.)
「あと、もし笑ちゃんがお父さんと会いたいと思えた時は俺も同行させて下さい.」
(もう親のことで傷付かなくていいように.)
「断られても、俺、笑ちゃんに付いて行きますから.」
(大好きな人が壊れないように.)
「それだけ、伝えたかったので. 呼び止めちゃってすみませんでした.」
笑ちゃんのお母さんの顔を見る.
何とも言えない、微笑んでるのに泣きそうな顔をしていた.
頭だけ下げて、また笑ちゃんの所まで走る.
言い逃げ、だよなこれって.
かっこわりー.
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「ふふっ、」
わざわざ、走って言いに来てくれたのね.
真剣な表情の中に、身を切られてるかのような苦しそうな雰囲気を潜ませて.
本気で笑のことを考えてくれているのね. あの子は.
「青春、ね.」
あの子なら、笑を変えてくれるのかもしれない.
また笑えるように、名前に込めた願いを叶えられるように.
“人共に笑い、楽しく幸せに生きていける子になれますように”




