第11話 〔息抜き〕食事改善と迷走ランタン
リディアの料理は、効くけれど、まずい。
それが、護衛隊の共通認識だった。
その日の夕方、北向きの小さな部屋の隅で、リディアは小さな鍋をかき混ぜていた。足元の床には、焔鱗蜥蜴の尾肉がきれいに切り分けられて並んでいる。もちろん、刃物は使っていない。風の糸で、繊維に沿って解いたものだ。銀脈草の束は、昨日のうちに、茎と葉を別々に乾かしてある。
配合は、尾肉が三、銀脈草の葉が二、茎が半分。茎を入れすぎると効能が相殺され、足りないと効果が薄れる。数字だけを見つめて、リディアは火加減を調整した。
味は、見ていない。味見もしない。必要がないからだ。
「お嬢様。そろそろよろしいかと」
ヒルダがそっと器を差し出した。
鍋から、鈍い茶褐色の煮込みが器に注がれる。立ち上る匂いは、錆びた鉄と焦げた草と湿った土を、一緒に煮詰めたようなものだった。
護衛隊は全員、無言で器を受け取った。
アルベルトは胸の前で、短く祈りの形を取った。ゼノンはひと口含んで、静かに目を閉じ、何かを言いかけてやめた。ミーシャは飲み込んだ瞬間、喉の奥で小さく呻いた。ノワールは薬を飲むような無表情で、ひと息に干した。ヒルダは笑顔を崩さないまま、器を持つ指の関節だけが白くなっていた。
リディアはその反応を、観察していた。効能の効き具合を、確かめるためだ。体温がじんわりと上がっていく。耐熱の効果、三時間。理論通り。
彼女自身も、器を傾けた。喉を通る液体の感触は、記憶に残る。けれど、それを「まずい」と分類する習慣は持っていなかった。ただ、「錆びた鉄と、焦げた草の味」という記録が、一行、増えただけだ。
そのとき、扉が控えめに叩かれた。
入ってきたのは、丸い体にコック帽をのせた中年の男だった。伯爵家から派遣された、料理長のマルセル。数日前に着任したばかりで、まだリディアの食事を見たことがなかった。
彼は部屋に満ちた匂いに、鼻をひくつかせた。そして、鍋の中身を覗き込み、固まった。
長い沈黙のあと、マルセルは静かに口を開いた。
「お嬢様。これは何でしょうか」
「焔鱗蜥蜴の、尾肉と、銀脈草の煮込みです」
リディアは、誇らしげでも恥ずかしげでもなく、事実を述べた。
「耐熱の効果が、三時間。配合は、尾肉が三、銀脈草の葉が二、茎が半分」
「効果は分かりました。……味は」
リディアは少しだけ首を傾げた。
「関係、ありません」
マルセルの目が見開かれた。それは、料理人として聞いてはならない言葉を聞いた顔だった。
けれど、彼はすぐには怒らなかった。ゆっくりと息を吸い、鍋の匂いをもう一度嗅いだ。それから、指先で匙をすくい、ほんの少しだけ舐めた。
顔がわずかに歪んだ。しかし、すぐに職人の目に変わった。
「……銀脈草の苦みは、茎のほうが強い。尾肉の鉄臭さとぶつかっているのですな」
誰に言うでもなく、彼は呟いた。
「苦みを抑えるなら、月影茸の……」
その言葉が部屋の空気を変えた。
リディアの動きがぴたりと止まる。
「月影茸」
「はい。笠の裏の白い部分を細かく刻んで加えれば、風味が丸くなりますので」
リディアの口が勝手に動き出した。
「月影茸は、銀脈草の効能を、掛け算で上げます。二割から、三割。ただ、量が多いと、逆に相殺されるので、配合が」
早口だった。息継ぎも、ほとんどない。
「やってみましょう」
マルセルは無言で腕まくりをした。
*
半刻後。
新しい煮込みが、器に注がれた。色は同じ茶褐色。けれど、立ち上る匂いがまるで違っていた。ほのかな香草の香りと、肉の甘い脂。
リディアはすぐには口をつけなかった。まず、指先を器に添えて、湯気の中の魔力の流れを確かめる。
それから、ひと口。
飲み込んで、動かなくなった。
「……お嬢様?」
ヒルダが恐る恐る声をかけた。
「効果」
リディアはぼそりと言った。
「三割、上がってる」
部屋に沈黙が落ちた。
「味は」
ミーシャが思わず尋ねた。
「……分かんない」
リディアは本気で首を傾げた。
「でも、効果が、上がってる。味が、効果に、関係してた」
琥珀色の瞳が、見たことのない輝きを帯びていた。魔物の話をするときの輝きとは、少し違う。新しい謎を見つけた研究者の目だった。
護衛隊は恐る恐る、新しい煮込みを口にした。
アルベルトが目を見開いた。ゼノンは深く頷いた。ミーシャは無言で、おかわりの器を差し出した。ノワールは薬ではなく、食べ物として飲んだ。ヒルダは微笑んだまま、そっと目尻を拭った。
「これからは、マルセル殿の味付けでよろしいですね」
ヒルダが念を押すように尋ねた。
リディアは真剣な顔で頷いた。
「効果が、上がるなら」
理由は、それだけだった。けれど、護衛隊にとっては、それで十分だった。
*
夜、大公爵が小さな手帳を抱えて、北の棟を訪れた。
六週目の夜から、彼は三日に一度、帳簿の報告に北の棟を訪れるようになっている。そのたびに、リディアの魔物の話が始まって止まらなくなるのが、恒例だった。今夜も、いつもと変わらない。ただ、部屋に漂う匂いが、いつもと違っていた。
レオンハルトは扉の前で、足を止めた。
温かい煮込みの匂い。香草の香り。
ヒルダが静かに、小さな器を差し出した。彼はそれを、反射のように受け取った。そして、立ったまま、ひと口、飲んだ。
動きが止まった。
部屋の隅で、リディアはそれを観察していた。
「……温かい」
掠れた声だった。彼はもうひと口、ゆっくりと飲んだ。それから、器の中をじっと見つめた。
「うまい、な」
誰に聞かせるでもない独り言だった。
「耐熱の効果が、三時間です」
リディアは補足した。それから、少し首を傾げた。
「食べたの、いつぶりですか」
「……分からない」
レオンハルトは正直に答えた。
「執務室で、冷めたものを口に入れていた。味を覚えていない」
リディアは少し考えた。
「ちゃんと食べないと、返済が、滞るので」
淡々とした口調だった。けれど、レオンハルトは器を握る手に、ほんの少しだけ力を込めた。
「……分かった」
ヒルダが背を向けて、そっと肩を震わせている。
リディアは頭の中の帳面に、書き足した。大公爵:食事、改善の余地あり。それから、少し考えて、もう一行。
――同類。
自分も彼も、専門以外は壊滅的だ。そう思うと、不思議なことに、悪い気はしなかった。
*
その夜、ようやく静かになった北向きの部屋で、リディアは机の上に、小さなランタンを置いた。
月梟のランタン。青銅の枠に、月の形の窓。羽根の透かし彫りが、縁をぐるりと巡っている。結婚前に、他国のダンジョンで倒した魔物から取れた素材を使って、苦労して作り上げた一品だ。
護衛たちが周りに集まっていた。
「お嬢様。以前から気になっておりましたが、それは結局、どういう品なのでしょうか」
ヒルダが尋ねた。
「失敗作」
リディアは即答した。それから、渋々、ランタンの蓋を開けた。
ふわり、とやわらかな光が、部屋に広がった。半径、三メートルほど。乳白色の、あたたかな光だった。
「発光。夜目。消音。鎮痛。解毒。帰巣」
リディアは指を折って数えた。
「たくさん、ありますな」
ゼノンが感心したように言った。
「全部、ちょっとずつ、おかしい」
リディアは淡々と続けた。
「夜目は、光の中だけ。光があれば、見えるので、意味、ゼロ」
ミーシャが吹き出した。
「消音は、光の中の、音が消える。ただし、光るから、居場所は、バレバレ」
そこで、ノワールが無言のまま、一歩、前に出た。光の輪の中へ、足を踏み入れる。
歩く。足音はしない。もともとしない人だけれど、衣擦れの音まで消えていた。それなのに、乳白色の光に照らされて、黒のボブがはっきりと浮かび上がっている。
ノワールは立ち止まった。無言のまま、首だけをゆっくり振り返らせた。
それから、棚から布を一枚取って、ランタンにふわりとかぶせた。
光は布を透けて、やっぱり、ぼんやり光っていた。
ノワールはもう一枚、布を重ねた。それでも、透ける。三枚目を重ねようとして、彼女は手を止めた。
「……消音の項目は、削除してほしい」
ノワールがぽつりと言った。
「光だけ、消せませんか」
ヒルダがそっと尋ねた。
「固定」
リディアは首を横に振った。
「強さも、範囲も。調整、できない」
部屋に笑いが広がった。ミーシャは腹を抱えている。ゼノンは肩を揺らしている。アルベルトでさえ、口元を押さえていた。ノワールだけが無表情のまま、布をもう一枚、重ねていた。
その笑いが不意に止まったのは、ミーシャが光の輪の中で、大声を出したからだった。
「おーい! 誰か、聞こえるかー!」
――何も、聞こえなかった。
輪の外にいるヒルダたちには、ミーシャの口が大きく動いているのが見えるだけだ。声は、ひとつも届かない。
それは、光に包まれた静かな部屋だった。
ミーシャが輪の外へ出てきて、ぽつりと呟いた。
「……これ、会議に使えるな」
「盗み聞き、防げる」
リディアは少しだけ目を見開いた。
「使えるどころか、かなり便利です」
ノワールが淡々と言った。
リディアはランタンをじっと見つめた。それから、首を横に振った。
「でも、失敗作」
理由は、いくつもある。光るから、夜目は要らない。音が消えるのに、居場所は丸見え。調整はできず、消せない。
「鎮痛と、解毒は、本物です」
ヒルダが静かに言い添えた。
「それは、ランタンじゃなくて、薬でいい」
「いざという時に持っていると、安心です」
その言葉に、リディアは少し考えた。
「……お守り」
呟いて、蓋を閉めた。光がすっと消える。暗くなった部屋の中で、青銅の枠だけが、かすかに鈍く光っていた。
リディアはランタンを、そっとポシェットにしまった。
帰巣の効果は、まだ一度も使ったことがない。最後に安全だった場所を、光の中の全員に指し示す。今まで、使う場面がなかったから。
いつか、必要になる日が来るのかもしれない。深い、深いところで。
そんな予感が、なぜかふと、胸をよぎった。




