第7話 配信女王は、見てはいけないものを見た
「今日は二人とも休め」
昨夜そう送った。
玲華からは、
『無理です』
紫苑からは、
『嫌』
と返ってきた。
なので。
『来たら鍵開けないからな』
と送った。
それから返信はない。
「よし」
今日は静かに練習できそうだ。
午後十一時十八分。
俺はいつもの探索装備で《奈落》へ向かっていた。
目標は八十五階層。
昨日初めて到達した未踏破領域だ。
玲華と紫苑の訓練に付き合っていたせいで、昨夜は自分の攻略ができなかった。
一日空いただけなのに。
妙に久しぶりな感じがする。
「今日は見るだけでもいいか」
八十五階層がどういう場所なのか。
敵。
地形。
罠。
まず観察する。
倒せなければ帰る。
分からなければまた明日。
いつも通りだ。
◇
同じ頃。
『はーい! というわけで皆さんこんばんはー!』
明るい声が《奈落》入口前に響いていた。
『現在時刻、午後十一時二十分! 本日は珍しく深夜探索でーす!』
小型撮影ドローンへ笑顔を向ける女性。
肩まで伸びた明るい茶髪。
大きな瞳。
親しみやすい笑顔。
国内探索者ランキング三位。
白石陽菜。
そして。
国内最大級の探索配信チャンネルを持つ《配信女王》でもある。
画面には大量のコメントが流れていた。
《きたああああ》
《陽菜ちゃん待ってた》
《こんな時間珍しい》
《明日仕事なんだが??》
《寝ろ》
《お前もな》
「今日はですね」
陽菜が人差し指を立てる。
「ちょっと調べたいことがありまして」
《調べたいこと?》
《新ボス?》
《奈落攻略するん?》
「攻略というより――」
少し声を落とす。
「皆さん。《午前零時の攻略者》って知ってます?」
コメント欄が一気に加速した。
《出た》
《都市伝説》
《知ってる》
《上位勢には有名なやつ》
《毎晩深夜に記録更新する幽霊》
《幽霊ではないだろ》
《人間かも怪しい》
「そう。それ」
陽菜が笑う。
「正体不明。登録情報非公開。パーティー人数は毎回一人」
スマートフォンへ視線を落とす。
「しかも記録更新の大半が午後十一時半から午前二時の間」
《仕事終わりかな》
《急に庶民的》
《昼間寝てる吸血鬼説》
《俺はダンジョンの管理AI説推してる》
「そして一昨日」
陽菜の表情が少し真面目になる。
「《奈落》の国内最高到達記録が更新されました」
画面へ情報を表示する。
『第八十五階層』
『到達人数 一名』
『探索者情報 非公開』
《やべえ》
《玲華様83だろ》
《二階差はデカすぎ》
《しかもソロ》
「ちなみに一位の玲華さんは、その日の昼に八十三階層で撤退しています」
《煽るなw》
《玲華様泣くぞ》
「煽ってないから!」
陽菜が笑う。
だが。
その目は笑っていなかった。
彼女自身、ランキング三位。
だから分かる。
八十三。
八十四。
八十五。
数字だけなら、たった二階。
しかし。
そこに存在する壁は。
一般探索者には理解できないほど大きい。
「で」
陽菜が《奈落》入口を見る。
「今日、もし例の人が本当に深夜に来るなら」
《まさか》
《張るの?》
《ストーカー配信始まった》
「誰がストーカーよ!」
《でも張るんだろ》
「……まあ、少しだけ」
《ストーカーじゃん》
「調査!」
陽菜が頬を膨らませた。
「ただし!」
指を立てる。
「本人が嫌がったら撮影は即止めます。顔も個人情報も絶対出しません」
《偉い》
《そこ大事》
《配信女王ちゃんとしてる》
「探索者って、表に出たくない人もいますからね」
陽菜自身。
何度も経験している。
強いからといって。
有名になりたいとは限らない。
「じゃ、行ってみよっか」
配信を続けたまま。
陽菜は《奈落》へ入った。
◇
八十五階層。
「…………」
暗い。
予想していたより広い。
俺は入口付近で止まった。
正面。
三本の通路。
右。
左。
中央。
「迷路系か」
面倒だ。
手帳を開く。
『85階』
『入口 三叉路』
まず右。
五分。
行き止まり。
戻る。
「右は違う」
次。
中央。
床。
「……罠」
一歩手前で止まる。
石ころを投げる。
カチッ。
天井から無数の槍。
「これは踏んだら駄目だな」
記録。
少し進む。
また分岐。
「広いな……」
こういう階層は時間が掛かる。
でも。
嫌いではない。
知らない場所を。
一つずつ。
分かる場所へ変えていく。
それが楽しい。
◇
『現在七十九階でーす』
陽菜の声がダンジョン内に響く。
《速い》
《さす3位》
《深夜なのに元気だな》
「今日は戦闘極力避けてますから」
陽菜が軽やかに走る。
「目的は攻略じゃなくて調査です」
《例の人見つかるかな》
《もう帰ったんじゃ》
《毎日来る保証ないしな》
「その時はその時」
八十階。
八十一階。
そして。
「……ここから先はちょっと集中します」
陽菜の声色が変わった。
ランキング三位でも。
この先は危険。
八十二階。
魔物を回避。
八十三階。
《鎧猿》。
「今日は戦わない!」
大回りする。
《え?》
《スルーできるの?》
《初めて見た》
「事前に玲華さんの最新攻略映像を穴が開くほど見ました」
《玲華式》
《最近あの人急に攻略上手くなったよな》
《それ思った》
陽菜の足が一瞬止まる。
「……そうなんですよね」
《ん?》
「いや、何でもないです」
最近。
玲華がおかしい。
そして紫苑も。
戦闘力そのものだけではない。
攻略の仕方。
見る場所。
魔力の使い方。
何かが変わっている。
ランキング三位で。
二人と何度も攻略した陽菜だからこそ。
よく分かった。
「……絶対何かあるんだよなぁ」
《独り言聞こえてるぞ》
「あ」
《何隠してんの》
「何でもない何でもない!」
八十四階。
双頭黒狼。
陽菜の表情が険しくなる。
「ここ」
国内ランキング三位。
まだ単独突破経験なし。
《行く?》
《今日はやめとけ》
《目的違うだろ》
「そうなんだけど……」
その瞬間。
双頭黒狼がこちらを見る。
「まずっ!」
飛びかかる。
陽菜が横へ跳ぶ。
一撃。
二撃。
「速っ……!」
三撃目。
左頭が大きく開く。
陽菜の視線がそこへ吸われる。
次の瞬間。
「え――」
右側から爪。
間に合わない。
そう思った。
「頭見るな!」
声。
「え?」
知らない男の声だった。
「右前脚!」
反射的に見る。
右前脚。
沈む。
「っ!」
陽菜が身体を左へ投げる。
爪が髪を掠めた。
《!?》
《誰!?》
《今声した》
《右前脚って何》
「次、下がるな!」
「え、ちょ――」
「前!」
分からない。
でも。
従った。
一歩前へ。
双頭黒狼の懐。
今まで見えなかった隙。
「……!」
陽菜の短剣が走る。
一撃。
もう一撃。
双頭黒狼が怯む。
「今離れろ!」
後退。
直後。
巨体が地面へ叩きつけられた。
陽菜のいた場所が砕ける。
「…………」
冷や汗。
《誰だよ!?》
《声の人どこ!?》
《陽菜ちゃん後ろ!!》
陽菜が振り返る。
通路の奥。
一人の男が立っていた。
安そうな探索装備。
使い込まれた片手剣。
顔立ちも。
装備も。
どこにでもいそう。
何より。
感じる魔力が。
「……低い?」
ほとんどない。
初心者探索者と変わらない。
男が眉をひそめる。
「カメラ?」
「え?」
撮影ドローン。
男の視線がそこへ向いた。
「配信してる?」
「し、してます」
「顔映ってる?」
「……!」
陽菜が我に返る。
「カメラ止めて!」
即座に操作。
画面が暗転する。
『配信を一時停止しました』
《えええええ》
《待て》
《誰だったんだよ》
《声しか分からん》
《顔見えなかった》
《再開はよ》
陽菜は配信を完全停止した。
「すみません!」
頭を下げる。
「勝手に映してしまって」
「いや、顔出てないならいいよ」
男は本当に気にしていない様子だった。
「それより」
双頭黒狼を見る。
「今日は帰った方がいい」
「え?」
「右肩傷めてるだろ」
陽菜が息を呑む。
確かに。
さっきの回避で右肩に違和感がある。
だが。
動きにはほとんど出していない。
「なんで……」
「右腕振る時だけ肩が上がってる」
「…………」
「次やったら避け遅れると思う」
男はそれだけ言う。
「じゃ」
通り過ぎようとする。
「ちょっと待って!」
「ん?」
「あなた……」
陽菜の鼓動が速くなる。
こんな場所に。
一人。
この時間。
八十四階層へ普通に現れる男。
しかも。
双頭黒狼の動きを完全に知っている。
「もしかして」
言いかける。
その時。
ダンジョン全体に機械音声が響いた。
『未踏破領域への侵入を確認』
『第八十五階層』
『攻略者情報――非公開』
「…………」
陽菜が固まる。
目の前の男。
奥へ続く道。
現在時刻。
スマートフォン。
午前零時四十六分。
「え」
男は普通に八十五階への扉へ向かっている。
「ちょ……!」
陽菜が追う。
「あなた!」
「何?」
「八十五階……行くの?」
「昨日から行ってるけど」
「昨日から?」
「うん」
「昨日、国内最高記録が更新されたの」
「ああ」
「…………」
「あれ、俺」
あっさり。
本当に。
何でもないことのように言った。
「…………」
「どうした?」
「ま」
「ま?」
「待ってえええええええええ!?」
八十四階層に。
国内ランキング三位の絶叫が響いた。
◇
「《午前零時の攻略者》?」
「そう!」
「だからそれ俺なの?」
「あなた以外誰がいるの!?」
配信は止めたまま。
陽菜が目の前で騒いでいる。
「毎晩この時間!」
「まあ」
「単独!」
「一人の方が気楽だし」
「未踏破ダンジョン!」
「練習になるから」
「非公開!」
「名前出す意味ないし」
「全部一致してるじゃない!」
「そう言われても」
最近。
やたらそれを言われる。
「というか」
陽菜が俺を頭から足まで見る。
「魔力……」
「ん?」
「なんでこんなに少ないの?」
「圧縮してるから」
「…………」
嫌な予感がした。
「圧縮?」
「うん」
「何パーセント?」
この質問。
最近よくされるな。
「九十八」
「…………」
陽菜が固まった。
「九十八?」
「うん」
「パーセント?」
「そう」
「今?」
「今」
「…………」
「白石さん?」
「なんで私の名前」
「ランキング三位だろ?」
「私のことは知ってるのに自分の異名知らないの!?」
「テレビ見るし」
「ネット見なさいよ!」
「面倒」
「もう!」
なんだこの人。
陽菜はそう言いたげだった。
「とりあえず」
俺は八十五階を見る。
「今日は帰った方がいいよ」
「でも」
「肩」
「…………」
「また明日にしな」
「あなたは?」
「俺?」
「この先行くんでしょ?」
「少しだけ」
「私も――」
「駄目」
「即答!?」
「怪我してる人連れて未踏破行きたくない」
「う……」
「それに」
俺は手帳を出す。
「今日は地図作るだけだから」
「地図……?」
「昨日ほとんど分からなかったし」
開く。
八十五階。
手書きの線。
行き止まり。
罠。
魔物。
細かなメモ。
「…………」
陽菜の目が止まる。
「これ」
「ん?」
「いつから?」
「八十五階は昨日」
「違う」
ページを捲る。
八十四。
八十三。
八十二。
さらに前。
びっしり。
文字。
図。
失敗。
改善。
試行回数。
「この手帳」
「十二年くらい前から」
「…………」
陽菜が黙る。
そして。
静かに手帳を閉じた。
「今日は帰る」
「その方がいい」
「でも」
「うん?」
陽菜が俺を見る。
さっきまでの配信者の笑顔ではない。
真剣な目。
「また会いに来てもいい?」
「別にいいけど」
「本当に?」
「ダンジョンでなら」
「……分かった」
陽菜が頷く。
そして。
「今日撮った映像」
「うん」
「全部消す」
「そこまでしなくても」
「消す」
「なんで?」
「あなた」
陽菜が呆れたように笑った。
「自分がどれくらい大変な存在か、本当に分かってないでしょ」
「大変?」
「いい」
またため息をつかれた。
「私が何とかする」
「何を?」
「何でもない!」
最近。
ランキング上位の人たちから。
よく怒られる。
◇
その夜。
白石陽菜の配信は、途中で突然終了した。
当然。
掲示板は大騒ぎになった。
『【緊急】陽菜の奈落配信、謎の男乱入で終了』
1:名無しの探索者
見てた奴いる?
2:名無しの探索者
いる
3:名無しの探索者
男の声したよな
4:名無しの探索者
「頭見るな、右前脚」
5:名無しの探索者
あれで陽菜が双頭黒狼の攻撃避けた
6:名無しの探索者
何者?
7:名無しの探索者
顔映ってない
8:名無しの探索者
陽菜が速攻カメラ止めた
9:名無しの探索者
これ重要だろ
10:名無しの探索者
何が?
11:名無しの探索者
白石陽菜って配信第一だけど
探索者のプライバシーにはクソ厳しい
12:名無しの探索者
本人が映されたくないタイプだった?
13:名無しの探索者
たぶん
14:名無しの探索者
で、その直後
15:名無しの探索者
何?
16:名無しの探索者
奈落85階に匿名侵入記録出てる
17:名無しの探索者
…………は?
18:名無しの探索者
時刻は?
19:名無しの探索者
配信止まった約三分後
20:名無しの探索者
おい
21:名無しの探索者
まさか
22:名無しの探索者
あの男
23:名無しの探索者
《午前零時の攻略者》?
24:名無しの探索者
いやいやいやいや
25:名無しの探索者
でも条件一致してね?
26:名無しの探索者
陽菜ちゃん説明して
27:名無しの探索者
SNS更新きた
28:名無しの探索者
なんて?
29:名無しの探索者
『本日の配信で映り込んだ方について、詮索・特定行為は絶対にやめてください。お願いします』
30:名無しの探索者
逆に怪しい
31:名無しの探索者
完全に何か知っただろ
32:名無しの探索者
トップ3まで動いたぞ
33:名無しの探索者
まで?
34:名無しの探索者
最近玲華も深夜に奈落いたって噂ある
35:名無しの探索者
………………
36:名無しの探索者
お前ら
37:名無しの探索者
もしかして
38:名無しの探索者
ランキング上位連中
39:名無しの探索者
同じ誰か探してないか?
その書き込みは。
数分後。
数百件の返信に埋もれた。
◇
一方。
自宅へ戻った白石陽菜は。
「…………」
椅子へ座り。
スマートフォンを見つめていた。
連絡先。
天音玲華。
九条紫苑。
二人へ電話を掛けようとして。
止める。
「いや」
目を細めた。
「絶対あの二人、何か知ってる」
そして。
少し考える。
「……教えない」
スマートフォンを伏せた。
「私が先に確かめる」
ランキング三位。
白石陽菜。
彼女もまた。
《午前零時の攻略者》の秘密を。
誰にも話さないことを選んだ。




