第5話 ランキング二位も、先生を見つけた
「ランキング二位の人」
「……その認識なの?」
午前零時前。
牛乳を買いに出ただけの俺は、アパートの駐車場で国内ランキング二位――九条紫苑と向かい合っていた。
長い紫色の髪。
整った顔。
探索者なら知らない者はいない《魔砲姫》。
その本人が、なぜか俺のアパート前にいる。
「九条紫苑よ」
「ああ、そうだった」
「本当に知らなかったわけじゃないでしょうね?」
「顔は知ってたよ」
「顔は?」
「テレビで」
「…………」
紫苑がこめかみを押さえた。
「天音玲華なら名前まで知ってるんでしょう?」
「昨日会ったから」
「昨日?」
「あ」
まずかっただろうか。
紫苑の目が鋭くなる。
「昨日から?」
「何が?」
「玲華がここに来るようになったの」
「昨日が最初だよ」
「…………」
「今日で二回目」
「二回」
「うん」
紫苑は何かを考えるように黙り込んだ。
「それで?」
「え?」
「俺に何か用?」
「あるわよ!」
突然怒られた。
「玲華はあなたを先生と呼んでいた」
「ああ」
「国内ランキング一位が!」
「そうみたいだな」
「そうみたいって何よ!」
また声が大きい。
「夜だから静かに」
「っ……」
紫苑が口を押さえる。
周囲の部屋を見回し、小声になった。
「……あなた、何者?」
「黒瀬悠真」
「名前を聞いてるんじゃない!」
「じゃあ探索者?」
「それも知ってる!」
「E級」
「それが一番意味分からないのよ!」
紫苑はスマートフォンを取り出した。
画面には俺の探索者情報。
名前。
年齢。
探索者歴。
そして。
『探索者ランク:E』
『最新魔力測定値:17』
「これ、本物?」
「そうだけど」
「魔力値十七よ?」
「昨日測った」
「私は八千を超えてる」
「すごいな」
「そういう話じゃない!」
静かにって言ったばかりなのに。
「玲華はあなたから何を教わっているの?」
「それ、本人に聞けば?」
「聞いて答えると思う?」
「知らない」
「絶対答えないわ」
「仲悪いの?」
「良いわよ」
「じゃあ聞けばいいじゃん」
「だから!」
紫苑が何か言おうとして。
止まった。
「……あなた」
「うん?」
「本当に何も分かってないのね」
「何が?」
「もういいわ」
ため息をつかれた。
「とにかく確認させて」
「何を?」
「あなたが玲華の戦い方を変えたのか」
「変えたつもりはないけど」
「八十三階層」
紫苑の声が低くなる。
「昨日まで二年間止まっていた玲華が、一晩で突破した」
「ああ」
「左手」
「うん」
「右肩」
「うん」
紫苑の目が細くなる。
「やっぱり知ってるのね」
「通ったからな」
「いつ?」
「だいぶ前」
「……玲華より先に?」
「たぶん」
「E級が?」
「ランクは関係ないだろ」
「大ありよ!」
また怒られた。
「じゃあ」
紫苑が一歩近づく。
「私にも教えて」
「何を?」
「あなたが玲華に教えたこと全部」
「全部?」
「全部」
「無理だろ」
「なぜ?」
「十二年分あるし」
「…………」
「それに、人によって違うから」
「違う?」
「天音さんと九条さんじゃ戦い方違うだろ?」
「それは……」
「同じこと教えても意味ないと思うけど」
紫苑が黙った。
「だったら」
「ん?」
「私を見て」
「見て?」
「戦い方を」
「今から?」
「そうよ」
「牛乳買いに行くんだけど」
「…………」
紫苑の眉がぴくっと動いた。
「国内ランキング二位がお願いしてるのよ?」
「明日の朝コーヒー飲みたいし」
「牛乳より私が下!?」
「牛乳は今日買わないとなくなるから」
「…………」
「九条さんは明日でもいるだろ」
しばらく沈黙。
「あなた、玲華にもこんな感じなの?」
「どんな感じ?」
「もういい」
またため息をつかれた。
◇
結局。
牛乳を買ったあと。
「少しだけだからな」
「十分よ」
近所の二十四時間営業の訓練施設へ来ていた。
「何を見ればいい?」
「魔法」
紫苑が訓練用の杖を手に取る。
「私の最大の武器よ」
「知ってる」
「なら話が早いわ」
訓練室の奥。
耐魔力仕様の標的。
紫苑が杖を向ける。
瞬間。
空気が変わった。
「お」
これはすごい。
大量の魔力が紫苑を中心に集まる。
一つ。
二つ。
三つ。
巨大な魔法陣が重なる。
「《紫電砲》」
光。
轟音。
標的が一瞬で消し飛んだ。
威力表示。
『測定不能』
壁の耐久結界が赤く点滅する。
「……強いな」
「当然よ」
紫苑が得意げに髪を払う。
「国内最大魔力量を伊達で名乗ってないわ」
「うん」
「それで?」
「何が?」
「何かないの?」
「何かって?」
「改善点!」
「ああ」
少し考える。
「魔力使いすぎじゃない?」
「…………は?」
「今のでどれくらい?」
「二割程度よ」
「二割?」
「そう」
「もったいないな」
「…………」
紫苑の笑顔が消えた。
「今の一撃で?」
「うん」
「測定不能の威力よ?」
「標的壊すだけなら、そんなにいらないだろ」
「これは高位魔物を想定した訓練よ!」
「でも魔法発動したあと三秒くらい動けなかった」
「……」
「実戦ならそこ危ないよ」
「私の魔力防壁なら――」
「防壁にも魔力使うだろ?」
「…………」
「あと集めてる時に漏れすぎ」
「漏れる?」
「うん」
「何が?」
「魔力」
紫苑の顔が険しくなる。
「そんなはずないわ」
「結構出てるけど」
「私は魔力制御についても国内最高水準よ」
「そうなの?」
「そうよ!」
「じゃあみんなもっと漏れてるのか」
「……あなた」
紫苑が杖を置いた。
「さっきから私を馬鹿にしてる?」
「してないけど」
「だったら見せて」
「何を?」
「あなたの魔力制御」
「ああ」
俺は少し考えた。
「別にいいけど」
剣を抜く必要はない。
手を前に出す。
「普段は九十八パーセントくらい圧縮してる」
「九十八?」
「うん」
「魔力の?」
「そう」
紫苑の表情が止まった。
「嘘」
「天音さんにも言われた」
「そんな制御、不可能よ」
「できるよ」
「だったら証明して」
「どうやって?」
「少し解放して」
「どれくらい?」
「好きにすればいいわ」
「じゃあ……」
今は九十八。
一パーセント緩める。
九十七。
――その瞬間。
「っ!?」
紫苑が飛び退いた。
杖を構える。
「え?」
「な……!」
「どうした?」
「今……何したの?」
「一パーセント緩めた」
「一パーセント……?」
「うん」
紫苑の顔から血の気が引いている。
「もう一回」
「いいけど」
九十八へ戻す。
魔力反応が消える。
「…………」
「で」
九十七。
紫苑の髪が揺れた。
床に細かな亀裂が走る。
訓練施設の魔力警報が一瞬だけ黄色く点灯した。
すぐ九十八へ戻す。
「こんな感じ」
「…………」
紫苑が動かない。
「九条さん?」
「一パーセント」
「うん」
「今ので?」
「そう」
「嘘でしょ」
「なんで?」
「私より多い」
「何が?」
「瞬間出力!」
紫苑が俺の腕を掴んだ。
「今の一瞬、私が通常戦闘で放出する魔力より多かった!」
「そうなの?」
「そうなのって……!」
「でも九条さんの方が測定値は高いだろ」
「測定値十七の人間が言う台詞じゃない!」
また怒られた。
「じゃあ」
紫苑の瞳が変わる。
疑い。
苛立ち。
それが。
好奇心に変わっていく。
「どうやって?」
「何が?」
「圧縮」
「ああ」
「私にもできる?」
「練習すれば」
「教えて」
「いいけど」
「今!」
「今日?」
「今!」
ものすごい勢いだった。
「じゃあ最初は五パーセントくらいかな」
「五?」
「無理なら一パーセントからでも」
「舐めないで」
紫苑が胸を張る。
「私を誰だと思ってるの?」
「九条紫苑」
「そういう意味じゃない!」
最近これ多いな。
「国内ランキング二位。《魔砲姫》。魔力制御もトップクラス」
「じゃあ五で」
「十」
「やめた方がいいよ」
「十」
「吐くぞ」
「私は先生じゃないから大丈夫よ」
「……」
先生。
今、言ったよな?
「先生?」
紫苑自身も気づいたらしい。
「…………今のは違う」
「別にいいけど」
「忘れて」
「はい」
顔が少し赤い。
「じゃあ十パーセント圧縮な」
「やるわ」
「ゆっくり」
紫苑が目を閉じる。
周囲へ広がっていた魔力。
それを内側へ。
圧縮。
さすがに上手い。
「お」
一秒。
二秒。
三秒。
「……っ」
五秒。
紫苑の眉間に皺が寄る。
十秒。
「ぐ……」
「やめる?」
「まだ」
二十秒。
「う……!」
三十秒。
「九条さん」
「まだ!」
四十一秒。
「ぅ……」
紫苑が口元を押さえた。
「やめろって!」
圧縮解除。
俺が肩を支える。
「大丈夫?」
「…………」
「水いる?」
「…………」
「九条さん?」
「トイレ」
「あっち」
紫苑が走った。
しばらくして。
青い顔で戻ってくる。
「だから吐くって言ったのに」
「吐いてない」
「本当?」
「……ぎりぎり」
「無理しない方がいいぞ」
「先生」
「ん?」
「今の」
紫苑が震える指で俺を見る。
「先生は何パーセント?」
「九十八」
「何分?」
「ずっと」
「ずっとって?」
「十二年くらい」
「…………」
紫苑が椅子へ座った。
そして両手で顔を覆った。
「何なのよ、この人……」
「聞こえてるぞ」
「聞かせてるのよ」
「そうなの?」
「玲華が先生って呼ぶ理由が分かった」
「天音さんも三分くらいだったよ」
「三分!?」
紫苑が顔を上げる。
「玲華が?」
「うん」
「五パーセント?」
「そう」
「私は十パーセントで四十一秒」
「初めてなら十分じゃない?」
「…………」
紫苑が何か考え始める。
「私の方が」
「ん?」
「圧縮率は高い」
「まあ」
「初回から」
「そうだな」
少し口元が緩んだ。
「玲華より上」
「時間は短いけど」
「そこは言わなくていい!」
怒られた。
◇
午前一時半。
訓練施設を出る。
「じゃ、俺帰るから」
「待って」
「まだ何か?」
「今日のこと」
「うん」
「玲華には言わないで」
「なんで?」
「絶対」
「別にいいけど」
紫苑がほっとする。
「それと」
「うん?」
「明日」
「明日?」
「空いてる?」
「夜なら」
「何時?」
「九時くらい」
「行く」
「どこに?」
「先生のところ」
「俺んち?」
「訓練よ!」
「ああ」
「それと《奈落》」
「奈落も?」
「私も先生の攻略を見たい」
「俺、基本一人でやってるけど」
「邪魔しない」
「危ないぞ」
「ランキング二位よ」
「ランキング一位も八十三階で止まってたぞ」
「…………」
紫苑の頬が引きつった。
「と、とにかく行く!」
「分かったよ」
「約束ね」
「はいはい」
「あと!」
「まだ?」
「玲華には絶対言わないこと!」
「分かったって」
紫苑は満足そうに頷いた。
そして俺と別方向へ歩き出す。
十歩ほど進んだところで。
止まった。
「先生」
「ん?」
振り返る。
紫苑は少しだけ恥ずかしそうに視線を逸らしていた。
「今日は……ありがとう」
「どういたしまして」
「明日もよろしく」
「無理すんなよ」
「分かってる」
今度こそ歩いていった。
「…………」
二人目。
なんでランキング上位の人って、こんなに勉強熱心なんだろう。
感心しながら俺も帰宅した。
◇
翌日の午後。
探索者ギルド本部。
「紫苑」
「っ!?」
突然背後から声を掛けられ。
九条紫苑の肩が跳ねた。
振り返る。
天音玲華。
「な、何?」
「あなた」
「何よ」
玲華が紫苑の顔をじっと見る。
「今日、魔力の流れがいつもと違いますね」
「…………」
「何か新しい訓練を?」
「してないけど」
「そうですか?」
「そうよ」
「…………」
玲華の目が細くなる。
「ところで」
「な、何?」
「昨夜、どこにいました?」
「家」
「本当に?」
「な、なんで聞くのよ!」
「いえ」
玲華は穏やかに微笑んだ。
「先生のアパート付近で、あなたに似た魔力反応を感じた気がしたので」
「…………」
「気のせいですよね?」
「…………もちろんよ」
「そうですか」
「そうよ」
二人は笑う。
笑っている。
ただし。
目はまったく笑っていなかった。
その日の夜。
午後八時五十分。
俺の部屋のインターホンが鳴った。
「はい」
『先生、九条です』
「ああ、今開ける」
扉を開ける。
「こんばんは」
「こんばんは」
紫苑が小さな紙袋を持って立っている。
「何それ?」
「差し入れ」
「ありがとう」
「玲華には?」
「言ってないよ」
「よし」
紫苑が嬉しそうに部屋へ入る。
その三分後。
もう一度。
――ピンポーン。
「ん?」
インターホンを見る。
『先生。玲華です』
「…………」
背後で。
九条紫苑の顔が。
完全に固まった。
「どうした?」
「先生」
「うん?」
「絶対に開けないで」
「なんで?」
「いいから!」
『先生?』
インターホンの向こう。
玲華の声が聞こえる。
『いらっしゃいますよね?』
「いるけど」
「先生ぇ!」
紫苑が小声で悲鳴を上げた。
俺はようやく。
少しだけ思った。
もしかして。
これは面倒なことになり始めているのではないだろうか。




