第3話 日本一でも三分もたなかった
「では、お願いします。先生」
「……その呼び方、まだ慣れないんだけど」
「私はもう慣れました」
「昨日からだろ」
翌日の午後九時。
俺は《奈落》近くにある探索者向け訓練施設へ来ていた。
目の前にいるのは、国内ランキング一位。
《剣聖》天音玲華。
ただし今日は帽子にマスク。
上から地味なパーカーまで羽織っている。
どう見ても変装だ。
「そこまで隠す必要ある?」
「あります」
「なんで?」
「私が先生から個人指導を受けていると知られたら、大変なことになります」
「そんなもんか?」
「そんなものです」
玲華は即答した。
まあ本人がそう言うならいい。
「で、今日は何からやる?」
「魔力圧縮を」
「いきなり?」
「はい」
玲華の目が真剣になる。
「昨日からずっと考えていました」
「何を?」
「先生の魔力量についてです」
「俺の?」
「私は先生より遥かに多くの魔力を持っています」
「そうだな」
玲華の魔力量は国内でも最上位。
昨日ギルドで見た公開記録だと、俺の測定値の数百倍あったはずだ。
「それなのに、先生の方が遥かに深く《奈落》へ進んでいる」
「魔力量だけで攻略できるわけじゃないからな」
「はい。でも、それだけではないと思っています」
玲華は胸元へ手を置いた。
「先生は、魔力をほとんど漏らしていない」
「まあ」
「戦闘中もです」
「無駄だから」
俺が答えると。
玲華が少しだけ眉を寄せた。
「やはり、そこなんですね」
「何が?」
「私たちは、魔力が多いことに甘えている」
「別に悪いことじゃないだろ」
「でも先生は違う」
玲華はまっすぐ俺を見る。
「少ないからこそ、一滴も無駄にしない方法を十二年間考え続けた」
「そんな大げさな」
「先生は何でも大げさじゃないことにしますね」
「そう?」
「はい」
ため息をつかれた。
「とりあえずやってみる?」
「お願いします」
「最初は五パーセントくらい」
「五パーセント?」
「普段外に出してる魔力の五パーセントを、体内に押し込める感じ」
「はい」
「無理に力入れると気持ち悪くなるから、ゆっくりな」
「分かりました」
玲華が目を閉じる。
周囲へ漏れていた魔力が少しずつ減っていく。
やっぱり器用だ。
初めてにしては上手い。
「……どう?」
「問題ありません」
「じゃあ、そのまま維持」
「はい」
三十秒。
一分。
二分。
玲華の額に汗が浮かび始める。
「大丈夫?」
「まだ……」
二分半。
呼吸が荒くなる。
「天音さん、もう――」
「まだいけます」
「いや無理しない方が」
「まだ……!」
二分五十二秒。
玲華の膝が折れた。
「おっと」
慌てて肩を支える。
「はっ……はぁ……!」
「言っただろ、無理すんなって」
「…………」
「水飲む?」
「……お願いします」
ベンチに座らせ、水を渡す。
玲華はしばらく無言で飲んでいた。
「どうだった?」
「……地獄でした」
「最初はそんなもん」
「これが五パーセント?」
「うん」
「先生は?」
「今?」
「はい」
「九十八」
「…………」
玲華が水を飲む手を止める。
「何パーセントですか?」
「九十八」
「聞き間違いではなかった」
「だから昨日もそう言っただろ」
「しかも今も?」
「うん」
「話している間も?」
「もちろん」
「寝ている時も?」
「そう」
「十二年間?」
「まあ、大体」
「…………」
玲華が頭を抱えた。
「先生」
「なに?」
「私、昨日まで自分を努力家だと思っていました」
「十分努力家だろ」
「今その言葉を先生に言われると、ものすごく複雑です」
「なんで?」
よく分からない。
「でも五パーセントを三分近く維持できたなら相当早いよ」
「本当ですか?」
「俺は最初三秒だったし」
「……三秒」
「吐いた」
「それを?」
「毎日」
「半年?」
「うん」
「なぜやめなかったんです?」
「できなかったから」
「……?」
「できないなら、できるまでやるしかないだろ」
玲華が黙った。
「先生」
「ん?」
「その考え方が一番普通じゃないです」
「またそれ?」
「はい」
真顔だった。
◇
「で、本当に今日行くの?」
「お願いします」
「昨日撤退したばっかだろ」
「だからこそです」
午後十一時半。
俺たちは《奈落》の八十三階層手前にいた。
もちろん俺は記録非公開。
玲華も今日は公式配信なし。
「昨日教えていただいたことを、すぐ確かめたいんです」
「まあ止めないけど」
「それに」
玲華が少しだけ笑う。
「先生が後ろにいると思うと、ずいぶん気が楽です」
「俺、助けないぞ」
「はい」
「危なくなったら口は出すけど」
「それで十分です」
八十三階層。
重い扉が開く。
奥に巨大な影が立っていた。
《鎧猿》。
全身を黒い外殻で覆った、巨大な猿型魔物。
昨日玲華を撤退させた相手。
「行ってきます」
「いってらっしゃい」
「……なんだか軽いですね」
「だって俺が戦うわけじゃないし」
玲華が苦笑した。
そして剣を抜く。
《鎧猿》が動いた。
一撃。
二撃。
三撃。
四撃。
速い。
でも玲華も全部捌く。
そして――。
「左手!」
俺が声を出す。
鎧猿の左手が開いた。
玲華の目が細くなる。
昨日ならここで右へ避けていた。
今日は動かない。
鎧猿が五撃目を放つ素振りを見せる。
でも来ない。
フェイント。
「……見えた!」
玲華が一歩踏み込む。
鎧猿の腹部。
昨日まで届かなかった死角。
白銀の剣が閃いた。
鎧猿がよろめく。
「先生!」
「次、右肩!」
「はい!」
もう一撃。
巨体が崩れる。
地面が揺れた。
静かになる。
「…………」
玲華はしばらく倒れた鎧猿を見ていた。
「倒したな」
「……はい」
「おめでとう」
玲華が振り返る。
妙な顔をしていた。
「どうした?」
「二年間です」
「ん?」
「私は、この階層を突破するために二年間試行錯誤しました」
「うん」
「先生に教えていただいたのは、たった二つ」
「左手と右肩だな」
「それだけで」
玲華が自分の剣を見る。
「突破できてしまった」
「天音さんが元々強かったからだよ」
「……先生」
「ん?」
「お願いがあります」
「何?」
「今後、他の探索者に同じことを聞かれても」
「うん」
「簡単に教えないでください」
「なんで?」
「…………」
玲華が目を逸らした。
「先生の時間がなくなります」
「そう?」
「はい」
「ならまあ、適当に」
「必ずお願いします」
妙に必死だ。
「分かったよ」
「ありがとうございます」
玲華がほっとした顔をした。
俺にはよく分からなかった。
◇
翌日。
国内探索者ランキング六位。
神崎蓮司は、ギルド本部の映像分析室にいた。
「……もう一回」
「はい?」
「天音の昨日の映像、もう一回出してくれ」
職員が画面を戻す。
八十三階層。
《鎧猿》戦。
玲華が敵の左手を見る。
フェイントを見抜く。
そして一気に懐へ。
「…………」
蓮司が目を細めた。
「どうしました?」
「昨日まで、こいつはこんな戦い方してなかった」
「天音さんなら一晩で対策したのでは?」
「いや」
蓮司は首を振る。
「違う」
強くなる。
新しい技を覚える。
装備を変える。
それなら分かる。
でも昨日の玲華は違った。
「……無駄が消えてる」
「無駄?」
「攻撃じゃない」
蓮司は画面を指差した。
「見る場所だ」
今まで玲華は《鎧猿》の全身を見ていた。
昨日は違う。
左手。
右肩。
必要な場所だけ。
「まるで……」
蓮司が呟く。
「答えを知ってる奴に、教えてもらったみたいじゃねえか」
職員が笑う。
「天音さんに教えられる人なんて、日本にいますか?」
「…………」
蓮司は答えなかった。
そして別の画面を見る。
昨夜。
《奈落》最高到達記録。
八十五階層。
攻略者――匿名。
「またこいつか」
午前零時過ぎ。
毎回同じ時間帯。
誰にも姿を見せない謎の単独探索者。
ネットでは《午前零時の攻略者》と呼ばれている。
蓮司は画面を睨んだ。
「……天音」
昨日まで突破できなかった八十三階層。
突然の攻略。
そして同じ夜。
八十五階層の匿名更新。
「まさかな」
まだ証拠はない。
だが。
胸の奥に、小さな違和感が残った。
「誰に教わったんだよ、お前」
その頃。
その答えである万年E級探索者は――。
「……筋肉痛だ」
自宅で湿布を貼っていた。




