第2話 日本一の探索者が、俺を探していたらしい
「《午前零時の攻略者》――あなたですよね?」
午前二時過ぎ。
日本最難関ダンジョン《奈落》の入口で。
国内ランキング一位、《剣聖》天音玲華が俺の前に立っていた。
「…………それ、誰?」
俺がそう答えると。
玲華の表情が固まった。
「……え?」
「いや、《午前零時の攻略者》って」
「あなたのことです」
「俺?」
「はい」
「初めて聞いた」
「…………」
玲華が黙る。
ものすごく困った顔だった。
テレビや配信で見る彼女は、いつだって冷静だ。
魔物に囲まれても表情ひとつ変えない。
そんな日本一の探索者が、今は完全に言葉を失っている。
「……ご存じないんですか?」
「何を?」
「ネットではかなり有名ですよ」
「そうなの?」
「探索者上位層では知らない者の方が少ないです」
知らなかった。
そもそも俺は攻略掲示板を調べ物で見る程度で、SNSはほとんど使わない。
玲華がスマートフォンを取り出した。
「これです」
「ん?」
画面を見る。
そこには探索者向け掲示板のスレッドが表示されていた。
『【正体不明】午前零時の攻略者について語るスレ Part42』
「四十二……?」
「はい」
「そんなに何話すことあるんだ?」
玲華が俺を見る。
「あなたが未踏破領域を更新するたびです」
「…………」
嫌な予感がした。
画面を少しスクロールする。
『また午前零時過ぎ』
『今度はどこ?』
『奈落84』
『一人』
『は???』
『また匿名』
『こいつマジで誰なんだよ』
『到達記録だけ残して消えるの怖すぎる』
『頼むから名乗ってくれ』
俺はスマートフォンから顔を上げた。
「……これ、俺?」
「あなたです」
「なんで分かるんだ?」
「今日、確信しました」
「今日?」
「八十五階層です」
玲華の目が鋭くなる。
「国内最高到達階層が、今夜更新されました」
「ああ」
「私は今日、八十三階層で撤退しました」
「見てたよ」
「…………見ていたんですか」
「ギルドのテレビで」
なぜか玲華が少し恥ずかしそうに視線を逸らした。
「失敗したところを……?」
「失敗っていうほどでもないだろ。あそこ厄介だし」
「……やはり」
「ん?」
「あなたは八十三階層を知っている」
「そりゃ通るからな」
「当然のように言わないでください」
玲華が額を押さえた。
「私が八十三階層へ初めて到達するまで、二年掛かりました」
「そうなのか」
「国内ランキング二位以下は、まだ八十一階層です」
「へえ」
「そしてあなたは今夜、一人で八十五階層へ到達した」
「うん」
「E級で」
「そうなるな」
「…………」
また黙った。
俺、何か変なこと言っただろうか。
「黒瀬さん」
「はい」
「少しだけ、お話しする時間をいただけませんか?」
「別にいいけど」
「ありがとうございます」
玲華が深々と頭を下げる。
「ただ……ここでは少し」
周囲を見る。
誰もいない。
とはいえ、ダンジョン入口には監視カメラがある。
「ああ。じゃあ移動する?」
「はい」
「近くに二十四時間のファミレスあるけど」
「…………ファミレス?」
「駄目?」
「いえ」
なぜか玲華は少し迷ったあと。
「お願いします」
と言った。
◇
午前三時。
国内ランキング一位とファミレスに来ていた。
「いらっしゃいませー……」
店員が俺たちを見る。
そして玲華を見る。
「…………」
固まった。
まあ、そうなるよな。
玲華は慌てて帽子とマスクを着け直した。
俺たちは一番奥の席に座る。
「何飲む?」
「え?」
「ドリンクバー」
「……では、コーヒーを」
「取ってくる」
「あ、私が――」
「いいって」
コーヒーを二つ持って戻る。
玲華がカップを両手で持った。
「ありがとうございます」
「それで?」
「はい」
少し間を置いて。
「私は半年間、《午前零時の攻略者》を探していました」
「なんで?」
「教えてほしかったからです」
「何を?」
「強くなる方法を」
思わず玲華を見る。
「俺に?」
「はい」
「日本一だろ?」
「ランキング上は」
「それで俺に何を教わるんだ?」
玲華がじっと俺を見る。
「黒瀬さん」
「うん」
「八十三階層の《鎧猿》」
「ああ」
「私は今日、なぜ負けたのでしょう」
「……見てた範囲でいいなら?」
「お願いします」
「左手」
「左手?」
「四連撃のあと、一瞬だけ左手が開くだろ」
「…………」
「握ったままだと五撃目。開いたらフェイントだよ」
玲華の動きが止まった。
「だから今日の最後、五撃目が来ると思って右へ避けただろ?」
「……はい」
「来なかったから体勢崩した」
「はい」
「次は左手見ればいいよ」
「…………」
「たぶんそれだけで抜けられる」
玲華は完全に固まっていた。
「天音さん?」
「……それ」
「うん?」
「何回目で気づきました?」
「何回だったかな」
考える。
「最初は顔見てたんだけど全然分からなくて」
「はい」
「腕を見て、肩を見て、腰を見て……」
手帳を取り出す。
ページをめくる。
「あった。七十四回目」
「…………七十四」
「うん」
「七十四回、《鎧猿》と戦ったんですか?」
「正確には六十一回負けた」
「…………」
「途中から攻撃しないで観察だけしてた日もあったから」
「…………」
玲華が俺の手帳を見る。
ページの端まで細かい文字が書かれている。
『右肩』
『左手』
『視線』
『呼吸』
『足幅』
『疲労時の変化』
何年も前からずっとこんな感じだ。
「これを……毎日?」
「まあ」
「十二年間?」
「最初の頃はこんな細かくなかったけどな」
「…………」
玲華が俯く。
「やっぱ変かな」
「変です」
「即答だな」
「良い意味でです」
玲華が顔を上げた。
「私はずっと、自分は努力していると思っていました」
「実際してるだろ」
「でも」
彼女は俺の手帳を見る。
「私は負ければ、装備を変えました」
「うん」
「スキルを増やしました」
「うん」
「魔力量を鍛え、威力を上げました」
「それも正しいと思うけど」
「あなたは違う」
「?」
「七十四回、同じ敵を見続けた」
「倒せなかったからな」
「六十一回負けても」
「次の日また行けばいいし」
玲華が目を閉じる。
「……それを普通のことのように言うんですね」
「普通じゃない?」
「普通ではありません」
断言された。
「じゃあ」
玲華が姿勢を正す。
「もう一つ聞かせてください」
「どうぞ」
「あなたの魔力量」
「ああ」
「本当に十七なんですか?」
「測定値なら」
「測定値なら?」
俺は少し迷った。
別に隠すようなことでもない。
「圧縮してるから」
「……圧縮?」
「魔力」
玲華の目つきが変わった。
「今も?」
「うん」
「どの程度?」
「九十八くらい」
「…………九十八?」
「パーセント」
コーヒーカップが止まる。
「……二パーセントしか外へ出していない?」
「正確には出してないっていうより、体内で小さく固めてる感じだけど」
「いつから?」
「十二年前」
「毎日?」
「毎日」
「探索中だけですか?」
「いや」
「では今も?」
「うん」
「睡眠中は?」
「圧縮したまま」
「…………」
玲華が両手で顔を覆った。
「天音さん?」
「少し待ってください」
「大丈夫?」
「今、私の中の常識がかなり壊れています」
「そんな大げさな」
「大げさではありません!」
声が大きくなった。
隣の席の客がこちらを見る。
「す、すみません……」
玲華が小さくなる。
日本一の剣聖がファミレスで縮こまっている。
なんだか変な光景だ。
「黒瀬さん」
「はい」
「お願いがあります」
玲華が俺を見る。
さっきまでとは違う。
本気の目だった。
「私に、それを教えていただけませんか」
「魔力圧縮?」
「それだけではありません」
玲華は頭を下げた。
「敵の見方」
「攻略の考え方」
「魔力の使い方」
「あなたが十二年間積み重ねてきたものを――」
そして。
国内ランキング一位の女性が。
万年E級の俺へ。
「私に教えてください」
深く頭を下げた。
「…………」
困った。
俺は人に教えたことなんて、ほとんどない。
「別に構わないけど」
玲華が勢いよく顔を上げる。
「本当ですか!?」
「ただ」
「はい!」
「俺と同じこと全部やるのはやめた方がいいぞ」
「なぜですか?」
「最初の魔力圧縮、三秒で吐いたから」
「…………」
「半年くらい毎日吐いてた」
「…………」
「天音さん?」
玲華の頬が引きつっていた。
「先生」
「ん?」
「少しだけ訂正させてください」
「何を?」
「先ほどの質問です」
「?」
「あなたが普通かどうか」
玲華は真顔で言った。
「全然普通ではありません」
「…………」
そして。
「これからよろしくお願いします――先生」
「先生?」
その呼び方には、どうにも慣れそうになかった。
◇
翌朝。
探索者専用掲示板。
『【速報】奈落85階層到達者出現』
『また匿名』
『午前零時過ぎ』
『はいはい例の奴』
『つーか玲華でも83だぞ』
『誰だよマジで』
『人間か?』
『昨日奈落入口で玲華らしき女見たって話あるけど』
『は?』
『深夜二時頃』
『なんで?』
『午前零時の攻略者待ってたんじゃね?』
『まさか』
『いやいやいや』
『もし接触してたら事件だぞ』
『日本一が探す相手って誰だよ』
その頃。
俺はそんなことになっているとも知らず。
自宅のベッドで熟睡していた。




