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第1話 十二年目のE級探索者



「黒瀬悠真さん。更新手続き、完了しました」


「ありがとうございます」


 受付嬢から差し出された探索者証を受け取る。


 名前――黒瀬悠真。


 二十九歳。


 探索者歴、十二年。


 そして。


 ランク――E。


「…………」


 去年と同じだった。


 まあ、予想はしていたけど。


「魔力測定値は十七。前回が十八でしたから、大きな変化はありませんね」


「ああ。ちょっと下がったか」


「ちょっと……ですか?」


「まだ漏れてるんだな」


「え?」


「いや、なんでもない」


 探索者証を財布へしまう。


 受付カウンターの隣では、十代後半くらいの少年が声を上げていた。


「やった! D級!」


「マジかよ! お前、登録してまだ半年だろ!」


「今夜奢れよ!」


 仲間たちから祝福され、少年は照れくさそうに笑っている。


 いいな。


 頑張ったんだろう。


 俺も十二年前は、あんな感じだった気がする。


 もっとも――。


「おい、今の人」


 背後から小さな声が聞こえた。


「十二年目でE級だって」


「マジ?」


「受付の画面に出てた」


「十二年やってEって、逆にすごくない?」


 くすくすと笑い声。


 別に珍しいことじゃない。


 探索者の世界は才能の差が大きい。


 魔力量。


 身体能力。


 固有能力。


 どれも生まれ持った素質に左右される。


 俺は、その全部が平凡以下だった。


「まだ探索者続けてるんだ」


「俺ならとっくに辞めてるわ」


「努力する方向、間違ってるんじゃね?」


 たぶん、一般的にはそうなのだろう。


 だから腹も立たない。


 俺は受付ロビーの自動販売機で缶コーヒーを一本買った。


 そのときだった。


『――天音選手、第八十三階層へ進入しました!』


 巨大モニターから実況の声が響く。


 ロビーにいた探索者たちが一斉に足を止めた。


「玲華だ!」


「今日《奈落》攻略の日だったのか」


「ランキング一位だぞ!」


 映っているのは、一人の女性。


 長い黒髪。


 整った顔。


 細身の身体。


 その手には白銀の長剣。


 天音玲華。


 二十六歳。


 国内探索者ランキング一位。


 通称――《剣聖》。


 日本で知らない探索者はいない。


『八十三階層! 現在の国内最高到達階層です!』


 カメラの向こうで巨大な魔物が咆哮する。


 玲華は剣を構えた。


 速い。


 綺麗だ。


 無駄がない。


 それでも。


「……やっぱり、そこ厄介だよな」


 思わず呟いた。


 隣にいた若い探索者がこちらを見る。


「は?」


「あ、いや」


「おっさんも天音玲華ファン?」


「まあ、すごい探索者だと思うよ」


「そりゃそうだろ。日本一だぞ」


 画面の中で玲華が大きく後退する。


『天音選手、撤退です!』


 実況が叫ぶ。


『今回も八十三階層突破ならず! しかし単独でここまで到達できる探索者は、国内で彼女しか――』


「あー、惜しい!」


「やっぱ《奈落》は無理ゲーだろ」


「世界最高峰でも八十三階かよ」


 周囲からため息が漏れる。


 若い探索者が俺を見る。


「おっさんも、あれくらい才能あれば人生違ったかもな」


「そうだな」


「十二年やってE級だもんな」


「はは」


 笑っておいた。


 缶コーヒーを飲み終え、俺はギルドを出た。


 ◇


 午後十時四十七分。


 自宅。


 仕事用の服を脱ぎ、古びた探索服へ着替える。


 武器は十二年使っている片手剣。


 高級品じゃない。


 特殊効果もない。


 何度も研ぎ直した、ごく普通の剣だ。


 玄関前で靴紐を結ぶ。


 最後に、小さな手帳を開いた。


 表紙には何も書かれていない。


 中身は文字でびっしりだった。


 俺は今日のページを開く。


『奈落攻略――百八十七日目』


『到達階層――八十四』


『失敗原因』


『対象:双頭黒狼』


『右側個体の三撃目。回避開始が約〇・二秒遅い』


『原因:左頭部の威嚇動作に視線を誘導された』


『改善案:頭ではなく前脚を見る』


「よし」


 手帳を閉じる。


 今日の目標は一つだけ。


 昨日より、一歩先へ進む。


 それだけだ。


 ◇


 午後十一時五十九分。


 特級攻略停滞迷宮――《奈落》。


 昼間は多くの探索者で賑わう入口も、この時間になると静かだった。


 俺は探索者証を認証機へかざす。


『黒瀬悠真』


『探索者ランク――E』


『警告。現在地以降は推奨探索者ランクを大幅に超過します』


「知ってる」


『攻略記録を公開しますか?』


「非公開」


『了解しました』


 毎晩同じやり取り。


 俺はダンジョンへ入る。


 第一階層。


 第二階層。


 第三階層。


 もう何百回と通った道だ。


 魔物と戦う必要もない。


 どこに出現するか。


 どう避ければいいか。


 全部覚えている。


 走る。


 潜る。


 進む。


 そして――。


 第八十四階層。


 空気が変わった。


「……今日もいるな」


 暗闇の向こう。


 二組の赤い目が光る。


 巨大な狼。


 一つの胴体に、二つの頭。


 双頭黒狼。


 昨日、俺が三度挑んで三度負けた相手。


『グルルルル……』


 低い唸り声。


 俺は剣を抜いた。


 身体の奥では、いつも通り魔力を圧縮している。


 九十八パーセント。


 外から見れば、俺の身体から漏れ出す魔力なんてほとんどない。


 だから測定値は低い。


 魔力がないわけじゃない。


 出さないようにしているだけだ。


「今日は……九十七でいいか」


 一パーセント。


 圧縮を緩める。


 瞬間。


 身体の芯から熱が走った。


 双頭黒狼が飛びかかる。


 一撃目。


 避ける。


 二撃目。


 半歩下がる。


 そして三撃目。


 左の頭が大きく口を開く。


 昨日の俺は、ここを見た。


 違う。


 見るのは――。


「前脚」


 右前脚が沈む。


 来る。


 身体を左へ滑らせる。


 鋭い爪が頬の横を通過した。


「……〇・二秒」


 間に合った。


 懐へ入る。


 一閃。


 双頭黒狼の身体が大きく崩れた。


 まだ終わらない。


 立ち上がる。


 昨日なら焦って追撃していた。


 今日は待つ。


 右頭。


 左頭。


 呼吸。


 重心。


 そして――。


「そこか」


 剣を振った。


 静かな音がした。


 双頭黒狼が倒れる。


 動かない。


「…………」


 しばらく見下ろす。


 手帳を出した。


『改善成功』


『三撃目――前脚確認』


『追撃不要。起き上がり時、首下に隙』


「よし」


 書き終える。


 その瞬間。


 奥の壁が低い音を立てた。


 今まで存在しなかった扉が開いていく。


 第八十五階層。


 誰も到達したことのない場所。


 俺はその前まで歩いた。


 一歩だけ、中へ入る。


『未踏破領域への到達を確認しました』


『国内最高到達階層が更新されました』


『攻略者人数――一名』


『攻略者情報――非公開』


 機械音声が響いた。


「八十五か」


 中を覗く。


 暗い。


 今日はもう遅い。


 時計を見る。


 午前一時四十八分。


「今日はここまでだな」


 無理はしない。


 明日もある。


 俺は踵を返した。


 出口へ戻る途中、少しだけ嬉しくなった。


 百八十七日。


 やっと一階層進めた。


「……昨日より一歩だな」


 それで十分だった。


 ◇


 午前二時十三分。


 《奈落》の外へ出る。


「眠い……」


 明日も朝から予定がある。


 帰ったらすぐ寝よう。


 そんなことを考えながら歩き出す。


「――待ってください」


 声がした。


「ん?」


 入口脇。


 一人の女性が立っていた。


 帽子。


 大きなマスク。


 サングラス。


 午前二時に見るには、なかなか怪しい格好だった。


「……俺?」


「はい」


 女がこちらへ歩いてくる。


「何か?」


「確認したいことがあります」


「俺、勧誘なら――」


 女が帽子を取った。


 続けてサングラス。


 マスク。


「…………」


 見覚えがあった。


 数時間前。


 探索者ギルドの巨大モニターに映っていた顔。


 国内ランキング一位。


 《剣聖》。


 天音玲華。


 その本人が。


 E級探索者の俺に向かって――。


 深く頭を下げた。


「半年間」


 彼女の声が少し震えていた。


「ずっと、あなたを探していました」


「……俺を?」


 玲華が顔を上げる。


 日本一の探索者の瞳が、まっすぐ俺を見る。


「《午前零時の攻略者》」


 そして。


「――あなたですよね?」


 俺はしばらく黙ったあと。


「…………それ、誰?」


 本気で聞き返した。


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