第27話 倒さなくても、先へ進める
「つまり」
御堂啓介さんは、俺の手帳を開いたまま顔を上げた。
「《深層守護獣》は、床を伝わる振動によって対象の位置を捕捉している可能性が高い」
「今のところは」
「視覚は?」
「たぶん補助程度。完全に見えてないとは言い切れないです」
「嗅覚」
「まだ分からない」
「魔力感知」
「それも分からない」
「…………」
御堂さんが。
妙に嬉しそうに頷いた。
「素晴らしい」
「何が?」
「分からないものを、分からないまま分類している」
「普通じゃないですか?」
「先生」
玲華が横から割り込む。
「御堂さん」
「はい」
「今後、先生が『普通』と言っても信用しないでください」
「すでに学習しました」
「早いですね」
「研究者ですから」
何か失礼な情報共有が行われている。
午後九時。
今日も俺の六畳間には人が多い。
玲華。
紫苑。
陽菜。
沙夜。
澪。
蓮司。
御堂さん。
とうとう八人になった。
「……本気で机大きくした方がよくない?」
「先生」
「はい」
「先に部屋です」
玲華が即答した。
「まだ引っ越し諦めてなかったの?」
「当然です」
「今の場所好きなんだけど」
「八人入りません」
「詰めれば」
「そういう問題ではありません」
今日も駄目らしい。
◇
「で」
紫苑が手帳を覗き込んだ。
「次はどうするの?」
「まだ考えてる」
「沙夜の歩き方でも反応したんでしょ?」
「砂踏んだからな」
「完全に無振動なら?」
沙夜。
「入れると思う」
「でも」
俺は首を振る。
「ずっと完全無振動は難しい」
「できる」
「沙夜ならな」
「教官も練習すれば」
「どれくらい?」
「三年」
「長いな」
「私基準」
「なら俺だともっと掛かりそう」
蓮司が呆れた顔をする。
「先生なら本当に三年やりそうだから怖えよ」
「必要なら」
「ほら!」
「でも今回は別の方法探すよ」
陽菜が頬杖をつく。
「飛ぶ?」
「紫苑にも言われた」
「魔力で浮いたら?」
「魔力反応するかもしれない」
「ロープ」
玲華。
「天井から吊るす?」
「天井にも振動伝わると思う」
「では」
澪が静かに聞く。
「動かない?」
「先へ進めないな」
「…………」
「でも」
俺は手帳を見る。
前回。
守護獣。
呼吸。
尾。
脚。
床。
「何か」
「?」
「一個引っ掛かってる」
全員が俺を見る。
「振動に反応するなら」
「はい」
「自分が動いた振動にも反応してるはずなんだよ」
御堂さんの表情が変わる。
「守護獣自身の振動」
「そう」
「歩行」
「うん」
「尾を打つ」
「うん」
「突進」
「うん」
「それらと外部から来た振動をどう区別している?」
「そこ」
俺は手帳を開く。
「もしかすると」
まだ。
答えではない。
「区別してないのかも」
「…………」
陽菜が首を傾げる。
「どういうこと?」
「自分が動いてる時」
「うん」
「俺の足音、分からなくなるんじゃない?」
静かになった。
沙夜が。
最初に反応した。
「隠す」
「うん」
「消すんじゃなく」
「そう」
完全に無振動で歩く。
それは難しい。
だったら。
「大きい振動の中に」
俺の小さな振動を。
「混ぜる」
紫苑が。
ゆっくり笑った。
「なるほど」
「まだ仮説だけど」
「先生」
玲華。
「試すんですね?」
「一歩だけ」
「…………」
「本当に一歩」
「録音しておきます」
陽菜がスマートフォンを出した。
「最近それ好きだな」
◇
午前零時十一分。
《奈落》第八十五階層。
大型扉。
「さて」
今日は。
前回までとは違う。
完全に音を消すつもりはない。
守護獣の音を。
聞く。
扉を少し開く。
暗闇。
《深層守護獣》。
伏せている。
呼吸。
ゆっくり。
尾。
一定ではない。
「…………」
一分。
二分。
観察。
尾が。
床へ。
ドン。
「今」
一歩。
沙夜に教わった足運び。
同時。
守護獣。
反応なし。
「……やっぱり」
止まる。
次。
呼吸。
深く。
身体が少し沈む。
甲殻が床へ擦れる。
ゴリッ。
「今」
二歩目。
反応なし。
胸が高鳴る。
「消さなくていい」
俺の足音より。
大きな振動があれば。
「紛れる」
三分。
守護獣が。
左前脚を。
ドン。
一回。
「今」
三歩。
反応なし。
四歩。
五歩。
「…………」
少しずつ。
進む。
昨日まで。
一歩踏んだだけで。
こちらを向いた魔物。
今日は。
俺が部屋の中を歩いているのに。
見つけられない。
「面白いな」
でも。
油断しない。
距離。
残り。
十五メートルほど。
守護獣の向こう。
奥。
初めて。
はっきり見える。
「扉」
もう一つ。
ある。
守護獣の背後。
巨大な石扉。
「やっぱりこいつ」
倒すためにいるのではなく。
「守ってる?」
まだ分からない。
手帳には書かない。
今は進む。
◇
守護獣が。
身体を起こした。
「…………」
まずい。
伏せている時より。
自発的な振動が減る。
足を止める。
絶対に動かない。
守護獣。
右。
左。
頭を動かす。
俺のいる方向も見る。
「…………」
目が合っている。
ように見える。
でも。
襲わない。
「やっぱり視覚弱い」
ほぼ確定。
その時。
鼻先が。
僅かに動いた。
「…………」
匂い。
嫌な予感。
一度。
二度。
守護獣の顔が。
ゆっくり。
俺の方向へ向く。
「そこも使うのかよ」
振動だけではない。
長時間。
近距離にいると。
別の感覚で捕捉される。
「今日は――」
帰る。
そう判断する。
でも。
距離。
後ろの入口まで。
かなりある。
守護獣の鼻。
もう一度。
動く。
左前脚。
一回。
「見つかる」
その瞬間。
守護獣の尾が。
大きく。
床を叩いた。
――ドン!!
「…………」
反射的に。
俺は。
後ろではなく。
前へ踏み出した。
一歩。
さらに。
守護獣が脚を動かす。
――ズン。
二歩。
自分の振動を。
全部。
守護獣の動きへ重ねる。
「戻るより」
奥の扉の方が。
「近い」
あと七メートル。
守護獣。
頭を振る。
匂い。
俺を探す。
脚。
ドン。
三歩。
四歩。
尾。
ズン。
五歩。
「…………」
あと三メートル。
最後。
ここで。
守護獣が。
完全に止まった。
「…………」
動けない。
俺も止まる。
石扉。
すぐ目の前。
手を伸ばせば。
届く。
でも。
動けば。
床へ振動。
守護獣は。
すぐ後ろ。
「…………」
一秒。
二秒。
三秒。
鼻息。
近い。
「参ったな」
このまま。
向こうが動くまで待つか。
五秒。
十秒。
十五秒。
守護獣。
動かない。
「長い」
腕が。
ほんの少し。
疲れてくる。
そこで。
ふと思った。
床。
じゃなくて。
「扉なら?」
足を動かさない。
体重も移さない。
上半身だけ。
ゆっくり。
手を伸ばす。
石扉へ。
指先が触れた。
守護獣。
反応なし。
「床じゃない」
手。
扉を押す。
重い。
でも。
少しだけ。
開く。
ゴゴゴゴゴ――。
「…………」
最悪。
想像以上に。
ものすごい振動。
守護獣が。
顔を上げた。
「そりゃ反応するよな!」
もう仕方ない。
扉を押し開く。
同時。
守護獣が咆哮。
振り返らない。
隙間。
身体を滑り込ませる。
直後。
巨大な前脚。
背後。
石扉へ。
ドガァン!!
「うわ!」
中へ転がる。
すぐ立つ。
剣。
抜こうとして。
「…………」
止まる。
守護獣。
来ない。
石扉の向こう。
吠えている。
でも。
こちらへは。
入ってこない。
「今度こそ」
俺は。
少し笑った。
「扉越えない?」
いや。
まだ決めつけない。
『条件不明』
それでいい。
手帳。
書こうとした。
その時。
システム音。
『未踏破領域への到達を確認』
『《奈落》第八十六階層』
『国内最高到達記録を更新しました』
『参加人数――一名』
『探索者情報――非公開』
「…………」
八十六。
「来たか」
長かった。
八十五階。
何日掛けた?
最初の地図。
罠。
分岐。
エリックさんの救助。
深層守護獣。
失敗。
怪我。
休養。
観察。
振動。
そして。
今日。
「…………」
俺は。
八十六階へ。
一歩だけ入った。
周囲を見る。
暗い。
広い。
でも。
今日は。
もう十分。
「帰ろ」
手帳。
『86階到達』
『深層守護獣――撃破せず突破』
『振動は消すのではなく、相手の振動へ重ねる』
そして。
最後。
『次回――86階入口観察』
「よし」
踵を返す。
八十六階。
本当に。
一歩だけ。
それで。
今日は終わりだ。
◇
午前一時二十八分。
探索者ギルド本部。
警報ではない。
記録更新通知。
それでも。
職員たちの手が止まった。
『奈落――国内最高到達階層更新』
『第八十六階層』
「……八十六?」
「誰だ?」
画面。
『探索者情報――非公開』
数秒。
「まただ」
誰かが呟いた。
「《午前零時の攻略者》」
すぐ。
掲示板。
『【速報】奈落86階到達』
1:名無しの探索者
きた
2:名無しの探索者
86
3:名無しの探索者
また匿名
4:名無しの探索者
午前零時台
5:名無しの探索者
はい例の人
6:名無しの探索者
深層守護獣は?
7:名無しの探索者
討伐記録なし
8:名無しの探索者
は?
9:名無しの探索者
じゃあどうやって抜けた
10:名無しの探索者
倒さず突破?
11:名無しの探索者
そんなルートあったの?
12:名無しの探索者
知らん
13:名無しの探索者
そもそも誰も85最奥まで行ってねえ
14:名無しの探索者
この人
15:名無しの探索者
なんか思ってた「最強」と違うな
16:名無しの探索者
分かる
17:名無しの探索者
敵全部倒して進むタイプじゃない
18:名無しの探索者
必要なことだけやってる感じ
19:名無しの探索者
それで国内最高
20:名無しの探索者
逆に怖いわ
そして。
一件。
21:名無しの探索者
やっぱり
22:名無しの探索者
何?
23:名無しの探索者
この人の異常さは
24:名無しの探索者
「強い」じゃない
25:名無しの探索者
「無駄がない」だ
その書き込みをした人物は。
もう。
匿名の研究者ではなかった。
御堂啓介は。
正体を知った上で。
誰にも答えを教えず。
ただ。
画面の向こうで笑っていた。
◇
「出た!」
同じ頃。
俺の部屋。
陽菜のスマートフォンに。
通知。
『奈落86階層――国内最高記録更新』
「先生だ」
玲華が。
小さく笑う。
「はい」
紫苑も。
画面を見る。
「深層守護獣の討伐なし」
「やった」
陽菜。
「本当に抜けたんだ」
沙夜は。
少しだけ目を細めた。
「教官」
「私の歩き方」
「使った」
澪。
「怪我は?」
「記録上は分かりません」
「帰ってくるまで安心できません」
蓮司は。
掲示板を眺め。
「先生」
小さく笑う。
「また世間が混乱してるぞ」
玲華が。
書き込みを見る。
『倒さず突破』
『どんなスキルだよ』
『特殊能力?』
『透明化?』
『転移?』
『海外製の未知装備?』
「……全部違いますね」
紫苑も笑う。
「足音を合わせただけ」
陽菜。
「それを知ったらもっと意味分かんないと思うよ」
沙夜。
「教官は」
一言。
「地味」
蓮司が吹き出した。
「本人に言ったら怒られるぞ」
「褒めてる」
「黒羽、それ便利に使いすぎだろ」
その時。
玄関。
――ガチャ。
「ただいま」
「先生!」
全員。
一斉に立ち上がった。
「うわ」
「悠真先生、怪我は!?」
「ないない」
「本当に?」
「今日はゼロ」
澪が確認。
「……本当です」
「で」
紫苑。
「どうやったの?」
「振動」
「やっぱり?」
「うん。でも消すんじゃなくて」
靴を脱ぐ。
「守護獣が動いた時だけ歩いた」
「…………」
玲華たちが。
静かになる。
「自分の足音」
「うん」
「向こうの振動に隠したんですか?」
「そう」
「それだけ?」
「それだけ」
「…………」
陽菜が。
ゆっくり。
額を押さえた。
「世間」
「?」
「今、透明化とか転移とか議論してる」
「なんで?」
「本当の答えが地味すぎるからだよ!」
「そう?」
俺は。
手帳をテーブルへ置く。
「でも」
「うん?」
「倒さなくていいなら」
少し笑う。
「倒さない方が楽だろ」
「…………」
六人。
そして御堂さんまで。
俺を見る。
「何?」
玲華が。
最初に笑った。
「いえ」
「先生らしいと思っただけです」
その夜。
日本中の探索者が。
《奈落》第八十六階層へ到達した謎の攻略者について。
新スキル。
未知装備。
特殊能力。
あらゆる可能性を議論していた。
誰も。
答えが。
『相手が床を踏んだ時に、自分も一歩歩いただけ』
だとは思っていなかった。




