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第26話 研究者は、十二年前と同じ答えを聞いた



 翌日の午後。


「黒瀬悠真さん」


「はい?」


 探索者ギルドのロビーで呼び止められた。


 振り返る。


 見覚えのある男。


 三十代。


 眼鏡。


 研究所の腕章。


「ああ、この前の」


「御堂啓介です」


「どうも」


 そういえば、名前を聞いていなかった。


「少しだけ、お時間よろしいでしょうか」


「更新ならもう終わってますけど」


「今日は測定器の話ではありません」


「じゃあ何です?」


「……あなた自身について」


「俺?」


「はい」


 御堂さんの表情は真剣だった。


 ただ。


 前に会った時とは少し違う。


 疑っているというより。


 何かを確かめようとしている。


「十分くらいなら」


「ありがとうございます」


 ギルド内。


 人の少ない休憩スペースへ移動した。


 ◇


「単刀直入に聞きます」


「はい」


「あなたは十七歳の頃」


 御堂さんが。


 ゆっくり言った。


「魔力圧縮を試したことがありますか?」


「ありますよ」


「…………」


 御堂さんの指が。


 僅かに動いた。


「最初は」


「うん?」


「どのくらい維持できました?」


「三秒くらい」


「……三秒」


「たぶん」


「そのあと?」


「吐いた」


「…………」


「めちゃくちゃ気持ち悪かったな」


 十二年前。


 最初。


 魔力を身体の中へ押し込めようとして。


 三秒。


 胃の中が全部ひっくり返った。


「では」


 御堂さんの声が。


 少しだけ低くなる。


「翌日は?」


「四秒」


「…………」


「だったと思う」


「なぜ」


「?」


「なぜ翌日もやったんです?」


 変な質問だ。


「前の日」


「はい」


「三秒で吐いたんですよね?」


「そうです」


「普通なら」


「うん」


「やめませんか?」


「普通はそうなの?」


「そうだと思います」


「…………」


 考える。


 でも。


 十二年前。


 あの日。


 何を考えたか。


 そんなの。


 今でも覚えている。


「三秒できたから」


「…………」


「え?」


「三秒できたなら」


 俺は自分の手を見る。


「次は四秒できるかもしれないだろ」


 御堂さんが。


 動かなくなった。


「それだけ?」


「それだけ」


「吐いたのに?」


「まあ」


「怖くなかった?」


「気持ち悪かったけど」


 少し考え。


「魔力が増えないなら」


「はい」


「せめて持ってる分を無駄にしない方法を覚えたかった」


「…………」


「だから」


 三秒。


 四秒。


 六秒。


 十秒。


「昨日より一秒だけ長くできればいいかなって」


「…………」


 御堂さんは。


 何も言わなかった。


 長い沈黙。


「御堂さん?」


「……すみません」


「大丈夫?」


「はい」


 眼鏡を外し。


 目元を押さえる。


「少し」


「?」


「予想通りすぎて」


「何が?」


「いえ」


 よく分からない。


 ◇


「もう一つ」


 御堂さんは眼鏡を掛け直した。


「今も魔力圧縮を?」


「してます」


「どの程度?」


「九十八パーセントくらい」


「…………」


「御堂さん?」


「九十八」


「はい」


「今この瞬間も?」


「そうです」


「睡眠中も?」


「たぶん」


「たぶん?」


「もう意識してないから」


「…………」


「身体が勝手にやる感じ」


 御堂さんが。


 机の縁を掴んだ。


「少しだけ」


「はい?」


「解放できますか?」


「どれくらい?」


「……いえ」


 御堂さんは。


 すぐ首を振った。


「やめましょう」


「何で?」


「私が軽率でした」


「?」


「あなた自身も全解放したことがないのでは?」


「よく知ってますね」


「…………」


「一パーセントくらいなら平気ですけど」


「それも結構です」


 妙に慎重だ。


「黒瀬さん」


「はい」


「あなた」


 少しだけ間を置く。


「自分がどれほど異常なことをしているか、本当に理解していますか?」


「最近よく言われます」


「……そうですか」


「でも」


「?」


「十二年やってると普通になるんですよ」


「…………」


「最初はキツかったですけど」


「どの程度?」


「半年くらいは」


 思い出す。


「結構毎日吐いてたかな」


「毎日?」


「毎日っていうか」


「…………」


「圧縮練習した日は大体」


「それを半年」


「そのくらい」


「痙攣や意識障害は?」


「あった」


「…………」


「何回か白目剥いて倒れたって言われた」


「誰に?」


「当時一緒の講習受けてた人」


「…………」


「途中から一人でやるようになったけど」


「なぜ」


「人前で吐くの恥ずかしいし」


「そこではない」


「?」


 御堂さんが。


 深く。


 深く息を吐いた。


「私は」


「はい」


「魔力制御を研究しています」


「知ってます」


「高密度圧縮の実験資料も読んでいます」


「はい」


「過去の被験者は」


 俺を見る。


「数分どころか、数十秒で中止された例がほとんどです」


「そうなんだ」


「そうなんだ、ではありません」


「すみません」


「しかも」


「はい」


「被験者は全員、医療班付きです」


「…………」


「あなたは?」


「一人でした」


「でしょうね」


「なんで分かるんです?」


「あなたならそうすると思いました」


 最近。


 俺のことを分かっている人が増えてきた気がする。


 ◇


「それで」


「はい」


「御堂さん」


「何でしょう」


「本当は何を聞きたかったんです?」


 御堂さんが。


 止まった。


「魔力圧縮だけなら」


「…………」


「研究の質問って感じじゃない」


「なぜそう思います?」


「十二年前のこと知りすぎてるから」


「…………」


「俺」


 笑う。


「そんな有名じゃないですよね?」


「はい」


「じゃあ何か調べました?」


 沈黙。


 今度は。


 御堂さんが。


 少し困ったように笑った。


「参りましたね」


「?」


「あなた」


「はい」


「戦闘以外でも観察するんですね」


「普通だと思うけど」


「その言葉は信用しないことにします」


「最近それもよく言われる」


 御堂さんは。


 しばらく考えたあと。


 静かに言った。


「《午前零時の攻略者》」


「…………」


「私は」


 声をさらに落とす。


「あなたがそうではないかと考えています」


「ああ」


「…………」


「そうですよ」


「…………」


 御堂さんの顔が。


 完全に止まった。


「え?」


「だから俺」


「ちょっと待ってください」


「はい」


「今」


「うん」


「認めました?」


「聞かれたから」


「…………」


 御堂さんが。


 両手で顔を覆った。


「何?」


「いえ」


「大丈夫です?」


「ここまで調べた私の時間は何だったんでしょう」


「知らないです」


「あなた」


「はい」


「以前もこんな感じで正体を話していませんか?」


「天音さんには聞かれて」


「…………」


「白石さんにも」


「…………」


「神崎には信じてもらえなかったけど」


「…………」


「御堂さん?」


「少し黙ってください」


「はい」


 怒られた。


 ◇


「黒瀬さん」


「はい」


 しばらくして。


 御堂さんの表情が戻った。


「一つ約束します」


「何です?」


「あなたの正体は公表しません」


「ありがとうございます」


「研究所にも?」


「できれば」


「分かりました」


「いいんですか?」


「あなたが望んでいない以上」


 御堂さんは真っ直ぐ俺を見る。


「私は研究者です」


「はい」


「対象が人間なら」


 一度。


 言葉を選ぶ。


「本人の意思を無視して踏み込むべきではありません」


「…………」


「ただし」


「?」


「一つお願いがあります」


「何です?」


「研究対象になってください」


「嫌です」


「即答!?」


「面倒そう」


「採血程度でも?」


「嫌」


「測定だけなら?」


「前やった」


「そうではなく!」


 初めて。


 御堂さんの声が少し大きくなった。


「黒瀬さん」


「はい」


「あなたの魔力圧縮は、現代魔力学の常識を根本から変える可能性があります」


「そうなんですか」


「あります!」


「でも」


「?」


「俺ができるからって」


「はい」


「他の人がやる必要ないですよね」


「…………」


「魔力多い人は普通に使えばいいし」


「それは……」


「俺は少なかったからやっただけです」


 御堂さんが黙る。


「それに」


「はい」


「最初の半年」


「…………」


「あれ他人にやらせたいとは思わないです」


 吐く。


 痙攣。


 気絶。


 毎日。


「最近二人にも教えたけど」


「二人?」


「天音さんと九条さん」


「…………」


「無理して二人とも吐いて白目剥いて倒れたんで」


「ちょっと待ってください」


「はい」


「天音玲華と九条紫苑が?」


「そう」


「二人とも?」


「仲良く」


「…………」


「だから」


 俺は少しだけ苦笑した。


「教えるとしても」


「はい」


「すごくゆっくりでいいと思ってます」


「…………」


「俺と同じやり方は」


 やっぱり。


「勧めたくないですね」


 御堂さんは。


 長い時間。


 俺を見ていた。


 ◇


「分かりました」


 やがて。


 御堂さんが言った。


「研究対象という言い方は撤回します」


「はい」


「ただ」


「?」


「時々」


「うん」


「話を聞かせてください」


「話?」


「十二年間」


 御堂さんの視線が。


 俺の古い剣へ向く。


「何を試し」


「何に失敗し」


「何を変えたのか」


「…………」


「それを」


 少し笑う。


「研究者として知りたい」


「話だけなら」


「本当ですか?」


「覚えてる範囲で」


「ありがとうございます」


「でも」


「?」


「たぶん大半」


 俺は手帳を軽く叩く。


「ここに書いてありますよ」


「…………」


 御堂さんの目が。


 一気に変わった。


「それ」


「はい?」


「十二年分?」


「家にもある」


「何冊?」


「分からない」


「…………」


「百冊はないと思う」


「黒瀬さん」


「はい」


「一度だけでいいので」


 身を乗り出す。


「見せてください」


「別にいいですよ」


「本当に!?」


「家来ます?」


「…………」


「御堂さん?」


「あなたは」


「はい」


「もう少し警戒してください」


「またそれ?」


 また怒られた。


 ◇


 その日の夜。


「先生」


 玲華が。


 笑っていなかった。


「なぜ」


「はい」


「御堂啓介さんが」


「はい」


「ここにいるんですか?」


 俺の部屋。


 玲華。


 紫苑。


 陽菜。


 沙夜。


 澪。


 蓮司。


 そして。


 御堂さん。


「手帳見たいって」


「先生!」


「何?」


「簡単に家へ呼ばないでください!」


「でも正体もう知ってる」


「「「「「「え?」」」」」」


 六人。


 固まった。


「知ってる?」


 紫苑。


「はい」


 御堂さんが答える。


「本人から伺いました」


「先生!」


 陽菜。


「聞かれたから」


「それ禁止にしよう!?」


「何で?」


 蓮司が御堂さんを見る。


「ちなみに」


「はい?」


「何回で信じました?」


「何がでしょう」


「先生が《午前零時の攻略者》本人だって」


「本人に認められる前から最有力でした」


「…………」


 蓮司が黙る。


「どうしました?」


「いや」


 陽菜が笑い始めた。


「神崎さん」


「うるせえ」


「最初『絶対ねえ』って」


「昔の話だ!」


「また言ってる」


 御堂さんが。


 少し困ったように俺を見る。


「黒瀬さん」


「はい」


「これが」


「うん?」


「あなたの弟子の皆さん?」


「まあ」


「教官」


 沙夜。


「私は弟子」


「悠真先生」


 澪。


「私もです」


「先生」


 玲華。


「私が一番弟子です」


「その話今いる?」


「重要です」


 紫苑がすぐ反応する。


「また始める気?」


「事実確認です」


「じゃあ古参は黒羽でしょ」


 陽菜。


「三ヶ月と十二日」


 沙夜。


「私は六年前です」


 澪。


「…………」


 御堂さんが。


 全員を見る。


 そして。


 俺を見る。


「黒瀬さん」


「何?」


「あなた」


「はい」


「研究対象より」


「うん」


「この状況の方がよほど異常では?」


「最近慣れました」


「慣れないでください」


 今日は。


 本当によく怒られる。


 ◇


 深夜。


 御堂さんは。


 俺の手帳を一冊だけ見た。


「…………」


 何度も。


 ページを捲る。


『失敗』


『仮説誤り』


『再確認』


『明日もう一度』


『改善成功』


 華々しい勝利記録なんて。


 ほとんどない。


 失敗。


 修正。


 また失敗。


 そればかり。


「黒瀬さん」


「はい」


「これ」


 あるページで止まる。


 六年前。


『石哭き洞 第十九区画』


『迷子一名』


『掲示板経由で誘導』


『帰還確認』


「あ」


 澪が。


 俺の横から覗く。


「これ……」


「澪の時か」


「残っていたんですか?」


「書いたみたいだな」


「…………」


 ページ。


 最後。


『無事でよかった』


 たった一行。


 澪が。


 その文字を。


 しばらく見つめていた。


「悠真先生」


「ん?」


「これ」


「うん」


「写真を撮ってもいいですか?」


「別に」


「ありがとうございます」


 澪の声が。


 少しだけ震えていた。


 御堂さんは。


 そんな俺たちを見て。


 静かに手帳を閉じた。


「分かりました」


「何が?」


「あなたが」


 一度。


 言葉を探す。


「どうして十二年続けられたのか」


「?」


「少しだけ」


 御堂さんは笑った。


「分かった気がします」


「そう?」


「はい」


 そして。


 その夜。


 《午前零時の攻略者》の正体を知る人間が。


 一人増えた。


 ただし。


 世間へ広がることはなかった。


 むしろ。


「この人は公表してはいけない」


 新しく秘密を知った研究者まで。


 そんな結論へ辿り着いていた。


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