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第25話 振動を消して一歩入ったら、守護獣は俺を見失った



 午後十一時四十一分。


「本当に一人で行くんですか?」


「うん」


 《奈落》の入口前。


 玲華が、最後まで納得していない顔で俺を見ていた。


 今日は玲華だけではない。


 紫苑。


 陽菜。


 沙夜。


 澪。


 蓮司。


 全員いる。


「先生」


 澪が俺の袖を軽く摘む。


「昨日と違う動きをしたら」


「帰る」


「怪我をしたら」


「帰る」


「少しでも危ないと思ったら」


「帰る」


「手帳を拾うために戻ったりは?」


「……」


「悠真先生?」


「帰るよ」


「今、間がありました」


 六人から疑いの目を向けられた。


「信用ないなぁ」


「先生の過去の実績です」


 玲華が即答する。


「三秒で吐いた翌日に四秒やった人だからね」


 陽菜まで笑う。


「十二年前だぞ」


「十二年続いてるから問題なんでしょうが」


 紫苑にまで言われた。


 反論しにくい。


「教官」


 沙夜が俺を見る。


「足」


「うん?」


「振動を消すなら」


 その場で。


 沙夜が一歩進んだ。


 音がしない。


 それだけではない。


 床の埃すら、ほとんど動かなかった。


「足裏全体で置かない」


「なるほど」


「踵からでも爪先からでもない」


「じゃあ?」


「外側」


 もう一度。


 足の外側。


 ゆっくり接地。


 そこから体重を流す。


「こう」


「…………」


 真似する。


 一歩。


「違う」


「早いな」


「腰が落ちてる」


「こう?」


「少し上」


「…………こう?」


「今」


「お」


 いつもの歩き方とはかなり違う。


 遅い。


 戦闘中には使いにくい。


 でも。


「一歩入るだけならこれでいいな」


「うん」


「ありがとう、沙夜」


「……」


「沙夜?」


「何でもない」


 少しだけ顔を逸らした。


 その後ろ。


 玲華と紫苑が。


 なぜか微妙な顔をしている。


「どうした?」


「何でもありません」


「別に」


 また分からないやつだ。


「じゃあ行ってくる」


「先生」


 蓮司が呼び止める。


「何?」


「今日は」


 拳を軽く上げた。


「一歩だけな」


「分かってるよ」


「先生の一歩、たまに命懸けだから言ってんだ」


「失礼だな」


 でも。


 今日は本当に。


 一歩だけだ。


 ◇


 午前零時十八分。


 第八十五階層。


 大型扉。


 《深層守護獣》。


「さて」


 昨日までと同じ位置。


 同じ呼吸。


 同じように伏せている。


 まず確認。


 小石を落とす。


 コツン。


 守護獣の左前脚が動いた。


「やっぱり振動」


 次。


 扉の前で足を軽く踏む。


 トン。


 今度は。


 右前脚まで動く。


「近いと反応強い」


 手帳へ書く。


『振動強度または距離で反応変化?』


 そして。


 沙夜に教えてもらった歩き方。


 足の外側。


 ゆっくり。


 体重を流す。


「…………」


 一歩。


 部屋の中。


 入った。


 守護獣。


 動かない。


「お」


 もう一歩。


 止まる。


 反応なし。


「…………」


 心臓が速くなる。


 怖いからではない。


 いや。


 怖くないわけじゃない。


 でも。


 昨日まで分からなかったことが。


 形になり始めている。


 三歩目。


 ゆっくり。


 接地。


「…………」


 やはり。


 反応しない。


 守護獣の目は。


 開いている。


 こちらを向いている。


 それなのに。


 来ない。


「目」


 見えていない?


 いや。


 完全に見えていないとは限らない。


 光。


 動き。


 距離。


 まだ条件があるかもしれない。


「決めつけるな」


 自分に言う。


 昨日まで。


『扉を越えない』


 と決めつけて失敗した。


 今日は。


 分からないことを。


 分からないままにする。


 手帳へ。


『無振動移動時、反応なし』


『視線らしき動きあり』


『視覚機能――不明』


「よし」


 帰ろう。


 そう思って。


 踵を返す。


 その瞬間。


 ほんの僅か。


 靴底が。


 砂粒を踏んだ。


 ――ジャリ。


「…………」


 守護獣の両目が。


 一気に俺へ向いた。


「やっぱり!」


 左前脚。


 一回。


 二回。


 三回。


 昨日と同じ。


「側面――」


 いや。


 違う。


 今日は。


 壁際にいない。


 俺は部屋の中央寄り。


 なら。


 三回目は。


 側面移動の合図じゃない。


「位置確認」


 守護獣が。


 真正面から消えた。


「っ!」


 右。


 違う。


 左。


 違う。


「どこ――」


 床。


 僅かな振動。


「下!?」


 咄嗟に跳ぶ。


 直後。


 俺が立っていた床が。


 下から爆発した。


「うわっ!」


 黒い角。


 守護獣が。


 床を潜って。


 真下から突き上げてきた。


「そんなこともできるのかよ!」


 着地。


 まずい。


 音が出る。


 守護獣の頭がこちらへ向く。


「帰る!」


 約束。


 予想外の動き。


 今日は終わり。


 走らない。


 でも急ぐ。


 振動を極力抑えながら。


 扉へ。


 守護獣。


 こちらを探している。


 一度。


 俺の足が止まる。


 向こうも止まる。


「…………」


 動かなければ。


 見失う。


「なるほど」


 また一個。


 分かった。


 でも。


 今は書かない。


 先に帰る。


 一歩。


 二歩。


 扉。


 外へ。


 閉める。


 そのまま。


 完全に距離を取る。


「…………」


 数十秒。


 追ってこない。


「よし」


 そこで初めて。


 手帳を開いた。


『無振動時――ほぼ認識不能?』


『振動検知後、三回目接地=位置再確認』


『攻撃方法は対象位置により変化』


『床下潜行あり』


「昨日の側面移動」


 壁際にいた俺へ。


 最短で届くために。


 壁を壊した。


 今日。


 部屋の中央。


 今度は床下。


「三回目は」


 やっぱり。


『側面移動の前兆』ではない。


 線を引く。


 消す。


 書き直す。


『三回目――攻撃位置確定?』


「まだ仮」


 今日は。


 これでいい。


 たった三歩。


 それだけ。


 でも。


 昨日より。


 守護獣のことを。


 ずっと知れた。


 ◇


 午前一時三十三分。


「帰ってきた!」


 陽菜の声がした。


 奈落の入口。


 六人。


 本当に待っていた。


「先生!」


 玲華が真っ先に寄ってくる。


「怪我は?」


「ない」


 澪が俺の腕。


 肩。


 脚。


 全部見る。


「本当にありません」


「だから言っただろ」


「よかったです……」


 心底安心している。


「それで?」


 紫苑が聞く。


「どうだったの?」


「三歩入れた」


「三歩?」


「うん」


「それだけ?」


「それだけ」


 昔なら。


 もしかすると。


 拍子抜けされたかもしれない。


 でも。


 今の六人は違った。


 沙夜がすぐ聞く。


「反応は?」


「振動消してる間はゼロ」


「……!」


「目はこっち向いてたけど、来なかった」


 沙夜の目が僅かに見開く。


「やはり」


「たぶん」


「視覚より振動」


「ただ」


「?」


「砂踏んだら一発だった」


「…………」


「それで?」


 蓮司が顔を引きつらせる。


「床から出てきた」


「は?」


「潜れるみたい」


「先生!」


 玲華。


「怪我は?」


「だからない」


「予想外の動きだったんですよね?」


「うん」


「帰りましたか?」


「帰った」


「…………」


 六人。


 黙る。


「何?」


 陽菜が。


 ゆっくり笑った。


「ちゃんと帰った」


「約束したから」


「成長したね、悠真さん」


「子供扱い?」


「休養ランク」


「それまだ続くの?」


「今日はC」


「上がった」


 澪まで嬉しそうに頷いている。


「悠真先生」


「はい」


「とても偉いです」


「二十九歳なんだけど」


「知っています」


 納得いかない。


 ◇


「でも」


 沙夜が俺の手帳を見る。


「これ」


『無振動時――ほぼ認識不能?』


「うん」


「私なら」


「もっと近づけると思う」


「たぶん」


「明日」


「駄目」


「…………」


「まず俺」


「どうして?」


「まだ視覚が本当に使えないか分かってない」


「…………」


「振動消しても」


 俺は手帳を指す。


「距離が近くなったら匂いとか、魔力とか、別の方法で見つけるかもしれない」


「なるほど」


「次は」


「何するの?」


 陽菜。


「動かずに距離だけ変えたい」


「どうやって?」


「それ考える」


 紫苑が腕を組む。


「魔力で浮けば?」


「魔力使った瞬間に反応するかもしれない」


「あ」


「糸?」


 玲華。


「振動伝わる」


「投擲?」


 蓮司。


「石はもう反応した」


 澪。


「では……」


 全員。


 考え始める。


「…………」


 俺は。


 少し不思議な気分だった。


 昔。


 一人だった時は。


 こういう時。


 自宅へ帰って。


 何時間も。


 一人で考えた。


 今は。


 六人いる。


「先生」


 玲華。


「何です?」


「いや」


「?」


「ちょっと」


 笑う。


「楽だなって」


「何がです?」


「考えるの」


 六人が。


 一瞬。


 黙った。


「一人より」


 手帳を閉じる。


「早そう」


「…………」


 玲華が。


 ほんの少しだけ。


 嬉しそうに笑った。


「当然です」


 紫苑も。


「今まで一人でやりすぎなのよ」


 陽菜。


「やっと私たちの使い方分かってきた?」


 沙夜。


「もっと使って」


 澪。


「何でも言ってください」


 蓮司。


「俺もいるからな」


「ありがとう」


 素直に言った。


 すると。


 なぜか。


 今度は全員が黙った。


「何?」


「先生」


 玲華が少しだけ目を逸らす。


「そういうの」


「うん?」


「急に言うのはずるいです」


「何が?」


 やっぱり。


 女の人の話は難しい。


 ◇


 同じ頃。


 国立探索技術研究所。


 御堂啓介は。


 ついに一つの記録へ辿り着いていた。


 十二年前。


 探索者登録直後。


 黒瀬悠真。


 新人講習。


 そして。


 その翌日。


 匿名掲示板。


『昨日、魔力少ないって言われた』


『考えたんだけど』


『外に漏れてる分を全部中に戻せないかな』


 さらに。


『試した』


『三秒で吐いた』


 御堂の指が。


 止まる。


 投稿日。


 黒瀬悠真が。


 新人講習を受けた。


 翌日。


「…………」


 偶然。


 まだ言える。


 匿名だから。


 だが。


 その次の書き込み。


『今日は四秒』


『昨日より一秒増えた』


 そして。


 十二年後。


 現在。


 御堂の頭には。


 自分がギルドで聞いた言葉が蘇っていた。


『昨日より一歩』


 誰かが。


 黒瀬についてそう語っていた。


「…………」


 御堂は。


 ゆっくり椅子から立った。


「確認する」


 もう。


 測定器ではない。


 理論でもない。


 十二年前の匿名IDでもない。


「本人に」


 聞く。


 ただし。


 正体を問い詰めるつもりはなかった。


 御堂が知りたいのは。


 一つだけ。


『三秒で吐いた翌日』


『なぜ四秒目をやろうと思った?』


 もし。


 黒瀬悠真が。


 同じ答えを返したら。


 その時。


 御堂の中で。


 《午前零時の攻略者》の正体は。


 ほぼ決まることになる。


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