第23話 先生の休養日は、休養になっていなかった
翌日。
午後七時十二分。
「教官」
「ん?」
「それは何?」
「剣」
「見れば分かる」
黒羽沙夜は、俺の部屋の中央に座りながら、じっとこちらを見ていた。
昨日宣言した通り、俺が《奈落》へ行かないか見張りに来たらしい。
「休むんじゃなかった?」
「休んでるぞ」
「剣を分解している」
「整備だから」
「手帳も開いてる」
「昨日の記録を整理してるだけ」
「深層守護獣の図が増えている」
「思い出したことあったから」
「…………」
沙夜の目が細くなる。
「教官」
「はい」
「休養の意味、知ってる?」
「ダンジョンに行かないこと?」
「違う」
「そうなの?」
「違う」
どうやら俺の認識がおかしいらしい。
とはいえ、身体は休ませている。
澪に治してもらった右肩には痛みもないし、今日は外へ出たのも食料品を買いに行った一度だけだ。
剣の刃を外し、細かな傷を確認する。十二年使っているせいで見慣れたものだが、八十五階の壁へぶつかった時に少し歪みが出ていた。
「ここ直さないとな」
「教官」
「今度は何?」
「休養」
「これ終わったら」
「本当?」
「たぶん」
「信用できない」
「昨日から信用なさすぎない?」
「実績がある」
「何の?」
「三秒で吐いても翌日四秒やった」
「十二年前の話だろ」
「根本は変わっていない」
言われてみれば。
少しだけ心当たりはあった。
◇
午後七時二十九分。
――ピンポーン。
「誰だろ」
「玲華」
「分かるの?」
「足音」
「さすが」
扉を開ける。
「こんばんは、先生」
天音玲華。
手には大きな紙袋。
「何それ?」
「夕食です」
「夕食?」
「先生が休養日にまともな食事を取るか不安でしたので」
「取るよ」
「今日のお昼は?」
「カップ麺」
「…………」
「朝は?」
「コーヒー」
「…………」
「先生」
「はい」
「そこへ座ってください」
「なんで?」
「いいから」
最近、この人たちに命令されることが増えた。
玲華が台所へ立つ。
沙夜は相変わらず俺を監視している。
「何作るの?」
「作ってきました」
紙袋から保存容器。
煮物。
焼き魚。
野菜。
味噌汁まである。
「すごいな」
「昨日、澪さんから『怪我の翌日は栄養を取らせてください』と」
「澪が?」
「はい」
「連携してるんだ」
「先生の安全に関してだけは」
「だけ?」
「…………」
玲華は答えなかった。
不思議だ。
◇
午後七時三十七分。
――ピンポーン。
「今度は紫苑」
沙夜。
「やっぱり分かるんだ」
開ける。
「先生、これ」
九条紫苑が入ってくる。
「何?」
「果物」
「ありがとう」
「怪我した時はビタミンも必要でしょ」
「もう治ってるぞ」
「知ってる」
「じゃあ何で?」
「気分」
玲華と目が合う。
「…………」
「…………」
「なぜいるの?」
「先生の夕食を」
「私も今から果物切るところ」
「果物は食後でしょう」
「分かってるわよ」
「包丁使えます?」
「喧嘩売ってる?」
「売ってません」
休養日。
なぜか。
俺より二人の方が忙しそうだった。
◇
午後七時四十九分。
陽菜。
午後七時五十五分。
澪。
午後八時二分。
蓮司。
「……全員来るの?」
「私は配信休みだから」
陽菜。
「悠真先生の経過観察です」
澪。
「俺は先生が休んでるか笑いに来た」
蓮司。
「帰れ」
「冗談だって!」
「で」
俺は部屋を見回した。
玲華。
紫苑。
陽菜。
沙夜。
澪。
蓮司。
「休養日って、普段より人多くない?」
「先生が外へ行かないので集まりやすいんです」
「玲華、それ理由になってる?」
「なっています」
なっているらしい。
ローテーブルに夕食が並ぶ。
「いただきます」
食べる。
「うまい」
「本当ですか?」
玲華の表情が明るくなる。
「うん。普通に店より好きかも」
「…………」
玲華が止まった。
「玲華さん?」
陽菜がにやにやしている。
「何です?」
「耳赤いよ」
「暑いだけです」
「今日涼しいよ」
「陽菜」
「はいはい」
紫苑が煮物を一つ取る。
「……美味しい」
「ありがとうございます」
「悔しい」
「なぜです?」
「私も次作る」
「張り合わなくていいぞ」
「先生は黙ってて」
「はい」
最近、それにも慣れてきた。
◇
同じ頃。
アパートから約百メートル離れた場所。
御堂啓介は、コンビニの駐車場に停めた車の中にいた。
「…………」
自分でも。
何をしているのだろうとは思う。
研究者が私人を張り込むなど、褒められた行為ではない。
だから、近づかない。
撮影もしない。
ただ。
黒瀬悠真という男が。
普段。
何をしているのか。
遠くから確認したかった。
今日は《奈落》へ入らない。
昨夜の負傷記録からすれば、休養日なのだろう。
「……普通だ」
夕方。
スーパーへ行った。
牛乳。
卵。
安売りのパン。
洗剤。
帰宅。
その後。
古い剣の整備。
「普通すぎる」
伝説級探索者を追っているつもりだった。
なのに。
見ているのは。
生活に派手さの欠片もないE級男。
だからこそ。
御堂は。
昨日までとは違う目で見ていた。
「十二年」
新しい装備を買わない。
壊れないから。
古い剣を捨てない。
まだ使えるから。
魔力が少ない。
なら。
漏らさなければいい。
「全部」
似ている。
一つの考え方で繋がっている。
持っていないものを欲しがるのではなく。
今あるものを。
昨日より少しだけ。
上手く使う。
「…………」
そんな人間なら。
確かに。
十二年間。
一秒を積み上げられるのかもしれない。
その時。
アパート前。
一人。
二人。
三人。
次々と人影が入っていく。
「……?」
御堂が目を凝らす。
帽子。
マスク。
変装している。
だが。
探索者を研究している人間なら。
体格や歩き方だけでも分かる。
「天音玲華……?」
次。
「九条紫苑」
さらに。
「白石陽菜」
黒羽沙夜。
水城澪。
最後に。
「神崎蓮司まで?」
御堂は。
何も言えなくなった。
国内ランキング。
一位から六位。
そのうち。
上位六名全員が。
一人のE級探索者の住むアパートへ消えていく。
「…………普通?」
自分で言った言葉を。
訂正したくなった。
◇
「先生」
「ん?」
食後。
澪が俺の手を取った。
「何?」
「脈」
「大丈夫だぞ」
「確認します」
指。
静かに脈を測る。
「問題ありません」
「だから言っただろ」
「睡眠時間」
「昨日は四時間くらい」
「足りません」
「いつもそんなもん」
「もっと駄目です」
「怒られた」
「今日は八時間」
「そんな寝られないよ」
「寝てください」
「無理だって」
沙夜が俺を見る。
「睡眠中」
「何?」
「圧縮は?」
「九十八」
「解除しない?」
「身体が勝手に」
「…………」
澪の表情が険しくなる。
「悠真先生」
「はい」
「睡眠中も訓練しているようなものでは?」
「もう負荷感じないけど」
「先生基準では信用できません」
「また信用ない」
「十二年前」
「そのカード強いな」
蓮司が笑った。
「先生、自業自得だぞ」
「お前最近楽しんでない?」
「ちょっと」
◇
「じゃあ」
陽菜が。
俺の手帳を見ている。
「今日は深層守護獣について考えないの?」
「もう考えた」
「いつ?」
「昼」
「休養は?」
「身体は休んでた」
「頭は?」
「普通に使ってた」
「…………」
陽菜が玲華を見る。
「これ休養?」
「違います」
紫苑。
「休み方から教える必要あるんじゃない?」
沙夜。
「賛成」
澪。
「必要です」
蓮司。
「先生」
「何?」
「弟子に休み方教えられる師匠ってどうなんだ?」
「知らん」
六人が笑った。
「そんな笑う?」
「だって」
陽菜が目元を拭う。
「悠真さん、ダンジョンのことなら何でも分かるみたいなのに」
「何でもは分からないよ」
「休み方だけE級なんだもん」
「公式ランク関係なくない?」
「休養ランクF」
「下がった」
また笑われた。
納得いかない。
◇
午後十時五十八分。
「じゃあ今日は帰ります」
玲華たちが立ち上がる。
「先生」
「はい」
「このあと」
「寝る」
「手帳は?」
「触らない」
「剣は?」
「整備終わった」
「奈落は?」
「行かない」
「本当に?」
「行かないって」
沙夜。
「私は残る」
「なんで?」
「確認」
「帰っていいぞ」
「駄目」
「俺寝るんだけど」
「玄関前にいる」
「近所の人怖がるだろ」
「ベランダ」
「もっと怖いよ!」
結局。
沙夜も帰ることになった。
「おやすみ」
「おやすみなさい、先生」
「また明日」
「悠真さん、ちゃんと寝てね」
「おやすみ、教官」
「おやすみなさい、悠真先生」
「明日な、先生」
扉が閉まる。
「…………」
静か。
久しぶりな気がする。
「さて」
時計。
午後十一時八分。
「寝るには早いな」
無意識に。
手帳へ視線が向く。
「…………」
駄目だった。
『触らない』
約束した。
「テレビでも見るか」
久しぶりにつける。
画面。
『本日の探索者ニュースです』
「……」
『《奈落》第八十五階層で確認された特殊個体、《深層守護獣》について――』
「…………」
消した。
「駄目だ」
結局。
布団に入る。
午後十一時十五分。
「寝られるかな」
目を閉じる。
十分。
二十分。
三十分。
「…………」
身体が。
妙に落ち着かない。
いつもなら。
この時間。
奈落へ向かっている。
「休むの」
意外と。
「難しいな」
それでも。
目を閉じたまま。
動かない。
一時間ほど経つと。
ようやく。
眠れた。
◇
午前零時二十六分。
御堂啓介は。
まだ車内にいた。
「……来ない」
今日。
《奈落》の匿名記録は更新されていない。
黒瀬悠真も。
アパートから出てこない。
「休んでいる」
昨日。
八十五階で何かがあった。
今日。
休む。
当たり前のこと。
だが。
御堂には。
それすら一つの材料に見えた。
十二年間。
何も考えず突っ走ってきたのではない。
失敗する。
記録する。
修正する。
身体を壊せば。
休む。
「……いや」
御堂は少し考えた。
先ほど。
窓越しに。
黒瀬が剣を整備していた。
手帳も開いていた。
「本当に休んでいたか?」
少しだけ笑った。
そして。
端末。
候補者一覧。
『黒瀬悠真――最有力』
その下に。
一行。
『次回確認事項――戦闘力ではなく、十二年間の行動履歴』
御堂は。
もう。
測定値十七を見て。
候補から外すことはなかった。
◇
翌朝。
午前六時四十二分。
「…………」
目が覚めた。
「よく寝た」
時計を見る。
七時間以上。
かなり久しぶりだ。
身体も軽い。
「休むのも悪くないな」
起きる。
コーヒー。
玲華が置いていった朝食。
「いただきます」
食べながら。
手帳を見る。
「…………」
昨日は触らなかった。
だから。
今日はいいだろう。
開く。
『深層守護獣』
『左前脚二回――正面突進』
『三回――側面移動』
『次回確認』
そこまで読んで。
「……あ」
ふと。
気づいた。
「三回目」
左前脚が。
三回。
本当に。
同じ動きだっただろうか。
二回目までは。
地面を踏んだ。
だが。
三回目。
「踏んでない」
触れただけだった気がする。
「…………」
手帳。
新しい一行。
『三回目――踏み込みではなく、接地確認?』
なら。
側面移動の前兆ではなく。
「壁の位置を」
確認していた?
「…………」
胸が少し高鳴る。
昨日。
休んだから。
頭の中が整理されたのかもしれない。
「休養」
手帳へ。
一行。
『休むと気づくこともある』
「……これも練習か」
少し笑った。
そして。
今夜。
また。
昨日より一歩だけ。
先へ進む準備を始めた。




