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第22話 先生が少し怪我をしただけで、トップ5が大騒ぎになった



 午前二時十三分。


 《奈落》から出た俺は、右肩を回してみた。


「……痛いな」


 動く。


 剣も振れる。


 骨には問題なさそうだが、深層守護獣の前脚が掠った場所から少し血が滲んでいる。


「帰ったら消毒するか」


 今日分かったことは多い。


 左前脚が二回なら正面への突進。


 三回なら横へ回り込み、壁すら突破して追ってくる。


 昨日まで正しいと思っていた『扉を越えない』という仮説も修正できた。


 失敗した。


 怪我もした。


 でも、それで明日見る場所が増えた。


「悪くないな」


「――何が悪くないんですか?」


「うわっ」


 聞き慣れた声がして顔を上げた。


 奈落の入口脇。


 ベンチに。


 天音玲華が座っていた。


「……なんでいるの?」


「先生を待っていました」


「今日は一人で行くって言っただろ」


「はい。ですから中へは入りませんでした」


「そういう意味じゃなくて」


 玲華が立ち上がる。


 俺の顔を見て。


 次に右肩。


 止まった。


「先生」


「はい」


「その血は?」


「ああ、これ」


「その血は?」


「聞こえてるよ」


 玲華が近づいてくる。


「怪我したんですか?」


「ちょっと掠っただけ」


「見せてください」


「家帰ってからでいいよ」


「今です」


「いや」


「今」


「…………はい」


 逆らわない方が早そうだ。


 上着を少しずらす。


 右肩。


 探索服が裂け、その下に赤い線が走っている。


「ほら。大したことないだろ」


「…………」


「天音さん?」


「玲華です」


「玲華?」


「誰にやられました?」


「深層守護獣」


「倒しました?」


「戦ってない」


「ではなぜ」


「観察してたら予想と違う動きした」


「…………」


「横から壁ぶち抜いてきて」


「先生」


「はい」


「それを最初に言ってください」


「聞かれなかったから」


「もうその言葉は禁止です!」


 怒られた。


 その時。


 玲華がスマートフォンを取り出す。


「何してるの?」


「連絡です」


「誰に?」


「皆さんに」


「皆さん?」


 嫌な予感がした。


「いや、待って。これくらいで呼ばなくていいだろ」


「もう送りました」


「早いな」


『先生負傷。右肩。奈落出口』


 見えた。


「短っ」


「緊急なので」


「緊急じゃないって」


 玲華は聞いていなかった。


 ◇


 十五分後。


「悠真さん!!」


 白石陽菜が走ってきた。


 その後ろ。


「先生!」


 九条紫苑。


「教官」


 黒羽沙夜。


「悠真先生!」


 水城澪。


「……全員来た」


 さらに。


「先生、生きてるか!?」


 神崎蓮司までいる。


「生きてるよ」


「玲華の連絡が『先生負傷』だけだったから!」


「俺も見せてもらった。紛らわしいよな」


「先生」


 玲華が冷たい目で俺を見る。


「他人事みたいに言わないでください」


「はい」


 澪が俺の右側へ来る。


「見せてください」


「本当に浅いぞ」


「私が判断します」


「はい」


 最近。


 ランキング五位に逆らうのも難しくなってきた。


 澪が裂けた服を慎重にずらす。


「…………」


「どう?」


「表皮から筋層の浅い部分まで。骨、腱、魔力回路には損傷ありません」


「ほら」


「でも」


 澪が俺を見る。


「治します」


「自然に治るって」


「治します」


「魔力もったいないだろ」


「悠真先生」


「はい」


 笑顔なのに。


 なんだか怖い。


「治します」


「お願いします」


 淡い光が右肩を包む。


 数秒。


 痛みが消えていく。


「すごいな」


「動かしてください」


 回す。


「お」


 痛くない。


「完治」


「ありがとう」


「はい」


 澪がようやく笑った。


 そこで。


「で?」


 紫苑が腕を組む。


「どうして怪我したの?」


「だから深層守護獣が――」


「昨日、戦わないって言ったわよね?」


「戦ってないよ」


「怪我してるじゃない!」


「観察してただけ」


「観察だけで壁を破壊する魔物の横に立ってたの!?」


「結果的には」


「先生!」


「はい」


 今日はよく怒られる。


 ◇


「最初から説明してください」


 結局。


 深夜三時。


 俺の部屋。


 全員いる。


 最近、本当に六畳が限界だ。


 ローテーブルの上に手帳を置く。


「昨日は」


 深層守護獣の図。


「扉を開けて五分くらいすると起きた」


「はい」


「起きる前に左前脚が二回動いた」


 玲華が覗き込む。


「それで昨日は正面から突進?」


「そう」


「今日は?」


「二回目までは同じ」


 手帳を指す。


「でも三回動いた」


「三回」


 沙夜が呟く。


「その直後、正面ではなく横へ移動」


「うん」


「壁を破った」


「そう」


 陽菜が顔を引きつらせた。


「それ普通、死ぬやつじゃない?」


「避けたから」


「少し遅れたでしょう」


 玲華。


「肩掠った」


「やっぱり!」


「でも」


 俺は手帳を開く。


「これで分かった」


『左前脚 二回――正面突進』


『左前脚 三回――側面移動の可能性』


『扉そのものに行動制限効果なし』


「昨日の『扉を越えない』は間違いだった」


 書いた文字に線を引く。


「だから明日は――」


「行きません」


 澪。


「え?」


「明日は休みです」


「いや、身体もう治ったけど」


「行きません」


「澪」


「駄目です」


 玲華も。


「私も賛成です」


 紫苑。


「一日休み」


 陽菜。


「配信女王権限で賛成」


「そんな権限ある?」


「今作った」


 沙夜まで。


「教官」


「何?」


「休む」


「…………」


 蓮司。


「先生」


「お前まで?」


「俺だけ賛成したら殺されそう」


「理由最低だな」


「いや、普通に休めとも思ってる」


 六対一。


「でも」


 俺は手帳を見る。


「明日見たいところあるんだけど」


 六人。


 一斉に。


「「「「「「駄目」」」」」」


「…………はい」


 多数決って強い。


 ◇


「それにしても」


 紫苑が手帳を取り上げる。


「先生」


「何?」


「怪我した直後にこれ書いたの?」


「忘れるから」


「逃げながら?」


「撒いてから」


「…………」


 ページ。


『前回仮説、一部誤り』


 紫苑がそこを見る。


「自分の予想が外れたこと」


「うん」


「普通に書くのね」


「外れたから」


「恥ずかしいとかないの?」


「何で?」


「…………」


「間違ってたのに残した方が危ないだろ」


 紫苑が黙った。


 その横から。


 玲華が手帳を見る。


「先生は」


「うん」


「失敗を隠さないんですね」


「一人で使う手帳だぞ?」


「そうではなく」


 少し考えて。


「私たちは、上位になればなるほど」


「うん」


「失敗した姿を見せにくくなります」


 陽菜が苦笑する。


「分かる。配信だと特にね」


「ミスしたら切り抜かれるし」


「一回負けると騒がれる」


 蓮司も頷く。


「ランキング六位でもそうだ」


 紫苑。


「だから無意識に」


「うん」


「失敗しない方法を選ぶようになる」


 俺は少し考えた。


「もったいなくない?」


「…………」


「失敗しないと分からないことあるだろ」


 今日の深層守護獣もそうだ。


 昨日。


『扉は越えない』


 そう判断した。


 間違っていた。


 今日怪我をした。


 でも。


「明日は同じ間違いしない」


 玲華たちが静かになった。


「先生」


 陽菜。


「何?」


「時々すごく格好いいこと言うよね」


「時々?」


「普段が普段だから」


「どういう意味?」


「そのままの意味」


 笑われた。


 納得いかない。


 ◇


 午前四時前。


「じゃあ今日は全員帰れ」


「先生は?」


「寝る」


「本当に?」


 玲華。


「寝るよ」


「奈落に行かない?」


「今から?」


「念のため」


「行かない」


 紫苑も疑っている。


「明日の夜も?」


「…………」


「先生?」


「休むよ」


「間があった!」


「考えただけ」


「何を!?」


「一日空けてもいいかなって」


「最初からそうしてください!」


 また怒られた。


 沙夜は玄関へ向かう前に。


「教官」


「ん?」


「明日」


「うん」


「私が見張る」


「何を?」


「先生が奈落へ行かないか」


「そこまで信用ない?」


「ない」


「即答」


「十二年」


「?」


「吐いても続けた人」


「…………」


「信用できない」


 そこを持ち出されると弱い。


「分かった」


 全員。


 ようやく帰っていった。


 静かになった部屋。


「……寝るか」


 布団へ。


 その前に。


 手帳。


 一行だけ追加。


『明日――休養』


「これで文句ないだろ」


 閉じた。


 ◇


 同じ頃。


 国立探索技術研究所。


 御堂啓介は。


 まだ帰っていなかった。


 画面には。


 十二年前の匿名掲示板。


『圧縮すると吐く』


『三秒で無理』


『これ普通?』


 その翌日。


 同じ投稿者。


『今日は四秒できた』


『吐いたけど昨日より一秒長い』


 翌週。


『十二秒』


『気絶した』


『明日は十三秒目標』


「……狂ってる」


 御堂は呟いた。


 さらに。


 数ヶ月後。


『一分超えた』


『最近吐く回数減った』


 一年後。


『寝る時も圧縮したままにしたいんだけど方法ある?』


 レス。


『やめろ』


『死ぬぞ』


『何でそこまでやるんだ』


 投稿者。


『魔力少ないから』


『使える分、大事にしたい』


「…………」


 御堂は。


 画面から目を離せなかった。


 そして。


 投稿履歴。


 時刻。


 ある特徴に気づく。


「午前……二時」


 深夜。


 探索から戻ったと思われる時間帯に。


 書き込みが集中している。


 さらに。


 数年後。


『今日、初めて誰も行ってない部屋まで行けた』


『明日もう一回確認する』


 投稿時刻。


 午前一時五十八分。


「……未踏破」


 御堂の喉が鳴った。


 古いダンジョン記録を開く。


 同日。


 東京都内。


 匿名の初到達記録。


 更新時刻。


『午前一時四十一分』


「…………」


 一つ。


 偶然。


 二つ。


 偶然。


 なら。


 三つ目は。


 御堂は震える指で検索を続ける。


 匿名投稿。


 初到達記録。


 日付。


 時刻。


 一件。


 二件。


 三件。


 四件。


「一致してる」


 すべてではない。


 だが。


 異常なほど。


 重なる。


 そして。


 御堂は。


 今日ギルドで会った男の顔を思い出した。


 黒瀬悠真。


 十二年E級。


 魔力十六。


 古い剣。


 何の威圧感もない。


「…………」


 候補者一覧。


『黒瀬悠真』


 横。


『除外』


 御堂は。


 ゆっくり。


 その二文字を消した。


 代わりに。


『最有力』


 と入力する。


「今度は」


 御堂の目が細くなる。


「測定値を見ない」


 もし次に会えたら。


 魔力でも。


 ランクでも。


 装備でもなく。


「行動を見る」


 十二年間。


 その男が。


 何を積み上げてきたのか。


 そこを見る。


 研究者・御堂啓介は。


 ついに。


 目の前の正解を。


 候補から外さなくなった。


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