第21話 研究者は、十二年前の記録を掘り始めた
御堂啓介は、候補者一覧に残った『除外』の二文字を、しばらく消せずに見つめていた。
今日、自分の目で確認した黒瀬悠真という男は、どう見てもただのE級探索者だった。
魔力測定値は十六から十七。身体から漏れる魔力も少なく、威圧感もない。装備は古く、剣に至っては十二年間同じものを使い続けているらしい。
だから除外した。
理論上、極端な魔力圧縮を維持している人間が存在するなら、もっと異常に見えると思ったからだ。
だが。
『十二年間、誰にも気づかれないくらい地味なことを、毎日続けられる人間を探すべきだった』
自分で掲示板へ書き込んだ文章が、頭から離れない。
「……十二年間」
御堂は端末へ向き直った。
黒瀬悠真。
二十九歳。
探索者登録、十七歳。
つまり。
「最初から調べればいい」
現在ではない。
十二年前。
まだ何者でもなかった頃。
魔力圧縮を始める以前の記録。
ギルドの一般公開範囲で確認できる古いデータを検索する。
最初の魔力測定。
『黒瀬悠真――魔力値14』
「…………」
低い。
現在より低い。
二年目。
『15』
三年目。
『15』
四年目。
『16』
「増えている?」
御堂の手が止まった。
普通。
成長期を終えた探索者の基礎魔力量は、大きく変わらない。
訓練で効率は上げられる。
回路は鍛えられる。
だが、測定値そのものが毎年少しずつ増え続ける例は珍しい。
五年目。
『16』
六年目。
『17』
七年目。
『17』
それ以降も。
十六。
十七。
十八。
そして現在。
十六から十七。
「…………」
一見。
何もおかしくない。
誤差の範囲。
だが御堂は、別の資料を開いた。
高密度魔力圧縮に関する古い論文。
『長期的な圧縮負荷を与えた魔力回路は、容量ではなく密度適応を起こす可能性がある』
実験は短期間で中止されている。
理由。
『被験者の強い嘔吐、痙攣、意識障害』
「……これを」
もし。
十七歳の少年が。
誰にも教わらず。
十二年間。
「馬鹿だろ」
御堂は思わず呟いた。
だが。
その言葉には、もう嘲笑がなかった。
◇
「先生」
「ん?」
「今日の欠点指導は私ですよね?」
「そうだっけ?」
「先生!」
午後九時。
俺の部屋。
天音玲華が珍しく頬を膨らませていた。
「順番表まで作ったじゃないですか」
「作ったの陽菜だろ」
「私だよ」
白石陽菜がスマートフォンを見せる。
『欠点指導順番』
『玲華→紫苑→陽菜→澪→沙夜』
「本当に作ってる……」
「揉めるから」
「そこまでして毎日来る?」
「「「「「来ます」」」」」
「ですよね」
もう驚かない。
「それで天音さん」
「玲華で構いません」
「……玲華」
「はい」
ものすごく嬉しそうだ。
「この前言った左足」
「直しました」
「じゃあ見せて」
訓練施設へ移動。
玲華が剣を構える。
攻撃。
一歩。
二歩。
三歩。
「…………」
「どうです?」
「左足は止まらなくなった」
「!」
「でも」
玲華の表情が引き締まる。
「今度は右肩」
「右肩?」
「見ることに集中すると、剣振る前に上がる」
「…………」
玲華が自分の肩を見る。
「またですか」
「癖って一個直すと別の出るから」
「先生にも?」
「いっぱいあるよ」
「今も?」
「あると思う」
「では」
紫苑が即座に食いついた。
「私たちが先生の欠点を探せば?」
「いいよ」
「…………え?」
「何?」
「もっと嫌がるかと思った」
「直せるなら得じゃん」
「…………」
五人が黙った。
蓮司が横から笑う。
「諦めろ。先生こういう奴だ」
「神崎さん」
「何だよ」
「最近、古参みたいな顔をしますね」
「俺も弟子だぞ!」
「六番目です」
「順位つけんな!」
今日も騒がしい。
◇
「そういえば」
陽菜が休憩中に聞いた。
「悠真さん、昨日の《深層守護獣》どうだった?」
「見ただけ」
「本当に?」
「扉開けて五分くらい」
「戦ってないの?」
「うん」
紫苑が少し不思議そうな顔をする。
「先生なら試しに一撃くらい入れそうだけど」
「何で?」
「弱点を見るために」
「初見で?」
「…………」
「攻撃したら向こうも本気になるだろ」
「それはそうだけど」
「まず何してくるか見る」
玲華が頷く。
「今日も観察ですか?」
「そのつもり」
「何を見るんです?」
「脚」
「また脚?」
陽菜が笑う。
「先生、本当に脚好きだね」
「言い方」
俺は手帳を開いた。
昨日の記録。
『深層守護獣』
『視認後、約五分で覚醒』
『覚醒直後、扉方向へ突進』
「最初に見た時」
「うん」
「起きる直前、左前脚だけ二回動いた」
「それが?」
澪が聞く。
「分からない」
「…………」
「だから今日見る」
沙夜が。
少し笑った。
「教官らしい」
「そう?」
「分からないことを」
沙夜は俺の手帳を見る。
「分かったことにしない」
「それ普通じゃない?」
六人。
「「「「「「普通じゃない」」」」」」
「蓮司まで!?」
「もう俺も分かってきた」
「何が?」
「先生の普通は信用しない方がいい」
「失礼だな」
◇
午前零時九分。
《奈落》第八十五階層。
大型扉。
「さて」
今日は一人。
扉を。
少しだけ開ける。
暗闇。
巨大な四足獣。
《深層守護獣》。
眠っている。
時計。
手帳。
「開始」
一分。
変化なし。
二分。
右耳が動く。
『2:14 右耳』
三分。
尾。
一度だけ床を叩く。
『3:02 尾』
四分。
呼吸。
少し速くなる。
「…………」
そして。
四分四十七秒。
左前脚。
一回。
二回。
「昨日と同じ」
直後。
目。
開く。
「来る」
扉を閉める。
ドンッ!!
衝撃。
「やっぱり」
左前脚。
踏み込み。
なら。
「起きる合図というより」
手帳へ書く。
『左前脚二回――突進準備?』
まだ分からない。
次。
もう一度扉を開ける。
「…………」
寝ている。
「起きた直後に寝るの早いな」
十分待つ。
再び観察。
今度は。
扉を少し広く開ける。
「…………」
三分。
尾。
四分。
呼吸。
左前脚。
一回。
二回。
「来る」
閉めようとした。
その時。
三回目。
「え?」
昨日までなかった。
左前脚。
三回。
次の瞬間。
深層守護獣が。
横へ消えた。
「っ!」
扉を閉める。
だが。
正面から衝撃が来ない。
「…………」
嫌な予感。
右。
壁。
巨大な音。
ドゴォン!!
「うわ!」
壁を突き破って。
黒い巨体が。
俺の横へ飛び出した。
「そっち!?」
完全に。
予想外。
振り下ろされる前脚。
避ける。
遅い。
「――っ!」
肩。
掠る。
身体が吹き飛ぶ。
壁へ。
「痛っ……」
右肩。
動く。
骨は大丈夫。
「なるほど」
手帳。
落とした。
拾えない。
目の前。
深層守護獣。
低く唸る。
「三回なら」
一歩下がる。
「正面じゃない」
また一つ。
分かった。
「じゃあ」
今日は帰ろう。
剣は抜かない。
戦う準備がない。
走る。
深層守護獣が追ってくる。
「……あれ?」
扉。
越えている。
「昨日の記録」
『扉は越えない』
「間違い」
走りながら。
頭の中で訂正する。
『覚醒直後の正面突進時のみ、扉で停止』
『横移動時は追跡継続』
「危な」
でも。
少し嬉しい。
昨日。
分かったと思っていたことが。
今日。
間違いだと分かった。
「また明日直せる」
後ろ。
巨大な咆哮。
「今日は逃げるけどな!」
◇
十五分後。
「……撒いた」
壁へ背を預ける。
右肩。
少し血。
「まあ」
動く。
帰れる。
手帳も途中で拾えた。
書く。
『左前脚三回――側面突破』
『扉を越えて追跡』
『前回仮説、一部誤り』
最後。
『右肩負傷』
「よし」
今日は。
失敗。
でも。
昨日より情報は増えた。
◇
午前一時四十二分。
ギルド本部。
御堂啓介は。
一つの古い記録を見つけていた。
十二年前。
新人探索者向け掲示板。
『魔力少ないんだけど、どうしたらいい?』
返信。
匿名。
『使う量を増やせないなら』
『漏らす量を減らせばいいんじゃない?』
さらに数ヶ月後。
同じ匿名ID。
『圧縮すると吐く』
『三秒で無理』
『これ普通?』
返信欄。
『普通じゃない』
『やめろ』
『病院行け』
そして。
投稿者本人。
『じゃあ明日は四秒やってみる』
「…………」
御堂の手が止まった。
投稿時期。
十二年前。
地域。
東京。
年齢欄。
『17』
「まさか」
御堂は。
今日、自分で除外した名前を見る。
『黒瀬悠真』
登録時年齢。
『17』
「…………」
まだ。
証拠ではない。
匿名掲示板。
同年齢など。
いくらでもいる。
だが。
御堂の背中に。
ゆっくり。
汗が浮かんだ。
「もし」
あの書き込みをした十七歳が。
本当に十二年間。
『じゃあ明日は四秒やってみる』
その一秒を。
毎日。
積み重ねていたら。
「……九十八パーセント」
御堂は。
初めて。
その数字を。
仮説として端末へ入力した。




