第11話 四位は、三ヶ月前から全部見ていた
「黒瀬」
「ん?」
「今日、お前について行く」
「どこに?」
「《先生》との待ち合わせ場所だ」
「…………」
翌日の夜。
《奈落》入口前。
神崎蓮司は、当然のような顔で俺の隣に立っていた。
「だから先生は俺だって」
「その設定はもういい」
「設定じゃないんだけど」
「心配するな」
蓮司が俺の肩を叩く。
「本物の《先生》を見つけても、お前が仲介してくれた恩は忘れねえ」
「…………」
「ちゃんと礼もする」
「そうですか」
もう好きにしてほしい。
「ちなみに今日は何階まで?」
「八十五」
「は?」
蓮司が止まった。
「八十五?」
「うん」
「お前が?」
「うん」
「E級が?」
「その話何回目?」
「待て待て待て」
蓮司が慌てて俺の前へ回り込む。
「八十四階には双頭黒狼がいる」
「いるな」
「国内でも単独突破できる奴はほとんどいねえ」
「そうなんだ」
「お前どうやって通るんだよ」
「普通に」
「その普通を聞いてんだよ!」
声が大きい。
「行けば分かるだろ」
「……」
蓮司の目が細くなる。
「なるほど」
「何が?」
「途中で《先生》と合流するわけか」
「違う」
「そういうことにしておく」
何を言っても駄目らしい。
◇
第八十二階層。
「黒瀬」
「ん?」
「ちょっと待て」
「どうした?」
「お前」
蓮司が後ろを見る。
俺たちが通ってきた道。
倒れている魔物はいない。
「なんで一回も戦ってねえんだ?」
「避けたから」
「見れば分かる!」
「じゃあ何を聞いてるんだ」
「八十二階だぞ!」
「うん」
「敵の探知範囲も広い!」
「広いな」
「なのに何で全部避けられる!」
俺は少し考えた。
「足音?」
「足音?」
「あと臭い」
「臭い!?」
「魔物ごとに違うだろ」
「…………」
「ここの奴は近くに来ると金属みたいな臭いするし」
蓮司が鼻を動かす。
「しねえぞ」
「慣れれば分かる」
「またそれかよ!」
「十二年やってるし」
「十二年でそんなことになるのか!?」
「知らない」
俺しか試してない。
比較のしようがない。
「ほら、止まって」
「今度は何だ?」
「前」
「?」
三十メートルほど先。
何もいない通路。
「敵いるから」
「見えねえぞ」
「壁の向こう」
「どうして――」
ガリッ。
僅かな音。
蓮司の表情が変わった。
数秒後。
壁の穴から大型魔物が這い出してくる。
「……マジかよ」
「右から行けば気づかれない」
「なんで分かる?」
「昨日左から行って見つかった」
「…………」
「三十分追い回された」
「そういう失敗談さらっと言うのやめろ」
今日はよく怒られる。
◇
八十四階層。
「来るぞ」
双頭黒狼。
俺たちを見るなり、低く唸った。
蓮司が武器へ手を掛ける。
「黒瀬、下がれ」
「なんで?」
「俺がやる」
「今日は戦わなくていいぞ」
「は?」
「左端通れる」
「こいつを無視して?」
「うん」
「無理だろ!」
「昨日確認した」
「どうやって?」
「十九回くらい」
「…………」
「最初の三歩だけ縄張り反応するけど、そのあと右頭がこっち向いた瞬間に止まれば――」
双頭黒狼が動く。
「今」
俺は壁際を歩く。
一歩。
二歩。
三歩。
右頭がこちらを見る。
止まる。
「…………」
数秒。
双頭黒狼が視線を外す。
「今」
また進む。
蓮司は無言でついてくる。
一分後。
俺たちは戦闘なしで奥の扉へ到着した。
「…………」
「行くぞ」
「待て」
「何?」
「お前」
蓮司の顔が引きつっている。
「これを十九回試したのか?」
「昨日な」
「一晩で?」
「途中で死にかけたから十九回でやめた」
「死にかけた?」
「十八回目に左頭まで釣られた」
「…………」
「だから十九回目は右頭だけ見るようにした」
手帳を開く。
『双頭黒狼・迂回』
『三歩後停止』
『右頭視線解除後、七歩』
『尾が上がった場合は中止』
「こんな感じ」
蓮司が手帳を見る。
「……お前」
「ん?」
「毎回これやってんのか?」
「まあ」
「全部?」
「全部」
「十二年?」
「そうだけど」
「…………」
蓮司が黙った。
さっきまで。
俺の後ろに誰かがいると疑っていた目。
それが。
ほんの少しだけ変わった気がした。
「黒瀬」
「はい」
「本当にE級なんだよな?」
「証明書見ただろ」
「……意味分かんねえ」
「俺も最近よく言われる」
「誰に」
「三人に」
「…………」
蓮司が頭を抱えた。
◇
第八十五階層。
「今日は左の分岐」
手帳を開く。
前回。
右は行き止まり。
左は未調査。
「神崎――」
「蓮司でいいって言っただろ」
「じゃあ蓮司」
「おう」
「ここからは後ろから絶対離れるなよ」
「分かってる」
「あと魔力探知禁止」
「三十七体来るからだろ」
「覚えてたんだ」
「さっき聞いた話じゃねえか!」
進む。
罠。
避ける。
分岐。
記録。
また進む。
十分。
二十分。
「…………」
蓮司が静かになった。
「どうした?」
「いや」
「疲れた?」
「違う」
少し間を置いて。
「つまらねえな」
「そうだろ?」
「いや、悪い意味じゃねえ」
「?」
「お前の攻略」
「うん」
「もっとすげえもんだと思ってた」
「すごくないよ」
「そうじゃなくて」
蓮司が周囲を見る。
「派手じゃない」
「うん」
「強敵を一撃で倒すとか」
「無理」
「未知の階層を一気に抜けるとか」
「危ない」
「天才的な勘で正解引くとか」
「外す方が多い」
「…………」
蓮司が苦笑した。
「本当に」
「?」
「一個ずつなんだな」
「そうだけど」
「昨日間違えたところを直す」
「うん」
「分からなかったら帰る」
「うん」
「また明日来る」
「そう」
「それだけ?」
「それだけ」
蓮司は何も言わなかった。
しばらく歩く。
そして。
「……俺」
「ん?」
「ちょっと勘違いしてたかもしれねえ」
「何を?」
「いや」
蓮司が首を振った。
「まだいい」
「?」
よく分からない。
◇
さらに十五分。
「止まれ」
「!」
蓮司が即座に止まる。
「前?」
「違う」
「じゃあ?」
「後ろ」
振り返る。
誰もいない。
「何だ?」
「…………」
気配。
かなり薄い。
さっきから。
いや。
今日だけじゃない。
「またいるな」
「また?」
蓮司が武器へ手を掛ける。
「誰かいるのか?」
「たぶん」
「どこだ」
「分からない」
「お前が分からない?」
「この人、上手いから」
蓮司の表情が引き締まる。
「いつから気づいてた?」
「三ヶ月くらい前」
「三ヶ月!?」
「たまにいる」
「何で放置してんだよ!」
「襲ってこないし」
「それだけで!?」
「悪い人ならもっと早く何かしてるだろ」
「お前危機感どうなってんだよ!」
その時。
「……はぁ」
暗闇から。
小さなため息が聞こえた。
「?」
蓮司が構える。
俺もそちらを見る。
柱の影。
そこから。
一人の女が姿を現した。
黒い探索服。
腰まで伸びる黒髪。
音もなく歩く。
国内ランキング四位。
《影踏み》。
黒羽沙夜。
「黒羽!?」
蓮司が目を見開いた。
「何でお前がここに!」
「…………」
沙夜は答えない。
俺を見る。
「こんばんは」
挨拶する。
「…………こんばんは」
返ってきた。
「やっぱり黒羽さんだったんだ」
「気づいていたの」
「最近は」
「…………」
「三ヶ月くらい前からいるだろ?」
「正確には」
沙夜が静かに言った。
「三ヶ月と十二日」
「細かいな」
「待て待て待て!」
蓮司が割り込んできた。
「黒羽、お前こいつを三ヶ月も尾行してたのか!?」
「尾行ではない」
「じゃあ何だ!」
「観察」
「もっと悪いだろ!」
「必要だった」
沙夜は表情を変えない。
「何が?」
「確認」
「何の?」
ようやく。
沙夜が俺から視線を外し。
蓮司を見る。
「《午前零時の攻略者》が」
「……!」
「本当に毎晩来るのか」
蓮司の目が大きくなる。
「お前」
沙夜を見る。
「正体知ってるのか?」
「知っている」
「誰だ!」
沙夜の視線が。
ゆっくり。
俺へ戻る。
「この人」
「…………」
蓮司が固まった。
「…………は?」
「黒瀬悠真」
沙夜が言う。
「探索者歴十二年」
「公式E級」
「現在魔力測定値十六から十七」
「そして」
淡々と。
「《午前零時の攻略者》」
「…………」
蓮司の口が開いたままになる。
「いや」
「事実」
「でも」
「事実」
「E級」
「知っている」
「魔力十七」
「知っている」
「……嘘だろ」
沙夜が首を振る。
「三ヶ月」
「毎晩見た」
その言葉だけで。
妙な重みがあった。
「失敗した日も」
「罠に落ちた日も」
「三時間、一歩も進めなかった日も」
「負傷して入口まで這って戻った日も」
「…………」
蓮司が黙る。
俺も少し恥ずかしい。
「そこまで見てたの?」
「全部」
「……怖いな」
「ごめんなさい」
初めて。
沙夜が少しだけ目を逸らした。
「でも」
「うん?」
「確かめたかった」
「何を?」
「あなたが」
沙夜の黒い瞳が。
まっすぐ俺を見る。
「天才なのか」
「…………」
「違った」
「それは悪口?」
「褒めている」
「そう?」
「天才なら」
沙夜が言う。
「私は声を掛けなかった」
「?」
「でも違った」
「毎晩失敗する」
「何度も怪我をする」
「間違える」
「戻る」
「書く」
「次の日」
「また来る」
「…………」
「三ヶ月見て」
沙夜は。
ほんの少し。
笑った。
「ようやく分かった」
「何が?」
「どうして」
玲華たちより先に。
この人が。
未踏破領域を進めるのか。
「だから」
沙夜が。
俺の前まで来る。
そして。
深く頭を下げた。
「今日から」
「私にも教えてほしい」
「え?」
「お願いします」
一拍。
「――教官」
「…………」
蓮司が。
隣で小さく呟いた。
「四人目……」
「ん?」
「いや」
頭を抱える。
「もう何も分かんねえ……」
俺も。
最近。
似たような気持ちだった。




