第二十八話 竜介の遺稿、活字になる
二月の神田は、冷たかった。
古書店街の石畳に、まだ朝の霜が残っていた。
美智子が神田に来るようになって、二ヶ月が経つ。
最初の一週間は、近くの安い宿に泊まった。
鬼塚の紹介だった。
二週間目からは、神保町の近くに小さな間借り部屋を見つけた。
六畳。
台所と洗面所が共用の、古いアパート。
家賃は月に五千円だった。
タイプライターは、部屋の隅に置いてある。
毎日少しずつ、打っている。
竜介の言葉ではない。
自分の言葉を、試すように。
少し打っては止めて、また打って・・それでも、打ち続けている。
何を書いているかはまだわからない。
でも、打つことだけが今の美智子に確かな手触りだった。
仕事は、まだ見つかっていなかった。
鬼塚から「木下の知り合いの出版社に声をかけておく」と言われた。
「でも、俺が言っておくのはそこまでだ。あとはお前が行け」とも言われた。
「わかっています」と美智子は答えた。
今日、鬼塚から電話があった。
「今日の朝刊を見ろ」とだけ言って、電話が切れた。
神田の喫茶「かぐら」に入ったのは、朝の九時過ぎだった。
この店に来るのは、何度目だろう。
竜介と会うとき、いつもここだった。
正人と話したのも、ここだった。
一人で考えるときも、気づくとここへ来ていた。
角のテーブルが、美智子の席になっていた。
「いつものでいいですか」とマスターが聞いた。
コーヒーのことだ。
「はい」と美智子は言って、席についた。
新聞ラックから、今日の紙面を引き出した。
神奈川政経新聞。
一面ではなかった。
でも、社会面の見開きに、大きく出ていた。
タイトルは・・「三島事件と、これからを生きる若者へ」。
その下に、小さく「遺稿・津島竜介」という文字があった。
美智子は、そこで少し、手が止まった。
「津島竜介(遺稿)」という文字が、活字になって、紙面に組まれている。
活字になっている。
竜介の名前が、活字になっている。
美智子は自分の右手を見た。
インクの染みはもう、薄れていた。
日々の生活の中で少しずつ消えていって、今は右手の人差し指の付け根に、かすかな黒さが残るだけだった。
でも・・その指で打った言葉が、今日、神奈川政経新聞の紙面の上に、活字として存在している。
「今日を生きる手触りだけが真実よ」・・美智子が言った言葉を、竜介は遺稿の中でどう書いたのだろう。
美智子は、記事を読み始めた。
遺稿は、三段組みで二ページ分あった。
最初の一ページは、三島の死に向き合うことから始まっていた。
「私は三島由紀夫の文学者としての功績を認める。しかし、彼の死を美化しない。なぜなら・・」という書き出しだった。
竜介らしい、真っ直ぐな入り方だった。
文章を読みながら、美智子は竜介の声を思い出した。
口述しながらの竜介の声。
病室の中で、肺の浅いところから絞り出すように、でも一言一言を確かめながら話していた声。
その声が、今、活字として、太い明朝体で、紙面に置かれている。
二ページ目に入ったところで・・美智子の手が止まった。
「大きな言葉は、人を動かす。しかし大きな言葉は、人を生かさない。」
自分が打った一文だった。
打ちながら、竜介の声が聞こえていた一文だった。
続きを読んだ。
「生かすのは、今日の味噌汁の温かさと、明日のお金と、誰かの手の温度だ。三島は大きな言葉のために死んだ。それは一つの誠実さだ。しかし、大きな言葉を持てなかった者も、大きな言葉に殉じられなかった者も・・生きていく権利がある。生きていく責任がある。それが、これからを生きる若者に、俺の言えることだ。」
最後の一行は・・「俺の言えることだ」と書いてあった。
「俺の言えることだ」と竜介は言い切った。
遺稿に、そう書いた。
自分の言葉で。
自分の名前で。
美智子はコーヒーに手をつけないまま、記事を読み終えた。
読み終えて、新聞を机の上に置いた。
窓の外、二月の神田の空は、青かった。
一月の雪がどこかへ消えて、今日の神田は澄んでいた。
古書店の店先が開いて、本が外に並んでいる。
石畳の上を、誰かが歩いていく。
コートを着た背中が、角を曲がって消えた。
美智子は紙面の「津島竜介(遺稿)」という文字を、もう一度見た。
竜介の言葉が、活字になった。
活字になって、今日の神田に届いた。
美智子の手のひらを通って。
同じ日の午後、大岡修平は横浜の駅前の売店で、神奈川政経新聞を買った。
理由は、ない。
毎日、この売店で新聞を買うわけではない。
今日は・・たまたま立ち寄った売店で、たまたま見出しが目に入った。
「三島事件と、これからを生きる若者へ」という文字。
その下の「遺稿・津島竜介」という文字。
修平は新聞を手に取った。
売り子に代金を渡した。
駅前の広場のベンチに座った。
二月の横浜の風が、海の方から来ていた。
コートの衿を立てた。
新聞を開いた。
「津島竜介(遺稿)」という文字を、修平はしばらく見ていた。
竜介。
お前が書いたのか、と修平は思った。
最後まで書いたのか。
修平には、竜介が死んでいく日々の様子が、断片的にしかわからなかった。
病院の廊下から聞こえていたタイプライターの音。
美智子が出てきた瞬間の顔。
それだけだった。
その断片を繋いで、竜介が最後まで「書いた」ということだけは、修平にはわかっていた。
記事を読み始めた。
一行ずつ、読んだ。
竜介の文体は、修平には昔からわかった。
「数字の後ろに、顔がある」と、あの夜に修平は言った。
それは今日も変わらなかった。
活字の向こうに、竜介の顔が見える。
肺の浅いところから声を絞り出していた、あの横浜の病室の顔が。
「大きな言葉に殉じられなかった者も・・生きていく権利がある。」
修平は、その一文で止まった。
読み返した。
「大きな言葉に殉じられなかった者も・・生きていく権利がある。生きていく責任がある。」
風が来た。
新聞の端が、少し揺れた。
修平は新聞を両手でしっかりと持った。
「それが、これからを生きる若者に、俺の言えることだ。」
俺の言えることだ、と竜介は書いた。
修平は顔を上げた。
横浜の空が、青かった。
万博が終わり、三島が死に、竜介も死んだ空。
でも、空は、青かった。
「お前は」と修平は言った。
声に出た。
誰にでもなく、出た。
「自分の名前で・・書いた」
竜介の名前が、紙面に組まれている。
「津島竜介(遺稿)」。
そこに竜介がいる。
竜介の言葉が活字になって、今日の横浜にある。
竜介は死んだが、竜介の名前は、今日の紙面にある。
それが、「自分の名前で書く」ということか。
修平は新聞を見た。
活字が、並んでいる。
「護国義勇隊」という組織の名前も、修平の名前も、この紙面には一行もない。
修平が先生の言葉を背骨にしていたことも、市ヶ谷へ行けなかったことも、竜介の病室で「どっちが先なんだろう」と言ったことも・・どこにもない。
でも、竜介の言葉の中に、修平はいる気がした。
「大きな言葉に殉じられなかった者も・・生きていく権利がある」という一文に。
そこに、修平がいた。
名前は書いていない。
でも、修平はその行の中に、確かにいた。
竜介はそれを、「俺の言えることだ」として書いた。
修平の唇が、少し動いた。
「俺は」と言いかけて、止まった。
もう一度。
「俺は・・これから」
言葉が、出てこなかった。
いや、出てこない、のではなかった。
出てこない代わりに、問いが来た。
「俺は、これから、何の名前で生きる」
その問いが、修平の頭の中に、形になった。
今までは・・先生の名前で生きてきた。
先生の思想の名の下に、自分を置いてきた。
その名前が、十一月二十五日に、なくなった。
なくなった後も、修平は動けなかった。
「行けなかった」という言葉の重さで、動けなかった。
でも今日、竜介の遺稿が、問いを届けた。
「何の名前で生きる」
それは、まだ、答えのない問いだった。
でも、今日初めて、問いとして来た。
諦めでも、絶望でも、自己嫌悪でも、ない。
ただの、問いだった。
「何の名前で生きる」という問いが、二月の横浜の風の中に、あった。
修平はしばらくベンチに座ったまま、空を見ていた。
横浜の空は、今日も青かった。
夕方、美智子は「かぐら」を出た。
神田の石畳を、歩いた。
鞄の中に、今日の新聞がある。
竜介の遺稿が載っている今日の紙面。
明日、神田の出版社へ行く。
鬼塚が一言入れてくれた、その出版社だ。
でも、頼るのは一言だけにする。
あとは自分で話す。
自分の言葉で、自分の仕事として、話す。
足が止まった。
神田川沿いに出た。
水が、二月の光を受けて、細く光っていた。
ここで竜介と初めて食事をした、と思った。
神田川沿いの定食屋で、初めて名前を交換した。
竜介が「己、自分自身という意味の古い言い方だ」と教えた夜。
あの夜から、物語は動き始めた。
川の水が、流れている。
美智子は川を見ながら、胸ポケットに手を入れた。
竜介の手紙が、そこにある。
「タイプライターの活字みたいに・・お前にはお前の重さがある」という一行が入っている。
今日の紙面に、竜介の名前がある。
竜介の言葉が、活字になって、今日の神田にある。
活字の重さを、神田の文具店で最初に感じた日から、ずっと、この物語は動いてきた。
あの日、三島の限定本の前で、見知らぬ記者とぶつかった日から。
「活字の重さ」が、今日、竜介の遺稿として、返ってきた。
美智子は川から目を上げた。
明日、出版社へ行く。
自分の名前で、歩いていく。
二月の神田の空は、今日の終わりに向かって、暗くなり始めていた。
でも、まだ、青さが残っていた。
その青さが、消えるまでの短い時間を、美智子は川の前に立って、見ていた。




