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第24話 六鎖の祖法

大梁国の現帝・景煬(けいよう)帝が、腐敗を統治の道具として許容していた。

その冷酷な真実に直面した青蘭は、激しい目眩と絶望に襲われながらも、翌日には再び御史台の文書庫へと足を運んでいた。


皇帝を裁く。

口にするのは容易いが、それは文字通り、天を相手に刃を向けるに等しい。帝の言葉こそが法であるこの国において、帝を法廷に引き摺り出す手段など、果たして存在するのだろうか。

青蘭は、歴代の法典や古い弾劾の記録を山のように積み上げ、朱筆を握る手を震わせながら、一行一行を血眼になって追い続けていた。胸を縛る晒しの苦しさも、手首の毒痕の微かな熱も、今はどうでもよかった。

ただ、この国の理不尽な構造を打ち破る、たった一つの『楔』を見つけ出さなければならない。


「……青嵐。また徹夜か。あまり無茶をするな」


ふと、背後から声をかけられた。

振り返ると、先輩官吏の梁景明が、そしてその後ろには、御史台の最長老とも言える老官吏・段承礼(だん・しょうれい)が立っていた。

段承礼は、かつて青蘭の父の同僚であり、実直すぎるがゆえに張徳海ら宦官勢力に疎まれ、今では窓際部署に追いやられている人物だ。


「梁大人、段大人……。私は、過去の弾劾記録を調べていました。もし、この国の頂点そのものが法を犯していた場合……それを正す手立ては、本当にないのでしょうか」

「……声が大きいぞ、若いの」


段承礼は、深く刻まれた皺の奥の目で周囲を鋭く警戒すると、書庫の重い扉をしっかりと閉めた。


「皇帝陛下を裁く、か。お前が後宮の女官売買事件の背後に、張徳海以上の『何か』を見たことは察しがつく。だがな、青嵐。皇帝の意思は絶対だ。それを覆そうとする行いは、すべて『謀反』として処理される」

「それでも……! このままでは、民が食い潰されるだけです。法とは、弱き者を守るためのものではないのですか!」


青蘭の悲痛な叫びに、段承礼は重いため息をつき、書庫の奥深くに埃を被っていた一冊の古びた木簡の束を引き抜いた。


「……大梁国の法が、最初から狂っていたわけではない。建国当初、初代皇帝は自らの権力が腐敗することを恐れ、一つの『祖法(そほう)』を定めた」


段承礼が木簡を卓の上に広げると、そこには見慣れない古い書体の文字が刻まれていた。


「『六鎖(ろくさ)の祖法』だ」

「六鎖の、祖法……?」

「そうだ。皇帝の権力を縛り、公開審問にかけるための唯一の合法的な手段。だが、その条件はあまりにも厳しすぎる。建国以来、一度も行使されたことのない、完全に死んだ法だ」


段承礼の乾いた指先が、木簡の文字をなぞっていく。


「帝を法廷に引き摺り出すには、六つの絶対的な条件……『六つの鎖』を同時に揃えなければならない。

一つ、御史台の正式告発状。

二つ、大理寺の司法印。

三つ、皇室の血脈を管理する宗正寺(そうせいじ)の祖法認定。

四つ、武力を統括する禁軍大都督の不介入宣誓。

五つ、皇族三名以上の連署。

六つ、被害地三州以上の確たる物証」


その条件の羅列を聞き、青蘭は絶望的なため息を漏らした。

御史台の告発状と大理寺の印だけでも至難の業だ。その上、宗正寺の認定、軍の不介入、皇族の連署、そして広範囲にわたる物証。これらを張徳海の目を盗んで一気に揃えることなど、不可能に近い。

一つでも欠ければ、帝への告発はただの『謀反』として処理され、関係者は一族郎党ことごとく処刑される。


「この中で最も厄介なのは、第三の『宗正寺の祖法認定』だ」


段承礼が、重々しく告げる。


「宗正寺は、皇族の系譜と祖法を管理する神聖な機関。彼らが『この告発は謀反ではなく、正当な祖法の行使である』と認めなければ、他の五つが揃っていても審問は開かれない。だが、今の宗正寺もまた、宦官の息がかかっている……」


圧倒的な壁の高さに、青蘭の肩が微かに震えた。

法は死んでいる。これほどまでに厳重に鎖がかけられているのなら、それは事実上、皇帝は裁かれないと言っているのと同じだ。


『――ふん。やはり人間の決めた法など、ただの言葉遊びの寄せ集めだな』


不意に、冷たい嘲笑が青蘭の耳を打った。

段承礼たちの目には見えない死角、書庫の暗がりの中に、漆黒の衣を纏う精霊・烏露が座っていた。


『六つの鎖だと? 馬鹿馬鹿しい。そんなものを一つずつ集めている間に、お前の寿命が尽きるか、張徳海に消されるのがオチだ。……どうだ、青蘭。やはり私の毒杯に頼る気になったか?』


烏露の氷のような指先が、青蘭の手首の『毒痕』を、官衣の上からそっと撫でる。

その甘く冷たい誘惑に、青蘭は目を伏せた。

帝を毒殺すれば、すぐに終わる。六つの鎖など必要ない。だが、それは帝が逃げおおせることを意味する。「病死した哀れな皇帝」として歴史に残り、彼が殺した民の記録は永遠に失われる。


「……いいえ」


青蘭は、低く、だがはっきりとした声で呟いた。

その声は段承礼たちに向けたものでもあり、同時に、背後にいる精霊への明確な拒絶でもあった。


「柳青嵐?」

「段大人。その六鎖の祖法……確かに、今は死んだ法かもしれません。ですが、かつてはこの国に、権力を正しく縛ろうとした意志が存在していたという証です」


青蘭は、朱筆を握る手に力を込め、顔を上げた。

その瞳には、絶望の炎を焼き尽くすような、冷徹で強靭な光が宿っていた。


「死んだ法なら、掘り起こします」


青蘭の迷いのない言葉に、段承礼と梁景明は息を呑んだ。


「江南の事件で、我々は『御史台の正式告発状』という第一の鎖の鋳型を作りました。……不可能ではありません。残りの鎖も、必ず見つけ出し、繋ぎ合わせてみせます」

「……正気か。張徳海が黙って見ているはずがないぞ」

「ええ。ですが、私にも勝算はあります」


青蘭の脳裏に、あの病弱な皇弟・景玄王の姿が浮かんだ。彼が後宮女官売買事件の告発状に推挙を与えてくれたことは、第五の鎖『皇族の連署』へのわずかな希望の光だ。

敵は文書で現実を殺す。ならば自分は、文書を集めて法を蘇らせる。


『……狂った女だ。だが、その足掻き、最後まで特等席で見せてもらうぞ』


烏露が、心底楽しそうに喉の奥で笑い、影の中へと溶けていった。

大梁国を縛り付ける、六つの鎖。

一介の男装の官吏による、国家の頂点を法廷へ引き摺り出すための、絶望的で壮大な戦いが、今ここに幕を開けようとしていた。

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