表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
8/27

第八話 奴の名はサンジェルマン

 見渡すが犬は一頭もいない。鉄板の上を確認するが犬の毛も落ちていない。クーラー・ボックスの中をチラリと見るが異変がない。まるで、犬が襲ってきたのが嘘のようだ。


 不機嫌な顔をして少女が何か話し掛けてくる。

 日本語でも英語でもないのはわかる。


 だが、何を言っているかわからない。ならば、やることは一つ。


「ノーノー、ジャパニーズ・オンリー」とたどたどしい英語を瓦は繰り返した。同時に焼きそばを作っていく。犬の痕跡がないのなら、犬なんて最初からいなかった。犬が人になるわけがない。世の中は不思議で満ちている。


 目の前の少女は不機嫌な理由は待たされているからだ。

わからない言葉だが「早くしろ」と命令されている気がする。犬の相手より仕事である。


 少女が背中や腕を掻きながら、何か言っている。まるで、わからない。何も答えないのでは無視しているようでは感じが悪くなる。


「ふうん、ふうん」と何語かわからない相槌を打つ。事前準備が終わっており、鉄板も充分に熱いのですぐに焼きそばができた。作りたての焼きそばにプラスチックのフォークを付けて渡す。


 少女は皿を受け取る。匂いを嗅いで一口食べる。表情を柔らかくして、そのまま二口目、三口目を食べる。どうやら、焼きそば初体験は気に入ってくれたらしい。


 奥から黒服の警備員が五人ほど走ってくる。少女がキッと睨むと警備員は立ち止まった。いかつい警備員が少女を恐れるとは思えない。ならば、少女の服装は質素だが有力客のお嬢さんなんだろうか?


 少女が黒服に何かを強く言っている。黒服は少女の言葉がわかるのか、謎の言語で答えている。二人の会話はわからないが「タイランド」の言葉だけわかった。どうやら、黒服と少女はタイ語で話していると予想できた。


 瓦にはタイ語はさっぱりわからない。少女は焼きそばを早食いすると、警備員と一緒に帰った。その後もちらほらとお客さんが来る。日本人もいるが、外国人も多い。


 外国の金持ちは屋台の焼きそばなんか普段は食べないのか、珍しがっている。

 さっそく焼いて出すと、「美味くはないが、不味くもない」の顔をする。


 素人が屋台で出す焼きそばなんてそんなものだと思う。瓦は気にしない。人の流れを見て焼きそばを出す。焼きそばは冷えてもまあまあ美味い料理だ。だが、食べてもらうのなら温かいほうがよい。


 場内にアナウンスが流れる。選手の名前が呼ばれるが、日本人の名前ではない。試合は大きなもので、外国から選手が来ている。何の競技かはわからないが一対一の対戦形式だ。


 観客席まで行けば確認できるが、さぼっているのが見つかったら正式採用はない。観客のどよめきや喝采が聞こえてくるので盛り上がっている。


 対して焼きそばの屋台はあまり流行らなかった。客はポツリ、ポツリとしか来ない。


「このペースなら、ピークとなる昼過ぎまで食材が切れることはない。クーラー・ボックスの保冷剤も融け切ることはないな。休みは取り易いんだけど」


 寂しくもあるが、安心もできる。

 次々と対戦カードが発表されているので、試合は滞りなく進んでいる。


 一人の見覚えのある紳士が寄ってくる。前に洋館で見た紳士だ。

「一皿もらおうか、ソースは少なめにしてくれ。濃い味付けは苦手だ。麺にはしっかり火を通してくれ」


 なんでここにいるのか、名前はなんなのかが気になるが。今は仕事中だ。

「はいよ」と答えて焼きそばを調理する。


 瓦が焼きそばを作っていると紳士はかつてに話していく。

「私の名はサンジェルマンだ。色々なことに手を出して楽しんでいる」


 金持ち実業家の自慢だ。普段ならうっとうしい。だが、客がいない屋台なので「そうなんですか」と適当に相槌を入れる。


 サンジェルマンは質問してきた。

「君は誰が優勝すると思う? 正直な意見を聞きたい。他人の力量を正しく測れるかも実力の内だ」


 誰が出ているのかわからないが、思い付きで話を合わせる。

「中国かインドの人でしょうか?」


 何の競技かわからないが、中国やインドは人口が多い。人口が多いと競技者の数も多いと予想できる。競技者が多いなら、レベルも高いとの読みだ。


 サンジェルマンは残念だとばかりに首を軽く横に振る。


「見る目がないな。中国とインドには優秀な者がいる。だが、中国の聞は政治的な理由で、インドのカルラは報酬で折り合いがつかず出ていない」


 軽食屋台の担当者にはどうでもいい情報だ。だが、観客にしてみれば有名選手が出ないのならがっかりだろう。「大変ですね」と、どうとでも取れる返事をする。


「そういうえば、選手に欠員が出たそうだ。今ならリザーバーとしてなら出られる。出たいなら推薦するぞ。私は広く顔が効く」


 サンジェルマンは小粋なジョークのつもりだろう。だが、滑っている。

「大きな大会なので無理でしょう。そもそも俺には経験がない」


 あっても出る気はない。試合なんて単発のイベントだ。いつ仕事がなくなるかわからない。堅い就職先を蹴ってまで出場するメリットはない。それに、怪我したら健康保険が使えるか怪しい。


 できたての焼きそばを受け取ったサンジェルマンは瓦を見下した。

「Bクラスなら良い道化になると思ったが残念だ」


 嫌味かもしれないが、瓦の心にはまるで響かない。


 サンジェルマンが焼きそばを一口食べると、軽く驚く。

「これは美味いな。味が実にアジアテイストだ」


「どうも」とだけ返す。サンジェルマンは通ぶっている。調理している本人だが、そんなに美味しいとは思えない。現に他の客の反応は渋い。


「これなら戦うより、焼きそばを調理していたほうが有意義だな。他の料理はわからないが、麺を炒める料理は得意ようだ」


 結局は嫌味かと思うが、客と争って良いことはない。サンジェルマンはするすると焼きそばをすすり完食する。皿とフォークをポイとサンジェルマンはゴミ箱に放る。ゴミはピタリと入った。


 サンジェルマンは瓦に背を向けると、大物ぶっていう。


「気が変わったら遠慮なく申し出てくれ。私は死を恐れない愚か者と、天命を知る者が好きだ。どちらも世界を救うために必要な犠牲だ」


 カッコつけ屋だな、と呆れる。だが、大会の対戦カードに口を出せるなら大物だ。金も権力もある。そういう人間とは争うだけ損だ。


 歩き出したサンジェルマンだが、すぐにピタリと止まる。

「そうそう、もし試合に出るのならタイの選手には気をつけろ。彼を本気にさせると危険だ」


 どこまでもカッコつけ野郎だな、と瓦はサンジェルマンを評価した。


 格闘マンガなら「奴に気をつけろ」発言があるとその選手とは対戦になる。だが、焼きそばを焼いているなら戦いになる展開はない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ