第三十一話 退くも地獄、進むも地獄
わからないものは考えてもわからない。「一で」と答えると、ナムがニヤッと笑って質問する。
「その答えでいいんだな?」
「はい」と答えた。なんか、わからんが進んだ。ナムの表情も悪くないので失敗ではない。ナムはサイコロをポケットにしまうと、代わりにポケットから正二十面体のサイコロを出して振る。
ナムが見せたサイコロを振るとは言っていない。まさしく、マンガの展開だった。これで一以外の目が出て、ナムは勝ち誇ると予想できた。
結果、出た目は一。場がシーンとなった。確率二十分の一なのに一を出すとはある意味凄い事でもある。ナムが露骨にムッとしていた。
これはまずい。ここで「勝った、勝った」と騒ごうものなら、ナムは完全に気分を壊す。接待ゴルフでイーグルを出して接待先の社長とのスコアーを逆転させたに等しい。
そんな事をしたらアホウである。取り繕わなければいけない。
「やり方はわかりました。では、本番をお願いします」
御老公とのやりとりから学んだ知恵だ。ナムは何事もなかったかのようにサイコロを拾う。
「その答えでいいんだな?」
そこからやり直すのかと、思うが。突っ込んではいけない。先のやりとりはなかったものとしたが問題ない。
藪にボールを撃ち込んだ社長が出てこない。遅いと思って覗く。そうしたら、社長がボールを掴んで藪の外に投げ出す瞬間だった。たとえ社長と目が合っても見ていないとしなければいけない。
「はい」と瓦が答えると、ナムは意気込んでサイコロを振る。サイコロがコロコロと回る。出た目はまたしても一。ナムの守護神は笑いの神かもしれない。または瓦には悪霊が憑いているのではないかと、呪った。
当然の如く、ナムの顔は不機嫌になった。成長すれば子供は『世の中は思い通りにいかない』と知る。ナムもそうだが、何も今じゃなくていいだろうと思う。
瓦としては一以外が出るまで振ってもらってもいい。ナムの顔を見るが、再度の振り直しができる雰囲気ではない。むすっとした顔でナムが立つ。
「もういい」とナムは帰ろうとした。瓦はまるで悪くない。だが「俺は悪くない」で、柱谷が納得はしない。サボリ癖がある上に、話の一つも満足に聞いてこれない男と評価されればまた一つ社会人の階段を下りる。
「待ってください。なんか別のゲームをしましょう」
ナムの顔は癇癪を寸前だった。泣かれるよりはいいが、インタビュー失敗がほほ確定だ。
キッとナムは瓦を睨んだ。。
「約束は守る。記事は書いて送る。連絡先を寄越せ」
事態は悪い方向に進んだ。記事を書かねばならないのは瓦だ。ナムが書いた記事は載せられない。されど、ここで断ればナムの機嫌は爆発する。
「許さねえ、お前は妹を傷付けた!」とランワッドに誤解されたら、取り返しが付かない。
あたふたと名刺入れを出す。ナムは乱暴に瓦の名刺入れを奪うと、名刺を抜いて、名刺入れを瓦に放った。
社会人ならどうなんだと思うひどい態度だが、相手は子供である。下手に怒れば、いい年した男が子供に怒鳴っていると周りに誤解されかねない。
ホテルは会社の近くなので社長の知り合いがいるかもしれない。社長の知り合いが事務所に来た時に「そういえばお前のとこの新人――」と話題にされたらマイナスだ。
『子供属性』プラス『立場が上の人の身内属性』があるナムは社会的強者でもある。瓦はより悪い結果を出さないために、引き下がった。
一人残った瓦はオレンジ・ジュースを飲むが、不味い。高級ホテルではないので業務用のオレンジ・ジュースだが、美味しくなかった。帰るしかないが、いま帰ると早過ぎる。努力した感を出すために、時間を潰した。
「こうなると、インタビューしたことにして記事を書いたほうがいいのか?」
今のご時世、ネットに情報は落ちている。情報を継ぎ接ぎして、当たり障りのない記事は作れる。ただ、柱谷を騙せる確率は低い。どうするか、迷った。とりあえず事務所に帰って対策を練ろうと決めた。
事務所に帰った。記事を創作して『提出する』『提出しない』、は別にしてランワッドの情報を集めた。画像も収集して気が付いた。
ランワッドの昔の写真は笑顔が多い。最近の物になると、ほとんど笑っていない。全てしかめっ面だ。試合に勝とうが、大会で優勝しようがランワッドは笑っていない。
成長してプロの世界に入ったら厳しさを知ったのかと予想したが、どうも違う。公式記録ではランワッドは一度も負けていない。苦戦した試合もなかった。
「ホテルで会った時も不機嫌だったが、あれはいつもの事なのか? だが、なぜだ。過去のランワッドに何があった」
ネットで調べても理由はない。不思議に思っていると、柱谷が帰ってきていた。
柱谷もまた不機嫌だった。急な用事で出掛けたが、事態が悪い方向に進んだと予想できた。失敗しました、の報告が余計にしづらくなった。
取材なしで瓦が書いた記事を自分で読み返す。粗悪なコタツ記事の域を出ていない。
見せれば柱谷は激怒。記事ができていないと申告すれば、憤怒。どちらがいいのかと悩んでいると、メールが届いた。
相手はナムだった。ナムのメール・アドレスがわかったので、インタビューに再チャレンジできるかもと期待した。
メール中を開くと、ランワッドに関する記事だった。中を読む。誤字脱字やおかしな言い回しはある。だが、瓦の記事よりよっぽどよく書けている。
『雲泥の差』『月とスッポン』とはこういう時に使うのだと知った。日本語としておかしな点を修正して、柱谷に見せた。
柱谷は記事を黙って読む。柱谷の表情が幾分よくなった。
「いいじゃないか、初めてにしては上出来だ。表現の誤用が一点あるな。そこは俺が直しておく」
柱谷は記事を瓦が書いたと思い込んでいた。正直に申告しようとすると、柱谷の机の上の電話がなった。
柱谷が電話をワン・コールで取る。柱谷の顔が険しくなる。
「余計なことはしないでください。先方とはこれから私が話します」
柱谷は電話を切ると、吐き捨てるように言う。
「著作権侵害のデザインを納品した上に、雲隠れとは舐めてくれたものだ」
まずい流れだ。柱谷を怒らせている件は著作権絡みだ。瓦は口を挟もうとした。
「先に俺の話を……」
柱谷が目を見開いて苛立ち答える。
「後にしてくれ、後だ。こっちが優先だ」
取り付く島がない、とは正に今の状況だ。柱谷が慌ただしく出て行った。非常に嫌な予感がした。ナムの記事を瓦が剽窃したとなれば、今までの中で最悪の評価になる。




