第二十八話 敗北
先ほどまで特徴のないぼんやりとした女性の顔が鮮明になる。黒い髪は赤みを帯びていた。顔は面長、唇は薄く黒に塗られている。見開かれた目は煌々と光っている。印象的な顔だったので、簡単には忘れそうもなかった。なぜ、記憶できなかったのか理解に苦しむ。
女性がポケットに手を突っ込んだまま歩いてくる。ポケットの中にどんな凶器が入っているかわからない。距離を開けたいが、ポケットの中身が銃なら逆に危険だ。
瓦は迷わず拳を握って女性の顔を殴った。女性は避けなかった。瓦の拳を受けると、そのまま女性は後方に倒れる。女性の両手がポケットの中なので、手を付けなかった。のけ反るように倒れて女性は頭を打った。
危険な倒れ方だ。打ち所が悪かったら死ぬ。さすがにマズかったかと瓦は慌てた。倒れた女性は声を出して笑った。言葉がないのが逆に怖い。打ち所が悪くておかしかくなったようには見えない。女性の声は元気そのものだ。
渾身の一撃とはいわないが、瓦は手加減していない。なのにダメージになっていない。ポケットに手を入れて無防備に倒れている相手なので容易に追撃できる。
腹を踏む。頭を蹴る。体重を乗せて胸に飛び乗る。どれもが可能だったが、どれもできなかった。迂闊に攻撃をしてはいけないと、予感がした。
瓦が数歩を後ずさると、女性の笑い声が止まった。体も関節も曲げずに女性は立った。『立った』の表現は不適切かもしれない。まるで見えない悪魔に起こされたかのようだった。
女性がニヤッと笑って自己紹介する。
「アバタールさんよ。私の名はカミラ。姓はどうでもいいが、不便なら田中カミラとでもしておこうか。見せてくれよ、あんたの力を、人間の意地ってやつをさ」
相手は人間離れしている。そう思うと、冷静になった。人間でないなら、殺しても殺人にはならない。仮に瓦が悪くても、器物損壊とか、威力業務妨害とかで逮捕なら、弁護士の努力で不起訴になるかもしれない。
それに一撃入れているのなら、二撃も三撃も同じだ。容赦なく攻撃した。
「狂乱波砲拳」
カミラはポケットに手を入れたまま、足を肩幅に広げた。カミラは瓦の攻撃を避けない。狂乱波砲拳がカミラの腹に直撃した。カミラの体に衝撃が複数回ヒットする。
カミラは少しだけ前屈みになったが倒れない。カミラがゆっくりと上体を上げた。顔に苦痛の色はない。狂乱波砲拳は効果がある。大してダメージにはなってはいない。
「どうしたもう終わりか? 人間ってのは、貧弱かつ脆弱だ」
格ゲーでも同じセリフを言うキャラがいた。キャラ名はカミラだった気がする。カミラに派手な技はない。だが、もし、ゲームのキャラのカミラと同じ仕様なら厄介だった。
ゲームのカミラはダメージを受ければ受けるほど、攻撃力が上がっていく。ある時点を超えると全ての攻撃がガード貫通攻撃になる。
ジッと構えると、カミラからは攻撃してこない。明らかに瓦の攻撃を待っている。
好きなキャラクター名を名乗って、同等の能力を得る。それが田中カミラの能力とは限らない。また、好きなキャラは一体限定とも思えない。もし、古今東西あらゆる格闘ゲームのキャラクターの能力を模倣できるのなら、攻撃手段は天文学的数になる。
「無駄にあれこれ考えるのは止めよう」と瓦は決断した。
天文学的な攻撃法に対応する方法はない。なら、頭を空っぽにして戦おう。
「風の構え・柳葉」
思いついた適当な言葉を口にする。全身から力を抜き、腕をだらりとさげる。一見無防備だが本当に無防備な構えである。格闘技のプロなら、瓦の構えの馬鹿さ加減に呆れる。
「ラッシャー」
何語かわからない言葉をカミラは叫ぶ。カミラがポケットから手を抜いた。カミラとの距離は四mもある。拳で殴っても距離的には届かない、はずだった。
カミラの拳が距離感を無視して瓦の顔に当たった。瓦は派手に跳ばされたが、痛くはない。瓦の体が勝手に空中でクルクルとまわって着地した。自動回避でもオート・ガードでもない。かといって、衝撃を吸収したわけでもない。
よくわからないが、無傷といった謎の現象だ。不可思議な点はまだあった。カミラの鼻から一筋の血が流れた。先に撃った狂乱波砲拳が今になって効いたとは想像できない。かといって、回避時に瓦からは一切攻撃した気はない。また、何が起きたか理解不能だ。
カミラは鼻の下を触って自分の血を見る。
「なるほど、そういうわけか」
全く意味がわからん。瓦としては、カミラに「お前の能力は〜〜」的な解説を期待したいが、そんなに都合よくいかなかった。用心のために瓦は同じ構えを保持した。
カミラからは攻撃をしない。再びポケットに手を入れてカミラは肩幅に足を開く。待ちの構えだ。考えはわかる。攻撃をしてダメージも与えられない。同時に少しだが、謎の傷を負う。ならば、根比べと来た。
瓦としては構わない。下手にカミラに攻撃を加えてガード貫通の能力発動がでたら、風の構え・柳葉も無効になる可能性がある。このままでは勝負はつかないが、負けはしない。瓦は持久戦を受けて立った。だが、勝敗はあっけなく付いた。
誰かが瓦の肩を背後から軽く叩いた。おもわぬ事態に瓦は構えを解いた。しまった、と思ったがもう遅い。
背後に瓦を睨む柱谷の顔があった。
「瓦くん、君はいままでに何個ティッシュを配った?」
戦闘中と思って視線を慌てて戻すとカミラはいない。街の通りも同じ風景に戻っていた。後には大量にティッシュが入った箱と怒った顔の柱谷がいる。
「負けた」と瓦は愕然となった。カミラは時間切れで瓦を倒した。
「ああいう場面って、現実の時間は止まるのが普通ですよね」と柱谷に同意を求めたいが、そんな雰囲気ではない。
下手をしたら「ふざけるな!」とぶん殴られそうな気配すら感じる。風の構え・柳葉は肉体的ダメージを防げるが、社会的ダメージには効果がない。
正直に配れた個数を申告すると、柱谷の怒りが静かなものに変わる。
「また随分と少ないな。君は本当に仕事をしていたのか? 全く業務と関係のないことをしていたのではないか?」
当たっているといえば、当たっている。戦闘は業務ではない。だが、なんと弁解していいかわからない。柱谷がバッと瓦の肩を掴んで引き寄せる。柱谷が瓦の耳元でささやく。
「社長のお気に入りだからって、いい気になるなよ」
瓦は初めて人が怖いと思った。「すいません」と謝るのが精一杯だった。敗北、紛れもないもない敗北だった。瓦の憎しみに火が付いた。
「おのれ、カミラめ、次こそは必ず」と心の中で毒づく。




