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第二十六話 社長

 翌朝、起きて出社する。ドッペルさんが持っていた名刺から会社の場所はわかった。会社は町中の駅前のビルの中にあった。ここしばらく、瓦は駅前に行っていない。


 駅前のビルといっても一通りの店はあれど、通りに活気がない。象徴的なのは駅前にある潰れた百貨店ビルだった。三年前に閉店になって以来、買い手が付かない。


 ドッペルさんの話では世界の人口は半分になった。ただでさえ、活気がない町だったのに人口が半分になったのなら、駅前がどうなったか気になる。


 バスの停留所で時刻表を見るが減便はない。

「いきなり人口が減っても、バスの本数は減便にならないか。影響が出るのは秋か、それとも春なのかな?」


 バスに乗るが混雑は前と変わらない。客層も変わらない。老人だけ、働き盛りだけ、若者だけ、とピンポイントに減ったわけではない。マスクをしている人も二割くらいなので少なくともパンデミックは起きていない。


 バスの窓から外を眺めるが、廃屋が増えてもいない。


 瓦解した家やら燃えた建物もない。大きな災害により人口減少があったのなら、建物が無傷は有り得ない。こうなると世界で人口減少が起きたが、日本は影響がほぼなかったとも予想できる。


 世界の人口は均一に分布していない。アジア・アフリカ地域のような人口が多い地域でごっそり人がいなくなっている可能性もある。


「大陸ごと、海に沈んだとか?」


 スマホで世界地図を調べるが、大きな変化はない。こうなってくるとドッペルさんの言葉が疑わしくなる。だが、そんなすぐにわかる嘘で瓦を騙すメリットがドッペルさんにあるとも思えない。「謎、だな」が素直な感想だ。


 ビルに入ってエレベーターを降りると目の前に『博愛イベント』と書かれた自動ドアが見えた。ドアのガラスは薄い茶色なので中が見える。中では一人のおじさんが就業前の清掃をしていた。


 小柄なおじさんで頭は禿げている。恰好は下が茶のスラックスで上が茶のサマーセーター。靴も茶の革靴と統一してある。恰好から清掃員には見えない。会社の先輩が先に出社して掃除をしている。


 自動ドアの前に立っても扉は開かない。横を見るとカードリーダーがあった。社員証をスッと通すと自動ドアが開いた。中にはいるとおじさんが挨拶してくる。


「瓦君、今日は早いね。今日も一日がんばろう」

「おはようございます。頑張ります」と微笑んで返すが、相手が誰だかわからない。だからといって「誰でしたっけ?」とは聞きづらい。


 愛想よくして、三m先にある事務室に入った。事務机は五つあった。どれが自分の机かは知らないが目星はついた。ある机の上にあるスマートフォン充電器が自分のものと同じだった。机の引出しを開けると私物がある。


 事務室内にはロッカーがあったがこれはネームが張ってあるので一目瞭然。ロッカーにリュックをしまい。ジャケットを脱いだ。


 机の上を見ればまだ誰も出勤していない。だが、前室にはおじさんがいた。事務室には社長室とネームが掲げてある扉があった。社長室の中に勝手に入るわけにはいかない。


 ドアノブを回すと鍵が掛かっていないので開いている。とすると、前室で掃除をしているおじさんは社長だ。博愛イベントは、社長が一番に出社して掃除をする会社だ。


「社長が掃除しているのに、俺が何もしないのもおかしいか」


 机の上にあるウエットテイッシュと小さなビニール袋を持って前室に戻った。

「俺も拭き掃除をしますよ」と申し出ると、おじさんはニコリと微笑む。


「ありがとう」

 社員に対して腰が低く、礼をきちんと言える。経営手腕はわからないが、人当たりの良さで仕事を取ってこれる社長だ。だが、油断はできない。前のNPOの理事長も愛想は良かったが逮捕された。


 拭き掃除をしていると社長が聞いてきた。

「会社は慣れたかね。イベント会社といっても、やっている仕事は地味だから、思っていた内容と違うだろう」


 当たり障りのない会話に付きあう。

「まだわからないことだらけですけど、短い期間ではわかりません。努力はしていきます」


 内容があってないような答えをすると、社長は笑って指摘した。

「嘘はいかんよ。瓦君は今日初めて出社しただろう」


 社長は事実を見事に言い当てた。ドッペルさんが実は何もしていなかったとは思えない。何もしていないなら御老公は怒らない。「なぜわかったんです」と白状してもよかった。社長の勘違いだったのを誤解して自白したら、ちょいと悔しい。


「キャシーさんとは一緒に仕事をしていますよ」

「出社していない」とは答えなかった。事実を伏せて答える。


 社長は掃き掃除をしながらさらに問いかける。

「キャシーくんと仕事をしていたのは君とは別人だ。あと君は嘘を吐くと顔に出るタイプだよ」


 社長は知っていた。ドッペルさんが正直に告白したかどうかは、瓦にはわからない。ドッペルさんが記憶まで真似ているのならドッペルさんは瓦の性格を知っている。


 瓦が仮にドッペルさんだったら、申告はしない。人から嘘が顔に出ると指摘されたが、社長は掃除を一緒に始めてからは瓦の顔を見ていない。瓦とドッペルさんとの違いに気が付いた社長は、探りを入れている。


 観察眼が鋭い程度では説明が付かない。身代わりがばれたのなら解雇はある。解雇はしかたないがこうなると、社長はどこで違和感を持ったかだけは知りたい。


「仮に私が別人だったのなら、昨日までの私は誰なんですかねえ」


 冗談めかして瓦が話した。瓦は社長に背を向けているので社長の顔は見えない。

社長の声はいかにも優しい。


「誰かは知らないよ。だが、君ではない誰かなのは事実だよ。一度だけチャンスをあげよう。自白するのなら今だよ」


 社長は瓦が入れ替わっていた根拠を示さなかった。チャンスは嘘かも知れない。また罪を不問にするとは言っていない。実は社長は怖い人で騙そうとした態度は許さないかもしれない。


 瓦は白を切っても良かったが、社長の観察眼に敬意を払って告白した。殺人事件を暴いた名探偵に対する殺人犯なりの礼儀に近い。


「社長が見抜いた通り、私は今日、初めて出社しました。白状したので教えてください。どこで怪しいと思いました」


「九十八%同じにできても一%以上も違えば人間は大違いなんだよ。人とチンパンジーのDNAみたいなもんだよ。違うと思ってみれば、けっこう違う」


 結局社長はなぜ見抜いたか教えてくれなかった。ケチだなと思うが、手品みたいなものなら種は教えない。瓦の心情が殺人犯の礼儀なら。社長の態度はマジシャンの礼儀だ。


 社長は前室の掃除を終えたので事務所の中に戻ろうとする。社長は足を止めて一度振り返った。社長は笑っていたが、気持ちのいい笑みではない。偽善者の言葉が当てはまる顔だった。


「きちんと白状したので今回は許そう。だが、私に嘘は無駄だよ。あと他の社員には別人が来ていた事実は話さなくていい。君は物覚えが悪い振りをして働きなさい」


 言いたいことを言い終わったのか、社長はそのまま事務室の中に入った。謎の人だが、引き続き勤務していいとのお墨付きをもらった。


「仕事にも人間関係にもミステリーさは求めないんだけどなあ」

 変わった職場だが、給与がもらえるなら良いと瓦は納得した。

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