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第二話 挨拶

『人類抹殺救済機構』なるものは全く知らない。ニュースでも聞かない。アパートの扉の投函口に入っていたら読まずに捨てた。だが、居間のテーブルの上にあるのなら気になる。


一人暮らしなのでテーブルの上に封筒があるのなら、可能性は二つ。


 記憶にないが瓦がテーブルに置いた。ないしは、誰かが忍び込んだかだ。一LDKのボロいアパートだが、扉には鍵がある。安い鍵なので知識と道具があれば開けるのに十秒はかからない。


「物盗りならわかるが、物を置いていくのならわからない。でもそうだから、そうなんだろう。金を置けとは望まないが、どうせならもっと役に立つ物が良かった」


 封筒を開けるとA4の紙が二枚入っていた。一枚目を読む。


『世界は滅びの危機に瀕している。人類が生き残るために力を与えられた人間が二千四十八人おり、瓦はその一人である』と書いてあった。


二枚目にはアダルト動画サイトの広告が入っていた。金額は月額制で値段はラーメン大盛二杯分くらいだ。なんとも不思議な封筒だった。


「経費削減で広告を同梱するにしてもこれは無節操だな」


 悪戯なら部屋に隠しカメラが仕掛けられている。監視付きの部屋はさすがに気味が悪い。かといって、本格的な業者に盗聴器や隠しカメラを探してもらうのも金がもったいない。


 瓦は自分でできる範囲で監視カメラを探した。カメラも盗聴器も発見できなかった。だが、買った覚えのない小さな丸い鏡を見つけた。中を見ると、瓦の顔が写る。


 赤みを帯びた長めの黒髪。ほっそりした顔と首。陰気な印象を与える目と細い眉が写る。顔を動かすと鏡の中の像も動くので、普通の丸い鏡だ。


 鏡は買った覚えがない。雑貨なので記憶がなくても、買ったのだろう。鏡は適当にしまった。


 封筒を貰った日から幾日が経過したが、瓦の周りでは何も起きない。瓦の住んでいる緑町が小さな町なので普段からして事件がない。


 テレビや動画では超能力や預言者が各地に現れたとニュースにはなっている。超能力ブームは周期的に起きる。ブームの再来かもしれない。瓦はぼんやりと画面越しに世間を眺めている。


「謎のメッセージをもらっても、何かしろ、の命令はないからな。日本政府とかが接触してきたら考えよう。ないとは思う、なくても困らん」


 不思議な力は蝿との遭遇以来は使っていない。というより、殺虫剤みたいな能力なので使い道がない。去年の夏には街ではカメムシが大量発生したので、去年ならありがたかった。


 ピンポーンとインターホンが鳴る。こういう時に黒服の女性が着たら冒険の始まりだ。可愛い女の子なら、それもまた世界が動く。


 ドアに付いている確認用のレンズから外を覗いた。


 外には小太りで色黒のおばちゃんが立っていた。おばちゃんは小さな箱を持っている。

「隣に引っ越してきた鈴木です。引っ越しのご挨拶にきました」


 冒険は始まらず、ラブコメも起きそうにない。熟女なので「本当にあった○○」シリーズ、なら女性向け週刊誌のマンガのコーナーにお任せしたい。


 今のご時世、きちんと引っ越しの挨拶をしに来るのなら常識人だ。そういう人間を軽んじてはいけないと、教育は受けている。ドアを開けると、鈴木は笑顔で挨拶をしてきた。


「音やゴミ出しで迷惑をかけることもあるかもしれません。その時は遠慮なく言ってください」


 型通りの挨拶をして小さな箱を鈴木はくれた。子供がいると申告がなかったので、音で悩ませる心配はない。ちゃんと挨拶をしてくる人間なので、ゴミを収集日以外に出すこともなかろう。


 箱は軽いのでちょっと高いクッキーと思った。


 瓦が挨拶を返すと鈴木が質問してきた。

「ここら辺って治安はどうなんでしょう。家賃が安かったのでちょっと気になっていました」


 おばちゃんといえど女性だ。治安は気になる。一人暮らしであれば不安かもしれない。


「公園でブランコに乗って項垂れるサラリーマンがいます。夜中に街灯の下で佇むお婆さんがいます。夏の夜に韓国語で歌うおじいさんもいます。それぐらいですかね」


 迷惑な隣人というより、変わった人が多いのが瓦の住むご町内だ。

 鈴木が不安な顔をするので、瓦は教えた。


「人間関係が希薄な町内ですが、犯罪は聞かないです。パトカーのサイレンもあまり聞きません。ちょっとした不良はいますが、向こうから何かしてくることはありません」


「そうなんですね」と相槌を入れるが鈴木の不安は消えていない。


 瓦の住んでいるアパートは二階建てで五室ある。残りの三人について知っている情報を教えた。

「下の階の三人は何をやっているかはわかりませんが、普通の人ですよ。入居者同士でトラブルになった記憶はありません。家賃が安いのは立地ですね」


 瓦の住んでいる場所は住宅街である。町中からは離れている。コンビニは近くにない。十五分歩けば小さなスーパーはあるが、午後七時で閉店する。車があれば大型店にいけるが、アパートには駐車場はない。


 瓦の丁寧な説明で鈴木は納得した。別れ際に鈴木はペコリと頭を下げる。

「それではよろしくお願いします。鬼瓦さん」


 名前を間違えられたが、初めてではない。瓦鬼の名前は珍しい。そそっかしい人はよく鬼瓦と間違える。鈴木はもう背を向けていたので訂正はしない。室内に戻る。


「感じのよい人だな。どこにお勤めですか? とか、余計な事を聞かないのがいい」


 瓦は高校を出てからほぼ働いていない。最初は貧困対策を掲げるNPO法人に就職した。だが六カ月強で理事長は逮捕された。当然NPO法人からの給与が止まった。


 幸い、理事長は雇用保険を払っており、会社都合扱いだったので失業給付金が出た。


「貧困対策をする組織で貧困層に落ちるのもまた今の日本だよな。洒落にならない異常事態が起きるが、なんとかやっていくしかない」


 箱の包装紙を開ける。中はトリノ屋のクッキーだった。トリノ屋は町に昔からある洋菓子店だ。生菓子の味はコンビニで売っている量産品と変わらないが、焼き菓子は美味い。


 思わず頬が緩むのが自分でもわかった。冷蔵庫に紅茶があるのを思い出して顔を上げると、そこは自分の部屋ではなかった。絨毯、テーブル、座椅子はあるが外だった。


 目の前には大きな洋館が建っている。見回すが、洋館以外には何もない。手元のクッキーを食べたいが、飲み物がないと美味しさが半減だ。


 瓦は飲み物を調達するために、洋館の入口に向かった。入口の扉には『売り物件』の紙が貼ってある。人がいないと飲み物を分けてもらえない。


上を見上げると、二階の窓のカーテンが閉まるのが見えた。

「入居中の物件を売りに出したのか。なら、人がいる。茶を恵んでもらえるかな」


 いきなりクッキー片手に靴を履かない男が茶を求めても、貰える可能性は低い。だが、気が付いたら洋館の前にいる状況はもっとない。であれば、お茶をくれるかもしれないと希望を持った。


 細かいことはいい。今はクッキーが食べたい。


 瓦は洋館のドアの横にあるインターホンを押した。

「館に入る者よ。全ての希望を捨てよ」と威圧的な男の声がした。


「紅茶もない、感じですかね」

 紅茶がないなら洋館に入る意味はない。


 インターホンからすぐに応答があった。

「紅茶はある。紅茶ぐらいなら出す。茶葉の質はいいぞ」


「なんだ、先の言葉は嘘か。希望は叶うのか。ならば問題なし」

 瓦はドアに手を掛けた。

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