第一話 B級能力者
青年の目の前に大きな蝿がいる。青年の姓は瓦。名は鬼。本名をカワラギという。蝿には名はないが、夏に飛んでいるような蝿ではない。
外見は同じなのだが体重が一tはある。そこまで大きいのなら飛べない気もするが、飛んでいる。
瓦と蝿の距離は約十m。蝿が襲ってきたら逃げようがない。ホラー映画のような展開だが、夢ではない。夢だとしたらいつ寝たのかがわからない。
土が剝き出しの空間では隠れられる場所もない。助けてくれそうな人も周りにはいない。本来ならここで喰われて終わりである。それでも、瓦は慌てない。
巨大昆虫に襲われる状況に慣れているわけではない。ただ、瓦は普通の人と感じ方が違う。かといって、死にたくはない。巨大生物に遭遇したセオリーを瓦は試した。蝿から目を離さずにじりじりと後退する。
蝿は瓦の動きに合わせて前に出る。数m、後退して瓦は止まる。蝿もピタリと止まった。また、瓦が歩き出すと蝿も前進する。
蝿は瓦を逃がす気はない。辺りに武器になるものは落ちていない。もし、刀が落ちていたとしても勝負にならない。瓦は剣の達人でもなければ傭兵でもない。
蝿から出る空気が変わった。蝿は瓦を獲物と判断した。蝿が口を膨らませた。
浴びると死ぬ液体を吐くと予想できた。
「死んだな」と瓦は確信した。仮に一撃目、二撃目と避けられたとする。だが、逃げ切れるわけではない。また、仮に蝿の全て攻撃を躱せたとする。でも、蝿を倒す術がない。どのみち終わりだ。
蝿が液体を吐いた。液体が真っすぐ瓦に飛んできた。だが、液体の飛ぶ方向が途中で変わった。液体は不自然にも直角に横に曲がって逸れた。蝿が次々と液体を噴くが当たらない。
「何かが起きている。よくはわからん。何かでしかない、何かだ」
蝿の攻撃が当たらない理由はわからない。だが、何だかやれる気がしてきた。蝿の吐く液体を曲げているのは自分だと自覚した。蝿の吐く液体を瓦の意思で曲げようとしたが無理だった。
敵の攻撃を曲げられるが、意図した方向には曲げられない。
「自動防御のような感じだな。アクションゲームが下手な人間ならありがたい。ゲームだったら、ならな」
蝿が液体を吐くの止めた。体内の液体が涸れたのか、諦めたのかわからない。
蝿が突進してきた。瓦が避けると、瓦がいた位置を蝿が通り過ぎた。
「わけのわからない自動防御にも限界があるんだな。おそらく、質量が大きなものにはほとんど影響しない。なんでも防御できるなら性能的に壊れているから仕方なし」
蝿は通り過ぎた後に向きを変える。蝿の目が鈍く光った。
蝿の表情はわからないが、体当たりなら攻撃可能と判断している。
「せい!」と気合を入れて瓦は掌を蝿に向ける。蝿が一瞬だけビクっとなるが、何も起きない。
「こういう時ってなんかそれらしい攻撃が出ると思ったが違うのか。ここまで来たらそれくらいのサービスがあってほしかった」
蝿が再び突進してきた。前よりも速い。どうにか瓦は避けるが、蝿はすぐに反転して襲ってくる。蝿に追い回される展開になった。普段運動していないせいか、瓦の息が上がってくる。
対して蝿に疲れは見えない。このままでは、蝿に捕まる。液体を曲げる謎の力がある。とはいえ、直に体を押さえられた終わりだ。蝿が瓦に口を付ければ外れようがない。
息が上がってくると、なぜか体の底から笑いが湧き上がる。笑ってられる場合ではない。だが、笑ってはいけないと思うほど、おかしさが込み上げる。
ついに我慢できなくなった。瓦は笑った。突如として笑い出した瓦に蝿は驚いていた。蝿の動きが止まった。瓦からすればいま攻撃されたら終わりなのだが、蝿は警戒していた。
掌が自然と蝿に向いた。今度は何か見えない塊が飛んだ。見えないはずだが、警戒中の蝿は察知して回避する。
どんな効果かわからないが攻撃手段を得た。瓦は見えない何かを蝿に向けて撃つ。わかったことが一つあった。見えない攻撃は遅い。小学生が投げるドッジボールの球くらいの速さだ。
蝿は充分に距離を空け躱し続ける。先ほどは攻守が逆になったが状況は良くない。見えない攻撃はずっと続けられるとは思えない。瓦の攻撃手段がなくなれば、蝿の勝利である。
笑いが止まったので、息を落ち着ける。蝿は演技かもしれないと考えているのか襲ってこない。昆虫にしては随分と慎重な判断だ。睨み合いの状態になった。
瓦の見えない攻撃の効果も威力もわからない。当たれば効果があるかもしれない。こうなると蝿に直接触れて打ち込むしかない。だが、蝿は大きい。下手をすれば衝突の衝撃で瓦の腕は折れる。
瓦の足の速度では逃げる蝿に触れられない。蝿から近づいて攻撃してくれないと勝てない。蝿もまた距離を取っての攻撃手段がないので近づくしかない。
無理だと思って蝿が退散してくれればいいが、蝿は諦めなかった。蝿は羽ばたくと空中をグルグル旋回した。直線軌道ではなく不規則軌道で瓦を攪乱してきた。蝿は巨大なので見失わない。だが、空を飛ぶ蝿の速度が上がってきた。
不味い状況だがタイミングを合わせるしかない。蝿が高速で瓦に突っ込む。避けたと思ったが避けきれなかった。掠っただけだが、威力が大きく瓦は転倒した。
蝿が上空から圧し掛かってきた。潰されるかもしれないが瓦は賭けに出た。見えない攻撃を放つ。結果を確認する前に転がって蝿を避けた。
立ち上がると蝿は生きていた。攻撃の効果はわからないが、蝿を即死させる力はない。また、蝿が怪我をしている様子もない。
「俺の人生は終わったかな。大して面白くない人生だが、終えるには惜しい人生でもあった。いや、トータルならプラスだった気もする」
蝿は地上で走るのは苦手なのか再び空を飛んだ。だが、前よりフラフラしているように感じた。もしかしてと、思い瓦は見えない攻撃を放つ。蝿に当たった。すると、蝿は空中でバランスを崩す。
見えない攻撃に蝿を殺す力はない。だが、当たると酩酊に似た状態になる。蝿は空中を飛び回る。瓦の攻撃は当たるのだが、命中率は一割ていどだった。そのうち、瓦の気分も悪くなってきた。
能力の限界が近づいてきている。どうにかせねばと思うと、閃いた。手を軽く握り口に当てる。息を噴き出すタイミングで力を放つ。見えない攻撃は圧縮され吹矢のように飛んだ。
速度は三倍くらいになり方向も安定する。吹矢を的に当てるのは難しい。だが、今回は的が大きい。見えない攻撃が次々とヒットする。
蝿が大きくバランスを崩して地面に落ちた。手足がバタバタと動いている。殺虫剤のように瓦の攻撃は蝿を苦しめている。
ダメ押しでもう三回攻撃を入れると動かなくなった。死んでいるのか、寝ているのかわからない。とりあえず、危機を乗り切った。
どこから無機質な声がする。
「判定B タイプは狂気と判定」
見回すが誰もいない。フッと辺りが暗くなる。視界が戻って来た時には自分のアパートの一室にいた。窓からは陽の光が飛び込んでいる。見慣れたいつもの部屋だ。リビングのテーブルに目をやる。置いた覚えのない黒い封筒が乗っていた。封筒の表面には『人類抹殺救済機構』の文字があった。




