第十九話 御老公
朝になってテレビを付ける。スタジアムで焼きそばを焼いていた日から七日が経過していた。充電が終わったスマホを見るがやはり、七日間が過ぎている。
「採用がなくなったな。二日間だけだったが割とまともな職場だったから惜しい」
三日目の最終日をサボって、連絡が六日もなければ会社は愛想を尽かす。連絡しても怒られるだけだが、社会人としては連絡をしなければならない。
「怒られるだけかもしれないが、会社に来いと命じられるかもな。でも、街は狭いから柱谷とどこかで遭うと気まずい」
気が重いが、瓦が不始末をしでかしたのは事実だ。詫びは入れなければならない。営業時間の午前九時になると、ドアをノックする音がする。
ドアの覗き窓から外を窺うと、キャシーが立っていた。連絡が付かないから様子を見にきたか。WEBで会社への面接に申し込んだ時に住所記載欄はあった。会社のデーターベースを見てキャシーはやってきた。
面と向かって謝るのならきちんとした服装をしたかった。だがここで、居留守を使うのも失礼だ。覚悟を決めてドアを開けると、キャシーは驚いた。
「なんですかその恰好は? スーツを持っていないんですか?」
スーツは持っているが、部屋の中ではスーツは着ない。
瓦が不思議に思っていると、キャシーが急かす。
「今日の職場はスーツで訪問すると釘を刺しましたよ。準備がまだなら早くしてください」
言い方が変だ。まるで、事前に約束があったかのような言い回しだ。
「会社を無断欠勤したので解雇ではないんですか?」
「何を言っているんですか? ずっと働いているでしょう。昨日も一緒に風船を配りましたよ」
まるで意味がわからない。瓦がいない時にそっくりさんが働いていたようだ。瓦はピンと閃いた。
『ようだ』ではない『働いていた』が正しい。瓦がいない間にサンジェルマンが気を利かせてドッペルゲンガーを代わりに派遣した。姿も記憶もコピーできるのなら入れ替わっていてもキャシーは気が付かない。
サンジェルマンによる見事なフォローだ。だが、正直に別人だったと申告すべきか? 報告しても信じてもらえないかもしれない。信じてもらえたらで、「では、態度がよいドッペルさんを雇います」となっても困る。
瓦が思案していると、キャシーが怒る。
「何をボーッとしているんですか? 遅刻ですよ」
後で考えよう、と瓦は割り切った。急いでスーツに着替え外に出た。
空は相変わらず赤い。太陽は霞んで見える。瓦がいない七日間の内に世界が変わった。
キャシーは何も気にしていない。生活する上では大きな変化はない。気になるなら後で調べればいい。どうせ、世界崩壊の危機でもなければ問題ない。
今はどう取り繕うかが問題だ。外にはタクシーが待たせてあった。キャシーが先に乗り後から瓦が乗り込む。二人が乗ると運転手が黙って車を走らせた。
迎えにきたのに瓦の準備ができていなかったせいかキャシーは不機嫌だ。話し掛けづらいが、瓦がいなかった七日間の行動が気になる。
ドッペルゲンガーがおかしな行動をしていたり、ミスをしていたりしたら、瓦のせいになる。
「お聞きしたいのですが、俺はこの七日間でなにかミスをしましたか」
キャシーがムッとして答える。
「小さなミスはいっぱいありましたが、今日のが最大の失敗です。きっとクライアントからお咎めがあります。覚悟してください」
遅刻してはいけない仕事がある。得意先ならば今日で解雇がある。大事な仕事があるならドッペルゲンガーは瓦に教えるべきだ。報連相はきちんとしてほしい。とはいっても、現状で弁解は吉と出るか凶と出るかわからない。
「ミスは必ず挽回します」と答えると、怖い顔をしたキャシーに「本当ですね?」と念を押された。雰囲気からして今回の訪問先への遅刻が致命的と思えた。
タクシーの向かった先には壁に囲まれた門があった。門は灰色に光る金属製であり、頑丈だ。タクシーくらいなら勢いを付けて突っ込んでも壊れそうにない。
同じ街に住む瓦には不思議だった。同じ街にあるのにこんな場所があるとは全く知らなかった。門から左右に伸びる壁は終わりが見えない。敷地はかなり広い。どこの金持ちがいつから住んでいるのか謎だった。
瓦が驚いていると、キャシーがインター・フォン越しに来訪を告げる。
「LLCのキャシー・ドゥです。御老公のお呼びにより参上しました」
おや? と瓦は不思議に思った。柱谷は会社を『博愛イベント』と呼んでいた。だが、キャシーは「LLC」と告げた。社名が変わったのだろうか?
門がゆっくりと開いていく。気になったので瓦は尋ねた。
「ウチの会社は博愛イベントですよね」
「瓦さんが働いてる会社は博愛イベントで間違いないですよ。LLCは親会社です」
柱谷がキャシーと揉めたくない理由が判明した。キャシーの所属が親会社だから、柱谷は強くでられなかった。子会社管理職の悲哀だ。となると、社長もLLCが送り込んだ取締役と考えられる。
外資系の会社なので規模はわからないが、大会社の子会社なら小さいように見えて潰れ難い。金払いがよく、経営が安定しているのなら簡単に手放すのはおしい。
キャシーが厳しい顔で命じる。。
「私たちは遅刻しました。それでも会っていただけるのですから、失礼のないようにしてください」
「了解しました」と殊勝な態度で返事をした。門の向こうには小さな黄色い車があった。車の後部座席のドアが自動で開く。乗り込むが運転手はいない。
バタンと扉が自動で閉じて車がゆっくり動き出す。車で移動するのだから、やはり敷地は広い。
瓦が感心していると、キャシーのほうから説明がある。
「今回の顧客は御老公と呼ばれています。お金持ちであり権力者です。怒らせないように注意してください。あまりにお馬鹿な真似をするとフォローできません」
「総理」「総帥」「頭取」「大先生」「宗匠」「教祖」は時々聞く。『御老公』なんて時代劇くらいでしか聞かない言葉だ。『御老公』と呼ばれているのなら日本に二人といない人物の気がする。果たしてどんな人物なのかが気になった。




