119.黒鹿毛は愛されているようだ
体の大きな制服姿の貴族男性は、父上と同年代のようだ。腕を伸ばしても触れない距離、だが踏み込んだら一瞬で縮められる。武術に長けた男らしい。一歩踏み出した身のこなしも隙がなく、私はベスを後ろへ庇った。
何かあれば、盾になるのは私だ。ベスは総領家の跡取りなのだから、絶対に傷つけさせない。決意を滲ませる私の眼差しに、何かを感じ取った男性が両手を上げた。害を加える気はないと示されても、すぐ信じる理由はない。
「何か御用ですか?」
相手が貴族とわかっていれば、無理に騒ぎを大きくしない。相手の爵位が不明なうえ、国の重職に就いていれば厄介だった。こちらは他国で勝手がわからないのだから。
「すまない、警戒させたようだ。リエラ侯爵家の名に懸けて、君たちに危害を加えないと誓う」
聞こえた名に目を細める。リエラ侯爵家は、キロス王国の重鎮だった。年齢からして当主か? 無言で先を促す私の無礼を咎めず、彼は優雅に一礼した。武人らしい所作だが、わざとゆっくり動いている。これ以上警戒させないためらしい。
誠意は感じたので、少しだけ肩の力を抜く。目敏く見て取り、ほっとした顔になる男は周囲を見回した。
「この先にカフェがある。個室を押さえるので、そこで話をさせてほしい」
「何の話でしょうか?」
先ほどより丁寧に尋ね直せば、ようやく用件を口にしていないことに思い立った様子で瞬きした。自分では話したつもりだったのかもしれない。
「すまない、馬の件……でわかるだろうか」
どうやら商隊主はすぐに仕事をしたようだ。こちらの情報と馬の話を侯爵家に持ち掛けた。あの抜け目ない商隊主が、自分抜きで話を進めるはずがない。ということは、リエラ侯爵である騎士団長の暴走らしい。
「お兄様、私は大丈夫だと思います」
後ろに匿われたベスが、袖を引いて首を傾げる。愛らしい仕草が本当に似合う。男であるシルベストレを否定するわけじゃないが、妹ベスとして生まれていたら。きっと父上や母上も猫可愛がりしただろうな。いや、あの両親では無理か。
厳しい一族の教育を思い出し、女だからと手加減されなかった自分の体験を思い浮かべる。現実逃避を切り上げ、私も同意した。
「そうだな、ベスが構わないなら……お茶でもご馳走になろう」
さりげなく支払いを押し付けながら、頷いた男の後ろを歩き出す。騎士団長の肩書きを持つ彼の体躯は見事で、こうして後ろを歩けば実力が推測できた。気配を殺して飛び掛かっても、ぎりぎり剣先が掠める程度だろう。
しなやかな獣のような……ああ、ルカに似ている。どこかで見たような動きだと思ったら、あの子だった。白い毛皮を持つ獣の姿と重ね、口元を緩めた。
あの黒鹿毛、よほど愛されているようだ。馬を大切にする奴とは、仲良くなれる気がした。




