第56話 健司の訪問
朝食の準備をしていると、健司が来た。
今日は特別な日だと分かっているのだろう。表情が、いつもより緊張している。
白いシャツの清潔さ、真っ直ぐな姿勢、眼鏡の奥の優しい瞳。すべてを見つめる。
『おはよう』
健司の手話。その手の動きも、しっかりと目に焼き付ける。
医師らしい、骨ばった手。でも、その動きは優しくて丁寧。
『今日は...視覚を?』
チヨは頷いた。
健司の顔が曇る。眉間に皺が寄り、唇を噛む。その一つ一つの表情の変化を見逃さない。
『チヨ、最後に見たいものは?』
その質問に、チヨは少し考えた。そして、正直に答える。
『あなたとルカの顔』
健司の頬が、少し赤くなった。照れているのか、感動しているのか。
その時、ルカが階段を降りてきた。
『おはよう!』
パジャマ姿のルカ。寝癖のついた髪、まだ眠そうな目、でも笑顔。
その全てが、愛おしくて眩しい。
■三人での朝食
三人で朝食を囲む。
チヨは食べられないが、二人の食事風景を見守る。
ルカの食べ方。相変わらず早食いで、頬を膨らませながら食べる。子供っぽい仕草が残っていて微笑ましい。
健司の食べ方。几帳面に、一つずつ順番に食べていく。医師らしい規則正しさ。
二人の表情、仕草、すべてを記憶に刻む。
『美味しい?』
チヨが手話で尋ねると、二人は大きく頷いた。
その笑顔を、永遠に覚えていよう。
■写真撮影
朝食後、チヨは魂写機を手に取った。
もう触覚はないが、長年の慣れで扱うことはできる。
『最後に、写真を撮らせて』
ルカと健司は、すぐに理解した。
まず、ルカの写真。
窓辺に立つルカ。朝日を背景に、金色の瞳が輝いている。少女から女性へと変わりつつある、美しい瞬間。
次に、健司の写真。
真っ直ぐカメラを見つめる健司。医師としての誠実さと、一人の男性としての優しさが、その表情に現れている。
そして、二人一緒の写真。
セルフタイマーを使って、三人で。
でも、チヨの姿は薄れているだろう。それでもいい。二人の幸せそうな顔が写っていれば。
■村の風景
外に出て、村の風景を見て回る。
朝霧に包まれた村。モノクロームの世界でも、その幻想的な美しさは変わらない。
古い石畳の道。苔むした石の一つ一つに、歴史が刻まれている。
瓦屋根の家々。朝日を受けて、鈍く光っている。
霧乃川。水面に映る空と雲。流れる水の動きを、じっと見つめる。
すべてが、生まれ育った村の風景。
市場にも立ち寄る。
朝の活気。野菜を並べる人、魚を売る人、花を飾る人。皆の顔を、一人一人見つめる。
もう自分の存在に気づく人はいない。でも、この人たちを守るために、自分は犠牲になる。それでいい。
神社にも行く。
鳥居、狛犬、拝殿。子供の頃から見慣れた風景。
手水舎の水に映る自分の顔を見る。
薄れていく顔。もうほとんど透明に近い。でも、金色の瞳だけは、まだ輝いている。
これが、最後の自分の姿。




