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【完結】婚約破棄された侯爵令嬢は、公爵令息との名もなき関係を終わらせるため、嘘の婚約を告げました  作者: 木風


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第三話 俺を選べばいい

その夜のレストランは、王都で最も格式のある店の一つ。

セオドアが予約したのだろう。

案内された個室の窓からは、沈みかけの夕陽に照らされる街が見えた。


白いクロス。

磨き上げられた銀器。

揺れる蝋燭の灯り。

花瓶には、淡い薔薇が飾られていた。


まるで特別な日のような設えに、なぜこんな店を、としか思えなかった。


料理は美味しかった。

ワインも良かった。

会話はいつもより少し弾んだ。


セオドアが珍しく昔話をした。

幼い頃、父に厳しく育てられた話。

初めて社交界に出た夜、緊張で手が震えた話。

あまりに顔に出さなかったせいで、誰にも気づかれなかった話。


「あなたが緊張なさるの?信じられませんわ」

「人間だ。緊張もする」

「でも、顔には出ませんでしょう」

「出したら負けだと思っていた。今は、そうでもないが」

「今では夜会でいつも令嬢に囲まれていますものね」

「ふっ。あれも精一杯の強がりだ」

「強がり?」

「断るのが下手なだけだ」


不思議なことを言う人。

今日のセオドアは、どこか違った。

多弁というほどではない。

けれどいつもより言葉が多く、いつもより私を見ていた。


その視線を受けるたびに、胸の奥が痛んだ。

こんな夜に限って、どうしてそんな顔をするのだろう。


デザートが終わり、食後酒が運ばれてきた頃には、外はすっかり夜更けになっていた。


「……そろそろ失礼しますわ」


私はそう言って、グラスを置いた。


「泊まっていけばいい」


静かで、けれど迷いのない声だった。


心臓が跳ねた。

いつもなら、そうしていた。

いつもなら笑って、彼の腕の中にいた。


けれど今夜は駄目だった。


私はゆっくりと、彼の目を見た。

青い瞳が、蝋燭の灯りで揺れている。

彼に抱かれながら、その瞳に自分だけが映るのを見るのが好きだった。


そんなことも、もう言えなくなる。


「……婚約するのに、他の殿方の寝所に泊まるような女は嫌いですわよね」


静かな声で、私は言った。


「私はあなたには……嫌われたくありませんわ」


最後の最後に、それだけは本音が出た。


長い沈黙が落ちた。

窓の外の月が、さっきよりも滲んで見えた。


「……俺は」


セオドアが低く言った。


「あの日よりも前から、エレノアは俺を選べばいいと、ずっと思っていた」

「え……」


意味がわからなかった。

セオドアの声は静かで、けれど、今まで聞いたことがないほど真剣だった。


「君の婚約が壊れた時から。ずっと」


息が止まった。


「最初は、ただ気の毒だと思っていた。夜会の隅で一人でいる君を見て、声をかけた。それだけのつもりだった」


彼は視線を逸らさなかった。


「だが、一緒にいるうちにわかっていった。君がどれだけ強いか。どれだけ人を思いやれるか。笑顔の裏に何を隠しているか。……俺はいつの間にか、君のことを考えない日がなくなっていた」


目が熱くなった。

喉の奥が詰まって、うまく息ができなかった。


「初めて社交界に出た日以上に、君に話しかけた時は緊張していた」

「なら……どうして」


声が震えた。


「どうして、言ってくださらなかったのですか」


セオドアは少し目を伏せた。

それは初めて見る、迷うような表情だった。


「君が俺を選んでいるのか、寂しさを埋めるために俺のそばにいるのか、わからなかった」


彼の指が、グラスの脚に触れる。

ほんの少しだけ、力が入っていた。


「聞くのが怖かった」


怖かった。

あの、いつも令嬢に囲まれ、どんな場でも涼しい顔をしているこの人が。

私のことで、怖かったと言った。


「俺が何か言えば、今の関係が壊れる。君が離れていく。それが怖かった」


唇を噛んだ。

目の奥が燃えるように熱い。


「私も」


絞り出すように、私は言った。


「私も、同じでしたわ。いつからか、あなたのことばかり考えるようになって。あなたが笑うたびに嬉しくて、あなたが他の方と話すたびに胸が痛くて。でも言えなかった。言ったら終わると思って」


涙が一粒、落ちた。

それを拭おうとして、手を上げるより早く。


「泣くな」


セオドアが立ち上がった。

テーブルを回り、私の目の前に膝をつく。

驚くほど迷いのない動作で、彼は私の涙を親指で拭った。


「婚約の話は」

「嘘、ですわ」


言ってしまえば、もう止まらなかった。


「父が縁談を持ってきましたけれど、断りました。あなたに……嘘をついてでも、きれいに終わろうと思っていたんです」

「終わらせるつもりだったのか」

「このままでは、あなたが誰かと婚約する前に、自分から終わらせないと……そう思って」


セオドアは黙っていた。


「あなたにとっても、よい思い出のままでいられたらと……」


そこまで言うと、彼は深く息を吐いた。


「馬鹿だな」

「……自分が馬鹿なのは、わかっていますわ」

「違う」


セオドアの手が、私の頬に触れた。


「二人で揃って、馬鹿だ」


大きな手だった。

何度も触れられていたはずなのに、今夜はまるで初めて触れられたような気がした。


「エレノア」


名前を呼ぶ声が、今まで聞いたことのないほど柔らかかった。


「俺と婚約しろ。正式に」


涙でぼやけた視界の中で、セオドアが真剣な顔でこちらを見ていた。


「……それは、プロポーズですか」

「そうだ」

「もう少し、ロマンティックにできませんでしたの」

「君に関わることに限っては、できない。できる気がしない」

「……そんな」


思わず笑ってしまった。

泣きながら笑った。

きっとひどい顔をしている。

けれど、もう取り繕うことなどできなかった。


「そうですわね。私も、そんなあなたを好きになってしまったんですもの」


セオドアが私の手を取った。

椅子から立ち上がった私を、彼はそのまま腕の中へ引き寄せた。

しっかりと、確かめるように。

今まで何度も抱きしめられてきたはずなのに、今夜はすべてが初めてのようだった。


「俺も」


耳元で、彼が言った。


「ずっと、好きだった」


その言葉を聞いた瞬間、こらえていたものがすべて崩れた。


私は彼の胸に顔を埋めた。

涙が止まらなかった。


二年分が、一気に溢れてきた。


言えなかった夜。

笑って別れた朝。

彼の背中を見送るたびに、胸の奥で積もっていった小さな痛み。


そのすべてが、今になってほどけていく。

セオドアは何も言わず、私の背を撫でてくれた。

二年間触れ合ってきたはずなのに、ずっと足りていなかったものが、ようやく満たされていくように。

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よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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